「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

福島原発事故:大熊町「全町民5年帰還せず」計画案を可決<毎日新聞

毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/
福島原発事故:大熊町「全町民5年帰還せず」計画案を可決
毎日新聞 2012年09月21日 20時07分
http://mainichi.jp/select/news/20120922k0000m040058000c.html
▼全文引用


 東京電力福島第1原発事故で、全域が警戒区域に指定された福島県大熊町の「全町民が5年間帰還しない方針」を盛り込んだ第1次復興計画案が21日、同町議会で可決された。原発事故で避難を強いられた自治体が全域で長期間戻らない計画を決めたのは初めて。

 町議会は、役場機能を移している同県会津若松市で開かれた。

 復興計画は今後5年間の取り組みを定めたもの。人口の約95%が居住する地域を帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超、5年間原則立ち入り禁止)とする区域再編案を盛り込み、残りの地域だけでの生活再建は困難と判断した。

 計画には、町民アンケートで要望が多かった同県いわき市かその周辺に17年ごろまでに町外コミュニティー(仮の町)を整備することや、2年後を目標に居住制限区域(同20ミリシーベルト超、50ミリシーベルト以下、一時立ち入り可能)になる見通しの大川原地区を除染拠点にすることも盛り込まれた。



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福島原発3号機プールに鉄骨落下 冷却システムに影響なし<47NEWS

47NEWS
トップ >http://www.47news.jp/
2012/09/22 16:46 共同通信
福島原発3号機プールに鉄骨落下 冷却システムに影響なし
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012092201001498.html
▼全文引用


 東京電力は22日、福島第1原発3号機の原子炉建屋上部のがれき撤去作業中、長さ約7メートル、重さ約470キロの鉄骨が使用済み燃料プール内に落下したと発表した。プールの冷却システムに異常はないという。

 同日午前11時5分ごろ、作業員がクレーンを操作してプール脇にあった鉄骨を移動させようとしたところ、鉄骨がプール内に滑り落ちた。作業員にけがはなかった。

 3号機プールには燃料集合体が566体保管されているが、東電は燃料に損傷がないか調べる。



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大飯停止あり得る 原子力規制委 田中俊一委員長に聞く {東京新聞 TOKYO WEB}

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
大飯停止あり得る 原子力規制委 田中俊一委員長に聞く
2012年9月22日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012092202000126.html
◇全文引用


 原子力の安全規制を一元的に担う原子力規制委員会の田中俊一委員長は二十一日、本紙のインタビューで、再稼働した関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県)に関し、新たに法制化する安全基準の内容が固まった段階で安全性をチェックし、基準を満たさないと判断した場合は「(運転中であっても)停止を命じることもあり得る」と明言した。 (大村歩、加賀大介

 規制委は来年七月中旬までに原発に必要な事故対策を盛り込んだ安全基準を法制化。また、福島の事故で、住民避難で混乱が生じ、現地の対策拠点が機能しなかった反省も重視し、運転を認めるかどうかの重要な条件として、重大事故が起きても、住民を被ばくから守れるよう、防災区域の設定やモニタリングを含めた地域防災体制が整っていることを加えるとみられる。

 今年八月に営業運転に入った大飯原発は、本来は来年九月の定期検査まで運転できるが、田中氏は「法制化前でも、基準の中身が固まった段階で、(基準に)対応してもらう。対応できないなら運転できない」と述べた。

 大飯原発の直下の軟弱な断層(破砕帯)が地震で動くかどうかの確認も「急いでやらなければならない」と述べた。

 他の原発の再稼働問題では、「(再稼働を求める)圧力があるかもしれないが、われわれが納得できるもの(基準)を出していきたい」と、再稼働の判断は来年七月までに新基準が法制化された後との認識を示した。

 原発の運転期間(寿命)を四十年に制限する新たなルールについては、「おおむね妥当だ。新しい原発の安全規制はどんどん進んでいる。その基準から見て、四十年前の設計というのは、相当厳しい」と述べた。ルールの見直しは基本的には必要なく、例外的に二十年の運転延長を認めるのは難しいとの認識を示した。

 一方、政府は「原発の新増設はしない」との方針を示しながら、設置許可申請が出された場合の対応は規制委の判断に委ねている。田中氏は「政府がスクリーニング(選別)していただきたい。私たちが(新増設を)止めることはできない。申請が来れば是非は判断する」と述べ、新増設を排除するのは、方針を決めた政府の責任との考えを示した。



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原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求{東京新聞 TOKYO WEB}

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求
2012年9月22日 07時07分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012092290070744.html
▼全文引用


 野田内閣が「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが二十一日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。

 政府は「革新的エネルギー・環境(エネ環)戦略」の決定が大詰めを迎えた九月初め以降、在米日本大使館や、訪米した大串博志内閣府政務官、長島昭久首相補佐官らが戦略の内容説明を米側に繰り返した。

 十四日の会談で、米高官の国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官はエネ環戦略を閣議決定することを「懸念する」と表明。この時点では、大串氏は「エネ戦略は閣議決定したい」と説明したという。

 さらに米側は「二〇三〇年代」という期限を設けた目標も問題視した。米民主党政権に強い影響力があるシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)のクローニン上級顧問は十三日、「具体的な行程もなく、目標時期を示す政策は危うい」と指摘した。これに対して、長島氏は「目標の時期なしで原発を再稼働した場合、国民は政府が原発推進に突き進むと受け止めてしまう」との趣旨で、ゼロ目標を入れた内閣の立場を伝えていた。また交渉で米側は、核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明したという。

 エネ環戦略は十四日に決めたが、野田内閣は米側の意向をくみ取り、「エネ環政策は、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけを閣議決定。「原発稼働ゼロ」を明記した戦略そのものの閣議決定は見送った。

 大串、長島両氏は帰国後、官邸で野田佳彦首相に訪米内容を報告している。

 政府関係者は「事前に米側に報告して『原発稼働ゼロ』決定への理解を求めようとしたが、米側は日本が原発や核燃サイクルから撤退し、安全保障上の協力関係が薄れることを恐れ、閣議決定の回避を要請したのではないか」と指摘している。

◆「判断変えてない」大串政務官

 原発ゼロをめぐる米国との協議について、大串博志内閣府政務官は二十一日、本紙の取材に対し「個別のやりとりの内容は申し上げられないが、米側からはさまざまな論点、課題の指摘があった。米側からの指摘で日本政府が判断を変えたということはない」と話した。

◆骨抜き背景に米圧力

<解説> 「原発ゼロ」を求める多数の国民の声を無視し、日本政府が米国側の「原発ゼロ政策の固定化につながる閣議決定は回避せよ」との要求を受け、結果的に圧力に屈していた実態が明らかになった。「原発ゼロ」を掲げた新戦略を事実上、骨抜きにした野田内閣の判断は、国民を巻き込んだこれまでの議論を踏みにじる行為で到底、許されるものではない。

 意見交換の中で米側は、日本の主権を尊重すると説明しながらも、米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになるなら、プルトニウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという。

 当初は、「原発稼働ゼロ」を求める国内世論を米側に説明していた野田内閣。しかし、米側は「政策をしばることなく、選挙で選ばれた人がいつでも政策を変えられる可能性を残すように」と揺さぶりを続けた。

 放射能汚染の影響により現在でも十六万人の避難民が故郷に戻れず、風評被害は農業や漁業を衰退させた。多くの国民の切実な思いを置き去りに、閣議での決定という極めて重い判断を見送った理由について、政府は説明責任を果たす義務がある。 (望月衣塑子)

東京新聞


★関連記事
東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
米国、経済界など反発 政府、圧力に屈す
2012年9月19日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012091902000231.html
▼全文引用ブログ
http://d.hatena.ne.jp/point-site-play/20120922/1348239810

東京新聞 TOKYO WEB
米 圧力で「骨抜き」 補佐官派遣しお伺い
2012年9月15日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012091502000096.html?ref=rank
▼全文引用ブログ
http://d.hatena.ne.jp/hajimetenoblog/20120922/1348278331



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爆発前から放射能漏れ? 双葉の上羽鳥毎時1590マイクロシーベルト<福島民報

福島民報
爆発前から放射能漏れ? 双葉の上羽鳥毎時1590マイクロシーベルト
2012/09/22 09:57
http://www.minpo.jp/news/detail/201209223793
▼全文引用

東京電力福島第一原発事故で1号機が水素爆発を起こす直前の昨年3月12日午後3時に、福島県双葉町上羽鳥で空間放射線量が毎時1590マイクロシーベルトだったことが20日、分かった。県によると、原発敷地外では過去最大値。当時、現地にはまだ住民が残っていた可能性もあり、県は福島医大などと連携し健康への影響などを調べる参考にする。
 県が20日、東日本大震災が発生した昨年3月11日から31日までの間に東京電力福島第一原発、第二原発周辺のモニタリングポストなどで測定した結果を公表した。
 双葉町上羽鳥は第一原発から北西に5.6キロの地点。毎時1590マイクロシーベルトは一般人の被ばく線量限度である年間1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)を超える数値。上羽鳥のモニタリングポストは停電で14日正午で計測が途絶えた。この期間の平均値は毎時58.5マイクロシーベルトだった。
 政府は12日午前に第一、第二原発から半径10キロ圏の避難指示を出した。

★参考
★阿修羅♪ >
福島・双葉町で震災翌日に放射線量最大 (とある原発の溶融貫通(メルトスルー)) 
http://www.asyura2.com/12/genpatu27/msg/500.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 9 月 22 日 10:49:31: igsppGRN/E9PQ

福島・双葉町で震災翌日に放射線量最大
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6624187.html
2012年09月22日10:13 とある原発の溶融貫通(メルトスルー)

東京電力福島第1原発事故が起きた昨年3月11日から3月31日までの空間放射線量の最大値は、原発から北西に約5.6キロの双葉町上羽鳥で、12日午後3時に毎時1590マイクロシーベルトを記録した。

福島県が21日公表した、放射性物質の飛散状況モニタリングポスト観測結果で判明した。県によると、原発の敷地外ではこれまでで最も高い。

一般の人の年間被ばく線量限度を1時間で超える数値。

(共同通信)
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2012092101001930/1.htm

==================================================

すごい情報が出てきました。

この情報は以前記事にした槌田敦さんの説
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6367130.html

                                                                                                    • -

1号機は地震で配管の破断があり,そこから水が抜けた。

配管破断の警報が鳴っていたが,吉田所長はそれを無視した。

配管の破断が起きたらすべきことは高圧注水系を入れること。

高圧注水系とは原子炉の圧力が高まった時でも水を入れることができるECCS(非常用炉心冷却装置)のこと。

これを使わなかったことがそもそもの大失敗。

1号機と2号機は地震が起きてから津波が来て電源を失うまでの50分間はそれを使えたはずなのに使わなかった。

3号機には津波が来てからでも,非常用の蓄電池があったので,それを使えたはずなのに使わなかった。

因みに,高圧注水系を使わないことが原発事故の対処としては一番まずい対処であるということは,スリーマイル事故の時に得られた大きな教訓の一つ。

この教訓は東電のPR誌に書いてあり,吉田所長はそのことをすっかり忘れてしまっていたようだ。

この対応の失敗により,1号機は3時間で原子炉が崩れ,午後6時には放射能だらけになった。

10時には吉田所長は原子炉建屋に入ってはならないという指示を出す。

この時点で放射能が漏れていたということは地震で配管が破断していたことを示している。

東電はこの時点でベントを行なう。その結果,ある程度の量の放射能が宮城県にまで飛んでいったが,福島第一は守られた。

                                                                                                    • -

が正しいことを裏付けています。

東電は事故後現場の北西に汚染が広がったのは水素爆発のせい(つまり自分たちに責任はない)と主張していますが,爆発前から汚染が広がっていたのであれば,東電の初期対応の悪さとその結果のベントのせいということになります。



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太陽光発電は全体の3%!? 「脱原発」維持に向けて現実的な方策を模索し始めたドイツの厳しいエネルギー事情とは<現代ビジネス

現代ビジネス
トップ>http://gendai.ismedia.jp/
川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」
2012年05月25日(金)
太陽光発電は全体の3%!? 「脱原発」維持に向けて現実的な方策を模索し始めたドイツの厳しいエネルギー事情とは
(1)〜(4)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32633
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32633?page=2
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32633?page=3
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32633?page=4

(1)
 ドイツの環境大臣が交代した。ドイツは遠いなどとは言っていられない。独自のエネルギー政策を模索中の日本は、過激で遠大なエネルギー転換に向かって突き進んでいるドイツを、絶対に視野から外せない。ただ、ドイツも暗中模索、いかにスムーズに再生可能エネルギーを伸ばしていくかという方策については、実際は、傍が思っているほど一枚岩ではない。そのジレンマが、環境大臣交代の1つの要因となったことは確かだ。

 まず、順を追っていくと、5月13日、ノートライン・ヴェストファーレン州で、州議会選挙があった。ノートライン・ヴェストファーレンというのは、デュッセルドルフ、ケルンといった人口密集地帯を抱える、ドイツで一番人口の多い州である。そういう意味では、ここでの選挙結果がドイツ中央政府に与える影響は大きい。

 さて、その結果であるが、現在ドイツの与党であるCDU(キリスト教民主同盟)が大敗。来年、総選挙を控えているので、メルケル氏にしてみればこれは悪夢に近い。同州でCDUを率いていたのはノベルト・ロットゲン(Norbert Röttgen)といって、ドイツ連邦の環境大臣、いわゆる脱原発の立役者の1人。メルケル首相との二人三脚は見事だったが、そのロットゲン氏が、州史始まって以来の低得票で、CDUをボロ負けに導いたのである。

 当然のことながら、すでにその夜、野党から「ロットゲンは環境大臣を降りるべきだ」という声が上がった。それに対してメルケル氏は、「ロットゲン氏の更迭はない」とし、ロットゲン氏も続投を表明したが、15日午後、首相官邸で緊急記者会見が開かれ、メルケル氏自らが発表したのは、なんと、環境大臣の交代! 会見の内容を知らされていなかった記者団はビックリ仰天しつつも、「やはり・・・」という感じだったに違いない。

 「辞めたくない」と言っている大臣の首をむりやり切る人事は、2005年にメルケル政権始まって以来、初の出来事だ。実は、この選挙の直前、首相と大臣の間で、ちょっとしたトラブルがあったのだが、それにしても、メルケル氏が自らの権力をまざまざと見せつけた強引な人事だった。

(2)
 新しい環境大臣は、ペーター・アルトマイヤー(Peter Altmaier/54歳)で、連邦議会での連立3党のまとめ役を務めていた人。メルケル氏が絶対的な信頼を置く人物だという。これまで与党が、多くの危うい法案(ギリシャに対する巨額の援助など)をちゃんと可決に持ち込めたのは、ひとえに彼の功績なのだそうだ。ということは、メルケル氏の"伝家の宝刀"が姿を現した? 政府のエネルギー政策における焦りは募っており、ロットゲン氏には任せておけなくなったのかもしれない。

電気料金はフランスのほぼ2倍

 さてドイツは、脱原発を決めたは良いけれど、再生可能エネルギー計画は激しく滞っている。たとえば、ネックの1つは送電線設置の遅れ。風の吹く北ドイツにいくら風車を作っても、それを電力消費地区である中・南部へ運ぶ高圧送電線網がない。建設計画は山ほどあるが、そのほとんどは、まだ着手されていないどころか、建設許可さえ下りていない。したがって、今ある風車でさえ、風の強い日は容量オーバーになるので、部分的に止めている状態だ。

 また、北海のオフショア発電(洋上風力発電)も、計画自体は素晴らしいが、実現には程遠い。海で作った電気をどうやって陸に運ぶのかも、海上の、しかも強風の吹きすさぶ高所でのメインテナンスの問題も、すべて未解決のままだ。今、立っている風車が本当に転倒しないかどうかも、まだ研究中。多くの問題は、技術的には解決可能だが、コストが合わず、つまり大々的な実用化はいつになるかわからない。

 コストが掛かり過ぎるのは、太陽光発電も同様だ。ドイツは、太陽光で作られた電力の全量買取りシステムで、パネルの設置を進めてきた。たとえば、わが家の屋根にパネルを付けたとしよう。そこで発電した電力は、電力会社が20年間にわたり、すべて買い取ってくれる(作った電気は自宅で使うのではなく、違うラインで集められる)のだ。

 太陽光電気の買取り価格は、当然のことながら市場価格よりも高い。そうでないと、誰もパネルを付けようという気にならない。太陽光電力を市場価格より高く買い取ってくれるのは、国ではなく、電力会社だ(国にはそんな予算はないので、電力会社に押し付けた)。では、電力会社がどうやってその差額をひねり出すのかというと、いたって簡単、電気代に上乗せするだけ。つまり、私が電気を売って得る収入を、国民全員が負担してくれることになる。つまり、パネルがさらに増えれば、電気代はますます高くなっていく。

 ドイツの電気がどれだけ高いかというと、家庭用も大型消費用も、すでにフランスのほぼ2倍近い。家庭用電気料金で見ると、ドイツより高いのは、EUではデンマークだけだ。ただ、家庭なら節電して我慢するという方法があるが、企業のほうはそうもいかない。電気代が高騰すれば、倒産するか、国外に出るしかない。現在、日本が抱えている問題とまるで同じだ。

 そこで仕方なく、買取り値段を下げるという法案が提出され、連邦議会は通過したが、現在、各州代表の集まりである連邦参議院のほうで審議がストップしている。SPD(ドイツ社民党)や緑の党は、買取り値段の値下げはエネルギー転換からの後退である、として反対するし、太陽光パネルの製造元を多く抱えている旧東独などの州政府は、買取値段が下がればパネルが売れず、そうでなくても倒産しそうな関連企業への懸念で、やはり反対せざるを得ない。

 いや、ドイツのパネルメーカーは、すでにどんどん倒産している。中国と台湾が、低価格製品で市場を制覇してしまったからだ。

(3)
 つまり、ドイツのジレンマは、買取り価格を据え置けばパネルは増えるが、一方で電気代が高騰し、産業が疲弊 → 景気悪化。反対に、買取り価格を下げれば、パネルを付ける人が減り、パネルメーカーや関連業種はさらに弱体化 → やはり景気悪化。おまけに太陽光発電の目標も達成できないというもの。結局、わが家が屋根にパネルを付けても付けなくても、ドイツ産業の活性化にはあまりつながらない。

 そのうえ、これほど膨大な助成金を食っている太陽光発電で作られる電気は、未だに全体の3%にすぎない。太陽のあまり照らないドイツで、なぜ太陽光発電を、このような莫大な助成金を付けてまで推進したのか、今さらながら不可解だ。風力のほうが、まだ希望がある。

エネルギー転換の厳しい現状

 これだけ問題が山積みなのに、この1年、メディアはそれらを遠慮がちにしか報道しなかった。前環境大臣のロットゲン氏も、CDUであるにもかかわらず、緑の党と見まがうばかりの過激さで、2050年にはドイツの電力の80%を再生可能エネルギーにする、と主張してきた。過去、ドイツのエネルギー問題は、常に環境省と経済技術省の綱引きだったから、経済技術省には、ロットゲンの"頑張り過ぎ"に眉をしかめていた人も多かったに違いない。

 しかし、去年の脱原発の決定は、竜巻のように全国民を巻き込み、ものすごい勢いで進んだので、空気は完全に環境省に味方した。メディアも、もろ手を挙げて脱原発を応援したという経緯があるので、未練がましいことは報道しにくかったのかもしれない。

 いずれにしても確かなのは、ドイツで原発再稼働はありえないということだ。とはいえ、再生可能エネルギーだけで一大産業国がやっていけるというのは、夢の中の話。風が止まれば電車も工場も止まり、また、予定通り手術をしてもらえるかどうかはお日様の照り具合で、という状況を受け入れるのなら話は別だが、それはできない相談だ。

 現実としては、風力発電も太陽光発電も、必ず化石燃料発電でバックアップしなければならない。たとえ風車が増え、パネルが増え、ひいては送電線が整ったとしても変わらない。それどころか、原発がなくなるのだから、化石燃料によるバックアップ発電所は、将来、より多く必要になる。

 そのため、現在、新しいガス火力発電所の建設が計画されている。そればかりでなく、空気を汚すので減らすはずだった褐炭の発電所の再稼働さえ具体化され始めている。ドイツには、褐炭は捨てるほどある。大気汚染を考慮に入れなければ、十分採算の合う自前のエネルギー資源だ。私に言わせれば、いざというときに自前のエネルギーがあるドイツは、日本よりもずっと恵まれている。

(4)
 そもそも、ドイツの電力は過去も、そして今も、4割以上を石炭と褐炭に依っている。それなのに、今、多くの国民は、褐炭などまもなく要らなくなる、そんなものは無くてもエネルギー革命は成功する、と漠然と信じている。彼らは、脱原発の決定に大いなる誇りを持つあまり、とにかくこの1年、いい面ばかりしか見てこなかったのである。

 だからこそ、これから"伝家の宝刀"アルトマイヤー氏が、バラ色でない部分を啓蒙するという困難な役回りを背負うのだろうと思っていたら、さっそく23日の夜のニュースで、エネルギー転換の厳しい現状が報道され始めた。すでに潮目は変わっている。

 これからは、電力会社や産業界も意見を発信しやすくなるはずだ。環境省と経済技術省も、なるべく一丸となって、現実的、かつ具体的なエネルギー政策を模索していくだろう。今までのように、常に全会一致のような論議は、非現実的で、かえって不健康だった。賛否両論があってこそ、地に足の着いた、よい妥協点が見つけられるに違いない。

 ドイツでも日本でも、エネルギー政策は危急の問題だ。国民の生活、産業の発展、そして環境に、直接的に関わってくる。だからこそ、ドイツの新しい環境大臣の舵切りがどのようなものになるのか、とても興味深い。私たちが参考にできることもあるだろう。というわけで、せいぜいドイツのエネルギー・ウォッチに精を出して、今後も耳よりな情報をお届けしたいと思っている。



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東日本大震災:福島第1原発事故 故郷が消えていく 南相馬、行政区存続の危機<毎日新聞

毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/
東日本大震災:福島第1原発事故 故郷が消えていく 南相馬、行政区存続の危機
毎日新聞 2012年09月21日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120921dde041040043000c.html
▼全文引用

 ◇干拓地は塩害、水がめには放射性物質…

 福島県南相馬市小高区の沿岸部で、東日本大震災の津波と東京電力福島第1原発事故の被害に遭った井田川(いだがわ)行政区が、消滅の危機にある。稲作地帯として豊かだった干拓地は塩害に見舞われ、水田の土も水がめのダムも放射性物質に汚染された。自宅を失った住民たちが無人の地に戻る気配はない。【小林洋子】

 震災前の井田川行政区では今の時期、黄金色の稲穂が揺れていた。しかし、現在は背の高い雑草に覆われている。見えるのは復旧工事の作業員とがれきだけだ。「住民のほとんどは戻らないだろう。行政区は残したいが……」。南相馬市内の仮設住宅で暮らす区長の佐藤宗信さん(65)は、消えてしまいそうな古里の姿に戸惑いを隠せない。

 井田川行政区63世帯251人(昨年2月)のうち、9割近い家々が被災し20人が亡くなった。海抜0メートルだった約180ヘクタールの水田は地盤沈下し、今年8月まで冠水していた。田に水を引いていた浪江町のダム底の土壌からは今年3月、1キロ当たり26万ベクレルの放射性セシウムが検出された。

 明治〜大正期の干拓に歴史が始まる井田川行政区は、原発建設に反対。両親の代から暮らしてきた大石和一さん(81)は「先輩たちが『原発が爆発したら、危険だ』と考えたことは間違いなかった」と悔やむ。

 南相馬市は昨年、地元の水田に近い高台への集団移転案を示したが井田川行政区は断った。「家の屋根を津波が越え、波が引いたと思ったら、家が無くなっていた」。津波の猛威を目撃した宝槻(ほうづき)正邦さん(76)は「ここで米作りをやろうとは思えない」と話す。

 井田川のほぼ全域が災害危険区域になる見通しで、住宅建設はできなくなる。小屋を建てて農業を再開することは可能だが、佐藤さんは「やりたい人は今のところゼロだ」という。

 約200人の住民は県内外に避難する。行政区存続を望む声は強いが、中ぶらりんの状態だ。市は、住民の避難や帰還の状況が異なる各行政区の今後のあり方を検討しているが、「存続が難しい行政区も出てくるかもしれない」としている。



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新エネルギー戦略は矛盾だらけ 「建設中」は続行、「核燃料サイクル政策」当面維持<J-CASTニュース

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新エネルギー戦略は矛盾だらけ 「建設中」は続行、「核燃料サイクル政策」当面維持
2012/9/23 10:10
http://www.j-cast.com/2012/09/23146658.html
http://www.j-cast.com/2012/09/23146658.html?p=2
http://www.j-cast.com/2012/09/23146658.html?p=3
▼全文引用

(1)
政府が2012年9月14日に決めた新たなエネルギー戦略は、2030年代に原発稼働をゼロとする目標を盛り込み、それを可能とする再生可能エネルギー拡大や節電の工程表を12年末までに策定することを決めた。

しかし、この計画は衆院選をにらんだ「にわか普請」の性格が強く、多くの矛盾点をはらむ内容だ。

50年代半ばまで原発が動き続ける可能性

大きな矛盾のひとつは、新戦略策定の翌日に早くも露呈した。枝野幸男経済産業相が9月15日、青森県の三村申吾知事との会談で「設置許可の出ている原発は変更しない」と述べ、現在建設中の原発については新増設と見なさず建設継続を認める考えを示したのだ。このうち東電の東通原発(青森県)については「賠償や事故対応の問題があり、建設を議論できる段階にない」と述べ、判断を先送りした。

新戦略では、原発ゼロの目標達成に向けて①原発の40年運転制限を厳格に適用②原子力規制委員会の安全確認を得た原発のみ再稼働③原発の新設・増設は行わない――の3原則を確認。現在建設中の原発の扱いについてはあいまいだったが、枝野経産相が少なくても2基の建設を求めたことで、新戦略の骨格が早くも揺らいでいる。

仮に2基が2010年代半ばに運転開始すれば、50年代半ばまで原発が動き続けることになるからだ。

(2)
青森県が放棄に強く反発

この点について枝野氏は「(原発ゼロを)可能にできるよう最大限のことをやっていく。すべてはそこから先の話だ」と言うだけだ。仮に2基の稼働を2030年代に止めれば、事業者が投じる建設資金を回収できなくなり、損害賠償問題につながることも考える必要がある。

原発ゼロを打ち出しながら、原発から出る使用済み核燃料を再処理し、原発の燃料として再利用する「核燃料サイクル政策」の「当面維持」を打ち出したことも、混乱の火種だ。核燃サイクルの中核である高速増殖炉開発は、原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の目的を放射性廃棄物の減量研究などに転じ、年限を区切って研究を終えるとし、将来的な廃止の可能性を示唆した。

核燃サイクル政策自体の維持を打ち出したのは、これを前提に六ヶ所村の中間貯蔵施設で使用済み燃料を保管している青森県が放棄に強く反発していたため。しかし、今後段階的に原発の稼働を減らしていけば、使用済み燃料から抽出されるプルトニウムは使い切れずに余る可能性が高い。

(3)
原発ゼロ」は核燃サイクルの放棄

プルトニウムは核兵器の主原料。新戦略策定の直前になって米国が「重大な関心」を示してきたのは、「原発ゼロ」が詰まるところ核燃サイクルの放棄につながることを見抜いているからだ。プルトニウムが、使用目的があいまいなまま日本に「貯蔵」されれば、核拡散防止条約(NPT)体制が崩れ、米国の対イラン、北朝鮮政策にも重大な脅威となりかねない。

この問題の解決はまだ先の話となるが、政府内では「新戦略を厳格に守るならば、使用済み核燃料は米国がニューメキシコ州に建設を進める最終処分場に引き取ってもらうしかない」(経産省関係者)というささやきが漏れている。


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2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発<Space of ishtarist から転載

★下記ブログから、全文転載

 

Space of ishtarist
2011年6月25日土曜日
2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
http://ishtarist.blogspot.jp/2011/06/20113203.html

 

はじめに

12日1号機の水素爆発、14日の3号機における水素爆発、15日2号機のサプレッションチェンバー爆発。これら相次ぐ事故によって、福島第一原発から今まで放出されてきた放射性物質の大部分は15日までに放出されてきたものであるかのように東電・政府は発表しています。

ところが、もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、あまり一般には知られていません。その汚染源が3月20日-21日にかけての3号機格納容器内爆発であること、それを東電・政府は当然知りながら、隠蔽していること―これがほぼ「事実」であると断定できるだけの判断材料がすでに揃いました。

ちなみに、こうした結論の大部分は、実のところ、以前に私が、3/24までに出したものです。それについてはTwitterで当時連続ツイートして、その成果をTogetterにまとめました(http://togetter.com/li/115299)。ただし、このとき私は、気象に関する知識とデータがなかったため、絶対的な確信を得るまでには至りませんでした。

最 近になって、他のブログで、気象方面からのアプローチで、まったく同じ結論を出している人が複数出てきました。また最近になって、東電が修正データを発表 したため、再臨界の可能性を含めて再検討できるようになり、また東電による印象操作にかんしてもより詳細に論じることができるようになり、こうして新たに ブログに記事をアップする次第です。

 

以下、論証が極めて長いので、概要として、結論だけ箇条書きで記しておきます。

  • 3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の同地域の総量に匹敵する莫大なものであった。
  • この放射性物質は、よく言われるように、3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。
  • その汚染源は明らかに3号機であり、おそらく福島第一原発最大の事故であった。
  • パラメータを分析すると、3号機では、3/20-21に圧力容器設計圧力を大幅に超える圧力が記録され、また格納容器内の爆発的事象によって圧力容器・格納容器とも大破したことが明らかである。
  • その事故は再臨界を伴う可能性が否定できない。
  • この異常事態を受けて、放射性物質の放出を防ぐために、1000トンを超える放水が行われた。
  • 3/21に行われた海水サンプリング調査・土壌採取などは、3号機格納容器内爆発という事態を受けたものである。
  • 3/21の3号機原子炉建屋から出た煙は、原子炉が破損した物理的な帰結であるが、東電は当然それを認めることができない。
  • 東電・政府はこうした最悪の事態を知りながら隠蔽している。
  • 東電は、こうした事態を隠匿するため、データの間引きや悪質な印象操作をいくつも行っている痕跡がある。

 

3月21日前後、関東地方を襲った放射性物質降下について

現在、様々な農作物や海産物などから放射性物質が検出され、内部被曝が懸念されておりますが、そのもっとも重要な被害は、主に関東地方に降りそそいだ3月21日の放射性物質降下(以下フォールアウトと呼びます)によってもたらされました。3月15日にも放射性物質が放出されたことはよく知られていますが、それは希ガスが主体であり、農作物や人体への被害は比較的軽微だと考えられるからです。それにたいし、21日のフォールアウトは、ヨウソ・セシウムストロンチウムなどが主だったと考えられています。

東大の早野先生(@hayano)のチームが作成したグラフがあります。

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図1 全国の放射線量 3月15-5月2日

こ れを見れば全国、とりわけ関東地方で、まったく同型のグラフの動きが確認できます。15-16日に非常に大きなピークがありますが、それは直後に急降下し ています。それに対して、21日にピークがありますが、それは漸近線を描いて下がっていっています。これらピークが福島第一原発由来のものだとすると、両 者の違いに関する解釈は、論理的には二つありえます。一つは、21日以降、恒常的に福島第一原発から放射性物質が放出されている可能性です。もう一つは、 21日に後者で放射性物質が地表に降下して、それが空間線量に影響を与えている可能性です。もちろん、この二つが複合していることも十分ありえるでしょ う。

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図2 日本分析センターにおける空間線量率(PDFより)image

図3 東京都健康安全研究センターにおける放射線量と降下物

 

諸々 の研究機関による核種分析により、15日と21日では、その主成分が異なることが判明しています。15日は、キセノン133など人体に軽微な影響しかない 希ガスが主ですが、21日のフォールアウトでは、セシウムやヨウソ・テルルなどが主体であることが判明しています。15日に希ガスが多かったのは、原因が 2号機のサプレッションチェンバーの破損であるため、放射性物質が一度水を通してから放出されたためであると考えられます。すなわち、事実上、ウェットベ ントをしたのと同じ効果があったのではないでしょうか。

さて、21日のフォールアウトは想像を絶するものだったことが、直後から判明しています。文部科学省は、毎日の全国各地のヨウソ131とセシウム137のフォールアウトを「環境放射能水準調査結果(定時降下物)」として発表していますが(http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305495.htm)、その3月20-21日、21-22日のデータは以下の通りです。

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図4(PDF)  図5(PDF)
定時降下物20日9時-21日9時 定時降下物20日9時-21日9時

上記のデータから3月19日9時から3月26日9時までの積算フォールアウトの表を作成してみました。

 

I-131(MBq/km^2)

Cs-137(MBq/km^2)
山形県(山形市 68532 7860
茨城県(ひたちなか市 208130 25790
栃木県(宇都宮市 55710 992
群馬県(前橋市) 21306 1173
埼玉県(さいたま市 67517 2973
千葉県(市原市 45294 3593
東京都(新宿区) 84333 6409
神奈川県(茅ヶ崎市 5556 440

 

特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。MBq/km2 はBq/m2 に換算可能なので、ひたちなか市では1平方メートルあたり20万ベクレル以上のヨウソ131が、25000ベクレル以上のセシウム137が地表に降り積もったと考えられます。新宿では同じく、ヨウソ131が約85000ベクレルセシウム137が6400ベクレルです。そして、これら大部分が、20日から23日までの3日間に降りそそいでいるのです。

これは、どの程度の値なのでしょうか。

また、一瀬昌嗣・神戸高専准教授(サイエンスメディアセンター 核実験フォールアウトとの比較)によれば、「1963年6月に、日本に降った最大のフォールアウトのセシウム137の放射能は、550Bq/m2」であり、「Cs-137で比べると最も多かった1963年の1年間に東京で1935 Bq/m2、1957年4月~2009年3月の合計では7095 Bq/m2」です。大気圏核実験が頻繁に行われていた(チェルノブイリ事故の影響も含む)過去50年間と、ほとんど同量のCsセシウム137が、たかだか3/21-3/23の2日間で降り積もったことになります。なお、広島原爆の黒い雨のCs-137の土壌沈着量は、最大で493 Bq/m2であったと論じられています。

マーチン・トンデル氏のスウェーデンにおけるチェルノブイリ事故調査によると、1平方メートルあたりのセシウム137の汚染が10万ベクレルで、ガン発生率が11%あがるとの結果が提出されています。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/tondel.pdf これに照らし合わせると、くだんのフォールアウトによるひたちなか市での発がんリスク増加は、3%弱であると考えることができるでしょう。

た だし、重要なことは、発がんリスクは放射性障害のごく一部にしかすぎず、心疾患、脳溢血、消化器疾患、呼吸器疾患など様々なリスクが確認されており、また もっとも典型的な兆候は、「原爆ぶらぶら病」や「湾岸戦争症候群」に見られるような不定愁訴であることです。発がんリスクはあくまで健康被害の一つの指標 にしか過ぎず、内部被曝によって表れる様々な症状を、発がんリスクへと還元するかのような統計は、住民たちの実際の健康障害を著しく低く見せる効果がある ことに、私たちは留意する必要があります。

3月20-21日の放射性プルームの動き

3月21日前後に関東を襲った甚大なフォールアウトが福島第一原発由来のものだとして、それは何号機からいつ発生したものでしょうか?

東大の早野龍五先生などは、主な放射性物質の放出は3月15日までに発生しており、21日の降雨とともに上空の放射性物質が降下してきた、という説を以前提唱しました(ガジェット通信「3月15日に福島原発より大量放出。以降、大気への大量放出は起きていない」)。

そ して、同様の説が、現在もまたメディアや一般人の大部分が信じており、それゆえ、21日前後のフォールアウトについて「いまだ発表されていない大事故が起 こったのではないか」という点の追求は不十分であったと言わざるをえません。それは、Twitter上で最大権威となった早野先生の影響もあるでしょう し、またテレビ映像で爆発として目に見えた(結論を先取りすれば、それゆえ東電が隠蔽することが不可能であった)事故が15日までに集中していたこと、が もう一つの原因でしょう。

ところが、早野先生の説は、看過できない欠陥を何個も抱えており、議論としては維持不可能である、と私はこれまでずっと考えてきました。(以下の考察は、主にkenkenさんのブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」を参考にさせていただいており、また、図10と図12を拝借いたしました。この場を借りて感謝申し上げます。)

※重要な追記  早野先生にTwitterで確認したところ、この説はすでに撤回したとのことです。非常に真摯な回答に感謝いたします。ただ、現在の早野先生の考えとは別 に、この説はそれ自体として検証されるべきであるということ、また、3/15以前に放出されたという説は一般に流布してしまっていること、その点から未だ に、以下の批判的記述は意味があると私は考えるため、そのまま置いておきます。
実際に、早野先生とどのようにやりとりをしたかは、本記事の末尾に記しておきます。

一 つは、直感的に言って、一週間近く前に放出された放射性物質からなる放射性プルーム(放射性雲)が、関東地方といったせいぜい数十キロー数百キロ圏内の上 空を、大部分の放射性物質を落とさずに、また拡散せずに、漂い続けることが可能なのだろうか、というものです。たとえば、ドイツのシュピーゲル誌などが、 オーストリア中央気象台による放射性物質拡散シミュレーションを掲載していますが、これをみると、放射性雲は偏西風に乗って時速数十キロで移動し、拡散し ているように見えます。これは、他のシミュレーションでも同様です。

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図6 オーストリア中央気象台 I-131拡散シミュレーション 3/15-3/18

ま た、早野先生は、日本分析センター(千葉)のデータ(本ブログ記事の図2)をもとに、「3月16日を最後に原子炉からの直接放出の証拠であるXe-133 がほとんど見え」ないということを根拠に、それ以後の放出はなかったと言っていますが、よく拡大して見れば、他のグラフに隠れているだけで、確実にXe- 133のピークは確認できます。

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図7 3/18-3/20 空気中の核種 図8 3/20-3/22 空気中の核種

また、つくばの高エネルギー加速器研究機構で採取された「空気中の放射性物質の種類と濃度の測定結果」 のグラフを抜粋しました。図7が第六回採取資料(2011年3月18日10:16〜3月20日9:55)で、図8が第七回採取資料(2011年3月20日 10:00〜3月22日9:54)です。両者を比較すると、その組成が全く異なることがわかります。このことは、21日以降の空気中の放射能汚染が、それ までとは別の汚染源からもたらされたものであることを示唆しています。

  早野先生は上記の図2の降雨量と放射性物質降下との相関関係に注目し、前者が後者の原因であったと論じています。確かに、原発事故後、21日で初めて広範 囲の降雨があったことは確かです。ですが、この比較は、あまりにも時間軸を荒く見過ぎだと思います。じっさい、3月21日の雨のデータと、空間線量の上昇 データとの時間データをより細かく調べれば、茨城県では雨が降る前に、放射線量が上昇していることが確認できます。

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図9 3/21 4時の茨城県の雨雲 図10 3/21 茨城県の空間線量

これは、「3/21のフォールアウトは上空の放射性物質が雨によって落ちてきただけである」という説明とは相容れません。

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図11 図12

また、3/21、全国的に雨雲は西から東に移動してきています(tenki.jp 3/21 雨雲の動き)。 もし、早野先生の説が正しければ、フォールアウトもまた西から東へと進んでいなければいけないはずです。ところが、図9 「茨城県東部 放射線モニターデータ解析」(理化学研究所仁科加速器研究センター専任研究員 板橋健太様作成)の3/21のデータを 茨城県の空間線量の増加を確認すると、疑いなく北(福島第一原発方面)から南南西へと、放射性プルームが移動していることが確認できます。また、先にご紹介したブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」によると、時速20-30kmで、「午前3時20分に大沼で観測された上昇が東海村、水戸、鉾田、つくば市へ伝播している」ことが確認できます(図12)。

 

さて、以下の論考は、chocovanillaさんのブログ【シリーズ 3月21日】による、気象学的な考察をおもに参考にさせていただきます。

国立情報学のページ「福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)」によると、3月20日、福島第一原発の周辺の風向きは、朝10時から東風、夕方には南風になり、夜の10時から12時にかけて北風に反転したということです。

ち なみに福島第一原発から日立市大沼までの距離は106km、日立市大沼で放射線量が上がり始めたのが21日3時20分なので、そのとき風速20km- 30kmで運ばれていたと仮定すると、その放射性プルームはちょうど福島第一原発を午後10時-12時に放出されたものであるということになり、ぴったり 符合します。

3月21日の午前9時の天気図は以下の通りです。

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図13 3/21 9:00の天気図

停滞前線沿いに上昇気流が発生し、放射性プルームは静岡にある低気圧の中心へと流れて停滞前線に沿って運ばれたと考えられます。

プ ルームは海を南下し、停滞前線に当たって進路を変えます。一部は上昇して、低気圧の中心近くで降雨し、大部分は前線に沿って移動して、柏東葛地域での雨 で、地上へと落下し ホットスポットを形成したものと考えられます。進路に関わらず前線に沿ったとすれば、雨の振り出しが関東ではほぼ同時であった為、 非常に直線的な汚染が辻褄が合うのです。(chocovanillaさんのブログより)

福島第一原発3号機炉心で起こったこと パラメータ分析

さて、3月20日から21日にかけて、福島第一原発では何が起きたのでしょうか。これだけの莫大な汚染をもたらした事故が発生したとすれば、それが公式に発表されていないということはありうるのでしょうか。

3月20日の福島第一原発の動きは、私の手元にある3月21日発表の官邸発表資料(http://www.kantei.go.jp/saigai/201103211900genpatsu.pdf 削除済み)を見れば非常によくわかります。彼らはそのとき、3号機に注視していました。抜粋します。

20日 08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている。(原子炉の通常運転中は280-290℃)

14:30 3号機に関し、原子炉格納容器内が高めで推移していることから注視。

21:30 3号機に関し、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水(約1、137トン)を実施(-21日03:58)

15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中) 16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化 18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認

事実関係だけ述べるならば、20日午前から午後まで3号機格納容器内の圧力が非常に高まり、その後圧力低下を受けて、21時半から1000トン以上の放水を行った。これは、同時期の他号機への放水が軒並み100トン以下であることを考えれば、異常な量と言えるでしょう。そして翌日午後3時に、原子炉建屋から煙が出始めました。

さて、当時のメディアでは、3号機についてどのように報道されていたでしょうか?実は、このときドライベントを行う予定でした。3月22日の毎日新聞は次のように報道しています。

3号機では20日、格納容器内の圧力が急に高まり、東電は一時、容器内の水蒸気を直接、大気中に放出する「ドライベント」と呼ばれる方法での排気を検討した。・・・3号機はその後、格納容器内の圧力が下がったため、ドライベントは見送られた。

もしその通りだとして、なぜ圧力は低下したのでしょうか?そして、本当にドライベントは見送られたのでしょうか?これが1つ目の謎です。

も うひとつの謎は、翌21日に3号機原子炉建屋から放出された煙についてです。東電は、おおむね次のように釈明していました。「煙については調査中です。ど こから出てるのかはわかりません。放射線レベルから見て、問題はないです。でも、念のため、作業をいったん中断して、作業員全員を退避させました」。そし て、私が知る限りにおいて、その点について今まで一切の説明はありません。

しかし、なぜ何週間・何カ月たっても、煙の原因がわからないのでしょうか?これが火事である可能性が仮にあるのだとすれば、本来、すぐにでも消化活動を行わなければ、以後の復旧作業に差し支えるのではないでしょうか?なぜ、彼らはこの煙を放置したままでいられたのでしょうか?

 

実は、5月16日に東電は3号機パラメータの膨大な修正資料を提出しました(http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/11051612_level_pr_data_3u-j.pdf)。その結果、以前よりも詳細で正確な分析が可能となっています。このデータから、圧力容器内の原子炉圧力(A)をグラフ化したものがこれです。

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図14 3号機原子炉圧力(A)の動き

3 月21日の未明に、著しく異常な事態が発生していることが見てとれます。具体的には、それまで0.1MPa前後を推移していたのに、突然21日1時25分 には8.968MPaを、1時45分に11.571MPaを、2時30分に10.774MPaを記録し、その後4時には0.2MPaまで下がっています。

さて、以上の数字が突出しすぎているため、細かい動きがほとんどわからなくなってしまっていることを踏まえて、もっと細かいグラフを出します。

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図15 3号機原子炉圧力(A)(B)および格納容器圧力(ゲージ圧に換算)

ま ず、19日未明に格納容器圧力と原子炉圧力(B)ともに大幅に下がっているのが確認できます。このときに、何が起きたのかははっきりわかりませんが、その 後格納容器・圧力容器とも圧力が上昇したことから、両者とも健全性が保たれていると思われるため、おそらく、この時点でベントを行ったのではないかと推測 できます。実際、図16を見れば、格納容器の圧力低下とともに、格納容器内の放射線量が低下していることが確認できます。

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図16 格納容器圧力と格納容器内放射線量の比較

しかし、18日に格納容器内放射線量が54.4Sv/hから105Sv/hまで急増していること、その後おそらくはベントとともに急落し、その後上昇をする、これは何を意味しているのでしょうか?単なるメルトダウンでは、ここまでの放射線量の増減を説明することは困難ではないでしょうか。ここで再臨界が発生していた可能性を指摘することは可能かも知れません。実際、図8で示した、筑波における空気中の核種分析で見られたテルルやテクネチウム99m(半減期6時間)などは、そうした可能性を示唆しているようにも思われます。また、既出の官邸資料によれば、20日の午前8時に炉内の温度が、通常運転時よりも高い三百数十度を記録したことも、これを裏付けています。

※追記
放射線量の急激な上昇については、メルトダウンでは考えにくい、と言いましたが、必ずしもそんなことはないことを、Web上のご指摘でいただきました。たしかに、圧力容器外部に大量に溶けた燃料が落ちると、放射線量が増大する可能性はあります。

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圧 力変化の分析を続けましょう。3月19日のお昼ぐらいから、圧力容器・格納容器ともに上昇を続けています。また格納容器内放射線量のデータは19日の大部 分が抜けているのですが、20日に入ったあたりから急上昇を続け、この三つのパラメータは20日午前4時にピークを迎えます。その後、圧力容器・格納容器 圧力は緩やかに下降していきますが、格納容器内放射線量はほぼ一定水準を保ったままです。このときの圧力低下が、何かしらの爆発的事象なのか、それともベ ントなのかははっきりとは判明しませんが、おそらくは何らかの形で放射性物質が漏れており、それが図1の、茨城県の20日12時前後の小さなピークと対応 していると考えられます。

その後、9-11時前後に不可解な微増減がありますが、それから15時ぐらいまで、 格納容器圧力・圧力容器圧力ともに漸減していっています。このとき、原子炉水位が上昇していることから、注水作業が行われたことが推測でき、圧陸低下はそ の結果だと考えると、この時点まで圧力容器・格納容器の健全性が保たれていたと考えるのが妥当でしょう。

その後、15時から格納容器圧力・圧力容器圧力ともに急降下しています。この前後の敷地内の放射線量はほとんど公開されていないのですが、唯一公開されている事務本館北の放射線量の数値が、14時までの2.5mSv前後から15時前後に3.3mSvまで急増したことから、このときに一度目、格納容器内の爆発など、なんらかの形で格納容器の健全性を損なう出来事があったことは想像に難くありません。そのとき、ちょうど西風が吹いており、また夕方になって南風に変わったため、20日19時以降西に110km離れた山形市でフォールアウトが発生し、また北の秋田市でも午後9時ごろ、わずかに放射線量が増大したものと考えれば、完璧につじつまがあいます。

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図17 東北地方の空間線量

その後、21時半から翌21日の3時58分まで、1000トンを超える莫大な量の放水作業を、3号機に向けて行っています。そして、その放水と、原子炉圧力(A)が11.5Mpaを超える異常値が検出された時間は、完全に重なっています。これは、どのように解釈できるでしょうか?もし、この異常値が実際の圧力容器内の圧力を反映していたのだとすれば、これは明らかに異常な事態です。というのは福島第一原発の圧力容器の設計圧力は8.61MPa(=87.9kg/cm2g)なので、大幅に超過しており、圧力容器がこの時点で大破した可能性は高いと思われます。そして、圧力容器における異常な圧力上昇という事態に対処するために、東電は莫大な放水を行ったということになります

あ るいは、原子炉圧力計の異常値は、放水の結果であるという可能性も全否定はできません。すなわち、圧力計になんらかの形で水が当たり、それが異常値を引き 起こした可能性です。この仮定のもとでは、この時点ですでに圧力容器が破損していたということになるでしょうし、さらに、破損していなければなぜ東電が莫 大な放水を行ったのか、説明が困難となります。しかし、この可能性は論理的には否定できないものの、あまり考えられないことです。というのは、データ採取 は放水を一時的に中断したときにしか可能ではないだろうと推測できるからです。

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図18 3号機格納容器圧力(ゲージ圧に変換)(東電修正前データで作成)

ともあれ、放水終了後も圧力は低下し続け、格納容器圧力は21日15時までにほぼ大気圧と一致し、その後6月21日現在まで、ずっと大気圧と平衡を保ちつづけています。このことから、3月20日に格納容器が完全に損壊したと断定できます。

ま た圧力容器内圧力も、3月21日以降ほぼ平衡を保っております。原子炉圧力計(A)と(B)の値の違いを解釈することは、非専門家である私には困難です が、その後(A)が安定して下がりつづけて(B)と一致し、現在は-0.1MPa前後で平衡を保っていることから、圧力容器も健全性を保っていないことが 見てとれます。

いずれにしても、20日15時から翌日4時までの間に、3号機で相当に異常な事象が発生したことは疑いようがありません。そして、これが、おそらくは福島第一原発最大の事故であり、20日の山形のフォールアウトと、翌21日の関東地方のフォールアウトの汚染源であったことも確実です

た だ、午後20時から翌日の1時25分までのパラメータが、5時間半にわたって完全に欠如していることが問題です。現在わかっている範囲では、午前1時45 分から4時までの原子炉圧力(A)の低下が、図12での日立市大沼の午前4時のピークをもたらしたと考えるのは、両者の距離が100km以上離れているこ とから考えると、非常に困難が伴います。むしろそれは、午前6時過ぎの二つ目のピークと対応していると考えるほうが自然でしょう。ならば、3号機からの主 要な放射性物質の放出は、20日午後11時から翌0時半ぐらいまでに発生したと考えなければ、関東地方の放射性プルームの最大のピークと符合しなくなりま す。ところが、何度も言いますが、ちょうど放水中のためか、その時間帯のデータが欠落しているのです。

このあたり、具体的に何が起きたのか、そして再臨界はあったのか、原子炉の専門家による分析と、(もし存在するならば)東電・政府からのさらなるデータの発表を待ちたいところです。

20-21日にかけての東電・政府の対応

3号機の異常にたいして、東電・政府はどのように対応したのでしょうか。彼らは、こうした異常事態を知らなかったのでしょうか、それとも、異常を知っていたのでしょうか。もし、当時把握していたのなら、事故を知っていて隠蔽していたことになります。

3 月20日の格納容器・圧力容器圧力の上昇、そして格納容器CAMSの上昇を受けて、東電・政府がドライベントをする予定であったことは、すでに述べたとお りです。しかし、彼らの発表によれば、圧力が低下したため、ドライベントを行う必要がなくなった、とのことでした。この圧力低下がどの時点のことを意味し ているのか、定かではありません。ともあれ、私たちの分析が正しければ、3/19の未明と3/20の午前4時に、二回ベントを行っているはずです。もし、 発表内容と整合性を保って理解しようとするならば、これらはドライベントではなく、ウェットベントであり、それゆえ特段の釈明を必要としないと彼らが考え たのではないか、という推測がなりたちえます。

ところで、私たちはこの文脈で、3/20 11:30に発表された首相官邸の声明「東北、関東の方へ――雨が降っても、健康に影響はありません。」を解釈することが可能でしょう。

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こ の声明を読んで誰もが変だと思うのは、健康には何ら影響がないと言いながら、「雨がやんでから外出」「雨に濡れないようにする」「雨にぬれても心配はない が・・・念のために流水でよく洗う」ことを東北・関東の国民に勧め、そうしなくても「健康に影響」は出ないと言っていることです。表面だけ読めば、言って ることめちゃくちゃですね(笑)。この声明のメタメッセージは、「健康に被害があることは官邸としては立場上言えないけれども、できるだけ雨に当たらないようにしてください」ということのように思われます。

こ の声明が、3号機での異常事態の進行にあわせて発表されました。これが、ドライベントを前提としたものなのか、それともドライベントが不可能であることか ら、格納容器内での爆発的事象の回避が不可能であると彼らが考えたために発表したものなのか、そこは定かではありません。実際のところ、判断するための材 料の一つは、午前4時半から10時までのパラメータの詳細な動きがわかれば、ウェットベントに限界があったのかどうかなど、もう少し具体的な判断材料が はっきりするのですが、この間ちょうど5時間以上も、データが欠落しています。そして、官邸資料には

08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている

と 記述があります。これは、この時点でデータ採取がなされていた証拠であり、そのデータを(未発表の温度データも含めて)未だ東電は発表していないというこ とになります。だとすれば、この午前8時時点でも、隠蔽せざるを得ない異常な事態がすでに発生していた、という推測が可能かもしれません。

そして、午前9:55から11:00にかけて、4回もデータ採取を行っています。そして、この時、原子炉圧力のパラメータが、二つとも、微増源を繰り返しているのが気になります。

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図19 3/20 原子炉圧力の推移詳細

こ れは想像に過ぎませんが、10-11時の間にドライベントを試みたが、それが失敗に終わったことを示しているのかもしれません。その時点で、格納容器内の 爆発的事象は時間の問題となったため、11時30分に官邸が「雨に濡れないように」という主旨の声明を出した、このように考えることもできるのではないで しょうか。

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図20 東電修正後パラメータ抜粋

そ の後おそらく、15時から圧力容器圧力・格納容器圧力は急降下を始めます。15時で0.155Mpaあった原子炉圧力(A)は、19:40には 0.095Mpaに、格納容器圧力は0.189MPaから0.124MPaにまで下降しました。先に述べたように、この時点で格納容器に損傷があったと考 えるのが妥当ならば、おそらくは格納容器内で爆発があったのではないかと推測できます。

21時30分からの1000トンの放水は、この圧 力低下を受けて行われたものでしょうか?爆発的事象が15時前後であると推定するなら、これは遅すぎる対応である気もします。しかし、19:40分から3 回、10分刻みで測定していることを考慮すると、彼らはこのときに初めて、圧力低下が注水の結果ではなく、格納容器・圧力容器の破損が原因であると気づい たのかもしれません。(パラメータの値だけではなく、データ測定の頻度や欠落もまた、重要なメタデータです。)あるいは、発表されていないデータで、20 時以降に原子炉圧力計(A)が急激に上昇し、それが放水のきっかけになったという可能性も否定はできません。

いずれにし ても、事実として確実に言えることは、21時30分から翌3時58分まで、異例の長時間にわたって1000トン以上の放水が行われたこと、このときすでに 格納容器が破損していたこと、そして放水の間、原子炉圧力計(A)が11MPaを超える異常値を示したことです。この放水には、2つの意味があったと考えられます。一つは、格納容器・圧力容器の温度低下・圧力低下を目的としていたということ。もう一つは、放水によって、放射性物質の空気中への飛散をできる限り抑えようとした、という目的です。

21 日4:00にデータ採取を行ったところ、原子炉圧力計(A)は、ほぼ正常値である0.202MPaまで下がっています。この間隔の短さからすると、 3:58の放水終了後すぐにデータ採取を行ったというよりは、むしろ放水を一時中断してパラメータを測定したところ、ほぼ正常値まで下がっていたため、そ れをもって放水終了とした、と推測する方が妥当でしょう。すなわち、この時点までに圧力容器が完全に損壊し、圧力容器内の放射性物質放出は止んだ、と東電 は判断したのではないかと思われます。

ところで、海江田経産相が、東京消防庁に対して長時間の放水を強要し、「速やかにやらなければ処分する」と恫喝まがいのことを言ったとして、21日に石原都知事が菅首相に抗議を行った、と報道されています(読売新聞 22日)。 ちなみに、21日の官邸資料によれば東京消防庁が長時間放水を行ったのは、19日の14:05-翌3:40と、いま私たちが問題にしている20日 21:30-翌3:58の二回なので、この発言が、どちらの放水の時に行われたのかは判然としません。読売新聞によれば、13時間連続放水と言われている ため、19日に開始した放水の方と解釈できます。

ところが、より情報ソースに近い猪瀬副都知事のブログ記事「福島原発の放水活動で東京消防報告。今後の教訓にしたいこと。」には、次のような記述があります。

○ 本部は原発の現場より20km離れたところに前線指揮所が設置されている。
(中略)
○ 現場を知らない本部の人達から、東京消防庁が現場で判断した方針を変更するよう度々要求された。
・ 放水は当初4時間の予定だった。その後状況を勘案し、必要に応じ再度放水することにしていた。しかし、連続して7時間放水し続けるよう執拗に要求された。 結果として、7時間放水することになったが、そのため2台ある放水塔車のうち1台がディーゼルエンジンの焼き付きにより使用不能となった。
東京消防庁にて海から放水塔車までの給水ホースの設置ルートを800メートルの最短距離で、設定していたが、遠回りにするように執拗に要求された。
・「俺たちの指示に従えないのなら、お前らやめさせてやる」の発言もあった。
○ 職員の命を預かる隊長としては、現場をわかっていない人達に職員の命を預けるわけにはいかない。

当 初4時間の予定であった放水が、連続7時間の放水になったと副都知事は述べているわけですが、それは20日21:30に放水を開始しながら、翌1:25、 1:45、2:30、4:00とパラメータ測定を行いながら、原子炉圧力計(A)がほぼ正常値に戻るまで放水を続けたという私たちの想像と、ほぼ一致しま す。ならば、逆に言えば、放水塔車のディーゼルエンジンを破壊し、また経産大臣が直々に現場作業員に対して恫喝を行いながらも、それでもなお放水を行わねばならない深刻な事情があった、そしてそれについて、東京消防庁や東京都には知らされていない、という推測が成り立つでしょう。

逆 に、ごく常識的に考えて、東電・政府は東京消防庁の現場の職員に、今3号機のパラメータと炉心で進行していると思われる事態を説明する必要がないため、現 場の作業員としては「現場をわかってない人たちに不可解で、かつ実行に無理がある指示をされた」という憤りを感じることは必然です。

ともあれ、この、おそらくは確度が高いと思われる推測が意味するものは、非常に大きい。なぜなら、このとき東電ばかりでなく、経産大臣をはじめとした菅政権の中枢部分が、3号機で起きていた異常事態を周知していたということを意味しているからです。

 

さて、3/21の14:30に、事故後初めての海水サンプリング調査を東電は実施したことは、みなさんご記憶の通りです。東電の発表によると、その調査によって基準値を大幅に上回るI-131、Cs-134、Cs-137が検出されました。

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図21 東電発表 3/21 海水サンプリング核種分析

なぜ、この時期になって初めて東電は海水サンプリング調査を行ったのか。それは、3号機からの放射性物質の放出を防ぐために放水した大量の水の一部が、おそらく海に流れ込んだからだ、と考えれば辻褄が合います。

また、3月27日の時事通信によると、21・22日に東電は福島第一原発敷地内の土壌を採取して、プルトニウムの検出検査を行ったことも、20日にMOX燃料を使用している3号機の格納容器内で爆発があったと考えると符合します。そして実際に、28日の東電の発表によると、プルトニウム238、239、240が検出されました(3月29日 読売新聞)。これも、3号機格納容器が爆発したことの有力な証拠になるでしょう。

 

3号機の話に戻ると、21日15時から灰色の煙が放出されていることが確認されました。23日の官邸資料(削除済み)から引用します。

15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中)
16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化
18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認

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図22 3/21 3号機の煙の様子 共同通信 東京電力提供

また、この煙について、sponichiの記事では次のように書かれています。

東 京電力によると、21日午後3時55分ごろ、3号機の原子炉建屋屋上の南東側から煙が上がっているとの連絡があった。煙は黒色で、時折灰色に変わりながら 減少。6時ごろに収まった。煙の発生場所は使用済み燃料プールの上側。放水作業のため正門近くにいた東京消防庁の部隊は約20キロ離れた指揮本部に退避。 安全が確認されるまで放水活動を中止する。東電の作業員も避難し、復旧へ向けた作業は1日程度足踏みする見通しとなった。

原 子炉の構造を考えれば、使用済み燃料プール上側ということは、原子炉の上側ということになります。そして、この煙がどういうものかははっきりとはわかりま せんが、官邸資料にあるように、灰色から白色に変化したということは、水蒸気が混じっているであろうことは推測できます。

さて、この煙は、以前に述べたように、非常に謎が多いものです。まず第一に、なぜ煙の原因は現在まで特定できなかったのか第二に、なぜ東電は消火活動を行わなかったのか。しかも、放水活動を行う準備ができている東京消防庁の部隊が、現場付近にいるにも関わらず。第三に、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表より)としながらも、なぜ作業員は退避したのか。さらに東京消防庁の部隊は、なぜ煙が出ているのを見ながらも、20kmも退避したのか。

こうしたことを総合すると、この煙が通常の火事では決してないということを、東電が熟知していたということを示唆している、としか私には思えません。

では、反対方向から推論してみましょう。

福島第一原発事故による放射性物質の拡散 - Wikipedia

福島第一原発事故による放射性物質の拡散 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E7%89%A9%E8%B3%AA%E3%81%AE%E6%8B%A1%E6%95%A3

「雨が降っても、健康に影響はありません」首相官邸<早川由紀夫の火山ブログ2012/05/05(土)

早川由紀夫の火山ブログ
「雨が降っても、健康に影響はありません」首相官邸
2012/05/05(土) 10:22:38
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-501.html

 

 


この原発事故への政府対応にまずかったところは多々あるが、2011年3月20日に首相官邸ページに載せられた雨に心配ないとするこの通知がもっともひどい対応だった。この通知を信じた首都圏3000万人のうちのかなりが、翌21日から23日までの雨に当たって被ばくした。ここに掲げて長く記録する。

 

「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(1)~(3)

★全文転載

「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(1)~(3)

 記述者のブログ

Space of ishtarist
2011年6月25日土曜日
2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
http://ishtarist.blogspot.jp/2011/06/20113203.html

 

 BLOGUSから
「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」
2011年07月02日08時31分
岡田直樹 プロフィール
京都大学大学院 人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。
専門は社会哲学・社会システム理論
旧URL
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=2
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=3
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=4
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=5
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http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=9
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=10

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=1

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=2

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=3

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=4

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http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=6

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=7

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=8

http://blogos.com/article/20777/?axis=&p=9

 

(1)

はじめに


12日1号機の水素爆発、14日の3号機における水素爆発、15日2号機のサプレッションチェンバー爆発。これら相次ぐ事故によって、福島第一原発から今 まで放出されてきた放射性物質の大部分は15日までに放出されてきたものであるかのように東電・政府は発表しています。

ところが、もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、あまり一般には知られていません。その汚染源が3月20日-21日にかけての3号機格納容器内爆発であること、それを東電・政府は当然知りながら、隠蔽していること―これがほぼ「事実」であると断定できるだけの判断材料がすでに揃いました。

ちなみに、こうした結論の大部分は、実のところ、以前に私が、3/24までに出したものです。それについてはTwitterで当時連続ツイートして、その成果をTogetterにまとめました(http://togetter.com/li/115299)。ただし、このとき私は、気象に関する知識とデータがなかったため、絶対的な確信を得るまでには至りませんでした。

最近になって、他のブログで、気象方面からのアプローチで、まったく同じ結論を出している人が複数出てきました。また最近になって、東電が修正データを発 表したため、再臨界の可能性を含めて再検討できるようになり、また東電による印象操作にかんしてもより詳細に論じることができるようになり、こうして新た にブログに記事をアップする次第です。

以下、論証が極めて長いので、概要として、結論だけ箇条書きで記しておきます。

  • 3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の同地域の総量に匹敵する莫大なものであった。
  • この放射性物質は、よく言われるように、3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。
  • その汚染源は明らかに3号機であり、おそらく福島第一原発最大の事故であった。
  • パラメータを分析すると、3号機では、3/20-21に圧力容器設計圧力を大幅に超える圧力が記録され、また格納容器内の爆発的事象によって圧力容器・格納容器とも大破したことが明らかである。
  • その事故は再臨界を伴う可能性が否定できない。
  • この異常事態を受けて、放射性物質の放出を防ぐために、1000トンを超える放水が行われた。
  • 3/21に行われた海水サンプリング調査・土壌採取などは、3号機格納容器内爆発という事態を受けたものである。
  • 3/21の3号機原子炉建屋から出た煙は、原子炉が破損した物理的な帰結であるが、東電は当然それを認めることができない。
  • 東電・政府はこうした最悪の事態を知りながら隠蔽している。
  • 東電は、こうした事態を隠匿するため、データの間引きや悪質な印象操作をいくつも行っている痕跡がある。

3月21日前後、関東地方を襲った放射性物質降下について



現在、様々な農作物や海産物などから放射性物質が検出され、内部被曝が懸念されておりますが、そのもっとも重要な被害は、主に関東地方に降りそそいだ3月21日の放射性物質降下(以下フォールアウトと呼びます)によってもたらされました。3月15日にも放射性物質が放出されたことはよく知られていますが、それは希ガスが主体であり、農作物や人体への被害は比較的軽微だと考えられるからです。それにたいし、21日のフォールアウトは、ヨウソ・セシウムストロンチウムなどが主だったと考えられています。

東大の早野先生(@hayano)のチームが作成したグラフがあります。

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図1 全国の放射線量 3月15−5月2日



これを見れば全国、とりわけ関東地方で、まったく同型のグラフの動きが確認できます。15-16日に非常に大きなピークがありますが、それは直後に急降下 しています。それに対して、21日にピークがありますが、それは漸近線を描いて下がっていっています。これらピークが福島第一原発由来のものだとすると、 両者の違いに関する解釈は、論理的には二つありえます。一つは、21日以降、恒常的に福島第一原発から放射性物質が放出されている可能性です。もう一つ は、21日に後者で放射性物質が地表に降下して、それが空間線量に影響を与えている可能性です。もちろん、この二つが複合していることも十分ありえるで しょう。

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図2 日本分析センターにおける空間線量率(PDFより)image

 

(2)

諸々の研究機関による各種分析により、15日と21日では、その主成分が異なることが判明しています。15日は、キセノン133など人体に軽微な影響しか ない希ガスが主ですが、21日のフォールアウトでは、セシウムやヨウソ・テルルなどが主体であることが判明しています。15日に希ガスが多かったのは、原 因が2号機のサプレッションチェンバーの破損であるため、放射性物質が一度水を通してから放出されたためであると考えられます。すなわち、事実上、ウェッ トベントをしたのと同じ効果があったのではないでしょうか。

さて、21日のフォールアウトは想像を絶するものだったことが、直後から判明しています。文部科学省は、毎日の全国各地のヨウソ131とセシウム137のフォールアウトを「環境放射能水準調査結果(定時降下物)」として発表していますが(http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305495.htm)、その3月20-21日、21-22日のデータは以下の通りです。

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図4(PDF)  図5(PDF)
定時降下物20日9時-21日9時 定時降下物20日9時-21日9時

上記のデータから3月19日9時から3月26日9時までの積算フォールアウトの表を作成してみました。

 

I-131(MBq/km^2)

Cs-137(MBq/km^2)
山形県(山形市 68532 7860
茨城県(ひたちなか市 208130 25790
栃木県(宇都宮市 55710 992
群馬県(前橋市) 21306 1173
埼玉県(さいたま市 67517 2973
千葉県(市原市 45294 3593
東京都(新宿区) 84333 6409
神奈川県(茅ヶ崎市 5556 440



特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。MBq/km2 はBq/m2 に換算可能なので、ひたちなか市では1平方メートルあたり20万ベクレル以上のヨウソ131が、25000ベクレル以上のセシウム137が地表に降り積もったと考えられます。新宿では同じく、ヨウソ131が約85000ベクレルセシウム137が6400ベクレルです。そして、これら大部分が、20日から23日までの3日間に降りそそいでいるのです。

これは、どの程度の値なのでしょうか。

また、一瀬昌嗣・神戸高専准教授(サイエンスメディアセンター 核実験フォールアウトとの比較)によれば、「1963年6月に、日本に降った最大のフォールアウトのセシウム137の放射能は、550Bq/m2」であり、「Cs-137で比べると最も多かった1963年の1年間に東京で1935 Bq/m2、1957年4月〜2009年3月の合計では7095 Bq/m2」です。大気圏核実験が頻繁に行われていた(チェルノブイリ事故の影響も含む)過去50年間と、ほとんど同量のCsセシウム137が、たかだか3/21-3/23の2日間で降り積もったことになります。なお、広島原爆の黒い雨のCs-137の土壌沈着量は、最大で493 Bq/m2であったと論じられています。

マーチン・トンデル氏のスウェーデンにおけるチェルノブイリ事故調査によると、1平方メートルあたりのセシウム137の汚染が10万ベクレルで、ガン発生率が11%あがるとの結果が提出されています。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/tondel.pdf これに照らし合わせると、くだんのフォールアウトによるひたちなか市での発がんリスク増加は、3%弱であると考えることができるでしょう。

ただし、重要なことは、発がんリスクは放射性障害のごく一部にしかすぎず、心疾患、脳溢血、消化器疾患、呼吸器疾患など様々なリスクが確認されており、ま たもっとも典型的な兆候は、「原爆ぶらぶら病」や「湾岸戦争症候群」に見られるような不定愁訴であることです。発がんリスクはあくまで健康被害の一つの指 標にしか過ぎず、内部被曝によって表れる様々な症状を、発がんリスクへと還元するかのような統計は、住民たちの実際の健康障害を著しく低く見せる効果があ ることに、私たちは留意する必要があります。

3月20-21日の放射性プルームの動き



3月21日前後に関東を襲った甚大なフォールアウトが福島第一原発由来のものだとして、それは何号機からいつ発生したものでしょうか?

東大の早野龍五先生などは、主な放射性物質の放出は3月15日までに発生しており、21日の降雨とともに上空の放射性物質が降下してきた、という説を以前提唱しました(ガジェット通信「3月15日に福島原発より大量放出。以降、大気への大量放出は起きていない」)。

そして、同様の説が、現在もまたメディアや一般人の大部分が信じており、それゆえ、21日前後のフォールアウトについて「いまだ発表されていない大事故が 起こったのではないか」という点の追求は不十分であったと言わざるをえません。それは、Twitter上で最大権威となった早野先生の影響もあるでしょう し、またテレビ映像で爆発として目に見えた(結論を先取りすれば、それゆえ東電が隠蔽することが不可能であった)事故が15日までに集中していたこと、が もう一つの原因でしょう。

ところが、早野先生の説は、看過できない欠陥を何個も抱えており、議論としては維持不可能である、と私はこれまでずっと考えてきました。(以下の考察は、主にkenkenさんのブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」を参考にさせていただいており、また、図10と図12を拝借いたしました。この場を借りて感謝申し上げます。)

※重要な追記 早野先生にTwitterで確認したところ、こ の説はすでに撤回したとのことです。非常に真摯な回答に感謝いたします。ただ、現在の早野先生の考えとは別に、この説はそれ自体として検証されるべきであ るということ、また、3/15以前に放出されたという説は一般に流布してしまっていること、その点から未だに、以下の批判的記述は意味があると私は考える ため、そのまま置いておきます。
実際に、早野先生とどのようにやりとりをしたかは、本記事の末尾に記しておきます。
(3)
一つは、直感的に言って、一週間近く前に放出された放射性物質からなる放射性プルーム(放射性雲)が、関東地方といったせいぜい数十キロー数百キロ圏内の 上空を、大部分の放射性物質を落とさずに、また拡散せずに、漂い続けることが可能なのだろうか、というものです。たとえば、ドイツのシュピーゲル誌など が、オーストリア中央気象台による放射性物質拡散シミュレーションを掲載していますが、これをみると、放射性雲は偏西風に乗って時速数十キロで移動し、拡 散しているように見えます。これは、他のシミュレーションでも同様です。

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図6 オーストリア中央気象台 I-131拡散シミュレーション 3/15-3/18

また、早野先生は、日本分析センター(千葉)のデータ(本ブログ記事の図2)をもとに、「3月16日を最後に原子炉からの直接放出の証拠であるXe- 133がほとんど見え」ないということを根拠に、それ以後の放出はなかったと言っていますが、よく拡大して見れば、他のグラフに隠れているだけで、確実に Xe-133のピークは確認できます。

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図7 3/18-3/20 空気中の核種 図8 3/20-3/22 空気中の核種

また、つくばの高エネルギー加速器研究機構で採取された「空気中の放射性物質の種類と濃度の測定結果」 のグラフを抜粋しました。図7が第六回採取資料(2011年3月18日10:16〜3月20日9:55)で、図8が第七回採取資料(2011年3月20日 10:00〜3月22日9:54)です。両者を比較すると、その組成が全く異なることがわかります。このことは、21日以降の空気中の放射能汚染が、それ までとは別の汚染源からもたらされたものであることを示唆しています。

  早野先生は上記の図2の降雨量と放射性物質降下との相関関係に注目し、前者が後者の原因であったと論じています。確かに、原発事故後、21日で初めて広範 囲の降雨があったことは確かです。ですが、この比較は、あまりにも時間軸を荒く見過ぎだと思います。じっさい、3月21日の雨のデータと、空間線量の上昇 データとの時間データをより細かく調べれば、茨城県では雨が降る前に、放射線量が上昇していることが確認できます。

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図9 3/21 4時の茨城県の雨雲 図10 3/21 茨城県の空間線量

これは、「3/21のフォールアウトは上空の放射性物質が雨によって落ちてきただけである」という説明とは相容れません。

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図11 図12

また、3/21、全国的に雨雲は西から東に移動してきています(tenki.jp 3/21 雨雲の動き)。 もし、早野先生の説が正しければ、フォールアウトもまた西から東へと進んでいなければいけないはずです。ところが、図9 「茨城県東部 放射線モニターデータ解析」(理化学研究所仁科加速器研究センター専任研究員 板橋健太様作成)の3/21のデータを 茨城県の空間線量の増加を確認すると、疑いなく北(福島第一原発方面)から南南西へと、放射性プルームが移動していることが確認できます。また、先にご紹介したブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」によると、時速20-30kmで、「午前3時20分に大沼で観測された上昇が東海村、水戸、鉾田、つくば市へ伝播している」ことが確認できます(図12)。

 

 

「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(4)~(6)

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「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(4)~(6)

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2011年6月25日土曜日
2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
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「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」
2011年07月02日08時31分
岡田直樹 プロフィール
京都大学大学院 人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。
専門は社会哲学・社会システム理論
旧URL
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/
http://news.livedoor.com/article/detail/5763592/?p=2
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(4)

さて、以下の論考は、chocovanillaさんのブログ【シリーズ 3月21日】による、気象学的な考察をおもに参考にさせていただきます。

国立情報学のページ「福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)」によると、3月20日、福島第一原発の周辺の風向きは、朝10時から東風、夕方には南風になり、夜の10時から12時にかけて北風に反転したということです。

ちなみに福島第一原発から日立市大沼までの距離は106km、日立市大沼で放射線量が上がり始めたのが21日3時20分なので、そのとき風速20km- 30kmで運ばれていたと仮定すると、その放射性プルームはちょうど福島第一原発を午後10時-12時に放出されたものであるということになり、ぴったり 符合します。

3月21日の午前9時の天気図は以下の通りです。

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図13 3/21 9:00の天気図



停滞前線沿いに上昇気流が発生し、放射性プルームは静岡にある低気圧の中心へと流れて停滞前線に沿って運ばれたと考えられます。

プルームは海を南下し、停滞前線に当たって進路を変えます。一部は上昇して、低気圧の中心近くで降雨し、大部分は前線に沿って移動して、柏東葛地域での雨 で、地上へと落下し ホットスポットを形成したものと考えられます。進路に関わらず前線に沿ったとすれば、雨の振り出しが関東ではほぼ同時であった為、 非常に直線的な汚染が辻褄が合うのです。(chocovanillaさんのブログより)

福島第一原発3号機炉心で起こったこと パラメータ分析



さて、3月20日から21日にかけて、福島第一原発では何が起きたのでしょうか。これだけの莫大な汚染をもたらした事故が発生したとすれば、それが公式に発表されていないということはありうるのでしょうか。

3月20日の福島第一原発の動きは、私の手元にある3月21日発表の官邸発表資料(http://www.kantei.go.jp/saigai/201103211900genpatsu.pdf 削除済み)を見れば非常によくわかります。彼らはそのとき、3号機に注視していました。抜粋します。

20日 08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている。(原子炉の通常運転中は280-290℃)

14:30 3号機に関し、原子炉格納容器内が高めで推移していることから注視。

21:30 3号機に関し、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水(約1、137トン)を実施(-21日03:58)

15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中) 16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化 18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認

事実関係だけ述べるならば、20日午前から午後まで3号機格納容器内の圧力が非常に高まり、その後圧力低下を受けて、21時半から1000トン以上の放水を行った。これは、同時期の他号機への放水が軒並み100トン以下であることを考えれば、異常な量と言えるでしょう。そして翌日午後3時に、原子炉建屋から煙が出始めました。

さて、当時のメディアでは、3号機についてどのように報道されていたでしょうか?実は、このときドライベントを行う予定でした。3月22日の毎日新聞は次のように報道しています。

3号機では20日、格納容器内の圧力が急に高まり、東電は一時、容器内の水蒸気を直接、大気中に放出する「ドライベント」と呼ばれる方法での排気を検討した。・・・3号機はその後、格納容器内の圧力が下がったため、ドライベントは見送られた。

もしその通りだとして、なぜ圧力は低下したのでしょうか?そして、本当にドライベントは見送られたのでしょうか?これが1つ目の謎です。

もうひとつの謎は、翌21日に3号機原子炉建屋から放出された煙についてです。東電は、おおむね次のように釈明していました。「煙については調査中です。 どこから出てるのかはわかりません。放射線レベルから見て、問題はないです。でも、念のため、作業をいったん中断して、作業員全員を退避させました」。そ して、私が知る限りにおいて、その点について今まで一切の説明はありません。

 

(5)

しかし、なぜ何週間・何カ月たっても、煙の原因がわからないのでしょうか?これが火事である可能性が仮にあるのだとすれば、本来、すぐにでも消化活動を行わなければ、以後の復旧作業に差し支えるのではないでしょうか?なぜ、彼らはこの煙を放置したままでいられたのでしょうか?

実は、5月16日に東電は3号機パラメータの膨大な修正資料を提出しました(http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/11051612_level_pr_data_3u-j.pdf)。その結果、以前よりも詳細で正確な分析が可能となっています。このデータから、圧力容器内の原子炉圧力(A)をグラフ化したものがこれです。

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図14 3号機原子炉圧力(A)の動き



3月21日の未明に、著しく異常な事態が発生していることが見てとれます。具体的には、それまで0.1MPa前後を推移していたのに、 突然21日1時25分には8.968MPaを、1時45分に11.571MPaを、2時30分に10.774MPaを記録し、その後4時には0.2MPa まで下がっています。

さて、以上の数字が突出しすぎているため、細かい動きがほとんどわからなくなってしまっていることを踏まえて、もっと細かいグラフを出します。

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図15 3号機原子炉圧力(A)(B)および格納容器圧力(ゲージ圧に換算)



まず、19日未明に格納容器圧力と原子炉圧力(B)ともに大幅に下がっているのが確認できます。このときに、何が起きたのかははっきりわかりませんが、そ の後格納容器・圧力容器とも圧力が上昇したことから、両者とも健全性が保たれていると思われるため、おそらく、この時点でベントを行ったのではないかと推 測できます。実際、図16を見れば、格納容器の圧力低下とともに、格納容器内の放射線量が低下していることが確認できます。

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図16 格納容器圧力と格納容器内放射線量の比較



しかし、18日に格納容器内放射線量が54.4Sv/hから105Sv/hまで急増していること、その後おそらくはベントとともに急落し、その後上昇をする、これは何を意味しているのでしょうか?単なるメルトダウンでは、ここまでの放射線量の増減を説明することは困難ではないでしょうか。ここで再臨界が発生していた可能性を指摘することは可能かも知れません。実際、図8で示した、筑波における空気中の核種分析で見られたテルルやテクネチウム99m(半減期6時間)などは、そうした可能性を示唆しているようにも思われます。また、既出の官邸資料によれば、20日の午前8時に炉内の温度が、通常運転時よりも高い三百数十度を記録したことも、これを裏付けています。

※追記
放射線量の急激な上昇については、メルトダウンでは考えにくい、と言いましたが、必ずしもそんなことはないことを、Web上のご指摘でいただきました。たしかに、圧力容器外部に大量に溶けた燃料が落ちると、放射線量が増大する可能性はあります。

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圧力変化の分析を続けましょう。3月19日のお昼ぐらいから、圧力容器・格納容器ともに上昇を続けています。また格納容器内放射線量のデータは19日の大 部分が抜けているのですが、20日に入ったあたりから急上昇を続け、この三つのパラメータは20日午前4時にピークを迎えます。その後、圧力容器・格納容 器圧力は緩やかに下降していきますが、格納容器内放射線量はほぼ一定水準を保ったままです。このときの圧力低下が、何かしらの爆発的事象なのか、それとも ベントなのかははっきりとは判明しませんが、おそらくは何らかの形で放射性物質が漏れており、それが図1の、茨城県の20日12時前後の小さなピークと対 応していると考えられます。

その後、9-11時前後に不可解な微増減がありますが、それから15時ぐらいまで、格納容器圧力・圧力容器圧力ともに漸減していっています。このとき、原 子炉水位が上昇していることから、注水作業が行われたことが推測でき、圧陸低下はその結果だと考えると、この時点まで圧力容器・格納容器の健全性が保たれ ていたと考えるのが妥当でしょう。

その後、15時から格納容器圧力・圧力容器圧力ともに急降下しています。この前後の敷地内の放射線量はほとんど公開されていないのですが、唯一公開されている事務本館北の放射線量の数値が、14時までの2.5mSv前後から15時前後に3.3mSvまで急増したことから、このときに一度目、格納容器内の爆発など、なんらかの形で格納容器の健全性を損なう出来事があったことは想像に難くありません。そのとき、ちょうど西風が吹いており、また夕方になって南風に変わったため、20日19時以降西に110km離れた山形市でフォールアウトが発生し、また北の秋田市でも午後9時ごろ、わずかに放射線量が増大したものと考えれば、完璧につじつまがあいます。

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図17 東北地方の空間線量

 

(6)

その後、21時半から翌21日の3時58分まで、1000トンを超える莫大な量の放水作業を、3号機に向けて行っています。そして、その放水と、原子炉圧力(A)が11.5Mpaを超える異常値が検出された時間は、完全に重なっています。これは、どのように解釈できるでしょうか?もし、この異常値が実際の圧力容器内の圧力を反映していたのだとすれば、これは明らかに異常な事態です。というのは福島第一原発の圧力容器の設計圧力は8.61MPa(=87.9kg/cm2g)なので、大幅に超過しており、圧力容器がこの時点で大破した可能性は高いと思われます。そして、圧力容器における異常な圧力上昇という事態に対処するために、東電は莫大な放水を行ったということになります

あるいは、原子炉圧力計の異常値は、放水の結果であるという可能性も全否定はできません。すなわち、圧力計になんらかの形で水が当たり、それが異常値を引 き起こした可能性です。この仮定のもとでは、この時点ですでに圧力容器が破損していたということになるでしょうし、さらに、破損していなければなぜ東電が 莫大な放水を行ったのか、説明が困難となります。しかし、この可能性は論理的には否定できないものの、あまり考えられないことです。というのは、データ採 取は放水を一時的に中断したときにしか可能ではないだろうと推測できるからです。

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図18 3号機格納容器圧力(ゲージ圧に変換)(東電修正前データで作成)



ともあれ、放水終了後も圧力は低下し続け、格納容器圧力は21日15時までにほぼ大気圧と一致し、その後6月21日現在まで、ずっと大気圧と平衡を保ちつづけています。このことから、3月20日に格納容器が完全に損壊したと断定できます。

また圧力容器内圧力も、3月21日以降ほぼ平衡を保っております。原子炉圧力計(A)と(B)の値の違いを解釈することは、非専門家である私には困難です が、その後(A)が安定して下がりつづけて(B)と一致し、現在は-0.1MPa前後で平衡を保っていることから、圧力容器も健全性を保っていないことが 見てとれます。

いずれにしても、20日15時から翌日4時までの間に、3号機で相当に異常な事象が発生したことは疑いようがありません。そして、これが、おそらくは福島第一原発最大の事故であり、20日の山形のフォールアウトと、翌21日の関東地方のフォールアウトの汚染源であったことも確実です

ただ、午後20時から翌日の1時25分までのパラメータが、5時間半にわたって完全に欠如していることが問題です。現在わかっている範囲では、午前1時 45分から4時までの原子炉圧力(A)の低下が、図12での日立市大沼の午前4時のピークをもたらしたと考えるのは、両者の距離が100km以上離れてい ることから考えると、非常に困難が伴います。むしろそれは、午前6時過ぎの二つ目のピークと対応していると考えるほうが自然でしょう。ならば、3号機から の主要な放射性物質の放出は、20日午後11時から翌0時半ぐらいまでに発生したと考えなければ、関東地方の放射性プルームの最大のピークと符合しなくな ります。ところが、何度も言いますが、ちょうど放水中のためか、その時間帯のデータが欠落しているのです。

このあたり、具体的に何が起きたのか、そして再臨界はあったのか、原子炉の専門家による分析と、(もし存在するならば)東電・政府からのさらなるデータの発表を待ちたいところです。

20-21日にかけての東電・政府の対応



3号機の異常にたいして、東電・政府はどのように対応したのでしょうか。彼らは、こうした異常事態を知らなかったのでしょうか、それとも、異常を知っていたのでしょうか。もし、当時把握していたのなら、事故を知っていて隠蔽していたことになります。

3月20日の格納容器・圧力容器圧力の上昇、そして格納容器CAMSの上昇を受けて、東電・政府がドライベントをする予定であったことは、すでに述べたと おりです。しかし、彼らの発表によれば、圧力が低下したため、ドライベントを行う必要がなくなった、とのことでした。この圧力低下がどの時点のことを意味 しているのか、定かではありません。ともあれ、私たちの分析が正しければ、3/19の未明と3/20の午前4時に、二回ベントを行っているはずです。も し、発表内容と整合性を保って理解しようとするならば、これらはドライベントではなく、ウェットベントであり、それゆえ特段の釈明を必要としないと彼らが 考えたのではないか、という推測がなりたちえます。

ところで、私たちはこの文脈で、3/20 11:30に発表された首相官邸の声明「東北、関東の方へ――雨が降っても、健康に影響はありません。」を解釈することが可能でしょう。

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この声明を読んで誰もが変だと思うのは、健康には何ら影響がないと言いながら、「雨がやんでから外出」「雨に濡れないようにする」「雨にぬれても心配はな いが・・・念のために流水でよく洗う」ことを東北・関東の国民に勧め、そうしなくても「健康に影響」は出ないと言っていることです。表面だけ読めば、言っ てることめちゃくちゃですね(笑)。この声明のメタメッセージは、「健康に被害があることは官邸としては立場上言えないけれども、できるだけ雨に当たらないようにしてください」ということのように思われます。

「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(7)~(9)

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(7)

この声明が、3号機での異常事態の進行にあわせて発表されました。これが、ドライベントを前提としたものなのか、それともドライベントが不可能であること から、格納容器内での爆発的事象の回避が不可能であると彼らが考えたために発表したものなのか、そこは定かではありません。実際のところ、判断するための 材料の一つは、午前4時半から10時までのパラメータの詳細な動きがわかれば、ウェットベントに限界があったのかどうかなど、もう少し具体的な判断材料が はっきりするのですが、この間ちょうど5時間以上も、データが欠落しています。そして、官邸資料には

08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている

と記述があります。これは、この時点でデータ採取がなされていた証拠であり、そのデータを(未発表の温度データも含めて)未だ東電は発表していないという ことになります。だとすれば、この午前8時時点でも、隠蔽せざるを得ない異常な事態がすでに発生していた、という推測が可能かもしれません。

そして、午前9:55から11:00にかけて、4回もデータ採取を行っています。そして、この時、原子炉圧力のパラメータが、二つとも、微増源を繰り返しているのが気になります。

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図19 3/20 原子炉圧力の推移詳細



これは想像に過ぎませんが、10-11時の間にドライベントを試みたが、それが失敗に終わったことを示しているのかもしれません。その時点で、格納容器内 の爆発的事象は時間の問題となったため、11時30分に官邸が「雨に濡れないように」という主旨の声明を出した、このように考えることもできるのではない でしょうか。

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図20 東電修正後パラメータ抜粋

その後おそらく、15時から圧力容器圧力・格納容器圧力は急降下を始めます。15時で0.155Mpaあった原子炉圧力(A)は、19:40には 0.095Mpaに、格納容器圧力は0.189MPaから0.124MPaにまで下降しました。先に述べたように、この時点で格納容器に損傷があったと考 えるのが妥当ならば、おそらくは格納容器内で爆発があったのではないかと推測できます。

21時30分からの1000トンの放水は、この圧力低下を受けて行われたものでしょうか?爆発的事象が15時前後であると推定するなら、これは遅すぎる対 応である気もします。しかし、19:40分から3回、10分刻みで測定していることを考慮すると、彼らはこのときに初めて、圧力低下が注水の結果ではな く、格納容器・圧力容器の破損が原因であると気づいたのかもしれません。(パラメータの値だけではなく、データ測定の頻度や欠落もまた、重要なメタデータ です。)あるいは、発表されていないデータで、20時以降に原子炉圧力計(A)が急激に上昇し、それが放水のきっかけになったという可能性も否定はできま せん。

いずれにしても、事実として確実に言えることは、21時30分から翌3時58分まで、異例の長時間にわたって1000トン以上の放水が 行われたこと、このときすでに格納容器が破損していたこと、そして放水の間、原子炉圧力計(A)が11MPaを超える異常値を示したことです。この放水には、2つの意味があったと考えられます。一つは、格納容器・圧力容器の温度低下・圧力低下を目的としていたということ。もう一つは、放水によって、放射性物質の空気中への飛散をできる限り抑えようとした、という目的です。

21日4:00にデータ採取を行ったところ、原子炉圧力計(A)は、ほぼ正常値である0.202MPaまで下がっています。この間隔の短さからすると、 3:58の放水終了後すぐにデータ採取を行ったというよりは、むしろ放水を一時中断してパラメータを測定したところ、ほぼ正常値まで下がっていたため、そ れをもって放水終了とした、と推測する方が妥当でしょう。すなわち、この時点までに圧力容器が完全に損壊し、圧力容器内の放射性物質放出は止んだ、と東電 は判断したのではな

いかと思われます。

 

(8)

ところで、海江田経産相が、東京消防庁に対して長時間の放水を強要し、「速やかにやらなければ処分する」と恫喝まがいのことを言ったとして、21日に石原都知事が菅首相に抗議を行った、と報道されています(読売新聞 22日)。 ちなみに、21日の官邸資料によれば東京消防庁が長時間放水を行ったのは、19日の14:05-翌3:40と、いま私たちが問題にしている20日 21:30-翌3:58の二回なので、この発言が、どちらの放水の時に行われたのかは判然としません。読売新聞によれば、13時間連続放水と言われている ため、19日に開始した放水の方と解釈できます。

ところが、より情報ソースに近い猪瀬副都知事のブログ記事「福島原発の放水活動で東京消防報告。今後の教訓にしたいこと。」には、次のような記述があります。

○ 本部は原発の現場より20km離れたところに前線指揮所が設置されている。
(中略)
○ 現場を知らない本部の人達から、東京消防庁が現場で判断した方針を変更するよう度々要求された。
・ 放水は当初4時間の予定だった。その後状況を勘案し、必要に応じ再度放水することにしていた。しかし、連続して7時間放水し続けるよう執拗に要求された。 結果として、7時間放水することになったが、そのため2台ある放水塔車のうち1台がディーゼルエンジンの焼き付きにより使用不能となった。
東京消防庁にて海から放水塔車までの給水ホースの設置ルートを800メートルの最短距離で、設定していたが、遠回りにするように執拗に要求された。
・「俺たちの指示に従えないのなら、お前らやめさせてやる」の発言もあった。
○ 職員の命を預かる隊長としては、現場をわかっていない人達に職員の命を預けるわけにはいかない。

当初4時間の予定であった放水が、連続7時間の放水になったと副都知事は述べているわけですが、それは20日21:30に放水を開始しながら、翌 1:25、1:45、2:30、4:00とパラメータ測定を行いながら、原子炉圧力計(A)がほぼ正常値に戻るまで放水を続けたという私たちの想像と、ほ ぼ一致します。ならば、逆に言えば、放水塔車のディーゼルエンジンを破壊し、また経産大臣が直々に現場作業員に対して恫喝を行いながらも、それでもなお放水を行わねばならない深刻な事情があった、そしてそれについて、東京消防庁や東京都には知らされていない、という推測が成り立つでしょう。

逆に、ごく常識的に考えて、東電・政府は東京消防庁の現場の職員に、今3号機のパラメータと炉心で進行していると思われる事態を説明する必要がないため、 現場の作業員としては「現場をわかってない人たちに不可解で、かつ実行に無理がある指示をされた」という憤りを感じることは必然です。

ともあれ、この、おそらくは確度が高いと思われる推測が意味するものは、非常に大きい。なぜなら、このとき東電ばかりでなく、経産大臣をはじめとした菅政権の中枢部分が、3号機で起きていた異常事態を周知していたということを意味しているからです。

さて、3/21の14:30に、事故後初めての海水サンプリング調査を東電は実施したことは、みなさんご記憶の通りです。東電の発表によると、その調査によって基準値を大幅に上回るI-131、Cs-134、Cs-137が検出されました。

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図21 東電発表 3/21 海水サンプリング核種分析

なぜ、この時期になって初めて東電は海水サンプリング調査を行ったのか。それは、3号機からの放射性物質の放出を防ぐために放水した大量の水の一部が、おそらく海に流れ込んだからだ、と考えれば辻褄が合います。

また、3月27日の時事通信によると、21・22日に東電は福島第一原発敷地内の土壌を採取して、プルトニウムの検出検査を行ったことも、20日にMOX燃料を使用している3号機の格納容器内で爆発があったと考えると符合します。そして実際に、28日の東電の発表によると、プルトニウム238、239、240が検出されました(3月29日 読売新聞)。これも、3号機格納容器が爆発したことの有力な証拠になるでしょう。

3号機の話に戻ると、21日15時から灰色の煙が放出されていることが確認されました。23日の官邸資料(削除済み)から引用します。

15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中)
16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化
18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認

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図22 3/21 3号機の煙の様子 共同通信 東京電力提供



また、この煙について、sponichiの記事では次のように書かれています。

東京電力によると、21日午後3時55分ごろ、3号機の原子炉建屋屋上の南東側から煙が上がっているとの連絡があった。煙は黒色で、時折灰色に変わりなが ら減少。6時ごろに収まった。煙の発生場所は使用済み燃料プールの上側。放水作業のため正門近くにいた東京消防庁の部隊は約20キロ離れた指揮本部に退 避。安全が確認されるまで放水活動を中止する。東電の作業員も避難し、復旧へ向けた作業は1日程度足踏みする見通しとなった。

原子炉の構造を考えれば、使用済み燃料プール上側ということは、原子炉の上側ということになります。そして、この煙がどういうものかははっきりとはわかり ませんが、官邸資料にあるように、灰色から白色に変化したということは、水蒸気が混じっているであろうことは推測できます。

 

(9)

さて、この煙は、以前に述べたように、非常に謎が多いものです。まず第一に、なぜ煙の原因は現在まで特定できなかったのか第二に、なぜ東電は消火活動を行わなかったのか。しかも、放水活動を行う準備ができている東京消防庁の部隊が、現場付近にいるにも関わらず。第三に、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表より)としながらも、なぜ作業員は退避したのか。さらに東京消防庁の部隊は、なぜ煙が出ているのを見ながらも、20kmも退避したのか。

こうしたことを総合すると、この煙が通常の火事では決してないということを、東電が熟知していたということを示唆している、としか私には思えません。

では、反対方向から推論してみましょう。私たちは、すでに3号機格納容器と圧力容器が破損していることを、パラメータから確認しました。その時の原子炉内の温度は発表されていないものの、原子力安全・保安院のデータによると、3月23日4:00の圧力容器底部の温度は253度もあり、かつ内部に水分が存在するため、多かれ少なかれ原子炉から水蒸気が放出されるこ

 

 

福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)<★記事の紹介

★関係記事の紹介

 

福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/radiation/timeline/documentary.html

記事の管理人の追記

(注)本ページは、一部を除き、2011年のゴールデンウィーク中(4月下旬から5月初旬)にまとめたもので、その後に新たに判明した事実などは更新して おりません。現在でも大きな変更は必要ないと考えていますが、ご利用の際にはご注意下さい。なお脚注に関連する部分のみ、2011年7月中旬に更新してい ます。また日付(年)の誤りは、2012年2月12日に修正しました。

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早川由紀夫の火山ブログ
2011年3月15-16日の降水量と放射線量
2012/09/16(日) 15:23:30
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-548.html