「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

焦点/岩手・宮城・福島、安住求め…県外へ避難<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/
焦点/岩手・宮城・福島、安住求め…県外へ避難
2011年09月14日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110914_01.htm
▼全文転載


避難後に開業した美容院の前で、福島県内から引っ越した友人と話す本田さん(左)=5日、札幌市中央区
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110914010jd.jpg

 岩手(沿岸12市町村)、宮城、福島3県の県外避難者数は10日現在で計6万5895人に上り、3県とも増えている。特に福島は福島第1原発事故の収束のめどが立たないことなどから、県外避難者の動向を見通せない状況が続いている。

 3県の県外避難者数は岩手1578人、宮城8524人、福島5万5793人。7月1日時点と比べ岩手が約300人、宮城が約1600人、福島が約1万600人増加した。
 岩手と宮城は県外避難者数を総務省の全国避難者情報システムを基に算出。福島は国の東日本大震災復興対策本部のデータから算出する。福島の県外避難者の大幅な増加は民間住宅や親類宅の避難者の把握が進んだことや、子育て世代の流出が続いていることが理由という。
 同県の担当者は「今後の事故対策によって増減に変動があるかもしれないが、現段階では避難者の動きは見通せない」と説明する。

◎北海道にも/「被ばく心配」悩んだ末

 「子どもの食事が何より不安で、引っ越すよりほかになかった」
 仙台市宮城野区から8月に札幌市に引っ越した吉田美穂さん(34)は、3歳の長女を抱きかかえた。今は札幌で求職活動をしている。
 母子家庭の吉田さんは仙台で長女を保育所に預け、事務員をしていた。東京電力福島第1原発事故後、放射能の影響を心配し保育所に被災地の食材を使わないよう求めた。保育所は「国の基準を守っている」と説明した。
 長女に2カ月間、弁当と水筒を持たせたが「スーパーに並ぶ食材も被災地で取れたものが多く、手の尽くしようがなくなった」。仕事を辞め、縁もゆかりもない札幌への移住を決めた。
 吉田さんは「子どもに蓄積される内部被ばく量を少しでも抑えたかった」と話す。
 原発事故後、「放射能から逃れたい」との理由も含め北海道に自主避難する人が増えている。道によると、避難者数は8月25日時点で3220人。3カ月前と比べて約1.6倍になった。県別では福島が最多の1915人。宮城は825人で、岩手からも166人が避難している。
 福島県鏡石町の本田淳子さん(46)が夫(45)と長女(14)の家族3人で札幌市に引っ越したのは6月。「国の対応を待っていては長女が被ばくする」と町内で営んでいた美容院2店のうち1店を畳み、1店はスタッフに任せた。
 札幌市内に7月、真新しい美容院の看板を掲げた。
 自主避難者は国の義援金や東京電力の賠償金を受け取ることはできないが、「開拓者になったつもりで、安定した生活ができることを示したい」と言う。
 東北から北海道への避難者でつくる互助組織「みちのく会」(札幌市)によると、自主避難者は仕事がある夫を被災地に残し、母子のみを疎開させる例が多い。同会などは避難者の一時受け入れ施設の運営を始めた。
 原発事故が収束せず、帰郷のめどは立たない。「故郷を捨てるのか」と周囲から心ない言葉を受けた人もいる。
 「放射能の受け止め方の違いで被災者の間に心の溝ができるのは不幸なこと。古里が大事な場所であることに変わりはない」
 本田さんは避難者の胸中を代弁する。(高橋鉄男)

証言/焦点 3.11 大震災{河北新報・連載記事}
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
河北新報
トップ >http://www.kahoku.co.jp/

ご購読案内
http://www.kahoku.co.jp/pub/koudoku/syoukai.htm