「北の山・じろう」時事問題などの日記

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焦点/孤立深める外国人妻/外務省、他国の支援受け入れ検討<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報

※農村では、嫁不足で沢山の外国人のお嫁さんがいます。

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
焦点/孤立深める外国人妻/外務省、他国の支援受け入れ検討
2011年07月05日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110705_01.htm
▼全文転載


被災したフィリピン人女性の心の相談に乗る医師(左)=3日、陸前高田市
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110705009jd.jpg
英里奈ちゃんを抱っこする吏理佳さん=仙台市内の支援施設
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110705_01.htm

東日本大震災の被災地で、日本に嫁いだ外国人妻たちが日本人の夫を亡くして孤立するなど苦境に立たされている。心のケアに当たろうと、フィリピンから精神 科医らの心療チームが来日。宮城、岩手両県の避難所などでフィリピン人女性らの相談に乗っている。震災で心の傷を抱えた在日外国人は少なくなく、外務省は 他の国からの支援受け入れも検討するという。
(山崎敦、片桐大介、佐藤理史)

◎比の心療チーム、避難所回りケア

 フィリピンの心療チームはいずれも女性で、精神科医2人と医師1人の計3人。今回の震災で心のケアに特化した外国の医師らの来日は初めてだ。
 心療チームは6月30日に盛岡市に入り、大船渡市、気仙沼市陸前高田市などを日本人の臨床心理士らと巡回。3日夕方には陸前高田市横田町の集会所で、同市と大船渡市から集まったフィリピン人女性約60人の相談に応じた。
  心療チームによると、震災後の気持ちの落ち込み、心的外傷、ストレスの相談が多かったという。医師マリア・パス・コラレスさんは「自分だけ生き残ったとい う罪悪感を抱いている症状もみられた。慣れ親しんだ母国語タガログ語で話すことで、不安を出し切り、ホッとしたとの感想だった」と話す。
 心療チームは11日まで宮古市釜石市、久慈市などを回り、13日に帰国する。

 被災した宮城、岩手両県には3月31日時点で、約1900人のフィリピン人が外国人登録している。大部分が農村や漁村に嫁いだ女性という。
 フィリピンに限らず、被災地には他国出身の在日外国人も多く、手厚い保護が必要との指摘が出ている。外務省も「日本語が不自由で、ストレスを抱えたままの人も少なくない」と認め、支援策を検討したいとしている。
 厚生労働省によると、日本に嫁ぐ外国人妻は農村や漁村の嫁不足を背景に、1980年代後半から急増。現在、婚姻件数20組中1組は日本人の夫と外国人妻のカップルだ。ただ、市町村別の統計がなく、個別の被災状況の把握は困難を極めている。

 震災後、宮城県国際交流協会(仙台市)には、日本人の夫を亡くした外国人妻から「しゅうとから『母国に帰れ』と言われた」という相談が複数、寄せられている。夫の労災が会社で認めてもらえないという相談や、遺産相続に関する問い合わせも多いという。
 同協会は「抱えていた問題が震災で一気に表面化する『国際結婚の液状化』が進んでいる。行政の支援が不可欠だ」と強調している。

◎身寄りなく募る不安/沿岸部に嫁いだ外国人妻

 東北地方の沿岸部に嫁いだ外国人妻たちの多くが、東日本大震災で被災した。中でも日本人の夫を津波で亡くした妻たちは、身寄りのない異国で不安を強めている。

<娘のために生きる/フィリピン出身、アナさん/気仙沼
 「これからどうやって暮らせばいいのか…」。気仙沼市階上の三浦アナさん(43)は途方に暮れる。
 自宅の目の前に広がる海が大好きだったのに、津波で夫(53)と義母(80)を亡くした。「おばあちゃん(義母)は足が悪かった。一緒に逃げようとして間に合わなかったのかな」。アナさんはそう推測する。夫と義母は自宅近くで遺体となって見つかった。
 アナさんはパート勤務先の水産加工会社から車で高台に逃げた。中学校にいた長女(14)も無事だった。今は知人宅に2人で身を寄せる。
 フィリピン出身のアナさんは15年前、船員の夫と結婚した。夫は航海で家を数カ月空けることが多かったが、楽しい思い出も残してくれた。「正直で優しい人だった」。夫のことが頭をよぎると、涙があふれる。
 震災後、夫を亡くした外国人妻の苦労がすぐ身に降りかかった。
 仮設住宅の申し込み手続きで市役所階上支所に出掛けたときのことだ。申込用紙の漢字は難しすぎて読めない。職員に聞きながら、名前と住所を正しく書いた、と自分は思っていた。
 後日、市役所で「申込用紙が届いていない」と知らされ、耳を疑った。「外国人だからなの?」。疑心暗鬼が募った。震災の混乱を割り引いても、市の対応には悔しさが込み上げてくる。
 フィリピンの両親からは「帰ってこい」と言われている。アナさんは「娘は日本の生活しか知らない。身寄りがなくても、娘のために日本で生きる」と決めている。

<津波より孤独怖い/韓国出身、吏理佳さん/石巻>
 4月21日午後2時4分、仙台市立病院の分娩(ぶんべん)室に産声が響いた。体重2985グラムの女の子は、英里奈と名付けられた。生後2カ月半、父親の大壁勇喜さん(49)の面影を日に日に濃くする。
 「かわいいしぐさをすると、パパがそばにいたらと思う」。母親の吏理佳さん(42)がそっと涙をぬぐった。勇喜さんは津波で流され、行方が分からない。
 韓国・済州島出身の吏理佳さんは2000年9月に来日。結婚紹介所のあっせんで、石巻市清水田浜でカキ養殖業を営む勇喜さんと結婚した。
 5年ほど前に日本国籍を取得した。「生活は楽ではなかったけれど、養殖網を自分で編むなど節約して、船の借金を返した」と吏理佳さん。英里奈ちゃんを含め1男3女の子宝に恵まれた。
 地震の後、吏理佳さんは義母(75)と3人の子どもと自宅2階に避難した。1階は浸水したが、2階は無事だった。
 地域の消防団長だった勇喜さんは「人を助けてくる」と家を飛び出した。水門を閉めている最中、津波にのまれたらしい―。人づてに聞いたが真相は分からない。義父(79)は養殖場近くで遺体で見つかった。
 子ども3人を抱えた妊娠33週の身重の体に、避難所暮らしは過酷を極めた。石巻市の紹介で仙台市の支援施設に子ども3人と入居した。
 「他人の世話ばかり焼いて、家族はいつも後回しだったけれど、優しいパパだった。英里奈は産まれた時から父親の愛を知らないなんて…」
 自分も父親を45歳の若さで亡くした。それだけに子どもたちがふびんでならない。
 吏理佳さんは「津波の恐怖より、夫がいないという現実の方が百倍怖い」と打ち明ける。抱えきれない不安。4人の子どもが心の支えだ。

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