「北の山・じろう」時事問題などの日記

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証言/大船渡・特養ホームの惨劇/逃げた中庭、情報の死角(ほか)証言/焦点 3.11 大震災「河北

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載

河北新報
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証言/大船渡・特養ホームの惨劇/逃げた中庭、情報の死角
2011年05月23日月曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110523_01.htm
▼全文転載

寝たきりの入所者が多かった特別養護老人ホーム「さんりくの園」を大津波が襲った=5月14日、大船渡三陸
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110523013jd.jpg
近くの住民が撮影した「さんりくの園」中庭の様子。津波襲来前の3月11日午後3時ごろとみられる=大船渡三陸
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110523014jd.jpg
http://www.kahoku.co.jp/img/news/201105/20110523a10zu.jpg

 東日本大震災で、大船渡三陸町の特別養護老人ホーム「さんりくの園」は入所者67人のうち50人以上が津波にのまれた。地震当日、生存が確認されたの は16人。施設が現在把握している死者・行方不明者は、震災後に亡くなった人も含め54人に上る。入所者は要介護度4以上で、平均年齢は88歳。関係者の 証言によると、津波の襲来に気付いた職員が必死に車いすを押したが、濁流は避難を待ってくれなかった。(宮崎伸一、坂井直人)

◎突然「来るぞ!」。寝たきり入所者らを津波急襲

<寒さ>
 3月11日午後、さんりくの園では18人の職員が勤務していたとみられている。施設は一部2階で、西側が開いた「コ」の字形。入所者は部屋で昼寝したり、風呂に入ったりして過ごしていた。
 午後2時46分、激震が襲った。
 「急いで建物から離れないと」。職員の誰もが思った。入所者は寝たきりが多く、歩ける人も介助が必要。広さ約600平方メートルの中庭に面したガラス戸が次々と開放されていく。入所者は車いすや移動式ベッドに乗せられ、全員、中庭に避難した。
 「おっかねえおっかねえ」「寒い寒い」。気温4度、外は雪が降りそうなほど冷え込んでいた。布団をぐるぐる身にまとった入所者たちは白い息を吐きながら、緊張した表情を見せていた。

<叫び>
 さんりくの園は、越喜来(おきらい)地区中心部北側にある。海からは約1キロ。職員によると、市役所三陸支所からの防災無線は聞こえなかったという。中庭にはラジオもなく、情報が全く入っていなかった。
 酸素吸入が必要な高齢者のため、予備の酸素ボンベを運んだ看護主任の地舘広美さん(41)は、壁から落ちそうな時計を見た。針は午後3時10分ごろを指していた。
 課長補佐の柏崎きよ子さん(52)は中庭で高齢者に寄り添っていた。車を手配して、別の場所に移る予定だった。職員の一部は100メートル先の公民館に避難したデイサービス利用者らの支援で行ったり来たりしていた。
 「津波が来るぞ!」。 突然、叫び声が響き渡った。

<悔い>
 「(西側だけが開いた)中庭から津波は見えなかった。考える暇はなく、『一人でも』と、とっさに車いすに手を伸ばした」と、柏崎さんは振り返る。
 職員はそれぞれ目の前の車いすを握り、中庭を抜けた。南を見ると、がれきと車を巻き込んだ黒い波が押し寄せて来る。施設の西側の高台に通じる坂道を一目散に駆け上がった。
 「津波が来るのが早くて、間に合わなかった。もう少し何かできなかったのか」。柏崎さんは悔やむ。
 午後3時26分、大津波が施設を襲った。中庭にはまだ、多くの入所者が取り残されていた。

◎音もなく足元に水/初動に遅れ、被害拡大

  大船渡三陸町の特別養護老人ホーム「さんりくの園」の津波による死者・行方不明者54人は、大船渡市全体(462人、22日現在)の1割以上を占める。 証言からは、入所者の自力避難が困難な中、津波の情報を入手できなかったため、避難の初動が遅れ、被害の拡大につながったことが浮かび上がる。
 大船渡三陸町の小松正さん(67)は地震直後、母の昌子さん(93)の安否を気遣い、さんりくの園の中庭に駆け付けた。
 最初は音もなく足元に水が流れ込んだ。流される母の車いすを追いかけようと踏み出すと、足をすくわれた。次の瞬間、ドカーンと衝突音が響き、6、7メートルもの波にのみ込まれた。
 気が付くと建物の中に押し流され、ホールでうつぶせになっていた。額はがれきで傷つき、血が一面に広がっていた。
 「おふくろ! おふくろ!」。ありったけの声を出して何度も呼んだ。応答はない。ホールにはがれきが積み重なり、ひっくり返った車がクラクションの音を響かせていた。
 2日後、母は遺体で見つかった。
 小松さんは、施設に向かう途中の車内ラジオで大津波警報の発令を知った。「職員は走り回っているが、何をしていいか分からないように見えた。津波が来るという切迫感は感じられず、ラジオが伝える内容とギャップがあった」と指摘する。
 入所者という立場もあり、施設の指示を待つべきか、母を連れて避難すべきか迷った。
 「自分たちだけでも逃げていれば良かったとも思う。職員はもっと機敏に対応してほしかった」。小松さんは施設の避難誘導に不信感も抱く。
 入所者の生存者の一人、佐熊英子さん(77)は思い出す。地震の時はトイレにいた。
 「誰か残っている人はいませんか」と施設内を確認して回る職員の声を聞いた。「佐熊英子、トイレにいます」と声を張り上げた。
 「ハア、ハア、ハア」。車いすを必死に押して坂を駆け上がってくれた女性職員の息遣いが今も耳の奥に残る。
 翌日、佐熊さんは新聞で多くの人が犠牲になったことを知り、胸を痛めた。「自分では何もできなかった。私の体は重かったろうに、本当に申し訳ない。職員にただ手を合わせ、感謝したい」
 津波は市役所三陸支所、保育園、小学校などのほか、商店や家々をのみ込み、津波浸水想定区域いっぱいの施設にまで達した。施設では職員1人も命を落とした。
 「大惨事になった責任は大きい。被害に遭わないためには、高台に施設をつくること。避難訓練や輸送手段は次の話だ」。及川寛次郎施設長(64)は両手で顔を覆い、声を震わせた。
 さんりくの園の事務室とホールにある二つの時計は、津波が襲い、入所者の生死を分けたその時、午後3時26分を刻んだまま止まっている。


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