「北の山・じろう」時事問題などの日記

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12年末・この国を選ぶ:原発事故、防げなかった悔い 「自分の頭で考えて」 警戒区域、牧場から願う{毎日新聞}

毎日新聞
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12年末・この国を選ぶ:原発事故、防げなかった悔い 「自分の頭で考えて」 警戒区域、牧場から願う
毎日新聞 2012年12月14日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20121214ddm041010170000c.html
▼全文引用

 東京電力福島第1原発の北西約14キロ。原則立ち入り禁止の警戒区域内の牧場で、吉沢正巳さん(59) は許可を得て牛を飼い続けている。殺処分を逃れた約400頭は、原発事故の「生き証人」だ。吉沢さんは東京・渋谷の雑踏や霞が関などに出向いてマイクを握 り「牧場の今」を発信してきた。衆院選の投開票日を前に「皆が自分の頭で考え、投票する世の中にならないと」と願う。【泉谷由梨子】

 「南相馬市警戒区域解除、半分入れます」「みなさん中へどうぞ」。吉沢さんが農場長を務めるエム牧場浪 江農場。入り口には見学を歓迎する手書きの看板が並ぶ。約30ヘクタールの敷地は、立ち入り可能になった福島県南相馬市と、警戒区域内の浪江町にまたが る。生を受けたばかりの子牛が、母牛のそばにぴったり寄り添う。「見捨てられた命。皆に見てもらいたいんだ」

 事故前の警戒区域内にいた牛は約3500頭。国は昨年5月に殺処分を打ち出したが、避難を強いられた住民の中には畜舎から放した人もおり、今も約1000頭の野良牛がエサを求めてさまよう。

 吉沢さんは同7月、牛を被ばく研究などに生かす道を探ろうと、エム牧場などを拠点に「希望の牧場」プロ ジェクトを始めた。浪江町から立ち入り許可を得てエサやりを続け、野良牛の保護管理もする。避難区域内の農家約10軒も仲間に加わった。エサ代は全国から 寄せられるカンパや街頭募金などが頼りだ。

 このプロジェクトの原点には「無力さ」があるという。吉沢さんは、浪江町で1960年代に浮上した原発誘致に反対してきた。誘致は東日本大震災で立ち消えになったが、事故を防げなかった悔しさから「考えて行動できる人を増やしたい」と街頭に立つ。

 今夏のある夜、JR渋谷駅前でマイクを手にした。「福島を蹴飛ばし、犠牲の上に成り立つ皆さんの暮らし はこのままでいいのか」。足を止めて聴き入り泣きだす女性がいた。だが街にはネオンがきらめき、事故は忘れ去られたかのようだ。11月には霞が関の路上で 訴えた。「原発がなきゃ仕事がないって言うけど、何もかも無くした福島を見てほしい」

 この国の姿を、吉沢さんは「原発まぶり」と表現する。福島の方言「まぶる」は「じっと番をする」こと。「賛成も反対もせず、誰かが答えを与えてくれるのを待っている」。吉沢さんは「それで、いいのか」と問いを投げかける。
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