「北の山・じろう」時事問題などの日記

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【社説】2012年8月16日 実感される平和とは 戦争と原発に向き合う<中日新聞 CHUNICHI WEB

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【社説】2012年8月16日
実感される平和とは 戦争と原発に向き合う
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012081602000089.html
(全文引用)



 今年は自衛隊の前身にあたる保安隊の発足から六十年。東西冷戦の終結からすでに二十年。あらためて自衛隊と平和の関わりについて考えてみました。

 米国とソ連が世界を東西に分断して対立した冷戦は一九九一年、ソ連の崩壊で終わりました。自衛隊の一佐に当時を振り返ってもらいました。すると「戦争が起こらなくて本当によかった」とほっとした表情を浮かべます。

 この世の終わりを迎えるような戦争が起きると本気で思っていたのでしょうか。「私だけじゃない。退官した先輩たちの感想も同じです」と話すのです。
 幻の「防衛出動」

 具体的な証言を得られたのは、七六年、ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸した「ミグ25事件」でした。亡命を求めた操縦士は東京へ移送され、函館空港に機体だけが取り残されました。

 「ソ連軍が機体の破壊にやってくる」。東京の陸上幕僚監部から連絡を受けた函館駐屯地の第二八連隊は、隊員たちに百発ずつ小銃弾を配り、戦車二両に砲弾を積み込みました。出動間際に「誤報」との連絡が入り、初の「防衛出動」は幻に終わりました。

 退官した連隊長の自宅を訪ねた際、原稿用紙にまとめた事件経緯を読ませてもらいました。

 「第二師団長から『侵攻してきた敵はただちに撃滅せよ』との口頭命令を受けた」「陸幕から『陸幕長は一人も生きて帰すなと言っておられる』との電話もあった」

 第二師団長から聞いた話も一致しました。しかし、防衛出動の発動に必要な首相ら閣僚が出席する国防会議(現安全保障会議)は招集されてもいません。

 当時の防衛事務次官、丸山昂(こう)氏と亡くなる前に会いました。「陸幕長と話し合って『ソ連は戦争になるような軽挙妄動はしない』との見方で一致した」としながらも、「その場の行動は現場が判断するもの。もし第二八連隊が出撃していれば手順は前後するが、防衛出動の手続きをとったでしょう」と含みを残すのです。

 「万一の事態はないが、あれば現場に任せる」というのです。場当たり的な対応というほかありません。命令や指示はすべて口頭にとどまり、文書として残されることはありませんでした。

 軍部が独走した太平洋戦争の反省から取り入れられた、政治が軍事を統制する「シビリアンコントロール」が絵に描いた餅であることがよく分かります。
 専守防衛の効能

 自衛隊の先人たちの大いなる不安は冷戦終結により、拭い去られました。わが国に平和憲法があってもなくても、侵攻される危機は、ひょっとするとあり得たのかもしれません。それでも憲法九条は、やはり重いと考えるのです。

 お隣の韓国は、ベトナム戦争に出兵し、五千人近くが戦死、四万人以上のベトナム人を殺傷したとされています。日本政府は参戦した米国を支援し続けたのですから、日本に戦力不保持・交戦権否認を規定する憲法九条がなければ、専守防衛の戦略も生まれず、自衛隊はベトナム戦争に派遣されたのではないでしょうか。

 近くはイラク戦争です。日本政府は戦争に踏み切った米国を支持して、陸上自衛隊を派遣しました。ただ活動は人道復興支援にとどまりました。「大量破壊兵器を隠し持っている」。そんな米国の誤った言い分に乗せられながらも殺傷せずに済んだのです。

 民主党政権では、わが国防衛の指針である「防衛計画の大綱」が改定されました。その中で打ち出された「南西防衛」について、海上自衛隊は太平洋へ進出する中国海軍艦艇の動向を漏れなく把握することと解釈しています。米国の新国防戦略「アジア太平洋の重視」と一致しますが、「南西防衛」を沖縄本島石垣島宮古島を守る国土防衛とみている陸上自衛隊航空自衛隊とはずれています。

 なぜばらばらなのか。政治家が自衛隊の役割や日々の行動に関心を示さず、制服組に丸投げしているからです。「現場にお任せ」の無責任体制は、ミグ25事件のときと変わりありません。
 災害で自衛隊活用を

 冷戦時代の防衛白書は、ソ連を「潜在的脅威」と記述していました。冷戦後の白書は中国や北朝鮮を「不安定要因」とするにとどめています。差し迫った脅威が存在しないことは、自民党政権を含め、十年連続して防衛費が削減されていることからも分かります。

 東日本大震災での自衛隊の活躍は記憶に新しい。日本周辺の警戒・監視を続ける一方で、自衛隊を災害に本格対処する組織につくり替えるのはそう難しくありません。「決められない政治」でも決められることなのです。