「北の山・じろう」時事問題などの日記

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【社説】2012年7月26日 「水俣病」期限 救済に終わりはない{中日新聞 CHUNICHI W

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【社説】2012年7月26日
水俣病」期限 救済に終わりはない
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012072602000080.html
(全文引用)

 水俣病の正体は、まだよく分かっていない。居住地や生年での線引きは不可能だ。その上救済期限を切って幕引きを図るなど、許されることではない。実像が分かるまで、水俣病に終わりはない。

 多くの潜在患者が今も、手足のしびれや痛みを感じないなどの障害に苦しんでいる。にもかかわらず、政府はどこかで線を引き、幕を下ろしたがっている。原因企業の立場に立って、損害賠償を小さく抑えたがっているようだ。

 一九七七年に改定された国の水俣病の認定基準は厳格だ。そのため、認定から漏れた人たちが救済を求める訴訟が相次いだ。

 そこで、当時の村山内閣が考え出したのが、九五年の“政治決着”だ。水俣病患者とは認めない。だが被害者として一時金などを支給する。このような、その場しのぎの提案を受け入れて、多くの患者が訴訟を取り下げた。

 ところが二〇〇四年、一つだけ残った関西訴訟で、最高裁がより緩やかな認定基準を示したため、再び多くの患者が名乗りを上げた。そこで政府は〇九 年、水俣病特別措置法を成立させた。またしても新たな患者は認めずに、一時金などを支給して“第二の政治決着”を図ろうとしたのである。その期限が今月末 に迫っている。

 有機水銀を含む魚を食べて水俣病を発症した人たちは、「奇病」という風評被害を逃れて故郷を離れ、子女のため名乗り出るのをためらった。自身が水俣病であることを知らない人も少なくない。

 特措法は「救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること」という。それでいて、十分な健康調査もせずに、生まれた場所や年でばっさり線を引く。

 対象地域外や原因企業のチッソが排水を止めた一九六九年十二月以降に生まれた人が救済を受けるには、当時汚染魚を大量に口にしたことや、母親のへその緒が汚染されていることなどを自身で証明する必要がある。むちゃだ。

 被害者団体などが六月に実施した千四百人規模の検診でも、対象外の若年層の八割以上に水俣病の症状が表れていたのに、だ。

 水俣病は、富国強兵、高度経済成長という国策のいわば落とし子だ。なのに、政府の対策には、欺瞞(ぎまん)や不誠実がつきまとう。このような決着は、福島原発事故の被害者をも不安にさせるに違いない。

 救済を受けるべき人がすべて救済されるまで、水俣病対策に時間切れなどありえない。


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