「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

原発事故関連死(3)再移転心労重なる 消えた家族の未来図<福島民報・連載記事>

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/
原発事故関連死(3)再移転心労重なる 消えた家族の未来図
2012/12/01 16:49
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5689.html
▼全文転載


 
高橋さん一家が昨年5月28日に引っ越してきた県公務員住宅。2カ月半余りで再移転を余儀なくされた=福島市渡利
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/images/3%20%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.jpg

 飯舘村の高橋清さん(58)一家が村から紹介された福島市渡利の県公務員住宅に身を寄せたのは、計画的避難区域の設定から1カ月余りがたった5月28日だった。
 県公務員住宅は6畳1部屋と4畳半2部屋に台所の3K。離れも含め7部屋あった飯舘村の自宅と比べると、父藤七さん(85)、清さん夫婦、成人している 長男長女の大人5人に中学生の次女が生活するには息苦しいほどだった。「6畳に男3人で寝た。その部屋で食事もした」。長男は1人になれる時間を求めて1 カ月半後、別のアパートに移った。
 「今住んでいる場所の放射線量は高いので別の場所に移った方がいいですよ」。7月下旬、村役場からの電話だった。渡利での生活に慣れてきたころだった。 「また引っ越しか」。家族全員がため息をついた。8月13日、渡利から4キロほど離れた福島市大森のアパートに慌ただしく引っ越した。避難疲れから家族の 会話は次第に少なくなっていた。
 借り上げのアパートは9畳1部屋、6畳2部屋、4畳半1部屋。キッチンも広く、気分的には楽になった。
 しかし妻広美さん(48)=当時=にとっては家族の移動の他に、勤めていた測量会社の引っ越しもあった。村と福島市の新しい事務所の間を何度も往復し た。同僚の葬儀もあった。毎朝、長女を勤め先に、次女を中学校に送り届けてから会社に向かった。引っ越して10日後には藤七さんが歯の治療のため入院する ことになった。避難のストレスに加え、さまざまな責任が重なっていた。
 忙しい日々の中、「子どもらのことを考えると飯舘に帰るのは不安。別の土地に家を建てようか」と2人で前向きに話し合う時もあった。しかし、広美さんの死とともに家族の未来図は吹き飛んだ。
 亡くなった翌日、清さんは1人で飯舘の自宅に向かった。遺影に使う広美さんの写真を探した。広げた、どの写真にも家族の歴史があった。
 清さんは福島市の電器店に長く勤め、30年余り市内に通った。仕事が遅くなっても泊まることはなかった。家に着くのは10時すぎ。そこからわずかな時間、広美さんとの晩酌が楽しみだった。
 「女房は山下達郎なんか好きでね。子育てが終わって落ち着いたら、旅行とか少しは楽しみたかったね」

カテゴリー:原発事故関連死

 

原発事故関連死」アーカイブ
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012-11genpatsukanrenshi/

購読のお申し込み・お問い合わせ
http://www.minpo.jp/subscribe/

福島民報(連載記事)
トップ>http://www.minpo.jp/