「北の山・じろう」時事問題などの日記

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吹き荒れる抗議デモの現場に身を置き 私が見て、感じて、情報発信したこと <DIAMOND online>

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吹き荒れる抗議デモの現場に身を置き
私が見て、感じて、情報発信したこと
莫 邦富 [作家・ジャーナリスト]
【第122回】 2012年9月20日
http://diamond.jp/articles/-/25005
http://diamond.jp/articles/-/25005?page=2
※全文引用

(1)
 日本政府による釣魚島(日本名は尖閣諸島)の国有化が宣言された9月11日から、満州事変の記念日である9月18日までの1週間に、中国各地で「保釣(釣魚島を守る)」のための抗議デモが発生した。私は日中間に起きたそういう摩擦を「政治型地震」と呼ぶ。この1週間はまさにこのような「政治型地震」が集中的に発生した期間となった。
予想を遥かに上回る激しさ

 13日一日を除いて、私は抗議デモの発生現場でこの激震が続く1週間を送り、いろいろなことを体験した。

 まず、土曜日の15日に中国各地で起きた抗議デモの激しさに驚いた。常軌を逸してしまうのではないかとある程度予想し、その覚悟もできていると思っていたが、抗議デモの激しさもその規模も、私の予想を遙かに上回ったことに大きなショックを覚えた。ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNSS)の新浪微博からは、日系車が焼かれ、日系のスーパー、コンビニをはじめ日本関連の企業が襲撃された情報が続々と届いてきた。衝撃的な映像や写真が微博にアップされるたびに、私は激しい心の動揺に苦しんだ。

 抗議したいことに対してはきちんと抗議してほしい。しかし、他人の財産も法律も社会の常識も守らなければならない。いても立ってもいられなくなった私は、新浪微博を通して法の順守を呼び掛けるしかなかった。5万以上のフォロワーを持つ私の呼びかけには、それなりの手ごたえがあるはずなのに、その常軌を逸してしまった一部の抗議活動の規模と比べて、その影響力は微々たるものだった。

 自分の無力を嘆きながら、思わず「杯水車薪」という中国のことわざを思い出した。乾燥しきった薪を満載した車が燃え出しているところに、コップ一杯ほどの水を掛けてもあまり役に立たなかった、ということだ。

 その日の夜、上海の日系銀行に勤める中国人職員と会い、その職員の上司である日本人の上司が地下鉄の中で日本語を使って携帯電話に出たところで殴られたといったことを知り、不安が膨らんだ。未明の4時頃まで各地の情報収集に追われていた。

(2)
勇気ある女性の行動

 16日の朝、友人とともに日本在上海総領事館の近くに移動し、至近距離で抗議デモを観察した。そこでまず胸をなでおろしたのは、上海の抗議デモの参加者が落ち着いていたこともあり、デモ現場の秩序が守られたことだ。上海の警察が警備職務に尽力していたと評価していいだろう。
9月16日の上海の抗議デモでは暴力反対を訴える人たちも

 抗議デモの現場で江蘇省のナンバープレートを付けた日系車が、抗議デモの大衆の横を走るのを、私は固唾を飲んで見守っていた。しかし、抗議デモの参加者たちはこの日系車に何のいたずらもせず、その通過を認めた。そう言えば、デモ行進のなかに、「暴力反対、破壊行為を厳禁」と大書された横幕を掲げている若者もいた。思わずカメラのレンズをそこに向けた。

 微博にもそのような情報がアップされてきた。北京の日本大使館の前に一人で立って、デモの大衆に向かって「破壊行為を行わないで」「文化大革命ではない」「傷つけるのをやめて」といった内容を書いた紙を掲げてアピールしていた若い女性がいた。彼女が掲げていたその紙が数人の大の男らに破られてしまい、若い女性は怯えて泣きだす寸前になっていたにもかかわらず、ひるまなかった。思わず「若い妹さんよ!ありがとう」と書き込んだ。

 上海のデモ現場ではなんとか秩序が保たれたのを見て、多少安心した私だったが、微博から伝わるこういった内容を読むと、また不安を覚え出した。そこで私の知っている中国在住の日本人に、自分の携帯電話の番号を公開し、この政治的な激震が続くなかで、「何かお困りのことでもあったら、ご遠慮なく教えてください」といった内容のメールを送信した。

 一個人として果たしてどこまでできるのかは、あまり自信はないが、最大限、その力になれるように努力したいという自分の(いや、一中国人の)気持ちを伝えずにはいられなかった。

 中日関係は決してこう簡単に崩れていくはずはない。そして、崩れさせないように、中日両国の国民が一緒に力を合わせて努力すべきだと思う。

(3)
「上街派」と「上網派」

 幸い、私が取ったその行動が決して私一個人の行動ではないことをすぐに証明された。インターネットには、一夜のうちに中国には「上街派」と「上網派」ができたという論調が出てきた。「上街派」とは、街角に出て抗議デモに参加する熱き血をもつ人々のことを言う。「上網派」とは、釣魚島を国有化するという日本政府の行動に批判しながら、より理性的な抗議の方法を取るべきだと主張し、デモ中の破壊行為を厳しく糾弾する側の存在を指す。

 ある劇団が、主演になる予定の日本人女性をキャスティングから外したことが微博にアップされると、みんな、その日本人女性を応援する書き込みをし、その劇団を激しく批判した。青島の日本車を販売する会社が放火されてしまったニュースに、犯人の追及を求める書き込みがたくさんあった。ネット世論の良識を体験した数日間でもあった。

 文化大革命を体験した私は、暴走する大衆運動の怖さを身をもって体験したことがある。だから、街頭運動型の抗議活動とその効果に疑問をもっている。微博にもこのような大衆運動型の抗議活動を「転型(やり方を抜本的に変える)」すべきだという主張が出ている。思わず声援を送った。

 先日、このコラム(119回)で、私は、日中間に存在している「政治的なリスクが完全に取り除かれたとはまだ言えない」と指摘している。「勇壮な言葉を口にする政治家が日本に大勢いる。過激な行動に走りやすい中国の『憤青(怒れる若者)』も中国各地にいる。何かの事件によって日中両国間に大火事が発生してしまうという危険性が依然としてくすぶっている」と予測していた。

 さらに、その予測をもとにして、日中両国に発生した紛争に対する処理の原則を再度強調した。それは、1972年国交正常化を宣言した「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」と1978年の「日中平和友好条約」に盛り込まれた原則だ。つまり、日本と中国は「(両国間の)すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない」と確認した原則だ。

 不幸にもその予測が的中した。上述したその原則の適用も喫緊の課題となった。棚上げになっていた島の領有問題が安易に引っ張り出されてきたため、しばらくそれによって巻き起こった政治的激震が続くだろう。中国の国民も日本の国民も上記の原則に基づいて、紛争を平和的手段により解決するための行動を考えよう。

 この編集原稿を丹東の空港でチェックしていたところに、携帯電話が鳴った。日系スーパーやコンビニの業務再開を知らせる電話だった。久々の嬉しいニュースだった。



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