「北の山・じろう」時事問題などの日記

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斑目委員長 電力会社となあなあの“御用学者”と大前氏指摘{NEWSポストセブン}

NEWSポストセブン
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斑目委員長 電力会社となあなあの“御用学者”と大前氏指摘
2012.07.26 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20120726_131795.html
(全文引用)

 国会の原発事故調査委員会(黒川清委員長)の最終報告は、原発事故は人災だったとして、「日本人の国民性」が事故を拡大させたと指摘した。元原子炉設計者である大前研一氏は、人災などの指摘は的外れであり、何重もの安全技術で守られていたはずの原発が今回のような事故に至ったのかという技術的・根本的な検証こそが事故調査の第一義ではないかと疑問を呈する。

 * * *
 工学的に見て設計段階での最大の問題は、地震・津波被害をちゃんと「想定」していなかったことに加え、長期間にわたる全交流電源の喪失は考えなくてよいと言っていた人々がいることだ。

 つまり、1990年8月30日付で原子力安全委員会が決定した「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」に「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」という、とんでもない文章が盛り込まれていたのである。

 しかも実は、この文章でよいかどうか、原子力安全委員会が東京電力に“お伺い”を立て、東電が「訂正なし」と答えるという手順を踏んでいたことも明らかになった。この点は国会事故調が問題視している通り“ルールで縛られるべき人がルールを作っている”矛盾であり、原子力安全委員会と電力会社が完全に癒着していたことの証左である。

 その象徴が、原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長だ。私の手元には、班目委員長が「原子力ムラ」の住人だったことを示す“証拠”がある。経産省の「保守管理検討会 保守管理技術評価WG(ワーキンググループ)検討状況」(2007年)というA4判38枚の資料で、このWGの主査を務めていたのが、東京大学大学院教授の班目氏なのだ。

 このWGは、当時13か月以内だった日本の原子炉の運転期間(定期検査間隔)を、フランス並みの18か月以内やアメリカ並みの24か月以内に引き延ばすことなどを議論したもので、その結果、2009年1月の経産省令施行によって検査制度が変更され、「18か月以内」「24か月以内」への延長が可能になった。それに伴い、東通原発1号機と福島第二原発3号機が16か月への延長を申請したが、その直後に東日本大震災が起きたため、従来のままになっている。

 要するに班目氏は電力会社となあなあの関係にあった“御用学者”であり、電力会社の依頼を受けてWGの主査を務めていたものと私は見ている。原子力安全委員会の委員長までが原子力ムラの住人だったというか、もともと原子力ムラの住民だった人間が原子力安全委員会の委員長になっていたわけで、これこそが福島第一原発事故で原子力安全委員会が機能しなかった理由にほかならない。

 班目氏はプラント屋で炉心に関する専門知識が足りなかっただけでなく、世話になっている東電や原子力安全・保安院の意に反することを菅直人首相にアドバイスするわけにはいかなかったのだろう。

 その点、私は原子力ムラとは利害関係ゼロである。一市民としての「怒り」と、元原子炉設計者としての「反省」から、ボランティアで細野豪志原発相の了承・依頼のもとで独自に調査・分析を行なった(7月下旬に小学館より『原発再稼働「最後の条件」「福島第一」事故検証プロジェクト 最終報告書』として発刊)。

 それでわかったのは、かつて原子炉設計者をしていた当時の私自身も含めて、すべての原子力関係者は間違っていた、という紛れもない事実である。ところが、その反省の言葉が日本から発信されていないため、世界中の原子力関係者は未だに反省していない。「日本独自の想定外の津波でした」と言うから、世界中が「ああ、よかった」となって気持ちが緩んでいる。これは、犯罪だと私は思う。

 今度の国会事故調の最終報告書は、事故原因を菅首相や原発関係者らの「人災」としたことで、海外では「権威に責任を問わない姿勢」「集団で責任を負う文化」を持つ日本独特の文化や日本人の国民性に問題があると報じられた。

 これでは、世界中の原子力関係者の誰一人としてきちんと事故原因を理解しないままで終わってしまう。原発事故が人災であることは間違いない。しかし、その人災とは、日本人の国民性に帰着するような話ではなく、今回の福島第一原発の事故で明るみに出たような原子炉の設計思想そのものの欠陥について、電力会社や政府、原子力安全委員会が思考停止に陥ったまま、原発を動かしてきたという意味での人災なのである。

※SAPIO2012年8月1・8日号