「北の山・じろう」時事問題などの日記

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[8・15とアジア]信頼構築に力を入れよ<沖縄タイムス

沖縄タイムス
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[8・15とアジア]信頼構築に力を入れよ
2012年8月15日 09時21分
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-15_37759
(全文引用)

 6日広島、9日長崎と続く原爆の日。きょう15日の終戦記念日。日本のメディアは戦後、8月を「鎮魂の夏」と位置付け、毎年この時期、戦争を振り返り、掘り起こす企画に取り組んできた。

 旧厚生省のまとめによると、日中戦争から敗戦までの日本人犠牲者は軍人・軍属約230万人、外地で死 亡した民間人約30万人、空襲などによる国内の戦災死亡者約50万人の合計約310万人。広島・長崎の被爆体験や沖縄戦、東京大空襲などの実相の掘り起こ しは、戦後67年たった今でも精力的に続いている。

 ここで取り上げるのは、そのような戦争の実相、銃後の生活ではない。「アジアからみた8・15」と「東アジアの戦後秩序」である。

 日中関係も日韓関係も、領土問題や歴史問題をめぐって、とげとげしい空気が漂っている。日中国交正常化が実現して今年で40年になるが、慶祝ムードはない。尖閣諸島の領有権問題をめぐって両国の緊張関係は高まるばかりだ。

 日韓関係も李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸でいっぺんに冷え込んだ。竹島の領有権だけでなく、日韓の間には「従軍慰安婦」問題も再浮上している。

 戦争、サンフランシスコ講和、冷戦がもたらした「未解決の問題」が、東アジアでは、今なおホットな問題として日中、日韓の二国関係を強く拘束しているのである。

 特に尖閣をめぐる日中関係は、ハンドルさばきを誤ると、偶発的衝突を招く恐れがある。感情的反発をエスカレートさせてはいけない。

 韓国の全国紙・東亜日報は、戦後50年にあたる1995年8月15日の社説で、「8・15」の意味を簡潔に書き記している。「1945年8月15日は、わが民族が日本帝国主義の屈辱的な植民地支配の鎖から解放された日である」

 中国にとっては抗日戦争に勝利した日であり、日本に占領されたフィリピンやマレーシア、インドネシアなどの国々にとっても「8・15」は日本帝国主義からの解放を意味した。

 日本の植民地であった朝鮮半島は戦後、南北に分断され、朝鮮戦争によってそれが固定化された。韓国軍を支援するため、嘉手納基地や横田基地から頻繁に米軍機が飛び立ったが、多くの国民にとって「よそごと」であった。

 日韓基本条約によって日本と韓国の国交が正常化したのは65年。日中国交正常化はさらに遅れ、72年まで待たなければならなかった。

 だが、それですべての問題が解決したわけではない。尖閣竹島の帰属は、サンフランシスコ講和条約の条文には明記されていない。国交正常化の段階でも明確な解決策が示されなかった。

 日本は戦後、米国主導の「寛大な講和」の結果、「冷戦の受益者」であり続けた。そのことが、アジアの人びとの声に謙虚に耳を傾ける機会を失わせたのではないか。

 新たな地域秩序の形成は、歴史問題に向き合うことを通して、信頼関係を築くことが前提となる。相互の信頼をおろそかにしてはいけない。