「北の山・じろう」時事問題などの日記

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「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(4)~(6)

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「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」<BLOGOS<岡田直樹(4)~(6)

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2011年6月25日土曜日
2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
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 BLOGUSから
「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」
2011年07月02日08時31分
岡田直樹 プロフィール
京都大学大学院 人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。
専門は社会哲学・社会システム理論
旧URL
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さて、以下の論考は、chocovanillaさんのブログ【シリーズ 3月21日】による、気象学的な考察をおもに参考にさせていただきます。

国立情報学のページ「福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)」によると、3月20日、福島第一原発の周辺の風向きは、朝10時から東風、夕方には南風になり、夜の10時から12時にかけて北風に反転したということです。

ちなみに福島第一原発から日立市大沼までの距離は106km、日立市大沼で放射線量が上がり始めたのが21日3時20分なので、そのとき風速20km- 30kmで運ばれていたと仮定すると、その放射性プルームはちょうど福島第一原発を午後10時-12時に放出されたものであるということになり、ぴったり 符合します。

3月21日の午前9時の天気図は以下の通りです。

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図13 3/21 9:00の天気図



停滞前線沿いに上昇気流が発生し、放射性プルームは静岡にある低気圧の中心へと流れて停滞前線に沿って運ばれたと考えられます。

プルームは海を南下し、停滞前線に当たって進路を変えます。一部は上昇して、低気圧の中心近くで降雨し、大部分は前線に沿って移動して、柏東葛地域での雨 で、地上へと落下し ホットスポットを形成したものと考えられます。進路に関わらず前線に沿ったとすれば、雨の振り出しが関東ではほぼ同時であった為、 非常に直線的な汚染が辻褄が合うのです。(chocovanillaさんのブログより)

福島第一原発3号機炉心で起こったこと パラメータ分析



さて、3月20日から21日にかけて、福島第一原発では何が起きたのでしょうか。これだけの莫大な汚染をもたらした事故が発生したとすれば、それが公式に発表されていないということはありうるのでしょうか。

3月20日の福島第一原発の動きは、私の手元にある3月21日発表の官邸発表資料(http://www.kantei.go.jp/saigai/201103211900genpatsu.pdf 削除済み)を見れば非常によくわかります。彼らはそのとき、3号機に注視していました。抜粋します。

20日 08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている。(原子炉の通常運転中は280-290℃)

14:30 3号機に関し、原子炉格納容器内が高めで推移していることから注視。

21:30 3号機に関し、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水(約1、137トン)を実施(-21日03:58)

15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中) 16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化 18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認

事実関係だけ述べるならば、20日午前から午後まで3号機格納容器内の圧力が非常に高まり、その後圧力低下を受けて、21時半から1000トン以上の放水を行った。これは、同時期の他号機への放水が軒並み100トン以下であることを考えれば、異常な量と言えるでしょう。そして翌日午後3時に、原子炉建屋から煙が出始めました。

さて、当時のメディアでは、3号機についてどのように報道されていたでしょうか?実は、このときドライベントを行う予定でした。3月22日の毎日新聞は次のように報道しています。

3号機では20日、格納容器内の圧力が急に高まり、東電は一時、容器内の水蒸気を直接、大気中に放出する「ドライベント」と呼ばれる方法での排気を検討した。・・・3号機はその後、格納容器内の圧力が下がったため、ドライベントは見送られた。

もしその通りだとして、なぜ圧力は低下したのでしょうか?そして、本当にドライベントは見送られたのでしょうか?これが1つ目の謎です。

もうひとつの謎は、翌21日に3号機原子炉建屋から放出された煙についてです。東電は、おおむね次のように釈明していました。「煙については調査中です。 どこから出てるのかはわかりません。放射線レベルから見て、問題はないです。でも、念のため、作業をいったん中断して、作業員全員を退避させました」。そ して、私が知る限りにおいて、その点について今まで一切の説明はありません。

 

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しかし、なぜ何週間・何カ月たっても、煙の原因がわからないのでしょうか?これが火事である可能性が仮にあるのだとすれば、本来、すぐにでも消化活動を行わなければ、以後の復旧作業に差し支えるのではないでしょうか?なぜ、彼らはこの煙を放置したままでいられたのでしょうか?

実は、5月16日に東電は3号機パラメータの膨大な修正資料を提出しました(http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/11051612_level_pr_data_3u-j.pdf)。その結果、以前よりも詳細で正確な分析が可能となっています。このデータから、圧力容器内の原子炉圧力(A)をグラフ化したものがこれです。

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図14 3号機原子炉圧力(A)の動き



3月21日の未明に、著しく異常な事態が発生していることが見てとれます。具体的には、それまで0.1MPa前後を推移していたのに、 突然21日1時25分には8.968MPaを、1時45分に11.571MPaを、2時30分に10.774MPaを記録し、その後4時には0.2MPa まで下がっています。

さて、以上の数字が突出しすぎているため、細かい動きがほとんどわからなくなってしまっていることを踏まえて、もっと細かいグラフを出します。

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図15 3号機原子炉圧力(A)(B)および格納容器圧力(ゲージ圧に換算)



まず、19日未明に格納容器圧力と原子炉圧力(B)ともに大幅に下がっているのが確認できます。このときに、何が起きたのかははっきりわかりませんが、そ の後格納容器・圧力容器とも圧力が上昇したことから、両者とも健全性が保たれていると思われるため、おそらく、この時点でベントを行ったのではないかと推 測できます。実際、図16を見れば、格納容器の圧力低下とともに、格納容器内の放射線量が低下していることが確認できます。

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図16 格納容器圧力と格納容器内放射線量の比較



しかし、18日に格納容器内放射線量が54.4Sv/hから105Sv/hまで急増していること、その後おそらくはベントとともに急落し、その後上昇をする、これは何を意味しているのでしょうか?単なるメルトダウンでは、ここまでの放射線量の増減を説明することは困難ではないでしょうか。ここで再臨界が発生していた可能性を指摘することは可能かも知れません。実際、図8で示した、筑波における空気中の核種分析で見られたテルルやテクネチウム99m(半減期6時間)などは、そうした可能性を示唆しているようにも思われます。また、既出の官邸資料によれば、20日の午前8時に炉内の温度が、通常運転時よりも高い三百数十度を記録したことも、これを裏付けています。

※追記
放射線量の急激な上昇については、メルトダウンでは考えにくい、と言いましたが、必ずしもそんなことはないことを、Web上のご指摘でいただきました。たしかに、圧力容器外部に大量に溶けた燃料が落ちると、放射線量が増大する可能性はあります。

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圧力変化の分析を続けましょう。3月19日のお昼ぐらいから、圧力容器・格納容器ともに上昇を続けています。また格納容器内放射線量のデータは19日の大 部分が抜けているのですが、20日に入ったあたりから急上昇を続け、この三つのパラメータは20日午前4時にピークを迎えます。その後、圧力容器・格納容 器圧力は緩やかに下降していきますが、格納容器内放射線量はほぼ一定水準を保ったままです。このときの圧力低下が、何かしらの爆発的事象なのか、それとも ベントなのかははっきりとは判明しませんが、おそらくは何らかの形で放射性物質が漏れており、それが図1の、茨城県の20日12時前後の小さなピークと対 応していると考えられます。

その後、9-11時前後に不可解な微増減がありますが、それから15時ぐらいまで、格納容器圧力・圧力容器圧力ともに漸減していっています。このとき、原 子炉水位が上昇していることから、注水作業が行われたことが推測でき、圧陸低下はその結果だと考えると、この時点まで圧力容器・格納容器の健全性が保たれ ていたと考えるのが妥当でしょう。

その後、15時から格納容器圧力・圧力容器圧力ともに急降下しています。この前後の敷地内の放射線量はほとんど公開されていないのですが、唯一公開されている事務本館北の放射線量の数値が、14時までの2.5mSv前後から15時前後に3.3mSvまで急増したことから、このときに一度目、格納容器内の爆発など、なんらかの形で格納容器の健全性を損なう出来事があったことは想像に難くありません。そのとき、ちょうど西風が吹いており、また夕方になって南風に変わったため、20日19時以降西に110km離れた山形市でフォールアウトが発生し、また北の秋田市でも午後9時ごろ、わずかに放射線量が増大したものと考えれば、完璧につじつまがあいます。

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図17 東北地方の空間線量

 

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その後、21時半から翌21日の3時58分まで、1000トンを超える莫大な量の放水作業を、3号機に向けて行っています。そして、その放水と、原子炉圧力(A)が11.5Mpaを超える異常値が検出された時間は、完全に重なっています。これは、どのように解釈できるでしょうか?もし、この異常値が実際の圧力容器内の圧力を反映していたのだとすれば、これは明らかに異常な事態です。というのは福島第一原発の圧力容器の設計圧力は8.61MPa(=87.9kg/cm2g)なので、大幅に超過しており、圧力容器がこの時点で大破した可能性は高いと思われます。そして、圧力容器における異常な圧力上昇という事態に対処するために、東電は莫大な放水を行ったということになります

あるいは、原子炉圧力計の異常値は、放水の結果であるという可能性も全否定はできません。すなわち、圧力計になんらかの形で水が当たり、それが異常値を引 き起こした可能性です。この仮定のもとでは、この時点ですでに圧力容器が破損していたということになるでしょうし、さらに、破損していなければなぜ東電が 莫大な放水を行ったのか、説明が困難となります。しかし、この可能性は論理的には否定できないものの、あまり考えられないことです。というのは、データ採 取は放水を一時的に中断したときにしか可能ではないだろうと推測できるからです。

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図18 3号機格納容器圧力(ゲージ圧に変換)(東電修正前データで作成)



ともあれ、放水終了後も圧力は低下し続け、格納容器圧力は21日15時までにほぼ大気圧と一致し、その後6月21日現在まで、ずっと大気圧と平衡を保ちつづけています。このことから、3月20日に格納容器が完全に損壊したと断定できます。

また圧力容器内圧力も、3月21日以降ほぼ平衡を保っております。原子炉圧力計(A)と(B)の値の違いを解釈することは、非専門家である私には困難です が、その後(A)が安定して下がりつづけて(B)と一致し、現在は-0.1MPa前後で平衡を保っていることから、圧力容器も健全性を保っていないことが 見てとれます。

いずれにしても、20日15時から翌日4時までの間に、3号機で相当に異常な事象が発生したことは疑いようがありません。そして、これが、おそらくは福島第一原発最大の事故であり、20日の山形のフォールアウトと、翌21日の関東地方のフォールアウトの汚染源であったことも確実です

ただ、午後20時から翌日の1時25分までのパラメータが、5時間半にわたって完全に欠如していることが問題です。現在わかっている範囲では、午前1時 45分から4時までの原子炉圧力(A)の低下が、図12での日立市大沼の午前4時のピークをもたらしたと考えるのは、両者の距離が100km以上離れてい ることから考えると、非常に困難が伴います。むしろそれは、午前6時過ぎの二つ目のピークと対応していると考えるほうが自然でしょう。ならば、3号機から の主要な放射性物質の放出は、20日午後11時から翌0時半ぐらいまでに発生したと考えなければ、関東地方の放射性プルームの最大のピークと符合しなくな ります。ところが、何度も言いますが、ちょうど放水中のためか、その時間帯のデータが欠落しているのです。

このあたり、具体的に何が起きたのか、そして再臨界はあったのか、原子炉の専門家による分析と、(もし存在するならば)東電・政府からのさらなるデータの発表を待ちたいところです。

20-21日にかけての東電・政府の対応



3号機の異常にたいして、東電・政府はどのように対応したのでしょうか。彼らは、こうした異常事態を知らなかったのでしょうか、それとも、異常を知っていたのでしょうか。もし、当時把握していたのなら、事故を知っていて隠蔽していたことになります。

3月20日の格納容器・圧力容器圧力の上昇、そして格納容器CAMSの上昇を受けて、東電・政府がドライベントをする予定であったことは、すでに述べたと おりです。しかし、彼らの発表によれば、圧力が低下したため、ドライベントを行う必要がなくなった、とのことでした。この圧力低下がどの時点のことを意味 しているのか、定かではありません。ともあれ、私たちの分析が正しければ、3/19の未明と3/20の午前4時に、二回ベントを行っているはずです。も し、発表内容と整合性を保って理解しようとするならば、これらはドライベントではなく、ウェットベントであり、それゆえ特段の釈明を必要としないと彼らが 考えたのではないか、という推測がなりたちえます。

ところで、私たちはこの文脈で、3/20 11:30に発表された首相官邸の声明「東北、関東の方へ――雨が降っても、健康に影響はありません。」を解釈することが可能でしょう。

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この声明を読んで誰もが変だと思うのは、健康には何ら影響がないと言いながら、「雨がやんでから外出」「雨に濡れないようにする」「雨にぬれても心配はな いが・・・念のために流水でよく洗う」ことを東北・関東の国民に勧め、そうしなくても「健康に影響」は出ないと言っていることです。表面だけ読めば、言っ てることめちゃくちゃですね(笑)。この声明のメタメッセージは、「健康に被害があることは官邸としては立場上言えないけれども、できるだけ雨に当たらないようにしてください」ということのように思われます。