「北の山 じろう」日記               (その心は?明日、天気にな~~れ!)

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【2012年総選挙を考える】3年の民主党政治を振り返る(その3)

民由合併 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.ohttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E7%94%B1%E5%90%88%E4%BD%B5rg/wiki/%E6%B0%91%E7%94%B1%E5%90%88%E4%BD%B5


元々、旧民主党と旧自由党が、政権の受け皿として政権を担える政党を作るために、民主・自由の合併が成立しました。最初は、鳩山元総理が小沢氏と交渉しましたが、民主党党内の反対が強く、話は流れました(2002年)。
(一部引用)

しかし、翌2003年(平成15年)には民主党内最大グループである鳩山グループが菅に自由党との合併圧力をかけて鳩山が離党も辞さない姿勢を示したことや、菅自身も非自民勢力を結集する必要性を感じていたことから、再度自由党との合併交渉を行った。

最終的には自由党民主党の党役員・政策を継承することで菅直人代表と小沢党首が合意し、7月23日に合意文章に署名。9月26日、民主党自由党を吸収合併する形で合流した。
(引用終わり)


★このような流れをたどり、旧民主党と旧自由党は、合併に至りました。その最大の目的は、自民党に対抗しうる政党(現民主党)を作ることにあったはずです。


★実力者である、小沢氏はその後、民主党内での存在感を強め幹事長として腕を振るい、2009年の総選挙で、政権交代を成し遂げました。(その原動力となりました)簡単に言うと、民主党大勝=政権交代の最大の功労者です。小沢氏は、政治資金疑惑問題により党代表を辞任していたので鳩山総理が誕生しました。この時の民主党は、「小沢一郎鳩山由紀夫菅直人」のトロイカ体制で政権をスタートさせました。鳩山総理の時代は、閣僚にも若手実力者を配し、マニュフェストを実現するべく努力する気構えが見られました。前原元国交相の「八ツ場ダム建設凍結」が、その一番の例です。しかし、鳩山総理は、普天間基地移設問題で政権運営が行き詰まり、辞任しました。


★その次に総理になった、菅前首相は、トロイカを裏切り、党内反主流派と手を結び内閣を組閣しました。そして、民主党政権奪取の最大の功労者である、小沢氏を「敵」であるかのように扱いました。


★この時、菅前総理がそれまでのトロイカ体制を維持していたなら、その後の民主党の政権運営は、全く違っていたと思います。


★菅前総理に交代してからは、大学のサークルか同好会のような政権運営が、民主党政権の常態となりました。民主党国会議員は、政策立案に関与できず単なる、法案採決時の賛成挙手要員になってしまいました。仲間は、優遇する。仲間以外は、無視するか敵視する。


★つまり、政策立案から国会議員は、排除され内閣が党内の合意を得ず、勝手に(恣意的に)政策を決めるようになりました。そして党内最大勢力の小沢派を常に、党内野党の立場に追いやり、政権の恒常的な不安定要因を作りました。この時点で政治公約が、どんどん反古にされていきました。


★そして、その揺り返しで「菅降し」が始まり、菅元総理は、総理の座を降りざるを得ませんでした。この時点では、まだ民主党には、やりようがあったと思います。自分たちに政権与党の自覚と責任があれば、民主党内には総理大臣の務まりそうな人間は、二人しかおらず小沢氏と岡田氏です。結局、野田総理が選ばれ、党内抗争は更に激化。ついには、消費税増税という反則を犯して、ここに国民に対する最大の裏切り行為を行いました。結果、党内反主流派の大量造反を招き小沢グループの集団離党に発展しました。


民主党は、政権担当時から党内抗争に明け暮れ、最後まで党内抗争を続けました。なぜ、同じ党でありながら、ここまで敵味方に分かれて抗争しなければならないのか、不思議です。小沢グループの集団離党は、野田総理に「それだけは、防ごう」と言う気があれば、防げたはずです。小沢さんにしても、離党はしたくなかったでしょう。「消費税増税の撤回」、これを野田総理が決断すれば、民主党分裂は無かったと思います。


★更に、野田総理は、いきなりの解散宣言をして党内反主流派にTPPの「踏み絵」を突きつけます。これで、更に離党者が出て、単独過半数割れとなりました。ここまで来ると、幼稚園のケンカのレベルです。


★選挙結果を見るなら、民主と「未来」が潰し合いをしている選挙区がかなりあります。候補者が1人であれば勝てた小選挙区が、大分あります。割れていなければ、100議席は残ったのでは、ないかと思われます。


民主党の大敗は、党が割れる前からほとんど決まっていました。しかし、党を割るような政策は、採用せず景気対策、被災地対応の強化など支持率を挽回する方法は、あったはずです。選挙の時期にしても、来年夏まで任期があったのですから、負けを少なくする努力をすれば大分違った、結果が出たと思います。同じ負けるにしても負け方があります。負けを最大限、少なくする努力をしないと、次のその次の選挙に影響するからです。


民主党を、見ていると次の選挙を意識し始めたのは、党が割れてからでしょう。野田総理にしても、自分のせいでここまで党内がぐちゃぐちゃになったのですから、自分の手で解散せず総理を降りて、他の誰かに後を任せる選択肢もありました。それもせず、何を考えたのやら突然の解散宣言をしてしまい、民主党の壊滅的敗北を招きました。


民主党政権は、たった3年数ヶ月でした。政権担当能力はなく、その間やっていたのは党利党略ばかりです。国民が、「ケンカ両成敗」の判断を下したのも当然です。政権についたとたん、バカとアホウがケンカを始めて最後までケンカし続けて、国民にトコトン見放されたと言う事でしょう。


★「こうなると国民が困る」と言う事は、全然考えていなかったのでしょうネ??せっかく、2大政党制の原型が出来たと思ったら、もろくも壊れてしまいました。鳩山・菅・小沢で作ってきた自民党政権に対抗する勢力を、自ら完全に壊してしまいました。


★こうなってみると、残念なのは小沢さんの行動です。辛抱できなかったのかもしれませんが、ここは一番「大我慢」して党を割る事だけは、避けて欲しかったと思います。「年の功」という言葉があります。国民のためを、一番に考えるなら、「ならぬ堪忍」も出来たのでは、なかったのかと思います。せっかく、小沢さんが長年目指してきた二大政党制の原型を作ったのですから辛抱していただきたかったです。


★今となっては、「新規まき直し」ですネ???



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