「北の山・じろう」時事問題などの日記

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みんな楽しくHappy♡がいい♪ から全文転載 「Inside the Meltdown 」BBC放送 福島第一原発事故の詳細なドキュメントです(一部内容書き出し)

★以前、紹介したBBCドキュメンタリーの書き出しです。BBCは、これだけのドキュメンタリーを作れるのに、日本のテレビは、何故???と、つい思ってしまいます。このように、内容を書き起こすご苦労に、感謝いたします。


みんな楽しくHappy♡がいい♪ から全文転載
「Inside the Meltdown 」BBC放送 福島第一原発事故の詳細なドキュメントです(一部内容書き出し)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1572.html

TouTube動画
BBC This World 2012 Inside the Meltdown 576p HDTV x264 AAC MVGroup org
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=IwBELPtVUCA
DollarFall さんが 2012/02/27 にアップロード
go to http://geraldcelentechannel.blogspot.com for details

(以下、本文)
福島第一原発事故を時系列で追いかけていくドキュメントです。
綿密な取材と、日本では放送されていないような映像もありました。
二人の作業員の方、津波でご家族を亡くされた方、
津波を海上で体験した漁師の方
事故の時に子供を身ごもっていた方、
東電職員、菅元総理、
作業に行った時に3号機が爆発した自衛隊の方
ヘリコプターで空から水を撒いた自衛隊の方
夜中に放水をした消防庁の方、

ぜひご覧ください。
続きを読むに日本語の部分を書き出しました。



Inside the Meltdown


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2011年3月11日

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作業員A
比較的仕事がスムーズに進んでいた日でした。
それまで1週間、2週間と大きな地震が続いていて、
我々はそのうち、非常に大きな地震が来るんじゃないかというような冗談を言っていました。
そしてその冗談は現実になってしまいました。
壁に付けられていたパイプがずれて、
そしてそれを固定しているものから外れているのを見ました。

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タカハシ:
ずーっと地震が長くなって、どんどん大きくなっていきますから
それでちょっと普通じゃないなと私は思いました。

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ムラカミユキオ:
膝を突いたような状態で手すりにつかまっていた状態。
で、停電が始まって、


タカハシ:
私はプラントは心配していませんでした。
原子力は安全だと思っていましたから。
発電所は結果的にはそうですね、安全ではなかったですね。

pm3時15分
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ここの浜は地震が来ると津波が来ると昔から言われているものですから、
港にある自分の船に行って、沖に船を出しにいきました。
我々は、まっすぐ東からきた波を3枚、通り抜けたけれど15メートル位あったなぁ
もう、こんな感じ(すごく高い)だった。
こんな感じで、それ(波)を結局3つやり過ごした。
ただ、後ろの方にも変な波があったから、
ちょっと、「何かがあったな」というのはあった。
何かが、悪さしたのかなと。

ムラカミユキオ:
ここはびちゃびちゃに壊れていて、
すごい事だなという事だけはその時点で感じ取れました。
その他、引いていった波に乗っていった車なり、物置き的な建物なり、
後は5000キロリットルの重油タンクなりが海に持っていかれて、
それが、どんどん沈んでいくのが後景に入っていました。

タカハシ:
非常用ディーゼル装置が、
発電用の装置がやられたとか、
そういったのを聞いた時には、ま「あり得ない」っていうか、ビックリしましたね。

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コモリアキオ 東京電力
今までの我々が考えていた部分を、かなり超えた領域に入っていますので
対応そのものが、あるいは対策を取るという事についてはかなり限定された手段になるだろうということは
かなり直感しました。

pm5時
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菅元総理
大変深刻なことになって、非常に強い危機感を、その報告を受けた時に持ちました。
地震と津波それ自体も大変な被害でしたし、
さらにそれに原発事故が重なりましたから、
そのままにしておくとですね、水が無くなってメルトダウンすると、
そういう事は分かっていましたので、非常に背筋が寒くなるような気がしました。


pm5時半
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キムラノリオ:
沢山の大熊の町民が集まっていて、
とにかくそこでの第一声が3人(父と妻と娘)がいないという事だったので、
うーん、もう、寒くなるようなあれだったですね、すーっと血の気が引くっていうかね。

津波でやられているっていう気持ちにはならないというか、なれないっていうか、
それから、こんどは瓦礫の中、うちの敷地の中だけじゃなくて、部落をずーっと見て回って、

pm11時半
菅:
点いたというニュースが入った時、これで当然つながってですね、
動き出すものだと思って、ちょっと、一瞬ホッとしました。


ムラカミユキオ:
電源装置が全然、水没状態になっていたんですよ。水の中に。
誰もアクセスできないですよ。

タカハシ:
電源を復旧するにあたって、各自のマイカーですとか、公有車ですとか、
そういった車で来られる方の「バッテリーの提供をしてもらえませんか」ということを
事務所の中でもやっていました。

ムラカミユキオ:
圧力なんかどんどん、どんどん上がっていく訳ですよ。
そのころから、まわりは「やないんじゃないの?」「ヤバイんじゃない?これ」


am1時 二日目
菅:
そのまま放置すると格納容器が圧力で壊れてしまうと、
万一壊れると大量の放射能が一気に大気中に出ますから、

全員が、これはベントをやらざるを得ないと。
ベントをやりましょうという事で、「じゃぁ分かりましたやって下さい」と、こういったんです。

ムラカミユキオ:
ベント弁は基本的にモーター弁でMO弁になります。
MO弁ですので電源がなければ普通は開きません。
手動でも開くんですけれども、かなりの動力がいる弁です。

タカハシ:
(放射線の)数値が表示されていることに通常はあり得ない事なので
それもプラントの中ではなく事務所の中ですから。
もう、最悪の状態だと思いました。

ムラカミユキオ:
燃料もある程度溶け始まってきているなというのも、想定していました。
マスクなり、装備は持っていましたんで、
下から持ってきて、隠して足元に置いておいて、
いつでも逃げられる体制を作れるように、もう、しました。

am6時 二日目
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菅:
全員がベントをやるべきだと言いながら、なぜベントが進まないのか、
理由が説明できない訳ですね。
それは東電本店が間に入っているものですから、理由が伝言ゲームで伝わってこない訳です。

ムラカミユキオ:
菅さんは怒っていたと思いますけど、
菅総理が「国が指示出しているのに、何やっているんだ東電は」
必死になって対応しようとしたけどMO弁が開かなかったっていうのが裏にあって、
簡単には開かなかった。
一生懸命やろうとしているんだけど、追いつかなかっただけなんですよね。

菅:
(吉田所長は)分かりましたと。図面を出してこう言っていました。
私としては大変重い決断でありました。
しかし、そうすべきだと思ってそうしました。

キムラノリオ:
明るくなってきて、
その間ずーっと住宅周辺と部落周辺を探して歩いて、
うちの部落の区長さんがきてくれて、
「もう原発がダメだから、離れなきゃダメだ」って説得されて、
残っている人の方が・・・・・・・うん・・・・大事だからって言われて、
そこで、もう…なんていうんですかね、気持ちが切り替わったですね。
あの、むすめ、残った娘(姉のほう)をね、守んなきゃならないっていう事で、
うん・・・・

ムラカミユキオ:
被ばくするのを覚悟で、覚悟でいった人間がいるんですよ
その環境というのは、普通の人間が作業するような環境では全く無いという事は
現場はそうです。
温度は40何度あるし、で、周りは真っ暗で、水蒸気が溜まっているような状態で、
どうせ線量も高いじゃないですか
私だったらなかなか行けないですね。
相当の勇気と覚悟で、彼らは(ベントに)行ったんだろうなというふうに想定します。
自分の命もかかっている事だし、

pm2時 二日目
bbc21.jpg
ベント成功

タカハシ:
ホッとしましたし、早く原子炉の方が安定をして、
早く、早く出して下さいという、事だけだったですかね。

ムラカミユキオ:
ケツが30センチぐらいドンッ!て浮いたんですよ。
誰も分からなかったです。なんなんだ?地震かな?余震かな?

タカハシ:
余震のような感じでいたんですが、
地響きのような大きな音がドドドドッ!ってきたので、
ドーンッ!っていきましたから、

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ムラカミユキオ:
吉田所長が「これって、1号機爆発したんじゃねぇか?」
で、それからみんな大慌てになって、
逃げようかって、多分思った人はいっぱい居たと思います。
ただし、逃げる手段がなかったんです、もう。
足がないし、走って逃げたら被ばくするし。

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吉田:
どういう状況で爆発したのかが、この免震棟では分かりませんから
現場からいろいろと、怪我した人間が返ってくるという状況の中で、
最悪で格納器が爆発しているという事になりますと、色々と放射能が出てくるという事になって、
そこに、コントロールが不能になってという事がありまして、
これで終わりかなという感じがしました。

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枝野:
爆発前からの放射性物質の外部からの出方、状況には大きな変化はない。
是非冷静に対応をしていただきたい。
格納容器自体の損傷が認められないという事でございます。
そういうことであります。

菅:
そこに至るまでに於いて、どこまでこの事故が拡大するのかという事を
考えたり、いろんな、その人に一種のシュミレーションをしてもらっていました。
で、最悪のケースはですね、200キロ、250キロという範囲で、
300キロという範囲まで逃げなければならない。
そうなると首都圏が全部機能マヒする。
という事は事実上日本がですね機能マヒしかねないと、

キムラノリオ:
自分の中には、ここにいちゃきっとまずいなという気持ちもあって、
その間に、最近ちょっと話が出ていましたけどヨウ素剤を村の方で配ってくれて、
で、娘に飲ませて、上の娘を安全なところまで運ばなければならない、
それだけだったですね、もう、その時には。
出来るだけ原発から離れたかった。

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ヒグチノゾミ:
危ないって、もし仮にそれを発表してくれていたら、絶対別の方向に逃げていたと思うので、
小さい子どもを持つ親としては、やっぱり凄く怒りを感じます。
私はその当時妊娠していたので、
上の子二人ももちろんですし、お腹の子も心配だったので、
とにかく安全なところに行きたいというのが、それが一番で、もう、必死でしたね。

菅:
わたくしとか、あるいは官房長官に、保安院から
「SPEEDI によればこういう結果が出ているから、
逃げる避難の事についてはこれを参考にこうしたほうがいいです」と言うような説明は一切ありませんでした。

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生まれた時は本当に感動しましたね
「おお!やったぞ」って
とりあえず手の数数えて、足の指の数も数えて
「ああ、5本5本で10本。両方10本ちゃんとあるなって」

am8時 4日目


イワクマシンジ
どうすればその仕事が早くできて、早く帰れるかという事をその時は一生懸命判断していました。
緊張はいたしました。
大変、やっぱり緊張を、我々は放射線が漏れている汚染地域に入るのは、
じつは、想定した訓練はしているんですけれども、実際に入るのは初めてです
で、まさにこれからホースを接続するために車から降りようとした時に、爆発。

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実は、ジープの上というのはキャビンの布で出来ているので、
それを破るように大きなコンクリートの塊が落ちてきて、

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爆風で、接合部分からは中に放射性物質が入りましたね。
警報も付けていたんですが、それはもう、ずっと鳴りっぱなしという状況でした。
少しでも早く危険なところから離れるという事で、何十重にも運が良かった事が重なりましたね。
本当にラッキーでした。
もう、ラッキー以外、何ものでもなかったと思います。

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pm3時 4日目
タカハシ:
対策本部の中での、3号機が爆発した後は
社員の方でも、「もう終わりだな」というふうに、声は小さかったですけど、そう言われる方もいましたし、
「早く逃げなきゃ」とか、「終わりだな」というのはありましたし、

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東電 コモリアキオ:
ブラントの状況によっては、一部保安をしっかりと守るという人を除いて退避を検討すると
そういう可能性が出てくるだろうと、
そういうことで検討するという話を国の方にはお伝えしております、

菅:
私自身は撤退はあり得ないともともと思っておりました。
つまり、撤退するという事は、6つの原子炉と7つの使用済み燃料のプールを、いわば、放棄すると。
放棄したらどうなるかというと、全部がメルトダウンしてですね、
まさにチェルノブイリの何十倍という放射性物質がまき散らされることになると、

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ムラカミユキオ:
吉田所長は「これから避難を始めたいと思います」と。
で、その時点で吉田さんは覚悟を決めていた。
彼はそこで死ぬつもりだったんだろうけれども、
とりあえず250人を殺すわけにはいかないんで、
で、「帰ってくる」と。
「もう、ここまでやったんだからしょうがない」と。
「これ以上はもう、手段も何もないから」
「帰ってくれ」と。

タカハシ:
発言的にはちょっとあんまりよくないのかもしれないけれど、
私はもう、ホッとしました。
早く出たい

am5時半 5日目
吉田所長が東京に来た

菅:
大変な状況だけども、とにかくここは頑張ってくれと
とにかく放棄なんかできないんだと。
まさに日本の運命がかかっているんだと。
60歳を超えた人達をね、場合によったらそういう人たちが
先頭切ってでもね、多少危険なところにでもやるぐらいの事を作れという事を
かなり強い調子で言いました。

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あり得ないと。
いわば日本がですね、見えない敵に
なんていうか、日本の領土をですね、譲り渡すみたいなもので、
もっといえば、それで、起きる影響は日本だけではなくて世界に影響を及ぼしますから。

ムラカミユキオ:
放射線量がべらぼうに高いですから、
さぁどうしましょうか?
無人君になっちゃう
無人君になっちゃいました。
さあ、どうしましょう。

am9時40分 7日目
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ヤマオカヨシユキ
朝に、エンジンかける直前に、妻に電話して、
妻がやはり、「誰かが行かなきゃならないんだったら、一生懸命頑張ってきてくれ」と
「ご幸運を願います」ということで、妻も応援してくれました。
そのとき、妻も泣きながらで、・・・私も少し泣きそうになりましたけれども、

その時はさすがにちょっと、
「来たな―」と、
「いよいよ来たぞ」という、こう、背筋がゾーッとするような感じにはなりましたけど、
私は、線量計を持って、ずーっと飛行感はゼロだったですね。
原発につくまではほぼゼロでした。
ところが、直上に言った途端に、ワッ!っと
線量計がワッ!と反応して、ドッと上がっていったという、

絵は忘れられないです。
骨組が、建物の骨組みが見えていて、
壁があっちこっちに散らばっていて、・・・すごい・・・・

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風に水が押し負けて行って、曲がっていってしまいまして、
その状態で水を撒いた。

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湯気が見えましたので、「入ってくれたんだな」というのは分かりました。
「やってやったぞ」と
「やったぞ」と
はい、みんなのためにやったんだという気持ちになれました。

pm11時 8日目

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カマナカオサミ:
全隊員がさんしょうしてきまして、
まず、40歳以上、放射能という事で40歳以上の、これから子どもを作るとか、
そういう予定の無いものを選びました。
私は家族とは話はしていません。
もう、何時でも、そういう時にはそういう現場に行くと、教育してありますんで。


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トミオカトヨヒコ
ただしその放射線量ですか、それが高い低い、
隊員がどういう活動をするか、精神的な面とかも色々と考えましたけれども、
もう、隊員に託すしかなかったので、ですね、
もう本当に、祈るような思いで待っていました。

カマナカオサミ:
福島第一原発についた時には、すごく静かな状況で風もなく
異様な静けさでありました。
まず、目に入ってきたのが、津波で流された色々な漂流物。
それから、道路が激しく歪んで、穴が開いているところもありました。
ここで自分たちがこれから1時間以内にミッションを成功させなきゃならないという、不安もありました。

ー現在400マイクロ
ー400マイクロ問題無し
ーその真ん中より左側にマンホール、ぽっかり穴があります。
ーマンホール?左側?
ー真ん中より左側
ーストップ!ホースがこちらで束ねてあるから
ーいま70ミリシーベルトパーアワー。
ー100ミリシーベルト

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カマナカオサミ:
あ、いい水が出ているとの無線が入りまして、
「やった」と。
これで、任務は完了出来たのかと、
後はいち早くその場所から逃げ出したいと、
マイクロバスにみんな走るように。

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カマナカオサミ:
(いえに)帰ってきて怒られましたけれど、
「どこに行ったの?」という話で、
「電話一本欲しかったよ」ていうような話しですね。


9日目

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日本の将来を背負って、そこで戦わなくてはいけない。
つまり、日の丸を背負ってこれから先あの発電所で戦わなくてはいけないと思ったわけです。

線量計は3月の時点では付けていないですね。
どこが高いとか、そういう線量が高いという話は、東電の方からは直接話がされていないですね。

その時はやっぱり、急いでいる作業、緊急作業だったので、
全員文句は言わないで、みんな分かっているんで
その辺はしちゃいけない作業でも黙々と。


ムラカミユキオ:
割に表情もにこやかになってきたし、
怒り口調の人間がいなくなってきた。
上に立つ立場の人間は落ち着けるような言い方もしてたし。



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菅:
それまではですね、どんどん見えない敵に押されてですね
そこからやっと体制が整って、反転が始まった。
世界中がですね、1000機、2000機、3000機という原発を持った時に、
世界にとって本当に安心な世界だと言えるだろうかと。

それ以上にならなかったのは、神のおぼしめしというのか、ということだったと。
本当に紙一重の場面が最初の1週間だったと思います。


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キムラノリオさんは父と妻と下の娘を津波で亡くした。
4カ月後福島に帰ってきた。


あなたたちが突然いなくなって4カ月が過ぎ、
どうしてこんなことになったのか、色々と考えてきました。
いつかまた、ここに戻って、あなた達を奪った海を眺めながら、生活したいものです。
次が何時になるかは全く分かりませんが、必ず戻ってきます。
遺族代表きむらのりお

★字数オーバーのため、写真数点を省略しました。