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この国と原発:第7部・メディアの葛藤 メディアに不作為責任--ジャーナリスト・評論家、武田徹さん
毎日新聞 2012年10月22日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121022ddm010040003000c.html
▼全文転載
(1)
原発導入の初期、日本のマスメディアのほとんどは原発や核燃料サイクルに肯定的だった。しかし、70年代半ばの石油ショック以降、批判的な報道が増える。特に事故の時は、かなり厳しい報道がなされてきた。
石油ショックは、原発建設への追い風になると同時に、経済成長一辺倒の価値観への疑問を生み、メディア もそれを反映していた。その点では、メディアはただ「安全神話」のみを流してきたわけではない。しかし、その後もメディアは原発推進政策を崩せず、福島第 1原発事故も防げなかった。その点でメディアには私も含め、不作為の責任があると思う。
例えば、事故が深刻化した原因に、全ての非常用発電機が津波で水没してしまう位置にあったことが挙げられるが、メディアが積極的に問題提起していれば、改善されていたのではないか。
しかし、実際には「賛成」「反対」二つの共同体ができていて、メディアやジャーナリストも分断されてし まった。「絶対安全」の推進派と「絶対反対」の反対派が互いに聞く耳を持たずに向き合う膠着(こうちゃく)状況からメディアも脱することができず、「今あ る原発のリスクを最小化するにはどうするか」という観点が置き去りになってしまった。
(2)
取材するほど推進側に説得されてしまう構造もあったと思う。ただ、それはカネや接待などという単純な問題ではなく、むしろ、代替エネルギー利用の現実性について、反原発側が説得力ある説明をできる条件がそろっていなかったことが大きかったように感じる。
核兵器との連続性という視点にも乏しかった。メディアは「核と原子力は別」という推進側の論理に乗ってしまった面がある。原発や宇宙開発などの巨大科学技術は、政治や外交、軍事とも密接に関係している。分野を横断した取材体制が必要だった。
事故を経験した今、以前にも増して脱原発を求めたくなるのは理解できるが、既に原発を織り込んで成立し ている立地地域の経済を軟着陸させる道を作らずには前に進めない。核を巡る日米や世界各国との関係も日本の原子力政策に影響しており、軌道修正しようにも 時間がかかる。だとしたら、それ以前の段階で「どう、しのいでいくか」という発想を持つことが、メディアには求められると思う。
今の日本社会は、すぐに白黒をつけたがる傾向が強まっているが、相手を非難するだけでは何も解決しな い。メディアは意図的にそこから距離を置き、共有できる部分を探すための議論の場を提供することを考えた方がいい。被ばくをめぐる差別などの現実も含め、 さまざまな立場の人々を多角的に取材し、事実を提示していくということに尽きるのではないか。(談)
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(3)■人物略歴
◇たけだ・とおる
1958年生まれ。恵泉女学園大教授。国際基督教大博士課程修了。メディアと社会の関係を長年考察し、ジャーナリズム教育にも携わる。著書に「私たちはこうして『原発大国』を選んだ」「原発報道とメディア」など。
http://mainichi.jp/feature/20110311/konokunitogenpatsu/archive/news/2012/index.html
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