「北の山・じろう」時事問題などの日記

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なぜ日本から優れたリーダーがいなくなったのか? ~福沢諭吉の思想に学ぶ「独立自尊」の精神

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井上久男「ニュースの深層
なぜ日本から優れたリーダーがいなくなったのか? ~福沢諭吉の思想に学ぶ「独立自尊」の精神
2012年11月30日(金) 井上 久男
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▼全文転載


(1)

 以前、本コラムで幕末の思想家である吉田松陰の次のような言葉を紹介した。

 「乱は兵戦にも非ず、平は豊饒にも非ず、君君たり臣臣たり、父父たり子子たり、天下平なり」

 これを現代語に訳せば、「戦争が起きているから世の中が乱れているわけではない、豊作だから世の中が平和だということでもない、主君が主君の役目 を果たし、家臣が家臣の役目を果たし、父親が父親の役目を果たし、子が子の役目を果たして初めて天下は治まる」という意味である。

 今の日本の置かれた状況にぴったり当てはまるのではないか。日本は若者の就職難や格差の問題などがあるとはいえ、アルバイトでも働けば食うに困ることはない。街の家電量販店でもものは溢れている。

 しかし、世の中は何となく不安定であり、年金問題など将来不安もある。この理由は、政治家が政治家としての使命を果たしておらず、国民も国民とし ての責務を果たしていないからではないかと思う時がある。親の死を隠してその年金をねこばばしていた事件などは、国民がその責務を果たしていない最たる例 ではないか。

 激動の時代を生き抜き、「安政の大獄」の政治犯として29歳で刑場の露と消えた松陰の言葉は今振り返っても重い。この平易な表現ながらも重厚な思 想が、活動期間はわずかでありながらも「松下村塾」の門下生に多大なる影響を与え、明治維新を支えた傑物を育てたことは間違いあるまい。

国家の将来像という「思想」の欠如

 総選挙を控えて有権者の一人として日本の行く末を託すべきリーダーは誰かと考えてみたが、見当たらない。筆者は政治取材のプロではないが、乱立する「第3極政党」は選挙に勝つためだけの打算的な合従連衡を繰り返しているようにしか見えない。

 なぜ日本から優れたリーダーがいなくなったのかを自分なりに考えていくと、優れた思想家の欠如という課題に突き当たる。封建時代でも近代でも為政 者(リーダー)の考えや行動の背後には必ず優れた思想家の存在があった。前述した吉田松陰も然り。徳川将軍全盛時代でも新井白石荻生徂徠、室鳩巣といっ た幕政のバックボーンとなる思想を授ける人物がいた。最近では京都大学の故高坂正堯教授が挙げられるのではないか。

(2)

 為政者と思想家は「一対」であり、思想家の考えや発言が為政者の判断に大きな影響を及ぼしたが、今の政治家の周辺には優れた思想家が存在していな いように思われる。円高やデフレ対策はどうすべきか、対米・対中交渉はどうしたらうまくいくのかといった経済政策や外交政策でのハウツー的なことを指南す るコンサルタントに近い学者はいる。しかし、「思想家」が見当たらない。

 筆者が言う優れた思想家とは、安全保障や教育、経済政策など国づくりの根幹に関わることに対して、ぶれずに奥ゆかしい助言のできる人材である。今 回の総選挙でもエネルギー政策などでリーダー的政治家の考えや発言がぶれるのも、その場しのぎ的に選挙に勝てばよいと考えているからであり、その背景には 国家の将来像という「思想」の欠如が窺える。

 偉大なる思想家が今の日本社会にいないとすれば、吉田松陰のような過去の思想家に学ぶこともできる。時代を経ても陳腐化していない。筆者の独断ではあるが、松陰と並んで、今こそ耳を傾けるべき思想家は福沢諭吉ではないかと思う。

 『独立自尊』 という本がある。東大教授を経て現在は政策研究大学院大学教授を務める政治学者北岡伸一氏の著書である。北岡氏は日本政府国連代表部次席大使を務めたこと もあった。その書籍は、福沢諭吉の思想を中心とした伝記的著書である。北岡氏は大学のゼミで若い学生に福沢の生き様を教えてきただけに平易に福沢の思想が 理解できる。

 筆者は、大分県中津市に今でも史跡として残る福沢諭吉の実家に友人の中国人ジャーナリストと一緒に訪ねたことがある。1万円札の1号券も飾られている。史跡を見た後でその友人が語った言葉が今でも忘れられない。

 「中国は列強の植民地になったのに、日本はならなかった。その理由がいま分かりました。福沢のような優れた思想家が日本にはいたからですね」

混迷の時代に最も必要なものは独立自尊の精神

 北岡氏の著書をベースに福沢諭吉の思想のいくつかを紹介したい。総選挙を控えて、一有権者として日本の将来を考えるうえでも、あるいは個人が激動の時代を自助努力で自身の人生を切り拓いていくうえでも参考になると筆者は感じる。

 まず、北岡氏は著書のまえがきの中で福沢の生き様をこう総括している。

〈 福沢が郷里を出て、蘭学を学び始めたとき、何の成算があったわけではない。むしろ、無謀な行動だったと言うべきだろう。しかし、福沢は小さな打算や、利害 得失で考えたりはしなかった。それは自らを貶めることである。そうではなく、福沢は自らの内なる声に耳を傾けて、本当にしたいこと、本当に正しいと思うこ とだけをした。自らを高く持し、何者にも媚びず、頼らず、何者をも恐れず、独立独歩で歩んだ 〉

(3)

〈 福沢のような才能に恵まれた人は稀である。しかし、自らを高く持して歩むこと、歩もうと試みることは、福沢でなくても出来ないわけではない。そういう独立自尊の精神こそ、混迷の時代に最も必要なものである。それなしには、日本は長期低迷から抜け出せないように思う 〉

 筆者もこうした生き様こそが今の日本の政治家や国民一人ひとりに求められているのではないかと思う。

 福沢は「自由と責任」についても個人と国家の両方に当てはめて考えている。明治になって自由に学べるようになった反面、学んだ人物は「公」をよくしていく発想が必要だと説いている。国については有名な『学問のすゝめ』の中で「理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を捨てて国の威光を落とさざることこそ、一国の自由独立と申すべきなり」と説いている。

「一身独立して一国独立す」

 こうした考えが福沢の「一身独立して一国独立す」に繋がっている。この意味について北岡氏はこう解釈している。

〈 個人と同様、国家も平等である。有様は違うが、権義は同じである。強い国が弱い国に無法を働くことは許されない。そして有様の違いは、個人において学問を するしないによるのと同様、人の勉めると勉めざるとによる。今日の貧国が明日の富国となり、あるいはその逆の場合も、古来例は少なくない 〉

〈 国家の運命を自らの運命と重ね合せて考える個人がすなわち国民である。そいう国民が多くいないと、国家は保てないのであり、依存心の強い者は、国家の頼りにならない 〉

 今の政治家自身が自分の運命と国家の運命を重ね合せているのだろうかとも問いたくなる。選挙に勝って権力が欲しいだけではないか。しかし、こうした政治家に投票するのも国民なのである。福沢の思想はこうした点についても戒めているのだと思う。

 福沢の「怨望の人間に害あるを論ず」という思想も興味深い。妬みや嫉妬が社会の発展を妨げるという考えである。北岡氏の解説はこうだ。

〈 他人の有様に比べて自分に不満を抱き、自分を省みずに他人を責める。それは人間交際をむしばむことはなはだしい。なぜ、そういうことが生じるのか。貧困などでなく、窮が原因である。言路をふさぎ、行動を制約するから、怨望は起こる 〉

 これは、現代の企業社会の中でもよく起こっている現象ではないだろうか。特に経営者層が自分より優れた後輩や同僚に嫉妬し、無能で寝首をかかない人材を後継者に据えて、経営者層の人材としてのスケールがだんだんと小さくなっている。

(4)

「気風快発にして旧慣に惑溺せず」

 政治家でも新しいリーダーが出てこようとすると、枝葉末節をつついて潰しにかかる。経営者やリーダーが「怨望」の気持ちを捨て、有能な後継者にその地位を禅譲するくらいの気持ちがなければ次世代のリーダーは生まれない。

 『文明論之概略』では福沢は「気風快発にして旧慣に惑溺せず」「古を慕わず今を足れりとせず、小安に安んぜずして未来の大成を謀り」と説いている。

 北岡氏の解説はこうだ。

〈 惑溺とは、本来ある目的に対する手段であったものが、本来の目的 を離れて自己目的化してしまったことをさす。武士にとって刀はがんらい身を守るためのものだった。しかし、平時になってもこの習慣を廃止せず、かえって金 銀をちりばめて帯刀するようになった。(中略)旧習に惑溺することは日本の国体を危うくすると論じたのである 〉

 これも今の政治の課題に通じるものがある。何のための消費税増税か、何のための日銀による建設国債引き受けか、本質的な議論がないように思われ る。もちろん、膨張する社会保障費への対応や景気浮揚策といった目的は説明されているものの、肝心なのは、日本をどのような国にするのかということであ る。企業にたとえれば「経営理念」がないまま逐次的な弥縫策を展開しようとしているように見えてしまうのだ。福沢の場合は、「国の独立を維持する」という 明確な理念に基づいての発言であった。

日本には政府ありて国民なし

 北岡氏の著書によると、福沢は「政権」と「治権」という考えを持ち出していたことも興味深い。政権とは、安全保障や金融などの政策を一律化して各 藩による統治形態を改めるということだが、「治権」とは地方分権のことを指し、警察や道路整備、衛生などは各地に便宜にしたがい、地方人民の幸福を図るた めのものであると考えていた。日本という国の形を考えていくうえで地方分権の議論は避けて通れない面がある。こうした思想も現代に通じるものがある。

 また、福沢は日本の歴史では、政府の交代はあっても権力の交代がなかったことも指摘しているという。北岡氏は〈 国民を巻き込んだ大きな変革がなかったところでは、人民に国家の主人であるという意識が欠けている。このように福沢は批判し、日本には政府ありて国民なしと断ずるのである 〉と解説している。

 「政府ありて国民なし」という指摘も現代に通じる。「国民なし」だから国民が選ぶ真のリーダーが出てこないし、偽リーダーにいいように国家をもてあそばれているのではないだろうか。

(5)

 これまで述べてきた福沢の思想の根底には「新しい国づくり」という考えがあった。しかし、今のほとんどの政治家にはそれがない。弥縫策の政策を作るのが政治家、リーダーの仕事ではない。将来を見据えて新しい形を創りだそうとするのが真のリーダーである。

 福沢のこうした思想があまりにも社会に強く影響を与え始めたため、明治政府は福沢の影響力の排除に動き、福沢が創設した慶応義塾を潰しにかかった ことがあるという。優れた思想家は為政者と一対であるべきと同時に、鋭い思想は社会に軋轢を呼ぶ。吉田松陰は処刑され、同じく幕末の思想家である佐久間象 山も暗殺された。

 しかし、摩擦を起こすくらいの思想、誤解を恐れずに言えば反対派から殺されるくらいの思想でないと、本当の「思想」とは呼べないのかもしれないと 筆者は感じる。事なかれ主義に陥った社会や組織は「摩擦」を嫌う傾向にある。これも今の日本に真の思想家が誕生しない大きな要因であろう。

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