六ヶ所村の再処理工場の稼働に反対する
ウラン鉱山から天然ウランを掘り出し、それを濃縮、加工して、燃料を作り、これを原子炉で燃やしてエネルギーを取り出すのが原子力発電です。とこ ろが我が国の原子力政策はそこで終わりません。原子炉でウランを燃やすと、どうしても燃え残りが出ます。これを使用済み核燃料といいます。このウランの燃 え残りを「再処理」するとプルトニウムがとりだされます。そして、「再処理」で取り出されたプルトニウムを高速増殖炉という特別の原子炉に入れて燃やす と、理論的には投入した以上のプルトニウムが取り出され、つまり燃やした燃料以上の燃料が生産されるはずです。これを「核燃料サイクル」と呼びます。
1967年に国の原子力委員会は、この「核燃料サイクル」の実現を国策として目指していくという基本方針を打ち出しました。地下資源に恵まれない 我が国にとって、原子力発電所の燃料のウランも火力発電所の燃料の石油も海外からの輸入に頼っていることにはかわりありません。そして、1970年代のオ イルショックで石油の価格が暴騰すると、国際的なウランの価格もあっという間に跳ね上がりました。輸入したウランからプルトニウムを取り出し、そのプルト ニウムを使って発電することができれば、燃料コストを引き下げると同時に燃料の安定供給にもつながると考えられたのです。
ある時代には正しい政策も、時代が変わると合理的ではない政策になるということはよくあります。厚生年金で作った大規模保養施設グリーンピアなど がその良い例です。そして1960年代から1970年代にかけては合理的な政策だった「核燃料サイクル」もその後の環境変化によって、誤った政策になって しまいました。
1970年代には比較的埋蔵量が少ないと思われ非常に高価だったウランでしたが、2003年に発行されたハーバード大学のレポートによれば経済的 に採掘が可能なウラン資源は原子力発電が急成長しても100年分以上あるといわれています。1970年代のウラン価格に比べ、最近の価格は非常に安くなっ ていて、プルトニウムを取り出す方がよっぽどコストがかかることになりました。つまりコストや安定供給の面からは「核燃料サイクル」の必要性がなくなった のです。
もっと困ったことに、プルトニウムを燃やすための高速増殖炉とよばれる原子炉が、計画から三十年たった今も実現していないのです。ナトリウム漏れ の大事故を起こした「もんじゅ」は、この高速増殖炉の実験のための原子炉でした。三十年前に三十年後の技術と言われた核燃料サイクルは、三十年たった今、 やはり三十年後の技術なのです。
プルトニウムは危ない物質です。同じ核物質であるウランなどと比べてもその毒性は飛び抜けています。そして、プルトニウムは核兵器の原料であり、IAEAの厳重な監視下におかれています。
最近、北朝鮮がプルトニウムを使って国際社会に揺さぶりをかけていますが、北朝鮮が入手したプルトニウムの量は約5kgと言われています。それに 比べてこの三十年間、核燃料サイクルの実現を言い続けてきた我が国はずっとプルトニウムを溜め続けてきました。今や、日本が所有するプルトニウムは、38 トンを超えています。かたやキログラム、かたやトンです! IAEAは、毎年その査察予算のかなりの部分を北朝鮮ではなく日本が保有するプルトニウムを査 察するために使っているのです。
「もんじゅ」計画が頓挫して、プルトニウムを燃やすことができなくなったため、経済産業省と電力会社は、大あわてでプルトニウムをウランと混ぜて ふつうの原子炉で燃やすために「プルサーマル」という計画を立案しましたが、この計画もまだ実現していません。仮にプルサーマルの原子炉が一基稼働して も、38トンのプルトニウムを燃やすのに、35年かかり、発電コストはウラン発電の約四倍になります。
ウランの燃えかすからプルトニウムを取り出すことにコスト的なメリットもなくなり、しかも、国内にはこの危険なプルトニウムが余って処分ができなくて困っているというのに、なんと三十年前の計画に沿ってプルトニウムを取り出そうという計画が着々と進行しています。
青森県の六ヶ所村にプルトニウムを取り出すために当初予算七千億円、完成してみたら二兆円のコストで「再処理」工場が完成しました。この再処理工 場からは年間5トンのプルトニウムが生産されます。時々、日本は核兵器を作るのではないかという話が海外からありますが、疑われるのも無理ありません。
再処理工場にかかる費用は莫大です。再処理工場を計画通りに稼働させるコストは13兆円です。厚生年金で作られたグリーンピアが大きな問題になり ましたが、グリーンピアとそのほかの年金福祉施設にかかった費用をすべて合計しても、数千億円の単位でした。それに比べて、再処理工場にかかる費用がいか に大きいかよくわかると思います。
しかも、この数字には大きな疑問符がついています。この十三兆円という数字は、半年前にはもう少し高かったのです。費用負担が多いと言われること を恐れた関係者が鉛筆をなめて数字を下げて作った数字だといわれています。それを裏付けるように、工場の建設費用が当初七千億円と見積もられていたのに、 完成してみたら二兆円、つまり約三倍の誤差があったのです。この調子でいったら三十九兆円の国民負担になりかねません。
しかも、この再処理工場は稼働前からトラブルが続いています。既に確立された技術であるはずのステンレスの溶接部分ですらひび割れするという事故 が起きています。そして、この再処理工場ではジルコニウムとステンレスの異材継ぎ手という全く新しい技術が何万カ所にも使われていて、関係者ですら何も問 題が起きないとは思っていないのです。
この再処理工場は、本格的に稼働させる前に、ウランを使ったテスト、そしてプルトニウムを使ったテストを実施することになっています。今年中にで もテストを開始したいと関係者は公言しています。しかし、一度プルトニウムを使ったテストが行われてしまえば、この工場全体がプルトニウムで汚染されてし まいます。そうなってから核燃料サイクルを見直して、やっぱり再処理をやめようということにしても、核で汚染された工場を解体するためには兆の単位の莫大 な費用がかかります。
なぜ、十兆円を超える莫大なコストをかけて、当面必要のないプルトニウムを取り出すこの再処理工場を稼働させなくてはならないのでしょうか。なぜ、三十年前に立てた計画を変更し、再処理を中止することができないのでしょうか。
余っているプルトニウムのこと、六ヶ所村の再処理工場のこと、あるいはそれに伴い国民負担が少なくみても十数兆円もかかるということを初めて聞く方も多いと思います。年金問題に匹敵するようなことなのに、何でニュースで聞いた覚えがないのだろうと思いませんか。
マスコミはみんなこの問題に気がついています。しかし、新聞もテレビも報道してきませんでした。なぜならば、電力会社が莫大な広告宣伝費を使って いるからです。電力会社の広告はマスコミにとって大きな収入源になっています。だから、公に発表されるような事故でもない限り、原子力の政策に関する報 道、とくに国の政策に異を唱えるような報道はマスコミはそろって避けているのです。
経済産業省はいまだに核燃料サイクルの実現を至上の命題とした政策を遂行しようとしてあらゆる手だてを尽くし、挙げ句の果てには原子力発電の邪魔 になるような自然エネルギーを徹底的に妨害し続けてきました。(つまり太陽光発電や風力発電が増えれば、原子力発電はいらないではないかという声があがる のを恐れているのです)
与党の政治家は電力会社と経済産業省に鼻薬をかがされ、野党の政治家は電力会社の労働組合から様々な支援を受けているためにモノが言えません。
電力会社にいたっては、もっとひどい理由です。日本の原子力発電所は、それぞれの発電所の中にプールを作り、ウランを燃やした時に出る使用済み核 燃料を貯蔵しています。しかし東京電力の福島第二原子力発電所では、あと一、二年でこのプールが一杯になってしまいます。貯蔵プールが一杯になれば、それ 以上ウランを燃やすことができませんから必然的に発電所を止めなければならなくなります。福島の次は中部電力の浜岡発電所、九州電力の玄海発電所、そして 北海道電力の泊発電所と次々にこの数年間で使用済み燃料の貯蔵プールが一杯になるために発電所が止まってしまうという事態に直面しつつあります。
そこで、電力会社は六ヶ所村の再処理工場の近くに使用済み核燃料の貯蔵プールを作り、もし福島第二のプールが一杯になれば、六ヶ所村のプールに移 動しようとしているのです。 ですから電力会社にとって、再処理工場本体が動くかどうかは問題ではありません。再処理工場に付属した貯蔵プールが使えれば 良いし、使えなければ後一、二年で原発停止という事態になってしまうのです。
電力会社の中にもそれはおかしいと思っている人がいます。経済産業省の若い課長クラスにも核燃料サイクルは止めるべきだと思っている人がいます。 自民党の中にも河野太郎のように声を上げている人間はいますし、他の党にも同調する声がないわけではありません。マスコミの中にも再処理工場にまつわる取 材を綿密にやる記者もいます(ただ、異動させられました)。
でも、自民党でも野党でも、経済産業省でも電力会社でもマスコミでも真ん中に座っている人間たちは目と耳をふさいでじっとしているだけです。そして国民負担が十兆円を超えます。これって、国家規模の陰謀以外の何物でもないと思いませんか。
(ごまめの歯ぎしり第二十三号)
河野太郎公式サイト
再処理工場の稼働に反対する2
http://www.taro.org/policy/saishori2.php
★全文転載
六ヶ所村の再処理工場の稼働に反対する
六ヶ所村に使用済み核燃料の再処理工場が造られ、この工場の稼働が迫っている。
問題は、この工場の稼働が本当に必要なのかという議論が極めていい加減に行われてきたことだ。
単純に言うと、この工場の稼働を稼働させることなく凍結すれば国民負担は4兆円で済むところを、ひとたび工場を稼働させると(つまり核で工場が汚染されることになると)国民負担は十数兆円にふくれあがる。
ここでそういう計画だからと議論無しに稼働を強行すれば、年金とグリーンピアのようなことになる(つまり負担が顕在化した時に、なんであのときにそんな馬鹿なことを止めなかったのか、と)。
再処理工場とは、ウランを原発で燃やした時に出てくる使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す工場だ。
本来、プルトニウムを取り出して高速増殖炉で燃やす予定だったのが、95年のもんじゅの事故で高速増殖炉の実現が極めて難しくなり、プルトニウムを燃やすことができなくなった。
通産省はあわてて高速増殖炉に代わり、プルサーマルという敗戦処理技術(あまりメリットがない)を位置づけたが、これも計画通り進まない。
ところが再処理だけはヨーロッパに委託したり、東海村で始めたりと先行してしまった。その結果、六ヶ所村の新工場を稼働させる前でもプルトニウム がどんどん貯まり、いまや国内に38トンもある。IAEAの査察費用のかなりの部分が日本のプルトニウムのために使われている。日本国内にあるはずのプル トニウム量と実際の量の誤差(MUFという)が200kgもある。
プルトニウムは、ウランの何万倍もの発ガン性を持つ極めて危険な物質であり、わずか5kgで核爆弾ができてしまうため警備が大変で、さらにコストも非常に高いというデメリットがある。
六ヶ所村の再処理工場を稼働させると、さらにこのプルトニウムが貯まっていく。
六ヶ所村の工場本体は当初計画で8000億円のはずだったのが、建ててみたら三兆円もかかった。
しかもステンレスの溶接という確立された技術を使ったところにひび割れが発生するという問題が起きている。
六ヶ所村の工場ではジルコニウムとステンレスの配管を異材継ぎ手という新しい技術でつないでいるところが何万カ所だか何十万カ所だかある。動燃の東海村の再処理工場も当初の稼働率は無茶苦茶低かったことを考えると、六ヶ所村の工場の稼働がスムーズにいくとは思えない。
再処理した時の総費用は11兆円と言われているが、これも発表の半年前には16兆円と言われていた。
11兆円という数字は、通産省がでっちあげた原発の発電コストである5.9円よりも高すぎず(高すぎれば再処理を止めろと言われる)、ある程度高く(ある程度費用がかかることにしないと電力会社に国が補助を出せない)という観点から創られた数字なのだ。
だから、国民負担がいくらになるかやってみなければわからないというのが現実なのだ。
2005年といわれる再処理工場の稼働開始を凍結し、再処理が本当に必要なのか、コストがいくらかかるのか、ということを検証し、きちんと合理的に議論してから結論を出すべきだというのが我々の主張だ。
原子力発電が、夏場の一時期の需要期を除き必要不可欠でもないということは、去年の原発の全面運転停止でも立証された。
本来ならば、水素ベースのエネルギー路線に転換するための研究開発や自然エネルギーで本当にどこまでやれるのかという政策転換が必要なのだが、そ れを担当する経済産業省は、自然エネルギーを殺している。自然エネルギーが着実に増加すると、原子力はいらないではないかという議論になっていくことをお それている。
電力会社に対して自然エネルギーによる発電を求めたRPSという制度でも異様に低い数値設定をして、しかもその設定が前半は極端に低く、2010年以降 は現在、設定がないという新規事業者の参入を阻止するための設定になっている。このため、風力発電に関しては、日本には未来がないような状況だ(風 力発電事業者は2010年以降の需要を示せないために、そこから先の資金手当をすることができない)。
太陽光発電に関しても、ドイツが80円相当で買い入れるという法改正をして、先頭を走る日本に追いつこうとしているのに対し、日本はまったく逆を行っている。日本の太陽光発電のためのパネルメーカーも日本市場を相手にせず、ヨーロッパ、特にドイツを狙っている。
競争力のない産業を整理し、新たな産業を興すということが国策になりつつあるこの時代に経済産業という名前を持つ役所が、新規産業の有望な種を省益のために平気で殺している。
政治は何をやっているのかと言えば、自民党の電力族と経済産業省べったりの政治屋どもは民主党の電力総連の息がかかった議員どもと一緒に、電力の自由化が叫ばれているこの時代に、原子力発電は国策と位置づけようと必死になっている。
なぜ原子力を国策と位置づけたいかといえば、国策ならば国が金を出しても当然という議論ができるからだ。
つまり電力会社は原子力発電を維持しきれなくなっている。原発でウランを燃やした時に出てくる使用済み核燃料の処理ができなくなっているのだ。
電力会社の経営にとって、原発のバックエンドをどうするかは極めて大きな経営判断になる。電力会社は自分の会社が負担するよりは、血税で尻ぬぐいをしてもらいたい。
経済産業省は自分たちの政策ミスを表には出したくないし、天下りやらなんやらのおいしい蜜である原子力を維持したい(まさに厚生省の年金と同じだ)。
政治家は原発によって地元に落ちる補助金を維持したい。労組は原発による雇用を維持したい。
ババを引くのは一般納税者、高い電力を買わされる消費者、そして地球環境ということになる。
自民党の中でエネルギー問題の責任者を務めたこともある亀井善之農水大臣も、自らの著作の中で原子力はもはや国策ではない、見直しが不可欠だと訴えている。
にもかかわらず、与野党の中に暴走する議員がいる。
グリーンピアの悲劇を目の当たりにして憤慨している納税者よ、今、原子力政策の見直しを求めて立ち上がれ。
年金問題で特集を組んでいるマスコミよ、原発の問題の特集を組め。今、動けば十兆円以上の国民負担をストップできる。
電力会社、特に東京電力は、自らの都合で六ヶ所村の再処理工場を稼働させたがっている。
原子力発電所は、運転すればかならず燃やしたウランが使用済み核燃料となって出てくる。日本の原発が抱えている直近の課題は、この使用済み核燃料を貯蔵するスペースが無くなりつつあるということだ。
とくに東電の福島第二では、この使用済み核燃料の貯蔵スペースが後二年分程度しかない。日本の原発トータルで見ても、今のままならばあと七、八年で貯蔵スペースがなくなる。
そこで、2010年をめどに、青森のむつに、中間集中貯蔵施設を造ることになっている。ところが、これはあくまでも中間貯蔵であって最終的な処分 では無いということになっている。そのために、六ヶ所村の再処理工場を稼働させることにより、中間貯蔵しているものも再処理してよそへ持っていきますとい うことで、むつの施設を認めてもらっている。だから電力会社は、六ヶ所村の再処理工場を稼働させないと原発の稼働が止まってしまうので、あせっている。
しかし、再処理工場などにかかるコストを誰が負担するのかということが明確に合意されない限り、この費用は電力会社の経営の命取りになりかねない。
原子力発電所はいいことだけではない。使用済み核燃料という核のゴミがどんどん出てきているのだ。
これを処理する方法は二つある。ひとつは、ウランを燃やした時に出てくる使用済み核燃料、つまり今、原発からでている核のゴミをそのまま処分する方法。
もう一つは、再処理をしてプルトニウムを取り出す方法。再処理をしてプルトニウムを取り出すと、使用済み核燃料は高レベル放射性廃棄物と呼ばれる タチの悪いゴミに代わる。再処理をするとTRU(トランスウラニウム)と呼ばれるコバルトやストロンチウムよりも毒性が強くしかも半減期が何万年、何十万 年と非常に長い物質が出てくるのだ。
再処理を推進しようとする経産省などは、再処理をすると処分しなければならない量が減るから(1トンの使用済み核燃料を再処理すると0.7トンの 高レベル放射性廃棄物になる)、処分しやすいと主張する。これは大きな間違いだと思う。なぜならば処分すべき核のゴミは三割減るかもしれないが、TRUを 作り出してしまえばTRUそのものの量の何倍もの体積のTRUに汚染された廃棄物が生まれる。処分の難しさは重さではなく体積で決まる。だから重さは三割 減っても、処分すべき体積は何倍にもふくれあがる。
経産省の見積もりではTRUの処理に8100億円かかる。この見積もりは甘いと僕は思う。再処理工場本体の見積もりが三倍以上にふくれあがったように、このTRUの処理コストも何倍にもなると僕は考えている。
そして、この高レベル放射性廃棄物の最終処理場所は決まっていない。(六ヶ所村でたしか40年間の中間貯蔵をすることになっているが、その後どう するかは未定である。経産省はその後、数百年間にわたり、地層処分、つまり地中深く穴を掘って埋めると主張している。問題はどこに、ということだ。)
いずれにせよ、今のずさんな見積もりと国民に対する説明責任もあいまいなまま、再処理工場を稼働させ、再処理をして燃やし方も決まらない大量のプ ルトニウムを取り出して、高レベル放射性廃棄物を最終処分するか、再処理を当面凍結し、使用済み核燃料の中間貯蔵期間を伸ばす方策を考え、その間に再処理 が必要なのかどうかを検討し、コストを精査して、国民的な議論をきっちりとやるかの分かれ道に立っている。