「北の山・じろう」時事問題などの日記

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特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 哲学者・内山節さん{毎日新聞}

毎日新聞
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特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 哲学者・内山節さん
毎日新聞 2012年07月06日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20120706dde012040004000c.html
(全文引用)

(1)

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇文学的に生きればいい−−内山節さん(62)

 「(東京電力)福島第1原発事故は周辺地域の時間を止め、未来をまるごと奪った。そんな権限は誰にもな いでしょう」。哲学者の内山節さんは、東大正門前のなじみの喫茶店「こゝろ」の2階席で、ゆっくりと語り始めた。「人間だけでなく自然も被ばくした。 木々、魚介類。犬や牛は放置され、うろついた」。胸が詰まったのか、数秒の間を置いて続けた。「人間は文明をつくって自然を圧迫してきたが、木を切られて も動物は隣の森に移動できた。原発事故は、その余裕さえ与えなかった。僕らは自然にわびる気持ちを持ちながら、人の行く末を考えなければならない」

 地域や共同体、自然と人間といった視点から独自の思想を説いてきた哲学者は、震災前から一貫して原発の廃止を主張してきた。「ただ危険だから、というのではありません。こんなひどい事態を招く原発を生んだ現代社会自体を変えなければいけないと思っているからです」

(2)

 それは、「いろんなものが自分たちの世界から遠ざけられて存在しているため、見えなくなっている」社会だ。電気は身近でも、原発の姿は東京からお ぼろげで、事故が直ちに暮らしに影響するという感覚はなかった。テレビやパソコンも身近だが、ものづくりの現場は遠い。経済を大きく回そうとするほど、シ ステムは複雑・巨大化する。その揚げ句、リスクの実態が伝わりにくい「原発」的なものが、この世に満ちた。

 今回の原発事故が浮き彫りにしたのは、自ら制御も判断もできない巨大システムに身を委ねていることへの 不安だった。「私たちの手が届かないものが爆発すれば、その処理は専門家に託すしかない。もう東京電力も国も信用できないと思っているのに『がんばってく ださい』とお願いするしかなかった」

 巨大システムの迷路の前には、情報さえ無力だった。

 「低濃度の放射能汚染の場合、危険性を誰も判断できない。数十年後に具合が悪くなったとしても、もう何が原因か分からない。近代社会では人々は的確な判断力を持っているから、情報を公開すれば正しく判断できると考えられていました。だが、それは楽観論に過ぎなかった」

(3)

 私たちは、情報のエッセンスのみを伝えられる危うさも知った。当時の枝野幸男官房長官は「直ちに(放射線の)影響はありません」と繰り返したが「いつかは危ないのか、と思った人も多かった。意図的でなくても情報操作が入ってしまうことを痛感しました」。

 見るべきものを遠ざけ、正体不明の巨大システムに生活の安定を求めるリスクは、電力だけにとどまらな い。「例えば公的年金。国のシステムに依存して、ガタがきたら老後は破綻します。巨大インフレが起きたら実質的に年金は崩壊するでしょう。また、ものづく りの現場に非正規雇用の人が多いと一般論で知っていても、家族や知人にその立場で苦しんでいる人がいなければ、それも遠くの話」

 そういう社会のあり方を、これからも続けるのか。

 内山さんは言う。「巨大システムに頼らず生きるには、革命に匹敵するような現代社会の大転換が必要。あの原発事故で、皆が何とかやっていける社会を再構築する方向へ歩み出そうと、多くの人が思ったはずです」

 昨夏、LED(発光ダイオード)電球を買った人たちの胸には、けなげな志があったはずだ。ところが、野田佳彦首相は関西電力大飯原発を再稼働させた。経済性という原発の呪縛は解けないのか。

(4)

 「国はそんな形でしか動けないんでしょう。野田首相は自らのダメージについて、関西電力管内で停電が起きた場合と、原発を動かした場合とをはかり にかけて小さい方に決めるしかない。私が首相でもすることは大同小異です。計画停電をすれば工場が海外に逃げるかもしれないことを考えると、少々の危険性 には目をつぶります。だが国民は違う。どう期限を区切るかで意見は分かれるが、原発をやめる方向で行こうと、大半の人々の気持ちはまとまっている」

 「手を伸ばせば触れられるところに生きる世界をつくる」−−内山さんに、進むべき道は見えている。

 電気は身近な場所での地域電力。小規模水力なら素人にも異常音が分かる。「農産物の産直販売のように、北海道の風車で作った電気でもいいんです。青森の誰々さんの米とおなじように、どう電気が生産されるか分かればいい」

 未来のヒントは自宅を構える群馬県上野村にある。村民1400人のうち200人以上は都会からの移住者。都会生活に限界を感じ、村の自然や人間関係の豊かさにひかれてきた。そこには人と人が結び合う世界がある。

 「役場は住民が何をしているか、分かっている。村は高齢化率40%ですが、お年寄り全般についての『高 齢者問題』はありません。あるのは1人暮らしの○○というおばあちゃんをどうするか、という個別の問題だけ。国や県は実情を知る地元の自治体に、もっと権 限を移譲すべきです」

(5)

 一人一人は生きる世界をどう描けばいいのか。「文学的に考えればいいんです」

 原発のある経済至上の社会では、国も企業も数字をよりどころに“合理的”に活動する。個人も年収が高い 仕事を目指すのが合理的とされた。「でも、人間の生きる世界はむしろ文学的なんです。『彼と一緒に暮らすならどんなに貧乏してもいい』という人だっている でしょう。これからは『情感』でしかつかめない部分で歩むことです」

 被災地の復興についても、合理性だけで語ってはいけないと語る。「津波の被害を受けた三陸海岸の街を見 て、できることをしたいと思うのは論理じゃない、感じたことですよね。漁村ならば、仲間とともに漁をした喜びが人々の胸に残っている。そういう情を大事に しなければ、生きた世界は復興できない。どんな家や道路をつくるかというのは、その後のことです」

 事故が教えたのは、今までとは違う「他の生き方」の可能性。内山さんにとって、幸せと感じられる世界は「山から心地よい風が吹く村。自然と人々が、何でも教えてくれる村」だという。「変えようという意識があれば、脱原発の流れは続く。風が吹き始めれば変わっていきます」

 自分の明日を「文学的」に想像してみよう。原発がそこになじまないなら、もういらないということだ。【宮田哲】

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 ■人物略歴

 ◇うちやま・たかし

 1950年東京生まれ。哲学者。立教大大学院教授。NPO法人森づくりフォーラム代表理事。著書に「『里』という思想」「戦争という仕事」「怯えの時代」「文明の災禍」「ローカリズム原論」など。



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