「北の山・じろう」時事問題などの日記

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中国:チベット族地区、弾圧強化 やまぬ焼身、憤る亡命者 家族らに刑罰、通信遮断も<毎日新聞

毎日新聞
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中国:チベット族地区、弾圧強化 やまぬ焼身、憤る亡命者 家族らに刑罰、通信遮断も
毎日新聞 2013年03月14日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20130314ddm007030040000c.html
▼全文転載


                    

 中国のチベット族居住区で、当局の圧政に抗議して焼身を図る者が後を絶たない。最近では、「焼身を唆した」などとして、焼身者の友人や家族が懲役刑などの刑事罰を受ける例が相次いでいる。中国が高圧的に出るほど、焼身抗議はさらに広がるとみられ、チベット亡命政府が拠点を置くインド北部ダラムサラでは、亡命チベット人たちの間に行き場のない憤りが渦巻いていた。【ダラムサラで杉尾直哉】

                         

 夜明け前のダラムサラチベット仏教の祈りの言葉をつぶやきながら、男女が足早に町はずれの寺院に向かっていた。ある住民は「焼身抗議が続くことにみな無力感を感じているのです」と話した。

                         

 ダラムサラには「計画的に焼身を起こしている」として、中国当局から名指しで非難されているチベット仏教の僧院「キルティ僧院」がある。1959年のチベット蜂起の際、僧院トップの高僧がチベットから脱出し、ダラムサラに本拠地を構えた。中国四川省にも元の僧院が残っている。

                         

 08年のチベット暴動以降、中国当局による住民弾圧の情報を収集・公表してきた。チベット本土から焼身 の情報も寄せられ、いち早く世界に発信してきた。14日で中国チベット自治区ラサで起きた大暴動から丸5年となる。この1カ月は、現地と携帯電話での連絡 が取れなくなっている。当局による情報管制強化のためとみられる。

                         

 11年3月から相次ぐ一連の焼身抗議の最初は、四川省のキルティ僧院の僧侶だった。これまでに中国で焼 身を図った107人(うち90人死亡)のうち、キルティ僧院関係者は21人(うち14人死亡、1人生死不明)と際立つ。また、中国のキルティ僧院関係者 10人が「仲間に焼身を唆した」などとして死刑や懲役刑判決を受けている。

                         

 中国側 は「ダラムサラのキルティ僧院の情報係が、中国側に指示を出し、僧侶を焼身させている」として敵視する。その「情報係」の僧侶カニャック・ツェリンさん (32)は、「同胞に『死ね』と言うことなどできない。周囲にも危険が及んでしまう」と、中国の指摘を一切否定。相次ぐ焼身については「もう起きないでく れと祈っている。焼身で中国が政策を変えるなど想像できないからだ。しかし、彼らは焼身に走らざるを得ないほど弾圧を受け、追い詰められている」と話し た。

                         

     ◇

    


                    

 キルティ僧院と並び中国当 局が敵視する団体がある。「チベット独立」を主張する「チベット青年会議」だ。中国当局は、青年会議の具体的なメンバーの名前を挙げ「焼身を計画した」と 公表した。テンジン・ヤンゾン広報担当書記(26)は、「3万5000人の会員名簿を確認したところ、同じ名前のメンバーが複数おり、ただちに確認と否定 ができなかった。中国側は一般的な名前を挙げて、我々が対応に追われている間に『犯行』を既成事実化しようとしている」と話した。

                         

 ヤンゾンさんは「焼身をやめさせるには、法王(ダライ・ラマ14世)が『やめろ』というしかない。だが、中国側 は『その一声でやめられるのなら、焼身の指示を(ダライ・ラマが)出していたのだろう』と言うだろう」という。ダライ・ラマ本人は、インドのメディアに対 し、「彼ら(チベット人)に何か(明るい将来)を与えることができるなら、私は『やめろ』と言えるが、何も与えられない」と、苦悩ぶりを明かした。

                         

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 ■ことば

                         

 ◇中国のチベット弾圧

                         

 チベットは第二次世界大戦まで事実上独立を保っていたが、中国人民解放軍が1951年までにチベット全土へ進駐。59年、武装蜂起の後、ダライ・ラマは難民10万人を連れインド北部ダラムサラに亡命政府を樹立した。中国政府は65年にチベットを自治区とする。チベット一帯で高度の自治を求めるダライ・ラマを「分離独立主義者」とみなし自治区へ軍を派遣。宗教と表現の自由を制限し、デモや抗議活動を武力で鎮圧している。

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