「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

撤退という選択肢 原発事故、政治と倫理のジレンマ<朝日新聞>

★人には、様々な考え方があります。この意見が全面的に誤りだと言う事も出来ません。しかし、もし「危険だから、全員撤退せよ」と決定し、原発事故が暴走するままに任せるのは、日本政府または日本社会として、「無責任の極み」と言うしかありません。もし、原発が暴走するままに任せていたなら、チェルノブイリ原発事故を上回る地球規模の原子力災害になっていた可能性が高いと思います。何千万人、何億人と言う人々に今後長きにわたって迷惑をかけ続ける事になっていた可能性が高いと思います。

★その可能性を考慮したうえで、下記の意見を発言できるのでしょうか??日本全体の危機、世界の危機を回避しようと考えるなら、たとえ事故対処作業員や関係者が全員死亡する危険性を犯しても、最悪の事態を回避する努力を続けることは、原発推進政策を続けてきた日本政府の(また東電の)義務であり責任であると、私は考えます。そして、事実上原発の安全には電力会社が全責任を負うのが、これまでのリスク管理なのです。政府は、電力会社に「丸投げ」状態でしたので、政府独自の原子力災害対応要員が(組織も)いませんでした。だから、現実問題として、東電と協力会社の関係者が命を懸けて、事故対応に当たるしか方法がなかったのです。

★ガレキの全国拡散や、放射能汚染食品の国民への押し付けと同じ「極めて無責任」な論理であるように思えます。情緒的・感情的な思考であり、論理や合理性がありません。「やばいから、皆を逃がせ!」、そんな生易しいことで済むような状況ではなかったのは、現在すでに判明しています。私の意見は、「全面撤退などあり得ない!」こう思います。善悪ではなく、必要性の問題です。


朝日新聞
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撤退という選択肢 原発事故、政治と倫理のジレンマ
2013年3月4日9時33分
http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201303030083.html
▼全文転載


 東京電力福島第一原発の事故直後に私たちは、民間従業員の「現場から撤退」する道が内閣総理大臣によって封じられる事態を目撃した。あの瞬間が倫理や政治の面で引き起こした問いに、論壇で光が当てられつつある。

 菅直人首相(当時)が東電本店を訪れ、「(現場からの)撤退などありえない。覚悟を決めてください」と伝えた。2011年3月15日。第一原発では水素爆発が相次いでいた。

 東京で働く記者は当時、現場の人々に生命の危機が迫っている可能性を意識しながらも内心、首相の行動に賛同した。同時に、一部の人々を「犠牲」にしかねない政治決定への支持に、後ろめたさを覚えた。

 「少々極端なことをいえば、福島原発で働いている人たちの生命にもし危機が訪れたら、全員撤退させるという選択肢があると私は思っています」。事故から約10カ月後の段階で、宗教学者の山折哲雄氏はそう語っていた(図書新聞12年1月1日号)。

 そうなれば放射能は全国にばらまかれるが、そのリスクは国民全体で引き受けよう――そういう視点が我々の社会にないのはなぜか、と山折氏は問いかけていた。

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「耐震指針ない原発 無条件に廃炉」元国会事故調の田中氏 原研労組が講演と討論<東京新聞

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
「耐震指針ない原発 無条件に廃炉」元国会事故調の田中氏 原研労組が講演と討論
2013年3月3日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20130303/CK2013030302000132.html
▼全文転載

 原発について考える日本原子力研究開発機構労働組合(岩井孝委員長)の講演と討論会が二日、東海村の真崎コミュニティセンターで開かれた。国会 事故調査委員会元委員で元原子炉設計技術者の田中三彦氏、元格納容器設計技術者の後藤政志氏が講演、東京電力福島第一原発事故で浮かんだ原発の問題点をあ ぶり出した。

 田中氏は、二〇〇六年に新耐震設計審査指針ができた後も、古い原発に適用されてこなかった事実を問題視。福島第一原発事故が、地震による機器の破 損に起因していた可能性を示し「耐震指針のない一九六〇〜八〇年代の原発は無条件に廃炉」と結論付けた。また、国が東北電力女川原発日本原子力発電東海 第二原発を被災原発と認めず、再稼働させる可能性を指摘。「原発を選択することはどういうことなのか、もう一度考えなければならない」と訴えた。

 後藤氏は、シビアアクシデント(過酷事故)で水素爆発を防ぐため、放射性物質を外部に放出するベントを「格納容器の自殺」と断言。原子力規制委員 会の新安全基準骨子案については「人の命を奪い、国を滅ぼす最悪の結果でなく、事故の発生確率で(安全性を)評価しようとしている」と批判した。(林容 史)

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東日本大震災2年:除染の現状と課題/福島第1原発の今(その1)<毎日新聞>

毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/
東日本大震災2年:除染の現状と課題/福島第1原発の今(その1)
毎日新聞 2013年03月04日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20130304ddm010040013000c.html
▼全文転載

(1)

 東京電力福島第1原発事故が発生して、まもなく2年を迎える。原子炉建屋の修復などの収束作業が進む が、今なお放射線量は高く、30〜40年を要する廃炉作業は緒に就いたばかりだ。放射性汚染水は増加の一途をたどり、保管場所は逼迫(ひっぱく)する。一 方、周辺の自治体では、住民の帰還に向けて原発から放出された放射性物質を取り除く除染が進むが、汚染土壌などを運び込む中間貯蔵施設の立地場所の選定は はかどらない。現状と課題を探った。

 ■除染の現状と課題

 除染作業、大幅遅れ

 ◇2町は計画未策定、賠償巡り協議難航

 「町に戻って早く生活を立て直すために、除染は必要不可欠だ。町への帰還が遅くなればなるだけ若い世帯 が町を離れてしまう。この5年間で除染が進めば町に戻れる」。福島県富岡町からいわき市に避難し、借り上げ住宅で妻(53)と暮らす会社員の男性(57) は、除染に期待を込める。

 特に汚染が著しい「旧警戒区域」と「旧計画的避難区域」(福島県内の11市町村)については国が直轄で除染する。ところが、半数以上の市町村で進捗(しんちょく)が遅れている。

 環境省が12年1月に示した除染の工程表では、同3月までに各自治体が除染実施計画を策定▽同7月に本格的な除染に着手▽14年3月末に完了−−する計画だった。

 除染活動の拠点となる役場や公民館、学校、警察署や消防署、除染実施地域へのアクセス道路や上下水道施 設などのインフラ施設については、先行的に除染を開始。先行除染田村市、楢葉、川俣町、川内、飯舘村の5市町村で終了。南相馬市、浪江、大熊、富岡町、 葛尾村の5市町村でも作業が続いている。しかし、住宅や農地などの本格的な除染に関しては、工程表通りの12年7月に作業が始まったのは田村市のみ。現在 でも楢葉町、川内、飯舘村を加えた計4市町村が取り組んでいるだけだ。

 川俣町と葛尾村は作業の準備中。南相馬市と浪江、大熊町は計画の策定は済んだが作業開始時期は決まっていない。一方、富岡、双葉の2町は計画さえ未策定だ。

(2)

 計画策定が遅れた背景には、避難区域再編が進まなかったことがある。除染計画は、再編後の区域に合わせ て策定されるためだ。政府は11年12月、避難区域を放射線量に応じて三つの区域に再編することを決めた。区域ごとに帰還時期が異なり、不動産や精神的損 害の賠償額は帰還時期が遅れるほど高額になることから、市町村全体で一律の賠償を求める地元との協議がスムーズにいかなかった。

 スケジュールの遅れについて、環境省は「14年3月までという除染完了時期は遅らせない。作業員を増やすなどして加速化し、質は保証する」と話す。

 ◇費用巨額、効果未知数 森林からの再汚染も

 除染は超大型の公共事業だ。環境省は事業費として11〜13年度の3カ年で計1兆696億円の予算を計 上。これに将来的には少なくとも14年度以降の事業費や、除染で出た放射性物質を保管する中間貯蔵施設と最終処分場の整備費用が加わる。一方、多額の費用 をかけるにもかかわらず、効果については十分明らかになっておらず、本格的な検証が今後の課題となっている。

 環境省は昨年6月、福島県内の旧警戒区域など12市町村(計約2平方キロ)で実施した除染のモデル事業 の結果を公表。大熊町の宅地は毎時55マイクロシーベルトから15マイクロシーベルトに、南相馬市の農地は1・25マイクロシーベルトから0・83マイク ロシーベルトに下がり、一定の効果が示された。ただし、その後のより大規模な「除染特別地域」内の本格除染で、どれだけ下がっているのかは現段階で分かっ ていない。大部分は作業が完了していないだけでなく、既に完了した田村市の牧草地と川内村の廃校の2カ所についても「効果を確認中」(環境省)だ。

 また、福島県には今も住民から「除染直後に放射線量は下がったが、しばらくすると再び上がった」と心配 する声が寄せられているという。県の除染担当職員は、除染前後の計測手法が違う可能性もあるとしたうえで「除染していない森林から雨で流れ出る土砂に含ま れる放射性物質で、住宅地周辺が再汚染される可能性は否定できない」と話す。

(3)

 環境省の方針では、森林の除染は当面宅地など人が利用する場所から20メートルの範囲で実施し、その他 の場所については効果や技術を検証したうえで検討することにしている。再汚染を心配する住民の声を受け、福島県は昨年10月から3億2000万円の予算で 試験的に、田村、いわきの両市内3カ所(計0・67平方キロ)の森林で汚染された木を間引く除染を行い、効果を確かめる事業を始めた。

 今後、森林除染の範囲を広げるとすれば費用はさらに膨らむ恐れがある。除染実施計画を策定した9市町村で、除染を行う宅地周辺の森林面積は約65平方キロ。これに対し、森林全体では計610平方キロで10倍近い。

 埼玉県加須市内の借り上げ住宅で避難生活を送る双葉町の主婦(40)は「双葉町はそもそも(放射線量 が)高い。除染が進んだとしても戻りたいとは思えない」と帰還に消極的だ。震災当時、小学生だった長男(12)は同市の中学校に入学し、友達もできた。 「除染にお金がかかるなら、新しい土地で生活を始める資金として渡してほしいぐらいだ」と訴える。

 井上信治環境相は2月25日のテレビ番組で「除染はやればやるほど廃棄物が増え、お金も時間もかかる。最終的にどこまでやっていくのかという問題をこれから考えないといけない」と述べた。

 ◇線量低減目標、自然減に期待

 環境省除染による線量低減の目標として、避難指示解除準備区域は13年8月末までに、11年8月末と 比べて50%減、学校や公園など子どもの生活圏は60%減−−を掲げる。しかし、40%分は放射性物質が時間と共に自然に減少する「半減期」や風雨などで 拡散・希釈される効果に期待。除染で減らすのは10〜20%にとどまる。また、居住制限区域は、この線量の地域を「迅速に縮小を目指す」とし、具体的な数 値目標は示していない。

 現在の技術では、放射性物質の無毒化は困難で、洗浄や削り取りなどで取り除くしかない。放射性物質は土壌や家屋の表面などと電気的に安定した状態で結びつき、土壌内では粘土粒子に強く付着しているとされ、簡単にはがせない。

 ◇中間貯蔵施設、まだ調査段階

 福島県内の除染で発生した土壌や汚泥、落ち葉や枝などは、3年間をめどに「仮置き場」に保管される。「中間貯蔵施設」の完成した所から順次運び込んで貯蔵し、30年以内に県外で最終処分する。

(4)

 環境省の中間貯蔵施設建設の工程表によると、12年度中に用地選定を終え、13年度中に用地取得、15年1月に搬入を開始する計画だ。現状は、用地選定のための現地調査に着手する段階で、大幅に遅れている。

 国が、原発立地自治体の双葉、大熊、楢葉3町に中間貯蔵施設建設を提案したのは12年3月。候補地(当初12カ所)を示したのは12年8月のことだった。福島県や3町を含む双葉郡は、中間貯蔵施設がそのまま最終処分場になることへの懸念などから反発した。

 動きがあったのは12年11月。国の直轄地域外でも除染が進み、県内からも早期建設を望む声が上がるなどしているため、県と双葉郡8町村は「施設は必要」と判断。「建設の受け入れではない」との認識を強調した上で、調査の受け入れを決めた。

 施設の敷地面積は3〜5平方キロ、容量は東京ドームの12〜23倍に相当する1500万〜2800万立 方メートルに及ぶ。環境省は、土地の広さや幹線道路へのアクセス、地形などを考慮、福島第1原発周辺の双葉町2カ所、大熊町6カ所と第2原発南側の楢葉町 1カ所の計9カ所を調査候補地として選定した。水源や地質、地盤の固さ、動植物への影響などを5月までに調べる計画だ。現状では工程表と大きなずれが生じ ているが、環境省は「15年1月の搬入開始は守りたい」としている。

 ◇「指定廃棄物」11都県に

 福島第1原発事故で放出された放射性物質による汚染は広範囲にわたる。

 事故による追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベルト)を超える地域は「汚染状況重点調査地域」に指定され、国が資金を出して自治体が除染を実施する。

 岩手3市町▽宮城9市町▽福島40市町村▽茨城20市町村▽栃木8市町▽群馬10市町村▽埼玉2市▽千葉9市−−の8県101市町村が指定を受け、除染作業が進んでいる。

 また、焼却灰などの放射性セシウムの濃度が1キロ当たり8000ベクレルを超え、国が直接処理を行う「指定廃棄物」は、東北・関東地方を中心に11都県で計約9万9000トンが指定されている(12年12月28日現在)。指定廃棄物は発生都道府県内で処分する。

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 ■ことば

 ◇避難区域再編と除染

(5)

 国は放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、「旧警戒区域」と「旧計画的避難区域」にあたる11市町村 の一部を「除染特別地域」に指定、直轄で除染する。除染実施計画は、避難区域が線量の高さに応じて三つに再編されることに伴い策定される。段階的に避難指 示を解除する「避難指示解除準備区域」(年20ミリシーベルト以下)と「居住制限区域」(年20ミリシーベルト超〜50ミリシーベルト以下)は、12〜 13年度に除染。5年たっても線量が年20ミリシーベルトを下回らない「帰還困難区域」(年50ミリシーベルト超)は、「現在の技術では有効な手立てはな い」として、除染の効果を確かめるモデル事業だけを行う。

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 この特集は西川拓、中西拓司、藤野基文、比嘉洋、神保圭作が担当しました。(グラフィック 日比野英志、編集・レイアウト 谷多由)

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「死の恐怖感じた」68%  福島原発事故で出動の警官{ 47NEWS > 共同ニュース}

47NEWS > 共同ニュース
トップ >http://www.47news.jp/
「死の恐怖感じた」68%  福島原発事故で出動の警官
2013/03/07 17:39 共同通信
http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013030701001479.html
▼全文転載

 2011年3月の東電福島第1原発事故で、原子炉建屋の爆発直後に住民の救出や避難誘導に当たった福島県警の警察官は、68%が死の恐怖を感じ、41%は任務の放棄も考えたことが7日、小林良樹慶応大教授(社会安全政策)の調査で分かった。

 任務放棄の気持ちが生じたのは、ほとんどが自分や家族の安全を心配したことが理由。ただ実際に現場を離れた人はいなかった。「任務を継続できたのはなぜか」の問い(複数回答)に、92%が「仲間との連帯感があった」、85%が「使命感や誇り」と答えた。

 原発事故の現場で警察官が葛藤しながら活動した状況が、まとまった形で明らかになるのは初めて。
47NEWS > 共同ニュース


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偽装請負「黙って働く」=危険手当なし−解雇の元作業員・福島第1原発【震災2年】YAHOO!ニュー

YAHOO!ニュース
ホーム>http://headlines.yahoo.co.jp/hl
偽装請負「黙って働く」=危険手当なし―解雇の元作業員・福島第1原発【震災2年】
時事通信 3月7日(木)17時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130307-00000094-jij-soci
▼全文転載

 事故発生から11日で2年になる東京電力福島第1原発。現場には今も放射線量が高い場所があり、配管からの汚染水漏れや作業員の負傷が後を絶たない。昨年10月まで同原発で働いていた東京都内の男性が取材に応じ、作業員が置かれている苛酷な状況を明かした。
 男性は30代前半で、昨年1月から1次下請け会社の社員として、放射線管理業務に従事していた。作業拠点の免震重要棟脇のプレハブで、出入りする作業員のかっぱを脱がせたり、長靴の放射線量を測ったりしていた。
 現場では元請け会社の社員と同じ班で働いた。自分の雇用主ではない元請け会社から直接指示を受けると違法だが、こうした「偽装請負」が横行していたという。男性は「逆らうと次の契約に響くので黙って働くしかない。元請け社員は立場が強く、王様みたいだった」と振り返る。
 福島県いわき市にある宿舎との往復を含め、1日12〜13時間拘束され、日給は1万円程度。残業代などを入れても手取りは月16万円余りで、もらえるはずの危険手当は支払われなかったという。
 仕事中、作業員から受け取ったかっぱに汚染水が付いていたり、使い回しの長靴に穴やひび割れがあるのを見たことも。屋内でも毎時数十マイクロシーベルト 被ばくしていたが、「そこで食事したり、マスクをせずに寝転がったりすることが当たり前になっていた」。働いた10カ月間で、被ばく線量は計20ミリシー ベルトになった。
 勤務先は昨年10月末、元請けに契約を切られた。その影響で男性は翌月解雇された。「元請けに気に入られないと長期契約につながらない。住む場所にも困り、友人宅や漫画喫茶を転々とした」と話す。
 男性は元請け会社に直接雇用などを求め、東京都労働委員会に救済を申し立てた。生活費は失業給付でしのいでいる。「原発の仕事をしていると『体をちゃん と考えなよ』と言われるが、飯が食えなくなったら結局体調が悪くなる」と話し、立場の弱い労働者にしわ寄せが行く現状の改善を訴える。

YAHOO!ニュース
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★関連記事
原発要員計画が破綻 福島第一、半数が偽装請負の疑い
朝日新聞デジタル 3月12日(火)5時54分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130312-00000008-asahi-soci
▼全文転載

 【佐藤純東京電力福島第一原発で働く作業員の要員計画が破綻(はたん)し、政府が見直し作業に入ったことが分かった。違法な偽装請負の状態で働く人が約半数に上る疑いが浮上し、適法な作業員だけでは足りない恐れがあるためだ。業界の慣行である偽装請負に依存しない新たな計画を打ち出せるかが焦点となる。

 政府と東電は昨年7月にまとめた工程表で、年間最大1万2千人の作業員が必要と試算し、2016年までは「不足は生じない見込み」と明記。福島第一で働く際に必要な放射線業務従事者の指定を昨年5月までに受けた2万4300人のうち、高線量を浴びた人を除く2万3300人を「再び従事いただける可能性のより高い母集団」と位置づけ、要員確保は十分可能と説明していた。

 ところが東電が昨年9〜10月に作業員4千人を対象にしたアンケートで、「作業指示している会社と給料を支給している会社は同じか」との質問に47%が「違う」と回答。下請けが連なる多重請負構造の中で偽装請負が横行している実態が判明し、経済産業省は2万3300人を「母集団」とみるのは困難と判断して6月までに工程表を見直す方針を固めた。被曝(ひばく)記録より高い線量を浴びた人が多数いることも発覚し、「母集団」の根拠は揺らいでいる。舟木健太郎・同省資源エネルギー庁原発事故収束対応室長は「労働環境の改善は重要。工程表全体を見直す中で要員確保の見通しを検討する」と話す。

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東日本大震災:福島第1原発事故 いわき市民、提訴822人に 11日予定 /福島<毎日新聞>

毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/
東日本大震災:福島第1原発事故 いわき市民、提訴822人に 11日予定 /福島
毎日新聞 2013年03月07日 地方版
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20130307ddlk07040092000c.html
▼全文転載

 福島第1原発事故で苦痛を受けたとして、国と東電を相手取り11日に提訴を予定しているいわき市民が822人になったと6日、弁護団が発表した。損害賠償や原状回復を求めて地裁いわき支部に提訴する。

 弁護団は、原発事故による精神的苦痛を主張。事故当時妊婦だった女性に50万円、それ以外の原告に25万円を支払うことに加え、空間放射線量が事故前の毎時0・04マイクロシーベルトに戻るまで毎月3万〜8万円の慰謝料を支払うよう訴える。

 11日は福島市と東京都、千葉県の三つの弁護団も同様の提訴を予定し、計約2000人の原告が参加する。

 弁護団の広田次男・共同代表は「多額の賠償金を求めることで、国と東電に対し原発政策の見直し、全国的な廃炉を求めたい」と話した。【三村泰揮】

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「原発ゼロ、いま主張しないと」 各地でデモや集会<朝日新聞>

朝日新聞
ホーム>http://www.asahi.com/
原発ゼロ、いま主張しないと」 各地でデモや集会
2013年3月10日18時11分
http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY201303100081.html
▼全文転載

写真
原発ゼロを訴え、デモ行進する参加者たち=10日午後2時30分、東京都千代田区、金子淳撮影
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0310/TKY201303100209.jpg
原発ゼロ社会」を求める集会でデモ行進する参加者たち=10日午後2時50分、東京都千代田区、金子淳撮影
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0310/TKY201303100208.jpg
原発ゼロ社会」を求める集会でデモ行進する参加者たち=10日午後、東京都千代田区、金子淳撮影
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0310/TKY201303100207.jpg

 【伊木緑、湊彬子】東京電力福島第一原発事故から2年を前に「原発ゼロ社会」を求める集会や行進が10日、各地であった。東京都千代田区の日比谷野外音楽堂の集会では、作家の落合恵子さんが「無関心層にどれくらい言葉が響くかが効果につながる。声をかけ続けましょう」と呼びかけた。

 日比谷の集会は首相官邸前で抗議行動を続ける市民団体が主催。同団体によると、集会の参加者を含む約4万人が「再稼働反対」などと書いたプラカードを掲げて官庁街や国会前を練り歩いた。幼い息子2人を連れた中山直子さん(29)は「いま(原発は)いらないと主張しないと、なし崩しで再開してしまう」。原発の是非を問う国民投票の実施を求める市民団体は新宿でデモや集会を催した。

 大阪市でも御堂筋などでデモ行進。インターネットなどで参加を呼びかけた市民団体代表の池島芙紀子さん(73)は「あれだけの惨事があったのに、今の政権は何もなかったように再稼働を進めている」と危機感をあらわにした。

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原発事故関連死(5)死亡は事故のため 「認めよ」東電に手紙<福島民報(連載記事)

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/
原発事故関連死(5)死亡は事故のため 「認めよ」東電に手紙
2012/12/03 17:00
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5691.html
▼全文転載

家族6人の生活があった高橋さんの自宅。居間は避難当時のままだ=飯舘村
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/05GenpatsuKanrenshi.jpg

 「本当に逃げるようだったんだよ」
 高橋清さん(58)が飯舘村から避難した時の気持ちだ。自宅がある八和木の集落は震災前27世帯あった。昨年9月に妻の広美さんが亡くなってから今年の 4月まで高齢者5人が避難先で亡くなった。急いで避難しなければならない地域が県北地方全体や福島県全体に及んでいたら−と考えると「ざわっとする」。広 美さんや集落の人々のような避難に伴う死が、どれだけ膨大な数になったかと想像してしまうからだ。
 犠牲者のことを「本当は"震災"関連死ではなく、"原発事故"関連死なんだけどね」とも思っている。
 東京電力に対しては賠償の請求書に、広美さんが死亡した原因が原発事故であると認めるよう求める手紙を同封した。法テラスの若い弁護士に相談すると、生 活状況を含め因果関係を証明できるのかと逆に聞かれた。「賠償金が欲しいんじゃない。女房が原発事故のために死んだと認めてほしいだけなんだ」
 荷物を持ち出したり、持ってきたり。今でも時折、飯舘の自宅に足を運ぶ。居間の日めくりカレンダーは「5月28日」のまま。台所のカレンダーは帰るたびにめくっていたが、広美さんが亡くなる前の「8月」で止まってしまった。
 料理が上手で家族の中心だった広美さんを失い、何もかも任せっきりだったと気付かされた。「おやじや子どもたちのこと、食事、買い物、洗濯...。やることがいっぱいで暇なしだ」と嘆く。
 もう一つ、他の土地の悲劇の本質を見ていなかった自分にも気付かされた。「阪神淡路大震災チェルノブイリも人ごとだった。自分もそういう現実に遭遇しないと分からないよね」と今は思う。
 自宅がある八和木地区は再編によって居住制限区域とされ、避難指示解除の時期は3年半後の平成28年3月になった。「年寄りはかわいそうだ。解除になるまで生きていられるか...。切実な問題だ」と語る。
 広美さんに先立たれ、残った自分たち家族が、今よりなにがしか良い暮らしを目指そうとすることにさえ、清さんの心には罪悪感が生じる。いまだに先が見えない将来に一歩を踏み出せずにいる。
 飯舘の山の景色は変わらないように見えても、人の手が入らない場所は荒れ、草木が覆っていく。

(2012/12/03 17:00カテゴリー:原発事故関連死)

原発事故関連死」アーカイブ
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原発事故関連死(6)命削った避難生活 認定却下、納得いかず<福島民報(連載記事)

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原発事故関連死(6)命削った避難生活 認定却下、納得いかず
2012/12/04 17:04
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5692.html
▼全文転載

避難生活の中、亡くなった常盛さんの遺影を見詰めるキミ子さん
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/06GenpatuKanreshi20121204.jpg

 2月3日は朝から冷え込んだ。南相馬市小高区から避難し、鹿島区の仮設住宅で暮らす藤田キミ子さん(75)は、夫の常盛さん(80)=当時=に食欲がないのが気になっていた。朝食はほとんど残した。昼も「いらない」と断り、口数も少ない。
 夕飯はしっかり食べてもらおうと台所に立ちながら居間でこたつにあたる常盛さんを見て驚いた。唇は紫、顔はいつもより白っぽい。「お父さん、どうしたの。お父さん!」。呼び掛けにも、言葉は返ってこない。
 かかりつけの南相馬市立総合病院に電話すると、できるだけ静かに連れてくるように言われた。船大工から建築業に転じた常盛さんは医療事故のため50歳ご ろから車いす生活だった。意識も薄れ気味の常盛さんを1人で車に乗せられるはずもなかったが、偶然訪れた知人の助けで病院に運べたのが、せめてもの救い だった。
 しかし、入院3日目の5日午前2時ごろ、常盛さんの容体は急変する。次女の光子さん(53)から連絡を受けたキミ子さんは仮設住宅から軽トラックを飛ばした。ヘッドライトの明かりの先をひたすら目指した。
 病院に着いたキミ子さんが目にしたのは額に汗を浮かべて心臓マッサージを繰り返す医師と力なく横たわる夫の姿だった。キミ子さんは病室にただ立ち尽くした。「先生、もういい。もういいから」。口から出た言葉は50年以上連れ添った夫の穏やかな死を望む妻の本心だった。
 「慣れない場所での生活が夫の命を削ったのに違いない」。キミ子さんは次の晩、市内の斎場に運ばれた遺体の前で一睡もせずに線香を上げ続けた。「なあ、 お父さん。本当に情けない(悲しい)。情けない...」。無表情に眠る夫の顔を見詰め、いつまでも胸の内で語り掛けた。仮設に移って8カ月がたっていた。
 3月、光子さんは常盛さんの震災関連死の認定を市に申請した。一級の障害者手帳を持ち、30年にわたり病院通いをしていたとしても、東京電力福島第一原発事故による避難がなければ、こんなに早く命を落とすことはなかったはずだ。
 しかし、市災害弔慰金支給審査委員会は7月、常盛さんが通う市立総合病院が昨年7月に通常通りの業務を再開していたことなどを理由に申請を退けた。納得ができず、再審査を求めた光子さんに窓口の職員は「これまでに認定が覆ったことはない」と告げた。

(2012/12/04 17:04カテゴリー:原発事故関連死)

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20130308古館4号機建屋内部へ。事故2年福島第一の現実(動画)

動画
Daily motion
20130308古館4号機建屋内部へ。事故2年福島第一の現実
http://www.dailymotion.com/video/xy2evz_20130308yyyyyyyyyy-yyyyyyyyyyy_news?start=3#.UT85djevNwE

09-03-2013





★関連記事
★阿修羅♪
報道ステーション古館4号機建屋内部へ。それと事故2年福島第一の現実.建屋建設を手抜き。(カズちゃんのブログ)
2013 年 3 月 09 日 
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/611.html

2.23 後藤政志さんのお話 "事故から2年、福島原発は今どうなっているか" (YouTube)

YouTube
2.23 後藤政志さんのお話 "事故から2年、福島原発は今どうなっているか"
http://www.youtube.com/watch?v=teQ-uuyujBQ&feature=player_embedded


公開日: 2013/02/24

本番組は平成25年2月23日に千葉・中央区で行われた講演会を配信しています。
子どもを放射能からまもる会 in 千葉 第3回講演会

「事故から2年、福島原発はどうなっているか!?」
元原子力プラント設計技術者の後藤政志さんのお話
主催;子どもを放射能からまもる会 in 千葉

2011年3月11日からまもなく2年が経過します。事故直後から原発の専門家として­事故の状況、原子炉の構造など説明し続けました。野田政権は2011年末に収束宣言を­出しましたが、いまだ事故の原因も究明されていません。昨年設立された原子力規制委員­会は原発の安全基準を策定中ですが、多くの課題が残されています。この基準についても­院内集会等で発言されています。今回は福島原発の現状、事故の教訓等話していただきま­した。

▼ 葛飾市民テレビからの寄付(カンパ)・ご支援のお願い ▼
 多くの皆様から、活動への激励と励ましをいただき、誠に有難う
ございます。この場をおかりしてお礼申し上げます。今後も切磋
琢磨していきたいと思っております。
尚、今後活動の持続的観点から皆様に寄付(カンパ)のほどお
願いできればと思います。
是非とも小額でもご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

【ゆうちょ銀行】※ゆうちょ銀行からお振込の場合
記号:10190 番号:78553931
口座名:カツシカシミンテレビ

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【ゆうちょ銀行】※他行からお振込の場合
店名:〇一八(ゼロイチハチ)店番:018 預金種目:普通預金
口座番号:7855393  口座名:カツシカシミンテレビ
カンパいただける場合はメールにてお知らせいただけますと尚、
幸いです。

わたくし共、皆持ち寄りの機材を使用しておりますが、ケーブル
の断線、備品破損等少なからずあり、個人負担も軽くございま
せん。もしお手持ちのHDVカメラ、録音機器、他備品でご寄付
いただけるようでしたらメールにてお知らせいただけましたら
幸いです。

お知らせメール⇒info_ktv@yahoo.co.jp

★チャンネルの紹介★

 葛飾市民テレビは、今年3.11に「市民の情報活動」=
オルタナティブメディア⇒「市民テレビ」の活動として、葛飾から
発動することを意として銘銘しました。葛飾区周辺エリアに限らず、
3.11以降の市民の注目分野にフォーカスしていきます。
原発再稼動、がれき広域処理、隠された放射能汚染の実態、
内部被曝の危険など、生活者の目線で命にかかわる問題に
ハイライトし、共有すべき情報を分かりやすく「教材」のような
かたちにまとめていきたいと思っています。

 主には東京近郊で開催される講演、パネルディスカッション
などを配信します。推奨する内容の講演会や取り上げて
欲しい研修、
セミナーがありましたらメールにてお知らせ下さい。また、とり
あげたいテーマなどもご意見とともにメールにてお寄せください。

ご意見メール⇒info_ktv@yahoo.co.jp

★情報拡散にご協力を!★
 本サイトは、真実を知り、正しく伝え、共有することを目的に
「市民が、市民に対して、市民のため」に運営しています。
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是非、リンク、ツィート、等大歓迎なので情報の拡散をお願い
いたします。

2012.3.11@葛飾市民テレビ



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「ゼネコンを太らせるだけの除染より避難にお金を使って」楢葉町女性の訴え{KABASAWA FAM

★こちらのブログに入りきらない記事は、第2ブログに掲載しています。福島原発事故と放射能汚染 そしてチェルノブイリ地方の現状Ⅱ(北の山じろう)


★とにかく、汚染のひどい地域からの移住政策を採用して欲しい。緊急には、子供たちを、「集団疎開」させなければなりません。政治や行政は、まともな人間の声を聞いて欲しい。そして、皆さんも声を出して欲しい。このように願っています。


KABASAWA FAMILY BLOG」から全文転載


KABASAWA FAMILY BLOG
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March 03, 2013
「ゼネコンを太らせるだけの除染より避難にお金を使って」楢葉町女性の訴えhttp://ameblo.jp/takumiuna/entry-11482366155.html

原発から20キロの楢葉町の除染、1年経ったら元に戻ると作業員やゼネコンが雨がふったら元に戻ると言ってます。形式だけの除染をやってそこに戻れと言われる私たちの気持ちがわかりますか。そこに戻って子育てができますか」



多くの人にみていただきたい。
福島県の20キロに住んでた楢葉町に住む女性が環境省などに涙の訴えです。


2月28日、被ばく労働を考えるネットワーク主催 「危険手当のピンハネを許すな!労働者として扱え!」除染労働問題 環境省・厚労省交渉より抜粋。
莫大な国家予算が誰かの懐の闇へと消え、そして作業員の凄惨な被曝労働にも拘わらずほ­ぼ効果があがらない除染事業。楢葉町の女性からもうこんな除染はやめてくださいと涙と­怒りの激訴。耳を傾ける環境省、厚労省官僚の目はうつろ。

(YouTube【抜粋】 UPLAN 除染・被曝労働政府交渉 楢葉町の女性涙の激訴http://www.youtube.com/watch?v=ioHaxEs8TnM&feature=player_embedded

「多くの人が住んでる郡山市は屋根もやらない。壁もやらない。やるのは1センチの表土をはるだけ。郡山市で は既に10名の甲状腺ガンのこどもが出てる。そういうところがそんなおなざりの除染しかできていない。私たちの感覚からしてはドブに捨ててるようなもの。 ただゼネコンを太らせるだけの費用にしかなってない。働いてる労働者は人間として扱われないような働かせ方をされてる。マイナス賃金の明細ももらってい る」

「派遣きられて、大学卒業しても就職なく若い人が除染労働をしている」

楢葉町にはもう帰りたくない。だから除染なんてやってほしくない。ただゼネコンを太らせるだけの費用にしかなってない。そんなところにお金を使うなら、次の生活を踏み出せるような支援のお金に使ってほしい。楢葉町には全国から汚染土を集めるようにすればいい。」



チェルノブイリでも除染は途中で諦めた。
日本は除染すれば戻れるということで除染神話を展開し汚染地に人を戻そうとしてます。
それだけのお金があれば新天地で生活できる家、土地、賠償費用を出すべきなのです。

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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/2 プルサーマルとトラブル隠し 「振興」揺れた地元紙<毎日

毎日新聞
ホーム>http://mainichi.jp/
この国と原発:第7部・メディアの葛藤/2 プルサーマルとトラブル隠し 「振興」揺れた地元紙
毎日新聞 2012年10月23日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121023ddm002040066000c.html
▼全文転載


福島第1原発の事故に伴う退去以来、初めて公開されたオフサイトセンターを取材する報道陣。本来は取材拠点になるはずだった=福島県大熊町で2012年3月2日、岩下幸一郎撮影
http://mainichi.jp/graph/2012/10/23/20121023ddm002040066000c/001.html

(1)

 東京電力福島第1原発6号機の運転開始から2カ月後の79年12月5日、地元紙の福島民報と福島民友は、そろって同原発の完成を記念する8ページの特集を組んだ。米スリーマイル島原発事故の9カ月後のことだ。

                         

 「原子力発電フル回転 代替エネルギーのエース」(民報)、「豊かになった暮らし 地域振興ぐんと進 む」(民友)などの見出しで原発の仕組みの解説や、電源3法交付金で造られた公共施設の紹介、編集幹部と原子力関係者の対談記事などを掲載した。東芝や日 立などのメーカー、東電関連会社の広告も並ぶ。

                         

 民報の対談記事に論説委員長として登場した河田亨氏(81)は「(原発の建つ)双葉郡は何の産業もなかった。原発で発展すると考えていた」と振り返る。

                         

 河田氏は編集主幹だった80年ごろ、東北電力などが参加する原発推進団体「東北原子力懇談会」(現東北エネルギー懇談会)の依頼で宮城県女川町へ講演に出かけ、東北電力女川原発建設予定地の地権者を「津波が来ても原発に避難できる」と説得したという。

                         

 「当時、原発を生かして地域を発展させるには、住民の意識を変えないといけないと思っていた」と言う河田氏は今、「原子力ムラの学者が言う通り、原発は絶対安全だと書いてきたが、本当のことが知らされてこなかった」と語る。

(2)

 一方、民友の社説も、原発を地域振興の起爆剤と捉えていた。1号機の営業運転開始翌日の71年3月27日に「県勢振興の新たな誘因にもなろうことを、期待しておきたい」と論じた。

                         

 だが、その後は立地町村に一定の余裕はできたものの「仙台のようになる」といわれた繁栄からはほど遠く、89年の福島第2原発再循環ポンプ破損事故は住民に不安を残した。両紙の報道も変わっていく。大きな転機となったのが01年だ。

                         

 国と東電などは福島第1など全国3原発に、使用済み核燃料から得たプルトニウムも燃料に使うプルサーマルの導入を決めていたが、当時の佐藤栄佐久・福島県知事は慎重だった。原子力行政で県が蚊帳の外に置かれているとの不信があったためだ。

                         

 01年2月8日、東電は佐藤氏の外遊中、佐藤氏の求めていた火力発電所増設の凍結を示唆する。佐藤氏の 不信感は決定的となり、26日にプルサーマル実施を当面認めない方針を表明。5月には県庁内に「エネルギー政策検討会」を発足させ、国の原子力政策の再検 討を始めた。佐藤氏によれば、経済産業省資源エネルギー庁は02年3月、県の頭越しにプルサーマルの安全性を訴えるパンフレット2万2150枚を双葉郡の 町村に配ったという。

(3)

 こうした動きを受け、民友の社説は「『地域』はどれだけ『振興』したのか。それを自ら検証しようという機運さえ県民の間にはある」(01年2月11日)と国の原子力行政に疑問を投げかけた。

                         

 民報は連載「岐路に立つエネルギー 原発立地県からの検証」を02年1月に開始。交付金で造った公共施設の維持が自治体財政の重荷となった現状、原発に漠然とした不安を抱く母親の心情などのほか、国や他県の状況も報じ、同年12月まで45回の長期連載となった。

                         

 「核燃料サイクルが未完成なのに、なぜプルサーマルを始めるのかという根本的な疑問があった。原発と共生できるのかという検証も必要だと思った」と当時、県政担当記者として連載を統括した早川正也報道部長(52)は振り返る。

                         

 この連載中、民報には「ウランは、プルサーマルによって長く有効に利用することができます」などと訴える東電の意見広告が頻繁に掲載された。同じものが同じ日の民友にも載った。だが「現場の記者には関係なかった」と早川氏は言う。

                         

 そして02年8月、福島第1原発の検査記録が改ざんされた「トラブル隠し」が発覚。両紙とも連日1面に記事を出し続けた。

                         

 民報の早川氏にはプルサーマルとトラブル隠しを通じ、「書くべきことは書いた」という実感があった。「だから今、忸怩(じくじ)たる思いはあるんですよ。また繰り返されたのか、と」

(4)
 民友は取材申し入れに対し、文書で「いずれの局面でも、安全性の担保が第一であるなど県民サイドに立った視点から報道してきました」と回答した。=つづく

この国と原発 アーカイブ2012年
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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/3 爆発の瞬間とらえた地元局 恐れ抱きながら共生<毎日新聞

毎日新聞
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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/3 爆発の瞬間とらえた地元局 恐れ抱きながら共生
毎日新聞 2012年10月24日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121024ddm002040043000c.html
▼全文転載


福島第1原発の爆発の瞬間をとらえたカメラ。見据える先(丘陵の向こう)に原発がある=福島中央テレビ提供
http://mainichi.jp/graph/2012/10/24/20121024ddm002040043000c/001.html

(1)

 昨年3月12日。東京電力福島第1原発1号機が爆発した瞬間の映像は世界を震撼(しんかん)させた。撮影できたのは福島中央テレビ(FCT、日本テレビ系列)だけだった。

                         

 「映像がなかったら、政府の発表はいつになっていたか分からない」。佐藤崇報道制作局長(55)はそう思っている。撮影成功の背景には「使った後は第1原発の方に戻しておいて」という12年前の佐藤氏の一言があった。

                         

 FCTは00年、同原発の南西17キロの山中にある送信所から同原発と福島第2原発が見えることから、 両原発を監視する遠隔操作カメラを取り付けた。前年のJCO臨界事故がきっかけだった。向きを変えてそれぞれの原発を撮影する仕組みだったが、佐藤氏は 「何かあるとすれば、老朽化した第1原発だろう」と考え、操作しない時は常に第1原発に向けておくよう技術スタッフに頼んだ。技術陣は約束を守り続けた。

                         

 このカメラは昨年3月11日の大地震で制御回線が壊れ、操作できなくなる。しかし、映像の回線は生きて おり、レンズが第1原発を向いていたから決定的瞬間をとらえることができた。原発に近い海岸沿いにあった他局のカメラとFCTの高画質カメラは、地震と津 波で機能しなかった。

                         

 14日の3号機爆発も撮影して放送した。しかし、15日の4号機の爆発は撮れなかった。視聴者から「なぜ放送をやめたのですか! 圧力ですか?」とメールが来たが、霧のせいだった。

(2)

 「原発を監視するのが仕事だ」。佐藤氏は後輩たちに、そう伝えてきた。後輩の松川修三(おさみ)報道部長(46)は県政担当記者時代、「小さなト ラブル」を発表する東電の記者会見では、常に疑う質問をするよう心がけていたという。「過去の経緯を知っている地元メディアだからこそ突っ込める部分があ りました」

                         

 ただ、佐藤氏は「私たちは原発と共生せざるを得ない環境で生きてきた。原発そのものの是非ではなく、地域問題として共生の在り方を考えなければならなかった」とも言う。

                         

 FCTは98年3月にNNNドキュメント「ガリバーの棲(す)む町~地域と原発の27年~」を全国ネットで放送した。福島第1原発5、6号機を抱える双葉町が、財政難から7、8号機の増設を求めるようになった背景を丹念に追った30分番組だ。

                         

 番組では、住民の女性が「発展はするんでしょうけど……原子力に代わるものがあればねえ」と複雑な表情で語り、最後は「かつて原発景気に沸いた町は、もう一度、ガリバーのもとに暮らす道を選ぶのでしょうか」というナレーションで締めくくられる。

(3)

 番組プロデューサーだった駒木根尚(こまぎねたかし)現メディア推進室長(56)はこう考えている。「原発の交付金に頼る構図に疑問を投げかけた のは、原発への潜在的な恐れがあったから。でも、国策を前に、地域の選択肢はほとんど閉ざされていた。『安全神話』を信じたいという意識は、我々取材する 側にも忍び込んでいたと思う」

                         

 自問自答する福島のテレビジャーナリストは彼らだけではない。

                         

 福島テレビ(FTV、フジテレビ系列)の鈴木延弘報道部長(44)が痛感したのは、圧倒的な知識不足 だった。例えばSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)に基づく放射性物質の拡散予測が初公表された昨年3月23日、FTVはロー カル枠での放送を見送った。

                         

 「どこまで信用できるのか分からなかった。どの専門家に聞いたらいいのかも知らなかった」

                         

 国会事故調査委員会は「規制当局が事業者の『虜(とりこ)』になっていた」と指摘したが、鈴木氏は「僕らも同じだと思う」と話す。テレビユー福島(TBS系列)の松浦五月報道部長(50)も「東電の情報に頼らざるを得ないのは、事故後も同じ」と言う。

                         

 県民196万人の生活をどう伝えるのかも手探りだ。FTVの鈴木氏は「変わらない暮らしもあるのに、東京のキー局からの要望はどうしても不幸な部分に焦点を当てるものになる」と話す。

(4)
 一方で鈴木氏が口にした言葉は、期せずしてFCTの佐藤氏と同じだった。「どんなことでもいいから、(多くのメディアに)とにかく全国に発信してほしい」。福島が「忘れられてしまう」という懸念がそこにはある。=つづく

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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/4 キー局、月曜未明に批判報道 「問題伝えた」思い半ば

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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/4 キー局、月曜未明に批判報道 「問題伝えた」思い半ば
毎日新聞 2012年10月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121025ddm002040059000c.html
▼全文転載


(1)
                    

 テレビでは、国や電力会社によって原発宣伝の番組が用意されたケースがある。例えば、85年12月15日午前8時半から日本テレビで放送された「ケント・ギルバートの不思議なエネルギーの話」と題する50分間の番組だ。

                         

 タレントのケント・ギルバートさんが、日本の科学技術がエネルギーに支えられていることを解説。東京電 力福島第1原発構内を歩きながら「日本の原子力発電に関する技術は世界のトップレベルに達していると言われています」と話す。そして「原子力エネルギーに ついて、もっと理解と関心を深めることが必要だと思います」と締めくくる。

                         

 同局関係者によると、番組は当時の科学技術庁がプロダクションに制作させ、広告代理店を通じて持ち込んできた。同局の労働組合が放送中止を求めて抵抗したが、局側は台本を手直しし、原発の部分を短縮した上で放送した。

                         

 科技庁の存在は、番組の最後に出る「企画 科学技術庁」というテロップでようやく分かる。放送局に代金 を払って番組の放送を委託するケースは他分野でもあるが、この関係者は「国や電力会社は値切らないので『カロリーが高い』と歓迎されていた」と話す。原発 については、キー局では次第に少なくなったもののローカル局を中心に福島の事故直前まで行われてきた。

    
(2)
                    

 問題提起型の番組が作られなかったわけではない。その代表格が、やはり日本テレビ系列の「NNNドキュメント」だ。70年に始まった長寿番組で、原発関連の多くは系列地方局が制作している。

                         

 今年度のJCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞作「NNNドキュメント’12『行くも地獄 戻るも地 獄~倉澤治雄が見た原発ゴミ~』」を制作した同局の倉澤治雄・元解説主幹(60)=先月末定年退職=は、82~86年に科技庁担当記者として原子力船「む つ」の新母港建設問題を取材。地域の人間関係が分断されていくことに疑問を持ち、原子力問題を追い続けてきた。

                         

 福島の事故後はニュースに出て政府や東電を批判したが「社内外から何かを言われたことはない」という。 ただ、視聴者にはテレビと原発がもたれ合ってきた印象が強いのも事実。倉澤氏は「原子力の問題を伝え続けてきたという思いはあるのに、人々がテレビに抱く イメージには大きなギャップがある」とも話す。

                         

 NNNドキュメントは月曜の未明という時間帯だ。「スポンサーがつかない、目立たないほうがトラブルが少ないといった理由で深夜に追いやられた」と、自身も多くのドキュメンタリーを撮った元日本テレビディレクター、加藤久晴氏(75)は振り返る。

                         

 一方でこんな評価もある。

    
(3)
                    

 「正力松太郎によって創設された日本テレビが、深夜枠とはいえ最も先鋭で批判的な原子力報道を行ってき た事実は、テレビが(中略)メディアとして成長を遂げた歴史を物語っている」。NHKディレクターとして原発関連番組を多数手がけてきた七沢(ななさわ) 潔氏(55)は雑誌「世界」08年9月号にこう書いた。

                         

 日本初の民放として誕生した日本テレビは、読売新聞社主で後に初代原子力委員長となる正力氏が米国の後押しで設立。53年8月に放送を始めた直後、読売新聞と共に原発導入のキャンペーンに主導的な役割を果たしたとされる。

                         

 七沢氏は08年、NHK放送文化研究所主任研究員として、50年代以降07年までのNHKのニュース・ 番組222本、民放番組10本を視聴し「原子力50年・テレビは何を伝えてきたか」という論文にまとめた。NHKも70年代以降、問題提起型の番組が増え たことが分かったという。

                         

 ただ「公表に頼らず独自取材を深める報道は少なかった」とも指摘した。自身は旧知の研究者と事故発生直後に福島第1原発から2・4キロの地点まで入って汚染状況を独自に調査。その過程を描いたETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は大きな反響を呼んだ。

    
(4)
                    

 七沢氏はこの経過を描いた単行本「ホットスポット」のあとがきで局幹部を「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように『原子力村』に配慮した報道スタイルにこだわる」などと批判。この本が原因でチーフプロデューサーらと共に局から「注意」を受けた。

                         

 七沢氏に08年の論文についてインタビューしたいとNHKに申し入れたが「NHKの判断としてお断りする」(広報部)との返答だった。=つづく

 

     この国と原発 アーカイブ2012年
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原発事故関連死(5)死亡は事故のため 「認めよ」東電に手紙<福島民報(連載記事)

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原発事故関連死(5)死亡は事故のため 「認めよ」東電に手紙
2012/12/03 17:00
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5691.html
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家族6人の生活があった高橋さんの自宅。居間は避難当時のままだ=飯舘村http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/05GenpatsuKanrenshi.jpg

 

 「本当に逃げるようだったんだよ」
 高橋清さん(58)が飯舘村から避難した時の気持ちだ。自宅がある八和木の集落は震災前27世帯あった。昨年9月に妻の広美さんが亡くなってから今年の 4月まで高齢者5人が避難先で亡くなった。急いで避難しなければならない地域が県北地方全体や福島県全体に及んでいたら-と考えると「ざわっとする」。広 美さんや集落の人々のような避難に伴う死が、どれだけ膨大な数になったかと想像してしまうからだ。
 犠牲者のことを「本当は"震災"関連死ではなく、"原発事故"関連死なんだけどね」とも思っている。
 東京電力に対しては賠償の請求書に、広美さんが死亡した原因が原発事故であると認めるよう求める手紙を同封した。法テラスの若い弁護士に相談すると、生 活状況を含め因果関係を証明できるのかと逆に聞かれた。「賠償金が欲しいんじゃない。女房が原発事故のために死んだと認めてほしいだけなんだ」
 荷物を持ち出したり、持ってきたり。今でも時折、飯舘の自宅に足を運ぶ。居間の日めくりカレンダーは「5月28日」のまま。台所のカレンダーは帰るたびにめくっていたが、広美さんが亡くなる前の「8月」で止まってしまった。
 料理が上手で家族の中心だった広美さんを失い、何もかも任せっきりだったと気付かされた。「おやじや子どもたちのこと、食事、買い物、洗濯...。やることがいっぱいで暇なしだ」と嘆く。
 もう一つ、他の土地の悲劇の本質を見ていなかった自分にも気付かされた。「阪神淡路大震災チェルノブイリも人ごとだった。自分もそういう現実に遭遇しないと分からないよね」と今は思う。
 自宅がある八和木地区は再編によって居住制限区域とされ、避難指示解除の時期は3年半後の平成28年3月になった。「年寄りはかわいそうだ。解除になるまで生きていられるか...。切実な問題だ」と語る。
 広美さんに先立たれ、残った自分たち家族が、今よりなにがしか良い暮らしを目指そうとすることにさえ、清さんの心には罪悪感が生じる。いまだに先が見えない将来に一歩を踏み出せずにいる。
 飯舘の山の景色は変わらないように見えても、人の手が入らない場所は荒れ、草木が覆っていく。

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原発事故関連死(6)命削った避難生活 認定却下、納得いかず<福島民報(連載記事)

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原発事故関連死(6)命削った避難生活 認定却下、納得いかず
2012/12/04 17:04
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5692.html
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避難生活の中、亡くなった常盛さんの遺影を見詰めるキミ子さんhttp://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/06GenpatuKanreshi20121204.jpg

 

 2月3日は朝から冷え込んだ。南相馬市小高区から避難し、鹿島区の仮設住宅で暮らす藤田キミ子さん(75)は、夫の常盛さん(80)=当時=に食欲がないのが気になっていた。朝食はほとんど残した。昼も「いらない」と断り、口数も少ない。

 

 夕飯はしっかり食べてもらおうと台所に立ちながら居間でこたつにあたる常盛さんを見て驚いた。唇は紫、顔はいつもより白っぽい。「お父さん、どうしたの。お父さん!」。呼び掛けにも、言葉は返ってこない。

 

 かかりつけの南相馬市立総合病院に電話すると、できるだけ静かに連れてくるように言われた。船大工から建築業に転じた常盛さんは医療事故のため50歳ご ろから車いす生活だった。意識も薄れ気味の常盛さんを1人で車に乗せられるはずもなかったが、偶然訪れた知人の助けで病院に運べたのが、せめてもの救い だった。


 しかし、入院3日目の5日午前2時ごろ、常盛さんの容体は急変する。次女の光子さん(53)から連絡を受けたキミ子さんは仮設住宅から軽トラックを飛ばした。ヘッドライトの明かりの先をひたすら目指した。
 病院に着いたキミ子さんが目にしたのは額に汗を浮かべて心臓マッサージを繰り返す医師と力なく横たわる夫の姿だった。キミ子さんは病室にただ立ち尽くした。「先生、もういい。もういいから」。口から出た言葉は50年以上連れ添った夫の穏やかな死を望む妻の本心だった。


 「慣れない場所での生活が夫の命を削ったのに違いない」。キミ子さんは次の晩、市内の斎場に運ばれた遺体の前で一睡もせずに線香を上げ続けた。「なあ、 お父さん。本当に情けない(悲しい)。情けない...」。無表情に眠る夫の顔を見詰め、いつまでも胸の内で語り掛けた。仮設に移って8カ月がたっていた。


 3月、光子さんは常盛さんの震災関連死の認定を市に申請した。一級の障害者手帳を持ち、30年にわたり病院通いをしていたとしても、東京電力福島第一原発事故による避難がなければ、こんなに早く命を落とすことはなかったはずだ。
 しかし、市災害弔慰金支給審査委員会は7月、常盛さんが通う市立総合病院が昨年7月に通常通りの業務を再開していたことなどを理由に申請を退けた。納得ができず、再審査を求めた光子さんに窓口の職員は「これまでに認定が覆ったことはない」と告げた。

 

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原発事故関連死(7)突然見舞った不幸 車椅子で通院の日々<福島民報(連載記事)>

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原発事故関連死(7)突然見舞った不幸 車椅子で通院の日々
2012/12/05 17:09
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5693.html
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 常盛さんが20年通い、最期の場所となった南相馬市立総合病院

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/07GenpatsuKanrenshi.jpg

 

 南相馬市鹿島区の仮設住宅で80歳の生涯を終えた藤田常盛さんは、浪江町請戸に大工の次男として生まれた。高等小学校卒業後、宮城県塩釜市で船大 工をしていた叔父に弟子入り。いわき市小名浜での下積み時代を経て、昭和25年ごろ東京都の造船会社に入社し、漁船やタンカーを手掛ける船大工職人として 一人立ちした。
 昭和32年、当時20歳だった南相馬市小高区のキミ子さん(75)は常盛さんと見合い結婚した。東京で単身生活の夫は盆と正月以外、小高には帰らなかっ たが間もなく2女を授かった。「無口でまじめで、家族を大事にしてくれる人だった」。キミ子さんと娘たちは、仕事に誠実に向き合う常盛さんを誇りに思って いた。たまの上京は、家族にとって互いの気持ちを確かめ合う貴重な時間だった。
 昭和45年ごろ、常盛さんは東京の造船会社を退社し、小高に戻った。家財道具を詰めた木製のみかん箱を両手に抱えて帰ってきた時の笑顔をキミ子さんは覚えている。
 常盛さんは大工の腕を生かし、小高で「藤田建築」を立ち上げ、住宅の建築などに腕を振るった。相馬野馬追では小高郷騎馬会の騎馬武者として参加し、古里での暮らしを満喫した。厳しくも優しい父を娘たちは慕っていた。
 しかし、そんな日常が一変する出来事が家族を襲う。50歳ごろ、仕事の疲れなどから胃潰瘍を患った常盛さんは、地元の病院で点滴を受けた。不慣れな看護 師が点滴の処置を誤ったため、静脈に血栓ができ、左足全体にうっ血が生じた。常盛さんは車椅子での生活を余儀なくされ、仕事ができなくなった。
 キミ子さんはいい医者がいるという話を聞いては常盛さんを車に乗せて各地に車を走らせた。常盛さんは血がたまった足の一部が壊死(えし)し、皮膚の移植 手術を仙台市の病院で受けた。痛みを和らげる注射などの治療のため、片道2時間かかる仙台市への通院が10年以上続いた。
 平成4年ごろ、原町市立病院(現南相馬市立総合病院)で信頼する医師に出会い、通院負担は減った。呼吸器系の疾病を併発し、酸素ボンベが手放せなくなったものの、夫婦一緒の生活は落ち着いていた。それを襲ったのが3・11だった。

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原発事故関連死(8)過酷な避難の日々 夫奪われ...「悔しい」<福島民報(連載記事)>

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原発事故関連死(8)過酷な避難の日々 夫奪われ...「悔しい」
2012/12/06 17:13
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5694.html
▼全文転載


 藤田さん夫妻が避難した仮設住宅に今はキミ子さんだけが暮らす=南相馬市鹿島区http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/08GenpatsuKanrenshi.jpg

 

 自転車に乗った南相馬市の女性職員が「津波が来ます。避難してください」と必死で叫ぶ姿を覚えている。昨年3月11日、藤田キミ子さん(75)は小高区の自宅近くの知人宅にいた。揺れが収まると、自宅にいた夫常盛さんの元に駆け付けた。
 地震や津波で自宅に大きな被害はなかったが、東京電力福島第一原発の事故は夫妻に住み慣れた土地での余生を許さなかった。
 夫妻は13日、長女の家族と共に石川町の親戚宅に避難。3月末にいったん小高区に戻ったが、間もなく東京都町田市の市営アパートに移った。部屋はエレ ベーターのない5階建ての建物の4階。車椅子の常盛さんを抱える家族には過酷すぎる環境だった。慣れない土地で精神的に追い詰められたキミ子さんはある 日、大量の血を吐いた。急性胃潰瘍と診断され、約2週間入院した。「夫のかかりつけの南相馬市立総合病院近くに戻りたい」。昨年6月、同市鹿島区の仮設住 宅に夫婦で移った時はホッとしたはずだった。
 しかし狭い仮設住宅の生活は、体が不自由な常盛さんには耐え難かった。夜中も物音が気になって寝付けない。年を越した2月2日夜、布団に入った常盛さん は近所の物音にいら立ち、「うー、うー」と声を上げながら、何度か強く布団に足を打ち付けた。体調を崩し、病院に運ばれた常盛さんが80歳の生涯を終えた のは3日後のことだった。
 医師は常盛さんが一時的に激しく動いたため、足などの静脈にできた血栓が肺に運ばれ動脈に詰まる肺梗塞で亡くなったと、キミ子さんに説明した。
 1人で仮設に暮らすキミ子さんは、思い立つと軽トラックで小高区の自宅に向かう。床の間には船大工だった常盛さんが作った船の模型や大工道具が飾られている。さしたる破損もないのに夫の思い出が残る自宅で暮らせないのは、原発事故による放射線のためだ。
 キミ子さんは畑仕事が生きがいだった。今は直売所に自慢の野菜を並べるささやかな楽しみも奪われた。そもそも3月まで、家族にとって原発の存在は意識の外にあった。
 「車椅子生活で酸素ボンベが手放せない夫のような障害者が簡単に避難できるはずがない。悔しい。もう誰にもこんな悲しいことが起こらないでほしい」。仮設の天井を見詰め、キミ子さんは眠れない夜を過ごしている。

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