「河北新報」連載特集「二つの被ばく地」から全文転載
河北新報
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(1)レベル7/25年後の福島なのか 生活消えた街、既視感
2012年08月15日水曜日
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大事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機。手前は記念碑で見学者が通常最も近づける300メートルの地点にある=ウクライナ北部
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<3500人事故処理>
2012年7月、ウクライナ北部。鉛色の巨大な構造物は薄曇りの空と溶け合って立っていた。チェルノブイリ原発4号機。1986年4月に世界最大級の原子力事故を起こした。
初めての場所なのに既視感が強い。本やテレビ、新聞で見た世界史の現場だからか。それだけが理由ではない。私が福島から来たせいだ。
直方体の建屋が幾つも連結した姿、大きな煙突、立ち入り禁止区域と検問、生活が消えた周辺の街。似た風景を昨年3月以降、何度も見た。状況の一つ一つに、8000キロ離れた福島第1原発と被災地が重なる。
原発構内の人影は案外多い。運転時は7000人が働き、現在も3500人が事故処理に当たる。談笑する半袖の男性や、芝刈り機を動かす女性。表情に26年前の大惨事の影はない。牧歌的な雰囲気さえ漂う。
<1マイクロシーベルト下回る>
徹底的に除染された構内は、ほとんどが毎時1マイクロシーベルト未満。4号機から約300メートルの展示施設周辺も5マイクロシーベルト前後だった。「俺の家の方が高い」。同行した双葉郡選出の福島県議がつぶやいた。
これまでのチェルノブイリ視察記は周辺の線量の高さを「東京の○○倍」などと強調してきた。実際に訪れると、思いの外低く、拍子抜けする。
立ち入り禁止区域に6時間半滞在して累積線量はわずか5マイクロシーベルト。今年2月に第1原発を取材した時は最高で毎時1500マイクロシーベルトだっ た。福島市でも1マイクロシーベルトは珍しくない。ただ、狂っているのは私の感覚だろう。福島の異常さをあらためて思う。
チェルノブイリはあなどれない。4号機の中には、溶けてただれた大量の核燃料が当時の作業員の亡きがらと共に手のつけられない状態で残る。「石棺」と呼ばれる厚さ18メートルのコンクリートが強烈な放射線を「死の世界」に辛うじて封じ込める。
展示施設の女性ガイド、ユーリア・マルーシチさんの話が重い。「26年たっても線量が高く、人の入れない場所がたくさんある」「夢物語の希望を語っても仕方がない。廃炉は百年、二百年のスパンで考えている。技術が開発されなければ半減期を待つしかない」
日本政府は第1原発の廃炉を30~40年後に完了する工程表を示す。しかし、ユーリアさんは言う。「フクシマの方が大変な事故かもしれない。ここは1基だが、フクシマは4基の原子炉が重大な問題を抱えている」
<33万人が移住>
国際原子力機関によると、チェルノブイリ事故では、28人が急性の放射線障害で死亡。事故後2年間で35万人が高線量の中、処理作業を行った。
管理が必要な汚染区域はウクライナ、ベラルーシ、ロシア3国の計14万5000平方キロにまたがり、約500万人が暮らす。高汚染区域の33万6000人は移住させられた。今も30キロ圏内は原則的に立ち入り禁止だ。
放射性物質の放出量は推定で6分の1とはいえ、第1原発事故も同じレベル7。チェルノブイリから何を学べるのだろう。この地は福島の25年後の姿なのか。
共に視察した福島大の清水修二教授は強調した。「私たちはチェルノブイリの試行錯誤を生かせる。知識や技術も発展している。同じ年数をかける必要はない」
◇
原発事故対策を探る福島県議会の海外行政調査に同行した。チェルノブイリ事故から四半世紀が過ぎ、ウクライナ、ベラルーシの被ばく地はどうなったのか。世 界で初めて高レベル放射性廃棄物処分場を建設するフィンランドと合わせて、3国の現状から福島事故の問題を考える。(福島総局・中島剛)=8回続き
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二つの被ばく地ーチェルノブイリと福島
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