「北の山・じろう」時事問題などの日記

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放射能事故の実態をめぐる報道でようやく変わり始めた日本の空気感  週刊 上杉隆 (ダイヤモンド)

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放射能事故の実態をめぐる報道でようやく変わり始めた日本の空気感  週刊 上杉隆 (ダイヤモンド)
http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/421.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 10 月 05 日 19:30:01: igsppGRN/E9PQ


放射能事故の実態をめぐる報道でようやく変わり始めた日本の空気感
http://diamond.jp/articles/-/25865
2012年10月4日 週刊 上杉隆 :ダイヤモンド・オンライン


 福島の放射能事故の実態については初めから隠蔽の連続だった。

 それは県民の健康調査についても同じだ。思えば、昨年3月13日(事故後二日目)、原発からわずか3キロの地点にいたフォトジャーナリストの広河隆一さ んと電話で話した時から何一つ変わっていないのだ。あの時、高線量の放射能が漏れていることを訴えても、政府も、行政も、東電も、そしてメディアもまとも に動こうとしなかった。

 前例踏襲主義とそうあってほしくないという根拠のない願望が彼らの行動を縛ったのだ。

 いや、そればかりではない。現地で取材するジャーナリストたちが、現地から送ってくる恐ろしい取材結果を突きつけても、そうしたものには「適当だ」「デ マだ」「インチキだ」「危険を煽る」という、それこそ未取材の適当な理由でもって目を瞑り、取材もしない記者たちが中心となって、誠実なジャーナリストた ちの信頼を貶めようとする始末だったのだ。

 それは主にテレビ・新聞の記者たち、あるいはそこに巣食う心無い評論家や知識人たちによって作られた当時の日本に広がる哀しい空気であった。

 そうした状況は事故から一年経った今年4月、私がドイツで講演した時も変わらなかった。

 福島の住民の健康が危険にさらされている実例をいくつも挙げて、15ヵ所の講演と8つのメディアでのインタビューに答えた後も殺伐とした日本の空気は変わらなかった。

 ドイツでは、質問も反論も受けつけ、検証可能なようにデータのクレジットも明らかにして示し、それを公にしたにもかかわらず、「デマだ」とそれこそが根拠のない誹謗で私の発言をもみ消そうとしたのだ。それは徹底したものだった。

■健康被害の可能性を報じるだけで糾弾される空気

 ある者は在日ドイツ大使館にドイツ語で緊急の手紙を送付し、「貴国が招いているウエスギタカシという人物はとても危険なデマゴーグであるので入国させないようにされたし」という手紙を送っている(実物は私の手元にある)。

 また、日本では有名なジャーナリストは、ドイツ帰国直後の大阪弁護士会での私の講演の際、あろうことか、「上杉隆を大阪で講演させると大阪弁護士会の信 頼を問われる。すぐに取りやめるべきだ」という旨の電話を入れて、信じがたい言論封殺を行なった(大阪弁護士会に確認)。

 さらに言えば、その有名ジャーナリストはツイッター上の偽情報を鵜呑みにして、以後も、私を攻撃し続けることになる。

 私はそうした感情的な空気に包まれた日本の情況を悲しむと同時に、早く健全な変化の訪れることを心から祈ったものだ。

 なにしろ、私がドイツ講演や2月のルクセンブルグスピーチ(EU議会のオーフス会議)で使用したデータのほとんどは、国連やIAEA、あるいは日本政府や東京電力などの公的な機関から引用したものだったからだ。

 だが、当時の日本の現実を直視しない空気は想像以上にひどかった。それ以降も多くのジャーナリストたちが、健康被害の可能性を報じるだけで、徹底的に糾弾される状態が続いたのだ。

 もはや溜息しか出なくなっていた。私の福島通いも、それまでとは形を変え、事故直後と同じように、静かに人知れず、黙って訪れそっと東京に戻るようなスタイルになっていった。

 とくに福島の医療関係者たちに、きちんとした県民の健康管理をすることがみなさんの務めであり、職業上の倫理だと訴えた4月の福島・須賀川での講演以降、その当の医療関係者に対して、県の検討委員会から圧力がかかるようになってからはなおさらだった。

 福島での取材を開始した当初、私は今後自分の身に起こるであろうことについて、予測を立てていた。そして、その予測は見事に、しかも予想よりも早くその通りになり始めた。

 それはこうだ。

 私が福島で放射能事故や健康被害の可能性についての発言をすれば、必ず過剰反応して否定する人物がたくさん出てくるだろう。それはウクライナ、ベラルー シの例でもそうだった。そして、私の発言が事実だと判明したとしても、そうした彼ら彼女らの態度に変化は見られないだろう。いやむしろ、その事実を否定で きなくなったと分かった途端、ファクトで論じることを止め、そうした発言を続ける私のような人物に、「嘘つき」「インチキ」というムードによるレッテル貼 りを行い、自らの虚構の正当性を守ることに汲々とするだろう。そしてまた、「王様は裸だ」と言ってしまった人物に対しては、徹底的に信頼を貶める作業に必 死になるだろう。なぜなら彼ら彼女たちのつまらないメンツを守るにはそうするしかないからだ。

 過度に一元化された日本の情報社会において、そういういわれのない誹謗中傷に、知識人と呼ばれるさもしい人々が容易く便乗し、自らの過ちを隠すためにも その流れに乗るのだ。さらに、数年後にミスに気付いた時には、私(上杉などのジャーナリスト)だけではなく自分たちもきちんと報じていたと叫びだし、自ら の過失責任を回避するはずだ。

 そしていま、私の予測通り、そうした卑怯な人々の掌返しが始まった。

 だが、私はそれを心から歓迎する。なぜなら、それによって、ようやく正しい情報が福島の県民に知らされはじめ、正当な判断が行える環境が整い始めることになったからだ。

■現実を直視してこなかった大手メディアの報道にも変化の兆し

 きのうの毎日新聞一面トップに、その傾向を裏付けるような記事が掲載された。

東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備 会」を開いていたことが分かった。準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本 会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。

 県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。

 検討委は昨年5月に設置。山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、 現在は計19人で構成されている。県からの委託で県立医大が実施している健康管理調査について、専門的見地から助言する。これまで計8回あり、当初を除い て公開し、議事録も開示されている〉(毎日新聞 2012年10月03日)

 私への評価はいまだ貶められたままだ。ドイツでの、発してもいない発言を勝手に捏造され、誤報の訂正を行なったものも無視され、講演録にも当たらずに雰 囲気だけで私を中傷した匿名の捏造ツイッターのつぶやきをそのまま信じた江川紹子などを筆頭とする知識人たちは、当初、福島県などが発表した健康調査な どの情報を信じ、同業者の仕事には誹謗で応える始末だった。

 そしてその中に私への感情的な攻撃も含まれていた。

 しかし、私自身は、実はそれでも構わなかった。それも多様な言論空間を実現するひとつの意見だと思っていたし、そもそも、そうした人たちに反論している暇があったら、自分自身は少しでも福島の声を集めていたかったし、その地で発信もしたかったからだ。

 また、そのための作業である新メディアの設立に時間を費やしたかったということもある。そういえば、驚くべきことだが、原発事故と放射能の問題で、私自 身に直接質問を投げかけてきたジャーナリストや知識人は、この一年半、いまに至るまで、畠山理仁氏とプチ鹿島氏と朝日新聞の奥山俊弘記者の3人だけである (ただし、奥山氏は私の反論と発言だけを削除して記事にするというアンフェアなことをしでかしたが――)。

 実は、勇ましいことを述べている他の人は、陰でいろいろ言っているだけにすぎないのだ。

 いや、私のことなどどうでもいいだろう。しょせん、先ほども述べたようにこうした状況に陥ることはあらかじめ予測していたのだからだ。

 ただ、今回こうやって初めてこの件について触れたのには理由がある。

 それは、いまようやく、震災から一年半が経って、日本の空気感が変わり始めたという実感があるからだ。その兆しは大切にしなくてはならない。

 具体的には、これまで県民の健康被害やそれにともなう隠蔽、そうした現実を直視してこなかった大手メディアの報道ですら変化を余儀なくされたということだ。被ばくの安全を訴えてきた斗ケ沢秀俊記者のいる毎日新聞が、一面トップの記事でそれに触れたのが何よりその象徴だ。

 果たして、江川氏や斗ケ沢氏は今回の毎日新聞の記事を「デマ」や「ウソ」と言うのだろうか?

 今、ジャーナリストであり続けたいと願うならば、それこそ現実を直視せず、時代の雰囲気に呑まれてしまったこうした知識人たちこそ変わるべき時期に来たのではないだろうか。

 みな個別に取材して、個別に自分の信じたことを報じる。それこそが筆者が米国の新聞で学んだ多様性を重視するジャーナリズム本来のあり方ではないか。

 日本で報道に携わる人々が、早くそうできるようになることを、元ジャーナリストとして、私は心から願っている。


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