「北の山・じろう」時事問題などの日記

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チェルノブイリ原発事故20年(2006年4月26日)「風のたより」から転載

※2006年に書かれたブログです。もし、チェルノブイリ原発事故を真剣に考えたなら、福島原発事故は、発生しなかったでしょう。文中にチェルノブイリ原発の運転について、疑問が出されていますが、原発は発電を止めても当分、カラ運転のような状態で、動かし続ける必要があるのだそうです。原子炉の直下は、人間が1分もいられない(許容被曝量を超えてしまう)ほど放射線が強いのだそうです。停止しても解体までは、大分年月が必要だそうです。
「平井憲夫」
原発がどんなものか知ってほしい
http://www.iam-t.jp/HIRAI/
に出てきます。


「風のたより」
2006年4月26日
チェルノブイリ原発事故20年
http://letterfromthewind3.cocolog-nifty.com/letter_from_the_wind_3/2006/04/20_de8b.html
※全文転載

人類史上例のない甚大な被害をもたらし、現在も被害者を出し続けている原発事故から、今日で20年が経つ。
各テレビ局でも、それぞれの取材を通して、事故から20年後のチェルノブイリを報道している。
「石棺」と呼ばれるコンクリート詰めにされた4号炉も、20年の歳月で痛みがひどく、崩壊の危険すら懸念されているらしく、現在の「石棺」全体を覆うための更に巨大なドームが計画されているという。

報道番組を見ていていちばん驚いたのは、4つある原子炉のうち、コンクリート詰めにした4号炉以外の原子炉は(いくつだったかは聞き逃した)まだ動いていて、3500人だったか(これも不正確。NHKの別の番組では4300人とのナレーション)の職員が廃炉にするための作業を現在もやっているという事実だった。
よせばいいのに、その番組のレポーターは、3号炉と4号炉を隔てる壁のところまで行って、カメラの前で放射能測定器の針が振り切れるところを見せていた。

事故から20年も経つのに、まだ廃炉の準備のために動かしているという意味がよく分からなかった。
廃炉の作業のために20年かかっているということなのか。
そうではなくて、事故後も他の原子炉は発電をつづけていたのだろうか。よく分からない。
(ネットで確かめていると、3号炉は2000年に停止したと書いているものもあったが、停止してからも廃炉のための作業が続いている、ということなのだろうか。)
いずれにせよ、立ち入り禁止区域で、かなり高レベルの放射線を浴び続けている職員が大勢いることだけはたしかだ。

そればかりか、「石棺」からの漏れや崩壊を防ぐために、「石棺」の内部に入って作業している人々が現在もいるらしい。
いくら短時間の作業にしたとしても、自殺行為ではないかと思うが、どうなっているのだろう。

チェルノブイリの事故は、「人類への警告」であるという意味のことを案内した職員も語っていた。
外国の報道機関を、石棺の近くまで案内してカメラに撮らせるのは、「この事実を世界中に知らせて欲しい」という、職員の悲痛な叫びではないか、とそのレポーターもコメントしていた。

チェルノブイリの教訓を、わが日本で活かすことはできるのか。
チェルノブイリの事故は、人為的なミスが重なって起きたと言われている。
同じような「人為的なミス」は、もちろん日本の原発でも起きうるし、現にこれまでに何度も起きている。
だが、チェルノブイリでは起きる可能性は少なくても、日本では起きる可能性がきわめて高い問題が別にある。
「地震」である。(チェルノブイリの事故原因は、直下型地震だったとする報道を紹介したサイトもあった。http://www.ihope.jp/no_nukes/quake-accident.html)
環太平洋造山帯の真上に位置し、火山も多い日本は、「地震列島」である。
震度7を超える巨大地震が実際に起きているし、今後、遠くない将来に起きる予測もたてられている。
こんな巨大地震が、「原発」のある地域を直撃したらどうなるのか。

先月3月24日、金沢地裁は、北陸電力志賀原発2号機をめぐる民事訴訟で、「運転差し止め」の判決を出した。
理由は、国の定めた「耐震基準」では、事故発生の危険性があるという判断である。
国が定めた原発設計の「耐震基準」は「マグニチュード6前後」という想定だが、研究者の調査した結果では「マグニチュード7以上」の地震の可能性があったため、明らかに「強度不足」だというものだ。

もうすでに「震度7以上」の地震が兵庫県(マグニチュード7.3)と新潟県(マグニチュード6.8)で起きているというのに、国は「安全だ」と呪文のように言い続けている。
日本の原子力行政は、何が何でもまず「安全である」という根拠のない呪文から始まる。
原発事故が「起きるかもしれない」というリスク想定から考えるのではなく、「絶対に起きない」という希望的な前提から始めるのだ。
「起きるかもしれない」という前提では、いくら過疎地に札束を積んでも、ますます誘致は難しくなるだろう。
「絶対に起きない」「安全である」という、希望的な「神話」にすがるしかないということだ。

全国各地にたくさんの原発が稼働し、もしくは停止している。(停止していても、危険性は同じだという主張も納得できる)
そこでもし直下型の巨大地震が起きたらどうなるか。
国の基準が「マグニチュード6前後」ということは、多くの原子力発電所は、耐震強度不足で地震には耐えられず、想定された自動停止装置やマニュアルではコントロール不可能な事態を招くだろう。
制御不能となった原子炉がたった一つでもあれば、それはチェルノブイリ原発事故と同じである。
原発が集中した地域では、それが一つの原発だけなのか、二つ、三つの原発で起きるか、それも分からない。

ウクライナの片田舎にあるたった一つの原子炉の事故でも、何十万人のも住民が強制的に移住させられ、被害は近隣諸国ばかりかヨーロッパを含めた数千キロメートルの範囲に及んだ。
その被害の範囲に、日本列島を当てはめてみると、日本列島よりもはるかに広い範囲に及んでいることが分かる。
つまり、日本の原発が、一つでも制御不能の事故を起こしたとき、われわれには逃げる場所もないということだ。
風向きによっては、直撃をしばらくは免れる地方もあるかも知れず、そのわずかな時間のあいだに飛行機に乗って、船に乗って日本列島を離れることができる人々もいるかもしれない。(チェルノブイリ原発事故のときも、国民に知らされる前に情報を独占したソビエト共産党幹部など高官たちは避難した。)
だが、そんなことは大多数の国民にとって無縁のことであろう。

かつての冷戦時代、在日米軍基地の兵士とその家族は、ソ連からの核ミサイル攻撃が予想された段階で、ごく短時間で日本を離れることができる態勢をとっていたという。
米軍基地に照準をセットしたソ連からの核ミサイルは、もはや米軍のいなくなった基地に飛来し、日本の住民だけが核戦争の犠牲となるシナリオである。

それと同じように、一部の特権的な人々だけがすばやく日本を離れ、離れることのできない大多数の日本国民は、為す術もなく放射能に晒され続けるというわけだ。
若狭湾沿岸の原発でもし事故が起これば、風向きにもよるだろうが、恐らく二、三時間も経たずに私の住む地域は放射能に汚染されるだろう。
原発事故の報道が、「パニックを防ぐ」という理由で、すぐに発表されない可能性も高い。(チェルノブイリのときがそうだった。)
そうなれば、もうどこへも逃げるヒマなどない。(ヒマがあっても、逃げる場所などないが…)
座して死を待つ以外の選択は残されていないことになりそうだ。




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