「北の山・じろう」時事問題などの日記

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証言/指定避難所、大混乱/仙台駅閉鎖、2500人学校殺到<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
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証言/指定避難所、大混乱/仙台駅閉鎖、2500人学校殺到
2011年07月26日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110726_01.htm
▼全文転載


避難者で埋め尽くされた榴岡小の体育館=3月12日午前、仙台市宮城野区
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110726005jd.jpg
榴岡小の避難訓練。周辺施設から避難者が殺到した教訓を関係機関がどう生かすかが問われている=5月16日、仙台市宮城野区
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110726_01.htm

http://www.kahoku.co.jp/img/news/201107/20110726a10zu.jpg

 3月11日の東日本大震災の直後、JR仙台駅に近い榴岡小(仙台市宮城野区)には、想定の4倍を超える約2500人の避難者が押し寄せた。仙台駅を閉め出された駅利用者らが、避難場所を求め、殺到したためだ。指定避難所とはいえ、想像を超える数に現場は大混乱に陥った。
(佐々木絵里香)

◎想定の4倍「どうしてこんなに人が」

<満杯>
 「次から次へと人がやってきた」。久能和夫校長(58)と教員は、どんどん大きくなる校庭の人だかりに困惑した。
 学校には宮城野区と連絡を取るための防災行政無線が配備されていた。が、一向につながらない。久能校長は区の避難所開設要請を待たずに、午後3時半すぎには体育館の開放を決めた。
 体育館はすぐに満杯になった。1人分のスペースはひざを抱えて座れる程度。校舎東側の5教室も開放したが、それでも避難者を収容しきれなかった。
  原因は、徒歩で約10分の位置にある仙台駅の立ち入り禁止措置だった。「駅舎倒壊の危険がある」と、駅員らの指示で利用客らは地震直後に閉め出された。駅 周辺に滞留する人の群れ。JRや宮城県警は避難先として、榴岡小をはじめ近隣の学校を告げた。「少しでも安全な屋内の場所に移動してもらうほかなかった」 (JR東日本仙台支社)と説明する。

<困惑>
 仙台駅東口のビルの整体院で働く古関直美さん(40)=名取市=は、盛岡市から通う利用者らとともに榴岡小に避難した。「駅が使えない以上、行く場所がなかった」。ぎゅうぎゅう詰めの体育館には、宮城県外からの買い物客らも多かったという。
 学校側は状況がのみ込めなかった。災害時の想定収容人員は近隣住民ら600人。事前にJRと協議する場もなく、駅の立ち入り禁止措置は全くの想定外。「どうしてこんなに人が集まるのか」。戸惑いの中で対応に追われた。
 近隣のオフィスからも人が集まった。「災害時の避難場所を決めていなかった。自社ビルの安全が確認されるまで、榴岡小に一時社員が避難した」(ユアテック)

<奔走>
 あふれる避難者で、結果的に居場所を失った地域住民も少なくなかった。
 「知らない人がいっぱいいる」。榴岡地区町内会連合会の及川勇副会長(60)は驚いた。既に校庭は人で埋め尽くされていた。校内への避難を諦め、近くの公園にテントを張ったり、駐車場で車に寝泊まりしたりした住民も数多くいたという。
 圧倒的な人の数に、食料も間に合わなかった。学校に備蓄された食料は、想定600人の2回分で1200食。避難者全員に行き渡らないと判断した久能校長は、夜の食事の支給を取りやめた。
 教員は食料を求め、原町コミュニティーセンターと宮城野消防署原町出張所に走った。備蓄分と合わせ、やっと3080食を確保できたのは、日付が変わるころだった。

◎避難所機能パンク/食料確保ままならず/周辺施設との連携課題

  JR仙台駅の利用者や周辺事業所の従業員らが大量に押し寄せた榴岡小(仙台市宮城野区)では、教職員や地元町内会の役員らが、食事の手配や別の避難場所の 確保に奔走した。大勢の人が集まる施設が集中する地域で、避難所はどうあるべきなのか。「地域の避難所」としての機能を守ろうとした教職員や住民の苦闘か らは、関係機関との連携に課題があったことも浮かび上がる。
 榴岡地区町内会連合会の役員らは震災当日、約2500人に膨れ上がった避難者を収容するため、別の避難場所を探し回っていた。
 近くの市榴岡公園軽体育館は職員が帰宅し、使用不能だった一方で、小学校に併設される児童館は指定避難所ではないが、保護者を待つ児童や妊婦ら50人超を受け入れてもらった。近隣の宗教団体施設の一室にも、約100人を避難させてもらえた。
 翌3月12日朝、榴岡小で初めて提供された食事の配給には、同校で一夜を明かした人に加え、近隣住民や近くの会社に泊まった人たちも並んで、校庭に長い列ができた。
 教員らは前夜遅くまで駆けずり回って確保した3080食で「間に合うはず」と考えていたが、結局は全ての人に行き渡らなかった。
 ボランティアや市の配給で、何とか食料を確保できたのは、帰宅する人が増え始めた12日夜のことだった。
 同校の避難所は3月24日には役割を終え、閉鎖されたが、3月11日の混乱で明らかになった課題は解消されていない。
 仙台市は「仙台駅のように不特定多数の人が往来する地区では、避難所として学校以外にも、準公共施設や企業に協力を求めることも考えている」と説明する。
 しかし、混乱の引き金となった仙台駅や周辺の企業、集客施設からの避難者の誘導などについては、JRなどとの協議さえ行われていない。
 22日には近くに「仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール」がオープンした。地域を行き交う人はさらに増え、次の災害時には「あの日」を上回る混乱が起きないとも限らない。
 同校の久能和夫校長は「仙台駅に近い榴岡小に人が集まるのは仕方がない。だからこそ、JRをはじめ関連機関との綿密な連携が今後、欠かせない」と感じている。

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