「北の山・じろう」時事問題などの日記

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特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 元国会事故調委員・崎山比早子さん<毎日新聞

毎日新聞
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特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 元国会事故調委員・崎山比早子さん
毎日新聞 2012年09月14日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20120914dde012040030000c.html
▼全文引用

(1)
 <この国はどこへ行こうとしているのか>
 ◇命の価値を取り戻す−−崎山比早子さん(73)

 金曜日。毎回、長時間に及んだ国会の東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)で、委員(当時)の崎山比早子さん(73)は夕刻になると委員会室の 窓からそっと外をうかがった。脱原発を訴え官邸前をめざす人の行列が延び、委員会室の窓からも見えるようになったのは6月下旬。

 「最初は少なかった人数が週ごとに増えて、車道にもはみ出すほどになって。声も大きく聞こえるようになった。『ここで何とかしなければ』という思いは同じでした」

 がん細胞の研究者で、反原発の科学者が所属する「高木学校」の有力メンバー。被ばくのリスクについて最新研究に精通した人物として、原発事故以降、休みなしの東奔西走が続く。政府や電力会社の影響の外にいる専門家として信頼を得て、国会事故調委員の一人となった。

 「いま、(福島のほかに)もう一つ原発で事故が起きたら、この狭い日本はもう終わりです。自分だけでなく子孫の代の生存をかけて止めなければ」。穏やかな口調だけに、真剣さが伝わってくる。

 高木学校は、科学者の高木仁三郎さん(2000年死去)が市民の立場から科学に取り組む「市民科学者」の育成を志して、98年に創設した私塾。放射線医 学総合研究所(放医研)に勤めていた研究者だった崎山さんは99年、定年後に研究を社会還元できる場を探していて、新聞記事で学校を知った。記事は高木さ んががんを患っていると伝えていた。専門の崎山さんには病状の重さがぴんときた。この人から少しでも多くを学び受け継ぎたいと、時間と競争する思いで参加 したという。

(2)
 高木さんの専門分野(核化学)を補う形で、生物学の立場から被ばく問題を担当。放射線の影響と被ばくリスクをより身近なところから考えようと、04年か ら医療放射線被ばくに焦点を当ててきた。海外の論文を読み「発がん数のうちX線検査による割合は、日本は先進国最高の4・4%」「0歳でCT検査を受けた 場合、35歳で受けた場合と比較して、生涯でがん死するリスクは4〜10倍」などの最新研究を紹介してきた。そもそもは、身近な放射線のリスクを知って、 原発の危険性を考えてもらうための研究活動だった。実際に原発事故が起き「一番皮肉な形で役立ってしまいました」とため息をつく。

 話を聞いたのはうだるような残暑の午後。原発事故以降、国会の参考人質疑から市民主催の講演会やシンポジウム、インターネット動画中継まで引っ張りだこ に。そこでの、母親の不安に寄り添うような丁寧でごまかしのない語り口が印象的だった。直接会ってもその印象は変わらない。

 国会事故調の委員として膨大な内部資料を検討して見えてきたのは、市民と東電の「根本的な価値観の違い」だったという。「事故が起きないなんてありえな い。私たちはそう思っていた。東電はそう思っていなかった。その差を生み出した根底にあるものが価値観の違いだと思います」

 例えば、原子炉を冷却するための海水注入が遅れた経緯。東電や電気事業連合会電事連)に残る記録からは、圧力容器などが再び使用できなくなることをお それる思考回路がうかがえた。「私たちが考える原発事故のリスクは、放射線被害が出て住民の健康に害が及ぶことです。一方、東電の考えるリスクは『原発が 長期停止してしまうこと』だったんです」

(3)
 原発を長時間停止すれば、発電コストが上がる。だからできるだけ停止しないで済むような対応がなされていた。また、廃炉になった原発は固定資産でなくな り、負債として計上されて企業としての決算収支が一気に悪化する。だから廃炉は避けねばならない。放射性物質が漏れ続ける原発が目の前にあっても、耐用年 数を過ぎた原発さえ廃炉にならない理由はそこにある。

 「そんな価値判断はおかしい、と東電に言わなければいけない原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、東電の利益を優先的に考えるようになってしまっていたのです。冗談じゃない。こんな人たちに私たちの命を握られてはたまりません」

 彼らによって、原発の危険性は「見えなくされてきた」と崎山さんは指摘する。地元の幼稚園にも小学校にも、電力会社が来て「安全です」と繰り返す。国会 事故調で福島県大熊町や双葉町の避難住民にヒアリング調査をしたところ、大震災直後に「原発が危ない」と思った人はごくわずかだった。「大丈夫だ、安全 だ、と思い込まないと生活できないんです。地元も、日本全体も、いつのまにか『見て見ぬふり』になっていたのではないですか」

 価値観の転換が必要です。命の価値を取り戻さなければ−−そう言い切る視線は真っすぐ前に向けられていた。

 「実は、原発を止められるチャンスは何度もあったんです」。02年に発覚した炉心隔壁ひび割れ記録改ざん事件。隠蔽(いんぺい)体質が指摘され、03年 の春は東電の原発17基すべてが停止した。07年の新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発で火災と放射性物質漏れがあり、地元自治体が緊急使用停止命令を出し た。それでも全国の原発は動き続けた。「これで変わるだろう、もうこれで変わるだろう、そう思っている間に、事態はどんどん悪くなってきた。今はもう、 崖っぷちだと思います」

(4)
 冷温停止などという言葉を使ったところで、福島原発事故は数十年かけても終わらない。被災した原子炉が今後の地震に耐えられるかは分からない。露出した 使用済み核燃料プールに竜巻が直撃したらどうなるか。たとえ原発が止まっても、使用済み核燃料の処理の問題はずっと残り、大地震はいつか必ず来る。

 −−希望はありますか。そう尋ねると、ふっと表情が緩んだ。

 「希望は『持つ』ものです。希望を持たなければ生きていけないでしょう」

 市民主催の勉強会で、肌で感じるという。「日本社会には市民の力があると思います。皆さん、実際に自分たちで計測してデータを集めることをいとわない。自ら調べよう、情報を精査しよう、という姿勢で、受け身ではなく現実に向き合っているのではないでしょうか」

 取材中、崎山さんは何度も席を立ち、当時の資料やメモを確認した。事実に真摯(しんし)に向き合う姿勢は徹底している。誠実な研究者と市民が手を取り合ってこそ、社会は変わっていくのかもしれない。

 あの金曜日、「国会にデモの声が聞こえてくるようになって、この国の価値観は『変わる』と確信したんです」。

 話を終えて外に出た。にわか雨が通り過ぎ、涼しい風が吹き抜けた。【藤田祐子】

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 ■人物略歴
 ◇さきやま・ひさこ

 医学博士。米マサチューセッツ工科大、放射線医学総合研究所主任研究官を経て高木学校メンバー。11年12月から12年7月まで国会事故調委員。著書に「母と子のための被ばく知識」など。



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