「北の山・じろう」時事問題などの日記

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この国と原発:第5部・立ちすくむ自治体/3 異例「再稼働を」可決<毎日新聞>

毎日新聞
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この国と原発:第5部・立ちすくむ自治体/3 異例「再稼働を」可決
毎日新聞 2012年04月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120425ddm002040058000c.html
▼全文転載


(1)
                    

 ◇議会に根深く、関電利権

                         

 東京電力福島第1原発事故から半年後の昨年9月、関西電力高浜原発が立地する福井県高浜町の議会で「原 発再稼働」を求める意見書が事故後全国で初めて可決された。脱原発の世論に配慮して全国の立地自治体が再稼働への態度表明を控える中、「原発推進」を明確 に訴える異例の内容だった。

                         

 「高浜町は発電所と切っても切れない関係だ」。提案者の粟野明雄副議長(62)は議場でこう訴えた。町議14人中、反対したのは1人だけで、意見書は可決された。

                         

 今年2月、粟野副議長が経営する金属加工会社「粟野鉄工所」と関電の深い関係が、毎日新聞の取材で明るみに出た。工事経歴書などによると、同社は関電から10年度までの5年間に133件、総額約7億円の工事を受注していた。

                         

 町役場の北西約6キロに建つ高浜原発。構内には「協力会社事務所」が並ぶ。地元のメンテナンス業者など 原発に出入りする約50社が、3階建ての4棟に分かれて入居しており、粟野鉄工所もその一つだ。従業員15人前後と小規模だが、関電からの直接受注も多 く、業績は同業者の中で突出しているという。地元業者は「なぜあの規模の会社が元請けに入れるのか分からない」と首をかしげた。

    
(2)
                    

 JR小浜線若狭高浜駅2階のフリースペース。粟野氏は冗舌だった。「(90年代初めごろ来た)原発副所 長と親しかった。副所長が『地元に仕事をしてもらうのが大事』ということで、地元企業がみんな入ったんや。関電は地元に気を使い、おこぼれを出してた。そ れがなければ地元は『どうなってんだ』となる。僕からやない。関電から近付いてきた」

                         

 粟野氏は03年の町議初当選以前から関電と付き合いがあったことを強調。公共工事を一切受注せず、関電関連の工事だけで95年に約4600万円だった請負額が2億円超に成長したことについては「営業努力だ」と説明した。

                         

 町議経験者によると、関電と町議の深い関係は74年に同原発ができた頃にさかのぼるという。90年代に 町議だった男性は「十数キロ離れた(京都府)舞鶴によく食事に行き、酒代もタクシー代も関電持ちだった」と打ち明ける。別の元町議は「町幹部や町議が関電 と無関係であることは不可能だ。この町の経済は原発なしでは成り立たず、誰もが関電と関わらざるを得ないんだから」と断言した。

                         

 そもそも同町では、工事業者以外にもタクシーや民宿、商店など、関電や取引先の利用に依存する業者が多く、「関電の協力なしに選挙には通らない」とまで言われる。関電社員の町議も1人いる。

    
(3)
                    

 3月には毎日新聞の調べで、再稼働を求める意見書に名を連ねた粟野氏以外の2町議も、関電子会社への倉庫の賃貸しや関電独身寮の管理業務で大きな利益を得ていたことが分かった。

                         

 利害関係者が原発再稼働の意見書を出すことに問題はないのか--。こう問うと、粟野氏は「それは、げすの勘繰り」と繰り返し、こう言った。「高浜が原発を受け入れたのは電気を送るためじゃない。地域振興のため。原発が止まったらあかんのや」=つづく

     この国と原発 アーカイブ2012年
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