「北の山・じろう」時事問題などの日記

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「存在に値する」会社の必要条件は何か? それは過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」だ!

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井上久男「ニュースの深層
「存在に値する」会社の必要条件は何か? それは過去を健全に否定し、世の中に新しい価値を送り出し続ける「起業家精神」だ!
 2012年11月18日(日) 井上 久男>(1)-(6)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34064
▼全文転載


(1)

 本コラムでは2回連続でパナソニックやシャープの大赤字と経営責任の話を書いた。「もっと厳しく書け」「批判して書き過ぎだ」といった声が読者や 知人から寄せられた。物書きである以上、自分が書いたことに様々な批評が加えられるのは当然であると思っているし、耳を傾けるものもあれば、無視するもの もある。

 そうしてあれこれ考えるなかで、利益を出した会社が偉いのか、株価を上げた会社が偉いのか、経団連会長になる会社が偉いのか、といった具合に「会 社はなぜ存続しているのか」という根源的な問題を考えてみた。ここでいう「偉い」の意味は、「存在に値する」といったイメージに近い。

 個人や公的年金の資産の運用対象となる上場企業の株価は我々の生活にも大きな影響を与える。その株価を支えているひとつの指標が企業の収益である ことは間違いない。この2つは非常に目に見えやすい指標だから、筆者も含めて経済記者はみなその上がり下がりを見て企業経営を論じる。

 しかし、筆者は利益や株価だけでも企業を評価しない。その企業の姿勢や志も見る。たとえ赤字で株価が下がっていても、将来を見据えた準備段階にいるだけのケースもある。筆者流に言うと、偉い会社とは「新しい価値」を生み出している会社である。

 新しい価値とは、リスクに立ち向かい、これまでにないような経営手法を用いて新しい技術やサービスを生み出し、世の中を進化させるという意味合い が多分に込められている。新しい価値を生み出すから顧客が付き、利益も生まれる。要するに、「儲けは後から付いてくる」といった経営方針の会社を評価する ようにしているのだが、多くの日本企業からはこうした志が消えているように思えてならないのである。

(2)

20年以上前に生まれた「ファブレス」企業

 メガチップス(本社・大阪市)という会社をご存じだろうか。半導体の会社である。社員280人。2012年3月期売上高は354億円、営業利益率 は8.5%と高い。東証一部に上場する株価は2012年10月19日に年初来高値の1,905円を記録し、1,000円台後半を維持している。

 日本の半導体産業はエルピーダメモリの倒産に象徴されるように苦境に立たされているが、メガチップスの業績は好調だ。

 同社は1990年、日本で初の生産設備を持たない半導体メーカーとして誕生した。研究開発に特化した設計部隊中心の「シリコンバレー型」企業で、 生産は台湾メーカーに委託するという、日本では珍しいビジネスモデルを20年以上も前に始めた会社だ。三菱電機やリコーで技術者だった進藤昌晶弘氏が50 歳を直前にして裸一貫で創業した。現在では任天堂のゲーム機などにシステムLSIを納入している。

 メガチップスは他社がやらないことに挑戦して成功した企業だ。「ファブレス(製造部門を持たない)」という日本の半導体産業になかった概念を採り入れて、産業界に新しい価値をもたらした。かつて進藤氏はこう語っていた。

 「会社というものは、誰がどのようなビジョンを持って創業し、どのような理念のもとに育成するかによって大きく変わるものだと思います。ビジョンや理念は、むしろビジネスのアイデアや戦略よりも会社の体質や文化に大きな影響を与えるものです」

日本型エレクトロニクス産業の構造問題解決に挑戦

 進藤氏の経営者としての信念が社員や顧客を動かし、成長につながった。決してハウツー的には語れない。

 進藤氏は創業の動機について「大げさな表現をすれば、日本型エレクトロニクス産業の構造問題の解決に挑戦したいと思ったことでした」と振り返る。 当時、これからは技術革新によりシステムやLSIが複雑になるため、日本企業が得意としてきた規格画一製品の生産力によって国際競争に勝つ時代は終わり、 21世紀には創造的技術で競争する時代に入る、と考えたのであった。

 20年近く前、日本の半導体産業は世界トップレベルだったが、メモリーなどの生産規模を競い合うことに主眼が置かれていた。結果として、日本の半導体のビジネスモデルは韓国との競争に敗れた。

 進藤氏は当時から日本の半導体のビジネスモデルに危機感を持ち、競争に勝ち残るために生産設備を持たないという革新的な考えで、既成概念を打ち破ったのである。創業者の先見性が新しいビジネスを開拓したと言えるだろう。

(3)

 このように日本には学ぶべき成功事例もある。リーダーと社員が覚悟を持って一丸となって取り組めば、活路は見いだせるのである。これは単純な根性論ではない。忘れ去られようとしている基本的な経営論である。日本は決して悲観的になる必要はない。

アトム電器の存在が「インフラ」になりつつある

 家電産業に目を向けてもすべてがどん底というわけではない。下流の販売では潤っている会社もある。非上場だが、その代表格が「アトム電器(アトムチェーン本部)」(本社・大阪府羽曳野市)ではないだろうか。

 大手家電量販店に押されて経営が苦しい街の電器屋さんとフランチャイズ契約を結び、本部で大量に仕入れた安い家電製品を卸すことで業績を伸ばして きた。約10年前には全国に78加盟店だったのが今や881店にまで拡大、全加盟店を合計した売上高は200億円になった。業績が伸びている理由は、アト ム電器の存在が「インフラ」になりつつあるからだ。

 高齢者は電球1個取り換えるのにも一苦労で、しかも新しい家電製品が出ても親切な説明がなければ使いこなせない。大型量販店ではなかなか対応して くれない。街の電器屋さんは「御用聞き」のような存在で、きめ細かいニーズに対応してくれる。しかし、その電器屋さん自身が高齢化や後継者難、大型量販店 の値引き攻勢に負けて廃業が増える傾向にある。このため、特に過疎が進む地方では「インフラ」としての電器屋さんの存在が貴重になっているのだ。

 こうした状況に目を付けたのがアトム電器だった。本部で大量に仕入れることで大手量販店並の安い価格で卸し、街の電器屋さんの強みであったサービ ス力を維持しながら大手への価格対抗力を持つというビジネスモデル構築に動いて当たった。フランチャイズを率いるのが三洋電機のエンジニアから独立して裸 一貫で会社を興した井坂泰博社長だ。

 はじめから順風満帆だったわけではない。1984年、新しくフランチャイズ展開を始めて24加盟店になったころで脱会が相次いだ。「自分が儲けた いために、サラ金に借金があるような自己管理できない人にまでお金を貸して加盟させました。これでは長続きしません。脱会する加盟店に貸付金の取り立てに 回り、『井坂さんは鬼や』とまで言われました」と井坂氏は振り返る。

 結局、全加盟店が脱会し、ゼロからのスタートとなった。

 「経営者として勉強不足でした。地域社会に貢献し、加盟店の利益と社員の成長を優先する経営をしなければ永続しないことを悟りました」

地域で愛される「家電や住宅のホームドクター」

 経営理念を練り直して1993年にフランチャイズ展開を再スタートさせた。自然体で身の丈に合わせた経営を徹底することにした。井坂氏は今の経営スタイルをこう例える。
「雑魚は磯辺に、鯨は太洋に」。大型量販店を鯨に、街の電気屋さんを雑魚にたとえて、低価格を追求しながらも取るべき戦略は違うということを示す。

(4)

 中でも最重要商品と位置付けるのがエアコンだ。単品を売るだけではなく、取り付け工事とアフターサービスが必要な商品であり、町の電器屋の経営に 最もフィットした商品だと井坂氏は分析している。「エアコンの価格で他店に負けたら差額の2倍をキャッシュバック」することを徹底、費用は本部が負担す る。冷蔵庫などは特定メーカーの製品に絞って大量に仕入れ、大手量販店に負けない「戦略商品」と位置づける。

 リフォームにも力を入れている。電器屋さんはお客の自宅に上がって様々な相談を受けるので、そうしたニーズを取り込んでいこうという考えだ。たと えば、トイレ改装を相談されれば、すぐに節電型温水洗浄便座などを紹介する。取り付け方を学ぶ講習も本部が強化している。アトム電器が目指している方向性 は、地域で愛される「家電や住宅のホームドクター」なのだ。

 個人経営の小さな4人の電器屋さんが集まって、経営は各自独立採算を維持しながらも一つの店舗を共同利用して運営費を節約するスタイルも推進している。地方ではプロパンガス屋が相乗効果を狙ってアトム電器の看板を出すケースもある。

 そして井坂氏が現在最も力を入れて取り組むのが、若者の就職難と電器屋の後継者難を同時に解決するためのシステム作りである。各地の大学で起業塾 を開くなどしてやる気のある学生を発掘し、後継者難の電器屋さんに有給の研修生として送り込み、独立開業の準備をしてもらう仕組みだ。

 従来であれば600万円近くかかっていた開業費用を90万円程度に抑えた点にもこれまでのノウハウが凝縮されている。「全国に受け入れ先があるので自分の故郷で起業することもできます」と井坂氏。若者の就職先が不足している地域の問題解決まで視野に入っているのだ。

過去を健全に否定することで生まれる価値

 フランチャイズに新たに加盟してくるのは、パナソニックなど大手家電系列店からの乗り換え組が中心。パナソニックは中村邦夫氏が社長時代に展開し た改革で、国内営業は大型量販店向け中心に切り替えた。「パナショップ」と呼ばれた地域の系列販売店は切り捨てられたケースもある。

 国内市場が縮小していく中で、大型量販店の存在感が増していたので大量に販売しようと考えれば、この戦略に傾いたのも分からないではないが、 「サービス」「役に立つ」という創業者・松下幸之助氏が大切にしてきた理念が失われた面もある。そのパナソニックの苦境を尻目に、「脱パナショップ」に向 かった販売店がアトム電器チェーンの下で再生に向かっているとは何とも皮肉ではないか。

 井坂氏の経営者としての特長は、過去を健全に否定し、時代の変化に合わせてビジネスを構築している点にある。小粒な会社ではあるが、新しい価値を創出している。そして自社の成長と社会の問題解決を重ね合せている。

 かつて松下幸之助氏も「水道哲学」を掲げた。安くて便利な商品が行き渡り社会が豊かになることを目指した考えで、ビジネスと社会性の両立を常に意識していた経営者だ。基本的な考え方に井坂氏との共通点を見いだせる。

(5)

 メガチップスやアトム電器を見ていれば、新しい価値を生み出すためには、過去を健全に否定することが大切であることが分かる。なぜ、大企業にはそれができないのだろうか。筆者は、その大きな要因がリーダーの資質の劣化にあるような気がしてならない。

 トップに立つ経営者が自分よりも器の小さい人物を後継者に選び、また次のトップが同じことを繰り返して、「傀儡」と言われるようなひ弱な経営者が目立ち始めた。トップ人材の育成でも負のスパイラルに陥っているのだ。

リーダーには「起業家」「事業家」「経営者」の3タイプある

 企業が新しい価値を生み出していくには、結局、優れたリーダーを選ぶしかない。その際に考えるべきことが次の点だ。

 リーダーには「起業家」「事業家」「経営者」の3タイプがいる。これは言葉遊びではない。いずれも会社を起こせば社長や経営者と称されるが、求められる資質が違うという意味である。

 「起業家」とは文字通り、自らリスクを取って会社を起業した人物であるが、会社を新たに作ればみな起業家と呼べるかと言えばそうは思わない。筆者 が考える起業家とは、既得権や既成概念と対立しながらも、今までの世の中に存在しないような技術やサービスをゼロに近いところから生み出し、社会に新たな 価値を送り出す人のことである。

 壮大な構想力の下、自ら生み出した技術やサービスが人々の暮らしぶりを変えてしまうような人である。その思想や行動が産業や社会の在り方を変えてしまえば、起業家と言えるかもしれない。だから起業家は思想家でもあるのだ。

 「事業家」とは、合併や買収などのテクニックを駆使してすでにある技術やサービスなどをうまく組み合わせてビジネスを拡大していく人である。自ら リスクを取って新しい会社を作るケースもあるが、それはむしろ買収や合併の受け皿としての会社である。経営のスキルを重視するタイプではないか。

 そして、ここで言う「経営者」とは、自分が経営の第一線から退いて死去しても、自分の会社が後世まで長く続く仕組みを作った人のことである。

 歴史上の人物に例えると分かりやすい。織田信長は「起業家」である。半農だった当時の武士団を専業にしたり、集団戦で鉄砲を使う戦術を生み出した り、信仰崇拝の対象であった比叡山延暦寺を焼き打ちしたり。戦国大名のイメージを完全に打ち壊し、新しい統治形態を模索していた。

 豊臣秀吉は「事業家」である。信長から受け継いだ「遺産」をベースに、巧みな交渉術で徳川家康を表面的に臣従させ全国を統一した。今風に言えば M&Aが上手だった。しかし、朝鮮出兵という「買収戦略」に失敗して政権基盤が揺らぎ始め、秀吉の死後、豊臣政権は崩壊して事実上一代限りで終 わった。

 徳川家康はまさに「経営者」だった。自らの死後200年以上も続く江戸幕府という組織体系を整えたからだ。

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 ベンチャーの創業者に人気の坂本竜馬は「起業家」であろう。「脱藩」という当時の既成概念から大きくはみ出した行動を取り、「薩長連合」を仲介して成立させたことが江戸幕府という既得権を打ち壊すことにつながったからだ。

起業家精神こそが新しい価値を生み出す「源泉」だ

 筆者の独断であるが、起業家は「野垂れ死に」することが多い。信長は家臣の明智光秀に殺され、竜馬も暗殺されている。ビジネスの世界でもベンチャーは「センミツの世界」と呼ばれる。1000社設立して3社くらいしか成功しないというイメージからそう呼ばれるのだ。

 起業家は「野垂れ死に」覚悟で自分の夢や哲学を愚直に追い求める。権力にも迎合しないし、既得権者とぶつかり、潰されることもある。さらに、新しい技術やサービスを生み出すことはできても、会社を潰してしまうことが多々ある。決して経営がうまいタイプとはいえないのだ。

 これに対して事業家は着眼点と要領がいい。人たらしで、時には「爺殺し」で財界の長老や官僚や政治家も味方につける。起業家が失敗したビジネスを引き取りうまく軌道に乗せることもある。自分の会社の経営がまずいと思えば、すぐに方針転換もする。

 そして経営者は死後に評価が定まる。

 これら求められる資質が違う「三役」を一人でこなす傑物も稀にいる。誰もが知る人を挙げろと言われれば、筆者は一人しか思いつかない。松下幸之助 氏である。松下電器産業(現パナソニック)をゼロから興して、途中、買収をしながら会社を大きくし、自分の死後も会社が永続するような組織を作った。

 ホンダを創業した本田宗一郎氏は一人でホンダを育てたわけではなく、藤沢武夫氏との二人三脚だったので、2人合わせて「経営者」と言えるかもしれない。

 日本は産業も政治も混迷の時代だからこそ、既得権や既成概念を打ち破るような起業家が必要なのではないか。高度成長時代の日本経済に戻すという単純な発想ではなく、新しい日本を創りだすという意味で、そう思うのだ。起業家精神こそが新しい価値を生み出す「源泉」となる。

 米国の経営学者、故ドラッカー氏も「起業家精神はしばしば大企業の中で生まれてきた」と説く。ドラッカー氏の言葉は、米国の大企業、GEやIBM がその事業形態を変えながら社会に新しい価値を送り出し、巧みに生き残ってきたことなどを指している。日本の大企業にそれができないとは信じたくない。

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