「北の山・じろう」時事問題などの日記

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「仏壇」と同じだった原発事故対策システム 専門家不在の調査委員会が覆い隠していること{JP PRESS}

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ウオッチング・メディア
「仏壇」と同じだった原発事故対策システム
専門家不在の調査委員会が覆い隠していること
2012.11.29(木)烏賀陽 弘道
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36651
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▼一部引用

(1)

11月23日、永嶋國男さん(71)に追加のインタビューをした。永嶋さんは、原発事故対策の専門家である。経済産 業省の外郭団体「原子力発電技術機構」(現在「原子力安全基盤機構」)でERSS/SPEEDIの開発に中心的な役割を果たした。つまり、福島第一原発事 故で使われるはずだった防災システムを隅々まで知り尽くしている。

 政府がERSS/SPEEDI本来の機能を使っていれば、福島第一原発事故であれほど多数の住民が被曝する事態は避けられたのではないか。どうし てそれができなかったのか。誰のミスなのか。それがフクシマ南相馬市飯舘村といった現場から取材をスタートさせた私の、一貫した問題提起である。

 これまで3回に分けて永嶋さんの話を掲載したところ、非常に大きな反響があった。政府や東京電力福島第一原発事故対策の失敗はもちろん、その後の事故調査委員会の調査内容も不完全であることを、永嶋さんが詳細に語ったからである。

 一方その間、私は核・原子力技術開発の歴史を取材するため、アメリカを1カ月半取材して回った。アメリカでの取材中も永嶋さんとメールで連絡を取 り合った。その証言内容をアメリカ側から裏付けすることができた。前回の取材後にそうした重要な内容が出てきたため、今回のインタビューを追加で重ねるこ とにした。
日本でも飛行機の落下事故を想定して対策を立てていた

──アメリカの核・原子力研究施設を回って分かったのですが、アメリカは国土がだだっ広いので、広大な人の住んでいない空き地がある。そこで「原子 炉を暴走させ破壊する実験」まで積み重ねています。アイダホ州のアイダホ国立研究所では「原子炉を暴走させるとどうなるか」と実際に原子炉が爆発する実験 までやっていた。地平線まで溶岩の荒地にある、月世界みたいな場所にある実験所でした。研究所の人に「一番近い集落までどれくらいの距離があるのか」と聞 いたら「30マイル(約50キロ)」と事もなげに言っていた。なるほど、こういう広い土地の国で原子力発電は生まれたのだな、原子炉が壊れる実験まですれ ば「事故など起こり得ない」などいう馬鹿げた発想は出てこないのだ、と実感しました。

 そうした場所をあちこち訪ねて、永嶋さんがお作りになった「PBS」(Plant Behavior Data System:原子炉事故の進展を予測するシミュレーションシステム。ERSSの一部に組み込まれている)はアメリカに「コード」(コンピューターの演算 プログラム)を発注された、というお話を思い出しました。

 日本政府や班目春樹・原子力安全委員長は「ERSSが壊れて原発からリアルタイムのデータが取れなくなったので、SPEEDIも使えなくなった」 という説明をまだ変えません。しかし「原発事故に備えたシステムが原発事故で壊れた」なんて説明は幼稚すぎて信用できませんでした。驚いたことに、国会事故調査委員会の報告も、その説明を鵜呑みにしてPBSの存在すら言及していない。しかし、PBSが実際に原子炉を暴走させる実験データを基に作ったプログラムであれば「シミュレーション」であっても「現実にやった実験の記録」なのですから正確なのだと思い当たったのですが、いかがでしょう。

永嶋 その通りです。アメリカは実寸の3分の1の大きさの格納容器を造って圧力をかけ、どれくらいの圧力になったら破裂するかという実験もやっています。そうした実験は日本ではできません。ですのでアメリカに発注しました。

(2)

──発注先はどこですか。

永嶋 正確を期するため、2カ所に発注して比較検討しました。1つはニューメキシコ州のアルバカーキ近郊にある「サンディア国立研究所」。アメリカ 連邦政府の研究所です。もう1つはイリノイ州のシカゴにある民間企業「Fauske & Associates」(FAI)です。当時、私が在籍した「原子力発電技術機構」として1995年ごろ発注しました。

──そうしたシステムを日本が発注して作ったとは意外ですね。

永嶋 当時アメリカでは、スリーマイル島原発事故(1979年)のあと新規の原発開業もなく、原子力発電産業そのものが斜陽でした。が、日本は反対 に原発を推進していた。なので予算があったのです。いいお客さんということで、サンディアとFAIにはとても喜ばれました(笑)。

──「原子力発電技術機構」は経済産業省の外郭団体です。原発を推進する経産省が、そうした事故に備えたシステムに予算を投入していたのは意外な感じがします。しかも1995年といえば東海村のJCO臨界事故で死者が出た1999年より前です。

永嶋 チェルノブイリ原発事故があったからです。日本もシビアアクシデント対策をしなくてはならん、ということになったのです。(烏賀陽注:こうした政府・経産省の意図はより詳しく後述する)

──例えばどのような事故を想定していたのでしょうか。

永嶋 六ヶ所村(核燃料再処理施設)に飛行機が落ちたらどうなるか、という「落下事故」を想定しました。

──えっ! そんな想定を経産省がしていたのですか?

永嶋 青森県の六ヶ所村施設と東通原発は米軍・自衛隊の三沢基地の近くにあります。軍用機が離発着する。じゃあ、原発や再処理施設に戦闘機が落ちた らどうなるか、シミュレーションする。旅客機はずっと重くて、エンジンもでかい。そこまでは想定できないので、戦闘機までは対処しようということになりま した。

──データは実際に使われたのですか?

永嶋 六ヶ所村施設の防護設計に生かされていますよ。

──格納容器の破壊実験では、どんな結果が得られたのですか。

永嶋 スティール製の格納容器では、設計圧力の3倍まで圧力をかけても壊れなかった。しかし、壊れるときは一気に全体が破裂する。一方、コンクリー ト製格納容器(烏賀陽注:関西電力・敦賀原発2号機など日本にもある。圧力を想定していない「コンクリート建屋」とは別)は圧力を上げると、あちこちにク ラックが入って、そこから中のガスがしゅーっと出る。

(3)

──原発事故対策を担当する人材には、日米でどんな違いがありますか。

永嶋 アメリカは研究者出身が多いのです。(PBSのような)シミュレーションコードを組み立てていくのはアメリカの方がうまかった。日本はもっと 原発の現場出身者が多い。アメリカは基礎理論、日本は工学出身の違いでしょうか。例えば、烏賀陽さんが取材された松野元さん(『原子力防災』 著者。永嶋氏とは原子力発電技術機構での同僚)は、四国電力伊方原発で実際に原発を運転していた現場経験者です。「原子炉主任技術者」の資格も持ってい る。工学部の原子力工学科を出ていても5人に1人くらいしか受からない難しい資格です。私は筆記試験は通ったんですが(笑)原発の運転はやっていないか ら。実技はやってないんです。

──アメリカの原発を取材してみると、アメリカの原発にいる運転者は、海軍出身者が多い。原子力潜水艦や原子力空母に乗り組むために、原子炉の運転の訓練を海軍で受けた人材が多かった。そうした軍人が軍を辞めたあとの再就職先が原発でした。

永嶋 そうです。だから彼らは運転技術が高いのです。戦闘を想定しつつ原子炉を運転するんですから(笑)。魚雷が当たって原子炉が水浸するなんて当 たり前の想定で訓練を受けている。原発に津波が来ても、彼らなら「想定内」でしょう。戦争を想定しているから、度胸があるというか、冷静なんです。日本の 原発運転員は津波が来てびっくりしてしまった。シビアアクシデントを想定していなかったからです。アメリカの原発運転員にとってはシビアアクシデントは訓 練の想定内です。「通常兵器なら当たっても大丈夫。核魚雷だったら原子炉が壊れてしまうなあ」と、そういう感覚なんです。

──スリーマイル島原発事故があったときのカーター大統領は、海軍で原子力潜水艦の士官だった。カナダの実験原子炉の解体で防護服を着て作業をした経験もある。だから原発事故が起きたときも事態の重大さが分かった。そういう核技術に関わった人材の層の厚さが違いすぎる。

永嶋 カーターはスリーマイル島原発事故のあと、原発の新規開業をスローダウンさせました。原発をよく知っているからこそ、慎重だったのでしょう。
PBSのベースは米国製プログラム「MAAP」(マープ)

──日本の「PBS」の原型になったアメリカ製の原発事故シミュレーションプログラムについて詳しく教えてください。やはりスパコンで計算したりするのでしょうか。

永嶋 1995年当時は、まだパソコンは今のように性能が高くなかった。「ワークステーション」でないと作れなかったし動かせなかった。ヒューレッ ト・パッカード社のワークステーションを使いました。とはいえ、当時のワークステーションはメモリは1GBもなかったしプロセッサのクロック数は 100MHzくらいでしたが(笑)。

──なるほど。どういった作業をして作るのですか。

永嶋 核燃料から冷却材の水への熱伝導の方程式を例にしましょうか。それが正しいかどうか実験で確かめる。それをプログラムに組む。また実験で確か める。その繰り返しです。ある程度出来上がったら、向こうの担当者が東京に来たり、私たちがニューメキシコに行ったりして打ち合わせるわけです。

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