「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

宍倉博士(活断層・地震研究センター) の予測

はてなブログ目次 http://hatenadaiarimokuji.blogspot.com/


★古い記事ですが、「The Wall Street Journal」では、無料閲覧が出来なくなりました。捜してみると、例によって「★阿修羅♪ 」に掲載されていました。忘れないように、記録の意味で掲載します。
★以下の、それぞれの記事が示すように、今回の巨大地震(それに伴う「大津波」)は、予測できた事なのです。事実、「宍倉博士」は予測して、それを関東で講演する予定でした。講演前に、『大地震と大津波』が来てしまったのです。御用学者でない学者・研究者の主張する事を、真摯に聞くならば、多くの犠牲も原発事故も避けられた、又は犠牲を少なく少なくすることが出来た可能性があります。
東大を中心とした、地震研究はほとんど、「予算のムダ」です。
このような「在野」の研究者・学者の意見に耳を傾けるべきだと思いました。

★阿修羅♪ から全文引用
巨大津波を予測していた男−活断層・地震研究センターの宍倉博士
(投稿者 sci 日時 2011 年 4 月 11 日 12:44:15: 6WQSToHgoAVCQ)
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/900.html

http://jp.wsj.com/Japan/node_219865/?nid=NLM20110411
巨大津波を予測していた男−活断層・地震研究センターの宍倉博士

2011年 4月 11日 9:21 JST
 
 日本の太平洋岸を襲った巨大津波はほとんどすべての人々を驚かせた。しかし宍倉正展氏(41)はそれを予測していた。巨大津波到来を知って「やっぱり」と思った、と宍倉氏は言う。
イメージ Peter Landers/The Wall Street Journal

断層・地震研究センターの宍倉博士

 「想像していた通りの現象が起きた」と言う宍倉氏は、日本のカサンドラ(ギリシャ神話の予言者、信じられない凶事の予言者)になった。 

 宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県や宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。

 大昔の津波の一つは歴史にも登場している。ある史実によれば、西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。 

 そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所・活断層・地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。 

 宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。活断層・地震研究センターでは、どの地域が津波リスクがあるかを人々に理解させるため地図を配布する計画が立案されていた。3月23日には、福島県の当局者を前に研究成果を説明する予定だった。

 宍倉氏の上司で活断層・地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。  

 3月11日の大地震の際、宍倉博士の勤務する8階のオフィスでは書棚が倒れテレビが床に落ちた。同博士は一階下の臨時のスペースに移動しており、そこでインタビューに応じてくれた。

 同博士は 「間にあわなかったのが残念だ」と述べた。しかし以前、研究のため地層を掘ろうとする同博士に手を貸すどころか、「迷惑」だと言っていた地元当局者もいたことを思い出し、自らの正しさが立証され報われたとも感じていると述べた。  

 宍倉博士の研究は、古地震学という比較的新しい学問分野だ。パイオニアであるカリフォルニア工科大学教授を経て現在シンガポール地震研究所の所長を務めているケリー・シー博士は、こうした研究に携わっている少数の研究者は通常無視される運命にあると語る。同博士によれば、人は自分自身が目撃した、あるいは自分の知っている人が目撃したものを信じるようにできている。彼らは「500年に一度の出来事に対処する」ようにはできていないのだという。 

 宍倉博士は東京郊外の丘で化石を収集するのが好きな少年だった。そして高校生の時、地学が過去に関する疑問に答えてくれると悟った。 

 同博士の方法論はかなりシンプルだ。宮城県の土壌は豊かだが、その中で砂と小石の層が挟まれている。同博士は、これは幾つかの津波によって海岸から運ばれたに違いないと言う。この地層を調べた結果、同博士の研究グループは、襲来した津波が遠く3500年前までさかのぼれると推定した。

 このような巨大津波襲来の危険を自覚していれば、比較的小さな犠牲で多くの人々の生命が救われたかもしれない。宮城県と福島県の人々は大地震には慣れていたが、こうした地震は大津波を起こさなかった。だがより北の方では、1896年や1933年の地震の際に津波が襲来したことがよく知られていた。ただ、これらの津波は、主として海岸の低地を襲うにとどまった比較的弱い津波だった。

 このため、3月11日にマグニチュード9.0の大地震が起きた際、内陸にいた一部の人々は、自分たちは安全だと考えていた。着替えをしたり電話したりして時間をつぶした人もいた。高地に逃げるのではなく、津波が到来するのを見物していた人もいた。人々のこうした行動は、宍倉博士ら研究グループが昨年、この地域の地震について論文で警告した状況そのものだった。

 それは「過去にM8を超える規模の地震で3−4キロメートルも内陸まで水が押し寄せるような大津波があったことは一般にはほとんど知られていないようだ」というものだった。 

 現在、宍倉博士の研究チームは、南方海域の南海トラフに注目している。地震とともに大津波が発生して四国と紀伊半島を襲う恐れがあるからだ。宍倉博士は、この海域では大津波がどうやら400年ないし600年に一度発生しているようで、最も最近の津波は1707年だったと指摘している。

 この大ざっぱな推定は、危険が到来するのは少なくとも100年先であることを示唆している。だが、宍倉博士は「注意したほうがいい」と警告している。

記者: Peter Landers


ほっとメール@ひたち(から全文転載)
産総研宍倉博士より、地震履歴からみた震災対策をヒアリング
掲載年月日:2011年06月17日
http://blog.hitachi-net.jp/archives/51258675.html

 6月17日、井手よしひろ県議ら茨城県議会公明党議員会は、独立行政法人産業技術総合研究所産総研つくばセンターを訪れ、地質分野研究総括・山粼正和理事、地質分野研究企画室・光畑裕司室長、活断層・地震研究センターの海溝型地震履歴研究チーム・宍倉正展チーム長から、「東北地方太平洋沖地震と茨城県における地震・津波」というテーマで、研究成果の一端を伺いました。
 宍倉博士のチームは、歴史や地層を調べ、将来の防災に役立てる研究を重ねてきました。東日本大震災による、東北太平洋沿岸への巨大津波の来襲について、以前から警鐘を鳴らしてきました。
 平安時代の歴史書「日本三大実録」をひも解くと、今から1141年前の西暦869年(貞観11年)5月26日(旧暦)、陸奥の国(現在の東北地方)の地震で津波が起き、多くの犠牲者が出たことが記されています。
 その内容は、「貞観11年5月26日、陸奥国(東北地方)で大地震があった。流光、昼のごとく隠映する。しばらく人々は泣き叫び、倒れて立つこともできなかった。ある者は家屋が倒壊して圧死し、ある者は裂けた地面に埋もれた。牛馬は驚いて走り出し、あるいは足場を失った。建物の倒壊は数知れず。海は吠え、雷のやうだった。長大な驚くべき波が湧き起こり、たちまち城下に至った。海から数十百里離れたところまで、そのはてが分からないほど広大な範囲が波に襲われた。原野も道路もまったく分からなくなった。船に乗って逃げる暇もなく、山に逃げるのも難しかった。溺死者は千人ばかり。資産も苗もほとんど何一つ残らなかった」(暫定龍吟録より引用させていただきました)と記載されています。

 宍倉チームでは、2004年秋から、この「貞観地震」の痕跡を、仙台平野や石巻平野を丹念に調査しました。より広く、面的に津波の痕跡を調査すれば、当時の浸水被害の規模を復元できるとの考え方に基づいたものでした。
 「貞観津波」の痕跡を特定するためには、地層のうち、915年に噴火した十和田湖の火山灰が堆積した層より下にある砂の層を調べ、これに海由来の珪藻(藻の一種)があることで年代的に「貞観津波」の痕跡と確定していきました。
 「貞観津波」の堆積物は、北は宮城県石巻市、南は福島県浪江町請戸で見つかっています。これによって869年当時の海岸線から3〜4キロメートル内陸部にまで津波が到達したと推測されました。
 そして、この規模の津波を発生させる地震をコンピューターで計算すると、宮城県から福島県にかけた沖合の日本海溝沿いで長さ200キロメートル程度の断層が動く、マグニチュード8.3以上の地震が起きたことが推定できました。
 石巻平野と仙台平野については、今回の津波の浸水域とほぼ一致していることがわかりました。この一帯は、500〜1000年の幅でこうした巨大津波に繰り返し、襲われていることも分かりました。
過去を知れば、将来の災害規模が予測できる
参考写真 宍倉チームでは、「貞観津波」規模の地震と津波は「いつ起きてもおかしくない」との研究をまとめ、学会やマスコミに積極的にその成果を発表してきました。今年に入って、地域住民への啓発のため、「貞観津波」など過去の津波による浸水被害を1枚の地図に記したものを無料配布したりしました。
 宍倉チームの研究に基づいて、国の地震調査研究推進本部は、今年4月に、三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価を発表する予定でした。3月23日には福島県庁に赴き、福島県沖で予想される津波の評価を説明に行くことにしていたところの、東日本大震災が3月11日に発生しました。
 震災後の4月下旬には、宮城県石巻市から山元町で、今回の大津波による堆積物の調査を行いました。今回の津波の痕跡を調べれば、津波で運ばれた堆積物よりも海水はさらに1〜2キロメートル内陸に進出していることが分かりました。このことを詳しく調査すれば、津波による浸水被害の予測の精度を高められます。
 茨城県沖の地震に関しては、1677年延宝地震がよく知られています。最大で5〜6メートルの津波が茨城を襲ったと推計されています。茨城県の津波ハザードマップも延宝地震を想定した浸水計算に基づいて作成されていますが、実は、この地震の研究はあまり進んでおらず、その履歴はよく分かっていません。
 2010年に行った日立市十王町伊師の調査では、海岸から500メートル以上離れた場所で、3層の堆積物が発見されています。一番古い層が貞観津波、一番新しい層が延宝津波と考えることも出来ますが、700年から500年前に大きな津波があったとことも推測されます。
 いずれにせよ、詳細な地質調査により延宝津波の実態やさらに過去の最大規模津波の状況を捜す必要があります。
「千年に一度」の震災対策が必要
 今回のような長い時間のスケールで起こる巨大津波の対策はこれまで行われてこなかった。地震や津波の痕跡を調査し、その原因となった地震の大きささや、発生の頻度を総合的にシミュレーションしているのは、世界的に持ても産総研の研究チーム以外にはありません。
 歴史資料を詳しく見るとともに、文献以前の災害の履歴について数千年レベルまで地層を調査すれば、災害の最大規模を知ることができます。500年、1000年に1回、起こりうる津波を前提にした防災対策が、ぜひ必要です。特に原子力発電所の安全対策は最大規模の津波にも備えなければならないのは自明の理です。
 その半面、津波を巨大な防潮堤などの構造物で防ぐというのは、実は困難です。学校など住民の命に関わる施設は、過去最大規模の津波の浸水域から免れる高台に作るか、容易に避難できる構造にすることが重要です。人命だけは何があっても守られるよう、避難する場所や経路の整備と訓練、ハザードマップ作成などソフト面での対策が、本当は最も重要です。
 説明のまとめとして宍塚博士は、「地質学では“過去は未来を測る鍵”“現在は過去を解く鍵”といわれています。今回の大震災に伴う現象を正確に捉えて、過去の現象の復元に役立てる。そして、過去数千年まで遡り、あらゆる自然の痕跡を広範囲に、高密度に逃さず読み取る研究が重要です」と語りました。
 東日本大震災の巨大津波については、専門家までもが「想定外」という言葉を良く使います。しかし、過去の災害史や地層を調べれば、それは「想定外」の現象ではありませんでした。私たちが「想定しようとしなかった」ことを、深く反省すべきだと強く思いました。


Open ブログ (から全文転載)
◆ 科学の限界(その認識)
2011年08月17日
http://openblog.meblog.biz/article/5495321.html

 今回の大地震の前に、地震学者は何をしていたか? 「大地震は起こらない」と予測していた。その過小な予測が、かえって被害を深めた。むしろ「わからない」と語るべきだったのだが。……科学者は、科学の限界を理解することが必要だ。

 ──
 
 科学者はおのれへの過信がある。それが本項のテーマだ。

 今回の大地震では、地震学者の予測は大ハズレだった。以下では、朝日新聞 2011-08-17 (紙の新聞のみ)から引用しよう。

 政府の地震調査委員会は、30年以内に宮城県沖で M7.5程度の地震が99%の確率で発生すると予測していた。M9の地震発生は、想定外だった。
 近年、地震の研究は「短期予知」から「長期予測」へと重点が移され、「いつ」かはわからなくても、「どこで」「どんな」地震が起こるかについては、わかってきたと考えられていた。特に宮城県沖は、研究が進んでいる場所とされてきた。
 それだけに、「想定外の巨大地震」は研究者に大きな衝撃を与えた。

 さらに、日本地震学会の平原和朗・会長へのインタビューから引用しよう。

 「今の地震学であらゆる地震の起こり方を想定することは難しい。何が起こるかわからないということを今回、学んだ」
 「言い訳はたくさんあるが、想定外としか言えなかったことは、敗北だ。喪失感にとらわれた」
 「なぜ間違ったのか、問題点を洗い直す委員会を日本地震学会は立ち上げて、検討している」
 「これまでは、解析データの範囲でわかった確実なことだけを、社会に対して発信してきた。今後は、データの解釈によっては、もっと大きな地震が起こる可能性があるから、防災対応を考えてください、ということになる。情報の伝え方も重要。科学者はわかったことだけ発表すればいいと考え、伝え方の訓練もしてこなかった」

 ここには、重要な点がある。

 ──

 地震学者の問題は、何だったか? そこには、科学への過信があった。「科学は真実を解明できる」と考えて、「解明されていないものは真実ではない」と思い込んだ。そのせいで、「解明されたことだけを伝えればいい。解明されていないこと(≒ あやふやなこと)は、伝えるべきではない」と考えた。
 しかしそれはおのれへの自惚れだったのだ。「科学は真実を解明できる」ということはない。むしろ、「解明されていない真実」がたくさんある。だから、「解明されたことだけを伝えれば、解明されていない真実が取りこぼされてしまう」……こういう形で、地震学では捉えきれなかった巨大地震を、まんまと見過ごしてしまった。
 そこにはおのれへの過信があった。「地震学は科学であり、地震学は心理を解明できる」という過信が。もしその過信がなかったなら、おのれの無知を理解できていただろう。そして、おのれの無知を補うために、他の分野(地震学以外)の学者の教えを請うただろう。そうすれば、次の事実を知ったはずだ。

 (1) 統計学
 マグニチュード 8.4程度の地震は、ほぼ百年おきに何度も起こってきた。今回の地震も、そのうちの一つにすぎない。(今回の地震は、モーメントマグニチュードでは M9 だが、従来と同じ尺度の気象庁マグニチュードでは、M8.4 だから、今回の地震は、百年に1回という普通の地震である。津波が大きかったのは、特別な理由があるだろうが、地震そのものは、十分に予想された規模であった。)

 (2) 地質学
 地質学者は、今回の大地震を前もって警告していた。

 日本の太平洋岸を襲った巨大津波はほとんどすべての人々を驚かせた。しかし宍倉正展氏(41)はそれを予測していた。巨大津波到来を知って「やっぱり」と思った、と宍倉氏は言う。
 宍倉博士は古い地層を研究した結果、450年ないし800年ごとに太平洋のプレートが衝突して巨大津波が発生し、福島県や宮城県の現在の仙台市周辺を荒廃させてきたと確信した。
 大昔の津波の一つは歴史にも登場している。ある史実によれば、西暦869年の貞観地震に伴い発生した津波は死者1000人を出したとされる。宍倉博士は、同じ地域で後年もう一つの津波が発生した有力な痕跡を発見した。恐らく西暦1300年と1500年の間に発生した津波だ。 
 そこで宍倉博士と同僚らは2010年8月、論文を発表し、「近い将来に再び(同様の津波が)起きる可能性を否定できない」と警告した。この論文は同氏の勤務する独立行政法人産業技術総合研究所・活断層・地震研究センター(つくば市)の発行する機関誌に掲載された。 
 宍倉博士はこれを警告するための広報活動を始めていた。
 宍倉氏の上司で活断層・地震研究センター長の岡村行信博士は09年、福島原発の安全性を討議する公式委員会の席上、この研究結果に言及していた。岡村博士によれば、津波対策強化の考え方は実行に移されなかったという。  
 3月11日の大地震の際、宍倉博士の勤務する8階のオフィスでは書棚が倒れテレビが床に落ちた。同博士は一階下の臨時のスペースに移動しており、そこでインタビューに応じてくれた。
 同博士は 「間にあわなかったのが残念だ」と述べた。しかし以前、研究のため地層を掘ろうとする同博士に手を貸すどころか、「迷惑」だと言っていた地元当局者もいたことを思い出し、自らの正しさが立証され報われたとも感じていると述べた。  
 宍倉博士の研究は、古地震学という比較的新しい学問分野だ。パイオニアであるカリフォルニア工科大学教授を経て現在シンガポール地震研究所の所長を務めているケリー・シー博士は、こうした研究に携わっている少数の研究者は通常無視される運命にあると語る。同博士によれば、人は自分自身が目撃した、あるいは自分の知っている人が目撃したものを信じるようにできている。彼らは「500年に一度の出来事に対処する」ようにはできていないのだという。
( → WSJ

 この記事は、WSJ の英文記事の翻訳だ。こういう情報を日本のマスコミが流すことは少ない。日本のマスコミは体制派べったりだからだ。
 しかし、日本地震学会が無視したところに、物事の真実はあった。それを理解していれば福島原発の問題も起こらなかっただろう。たとえば、「福島原発は津波によって水没する危険がある」という予想を日本地震学会が声明していたら、日本は原発事故から免れていただろう。
 しかし現実にあったのは、そうではなかった。「マイナーな地質学者の見解なんか無視してしまえ」ということであった。それというのも、「自分たち地震学会こそが専門家の集団なのであり、自分たちこそが真実をつかんでいるのだ。それに反する見解を出すやつは、トンデモだ」とでも思っていたのだろう。
 そして、そういう驕(おご)りのあとで、津波がすべてをひっくり返した。

 ──

 科学というものは、決して万能ではない。科学が語れるのは、規則的な現象だけである。地震のように「百年か数百年に一度」という現象は、規則性が弱い。また、気象のような現象は、規則性が弱い。さらに言えば、人間心理というものは、規則性が非常に弱い。
 だから、これらの現象を科学で扱うにしても、科学には限界がある。とすれば、われわれがなすべきことは、「科学には限界がある」と認識することだ。それこそが大切なことだ。

 しかるに、現実には、そういう態度は取られにくい。逆に、「科学はすべてを解明する」と自惚れたあげく、「科学で解明されていないことを語るやつはトンデモだ!」と語る傾向が強い。
 そして、そういう傾向から、今回のような「巨大地震の無視」が起こった。そのせいで、福島の原発事故が起こってしまった。
 今回の福島の原発事故は、人間の(というより科学者の)驕りが根本原因にある。「地震のことはすべて科学で解明されている。解明されていないことを語るやつはトンデモだ」とか、「原発は 科学で十分に制御できる。制御できないと言うやつはトンデモだ」とか、そういうふうに他人を非難した。
 そういう「科学への過信」ないし「自己への驕り」が、巨大な事故を招いて、科学者の頭に津波という冷や水を浴びせたのである。

 ──

 じゃ、どうすればいいか? 
 わからないことについては、「わからない」と語ればいい。「この世には科学では解明できないことがたくさんあります」というふうに、科学の限界を理解すればいい。
 現在の科学水準に比べれば、50年前の科学水準はずっと低い。そこではコンピュータさえもろくにない。
 逆に言えば、50年後の科学水準に比べれば、現在の科学水準はずっと低い。未来の科学者から見れば、「ろくにになにもわかっていないくせに」と馬鹿にされる水準だ。
 にもかかわらず、自分の知ったことばかりを見て、自分の知らないことを見ようとしないのが、たいていの科学者だ。
 「無知の知
 という賢さがないという点では、ソクラテスの時代と比べても、今の科学者はほとんど進歩していない。2000年前の哲学者の水準にすら達していない、と言える。
 だから、せめて、「科学では理解できないことがある」ということがぐらいは、わきまえるべきだ。

 悲劇ハムレットの言葉に、次の台詞がある。
 「おお、ホレーショ。天と地の間には、哲学には思いも及ばぬほど多くのものがあるのだよ」

 この「哲学」を「科学」に置き換えるといい。
 

 [ 余談 ]
 それでも現実には、たいていの科学者は愚かだ。「科学では何でも解明できる」という驕りが強い。その驕りの具体的な例は、次項で示す予定。
( ※ トンデモマニアが大好きな話題。蜜に群がるアリのように群がりそうだ。)
  

 【 関連サイト 】

  → 西暦869年の貞観地震・津波について (PDF)
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/ul/EVENT/201103_Tohoku_DanwaDrSatake_Jogan.pdf