「北の山・じろう」時事問題などの日記

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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/4 キー局、月曜未明に批判報道 「問題伝えた」思い半ば

毎日新聞
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この国と原発:第7部・メディアの葛藤/4 キー局、月曜未明に批判報道 「問題伝えた」思い半ば
毎日新聞 2012年10月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121025ddm002040059000c.html
▼全文転載


(1)
                    

 テレビでは、国や電力会社によって原発宣伝の番組が用意されたケースがある。例えば、85年12月15日午前8時半から日本テレビで放送された「ケント・ギルバートの不思議なエネルギーの話」と題する50分間の番組だ。

                         

 タレントのケント・ギルバートさんが、日本の科学技術がエネルギーに支えられていることを解説。東京電 力福島第1原発構内を歩きながら「日本の原子力発電に関する技術は世界のトップレベルに達していると言われています」と話す。そして「原子力エネルギーに ついて、もっと理解と関心を深めることが必要だと思います」と締めくくる。

                         

 同局関係者によると、番組は当時の科学技術庁がプロダクションに制作させ、広告代理店を通じて持ち込んできた。同局の労働組合が放送中止を求めて抵抗したが、局側は台本を手直しし、原発の部分を短縮した上で放送した。

                         

 科技庁の存在は、番組の最後に出る「企画 科学技術庁」というテロップでようやく分かる。放送局に代金 を払って番組の放送を委託するケースは他分野でもあるが、この関係者は「国や電力会社は値切らないので『カロリーが高い』と歓迎されていた」と話す。原発 については、キー局では次第に少なくなったもののローカル局を中心に福島の事故直前まで行われてきた。

    
(2)
                    

 問題提起型の番組が作られなかったわけではない。その代表格が、やはり日本テレビ系列の「NNNドキュメント」だ。70年に始まった長寿番組で、原発関連の多くは系列地方局が制作している。

                         

 今年度のJCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞作「NNNドキュメント’12『行くも地獄 戻るも地 獄~倉澤治雄が見た原発ゴミ~』」を制作した同局の倉澤治雄・元解説主幹(60)=先月末定年退職=は、82~86年に科技庁担当記者として原子力船「む つ」の新母港建設問題を取材。地域の人間関係が分断されていくことに疑問を持ち、原子力問題を追い続けてきた。

                         

 福島の事故後はニュースに出て政府や東電を批判したが「社内外から何かを言われたことはない」という。 ただ、視聴者にはテレビと原発がもたれ合ってきた印象が強いのも事実。倉澤氏は「原子力の問題を伝え続けてきたという思いはあるのに、人々がテレビに抱く イメージには大きなギャップがある」とも話す。

                         

 NNNドキュメントは月曜の未明という時間帯だ。「スポンサーがつかない、目立たないほうがトラブルが少ないといった理由で深夜に追いやられた」と、自身も多くのドキュメンタリーを撮った元日本テレビディレクター、加藤久晴氏(75)は振り返る。

                         

 一方でこんな評価もある。

    
(3)
                    

 「正力松太郎によって創設された日本テレビが、深夜枠とはいえ最も先鋭で批判的な原子力報道を行ってき た事実は、テレビが(中略)メディアとして成長を遂げた歴史を物語っている」。NHKディレクターとして原発関連番組を多数手がけてきた七沢(ななさわ) 潔氏(55)は雑誌「世界」08年9月号にこう書いた。

                         

 日本初の民放として誕生した日本テレビは、読売新聞社主で後に初代原子力委員長となる正力氏が米国の後押しで設立。53年8月に放送を始めた直後、読売新聞と共に原発導入のキャンペーンに主導的な役割を果たしたとされる。

                         

 七沢氏は08年、NHK放送文化研究所主任研究員として、50年代以降07年までのNHKのニュース・ 番組222本、民放番組10本を視聴し「原子力50年・テレビは何を伝えてきたか」という論文にまとめた。NHKも70年代以降、問題提起型の番組が増え たことが分かったという。

                         

 ただ「公表に頼らず独自取材を深める報道は少なかった」とも指摘した。自身は旧知の研究者と事故発生直後に福島第1原発から2・4キロの地点まで入って汚染状況を独自に調査。その過程を描いたETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は大きな反響を呼んだ。

    
(4)
                    

 七沢氏はこの経過を描いた単行本「ホットスポット」のあとがきで局幹部を「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように『原子力村』に配慮した報道スタイルにこだわる」などと批判。この本が原因でチーフプロデューサーらと共に局から「注意」を受けた。

                         

 七沢氏に08年の論文についてインタビューしたいとNHKに申し入れたが「NHKの判断としてお断りする」(広報部)との返答だった。=つづく

 

     この国と原発 アーカイブ2012年
http://mainichi.jp/feature/20110311/konokunitogenpatsu/archive/news/2012/index.html

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