「北の山・じろう」時事問題などの日記

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被災から2年、壊滅的な打撃を受けた原町火力発電所を再建した東北電力の矜持とは<現代ビジネス

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町田徹「ニュースの深層
被災から2年、壊滅的な打撃を受けた原町火力発電所を再建した東北電力の矜持とは
 2013年03月19日(火) 町田 徹
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▼全文転載



(1)
写真>東北電力原町火力発電所 (以下すべて筆者撮影)
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 一日も早く被災地に安定的に電気を届けて復旧・復興を支える使命がある---。

東日本大震災からほぼ2年の歳月を経た先週14日。筆者は、東北電力が延べ120万の人手と1,700億円もの巨費を投じて、異例の短期間で再建した原町火力発電所を視察した。

 このルポルタージュで一番知っていただきたいのは、原町発電所が福島県南相馬市に位置することである。

 海岸沿いの原町発電所は18mの巨大津波に飲み込まれ、再建を絶望視されるほどの壊滅的な打撃を受けた。

 加えて、わずか26kmほど南には人類史上最悪の原子力事故を起こした東京電力福島第一発電所があり、屋内避難地域に指定されたために被害の特定 作業もろくにできないという試練にもさらされた。採算だけを考えれば、何年かかけて、新しい発電所を建てた方がよっぽどおトクだったはずだ。放射能汚染に 過敏になった陸運会社から資材の運搬を拒否されるほどの惨状だったのだ。

 それでも、東北電力は、被災地のために早期の電気の安定供給が必要だと判断、あえて困難な修理・復旧という道を選んだ。その心意気には他の電力会社が失っているライフライン(命綱)企業の矜持と使命感が息づいている。

(2)

津波の猛威を見せつけるタービンの軸受け

 視察の当日、関東地方は早朝から強風に見舞われた。その影響で、やまびこ129号は定刻からやや遅れて東京駅を発ち、福島駅に辿り着いたのも予定の10分遅れだった。

 福島駅で車に乗り換えて、2、30分ぐらいドライブすると、なんとも寂しい雰囲気の地域に差し掛かった。業務を行っているのは警察署と郵便局、農協ぐらいで、どこまで行っても人影がない。

 辺りは田舎の風情で、都会のように建物は密集していないが、道沿いにはそれなりに多くの住居や店舗、学校が立ち並んでいる。それなのに、生活している人の姿がまったく見られないのだ。

 住宅に目を向けると、カーテンの代わりなのだろうか、白い布が窓に吊るされており、まったく内部の様子を伺うことができない。また、看板を見る と、農機具や園芸用品を商っている店舗のはずだが、肝心の商品が何も陳列されていない様子が外からでも見て取れた。これでは、お客さんどころか、泥棒も訪 ねて来ないだろう。奇妙な胸騒ぎのする地域だった。

 ほどなく道路脇の看板にあった「飯館村」という文字を目にして、合点がいった。周囲は、今なお一時帰宅しか許されない「避難指示解除準備区域」で、ほとんどの住民が避難先から戻っていないのである。

飯館村を通過して、南相馬市に入ると、街は少し活気を取り戻していた。軽い昼食を取って、太平洋沿いの原町火力発電所に辿り着いた。

 気さくな人柄の樋口康二郎所長の案内で事務本館のビルに入った途端、目に飛び込んできたのは、滑らかなはずの表面が剥げ落ちて無残な姿になったタービンの軸受けだった。

 次ページの写真を見ていただきたい。石炭であれ、石油であれ、天然ガスであれ、火力発電所は化石燃料を燃やして沸騰させた高圧の蒸気を利用して、 タービンを高速回転させて発電機を動かす仕組みになっている。少しでも摩擦を減らしてタービンを回転しやすくするために、軸受けの表面は滑らかに磨きこま れている。この軸受けの表面も、鏡のように極限まで磨きこまれていたはずである。

 原町火力発電所では一昨年の3月11日、東日本大震災の直撃を受けた時、1号機がフル稼働中だった。地震の揺れだけなら、軸受けがこれほど無残な姿になることはなかったかもしれない。しかし、押し寄せた津波が潤滑油を奪い去ったのだ。

(3)
摩擦で無残な姿となったタービンの軸受け(筆者撮影)
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 津波の襲来に備えて、運転を停止する措置をとってはいたものの、巨大なタービンは完全に停止するまで時間がかかる。改めて津波の猛威を見せつける物証に、言葉を失うようなショックを味わった。

一時、全体の7割の発電能力を失った

 ここで概括しておくと、東日本大震災とそれに伴う巨大津波は、原町発電所だけでなく、東北電力全体に甚大な被害をもたらした。

 同社は震災前、229ヵ所に1681万kWの発電設備を擁していた。構成比で容量トップだったのは、東新潟(LNG)、秋田(石油)、新仙台 (LNG、重油)など12の発電所で1088万kWの発電設備を展開していた火力発電だ。次いで第2位が女川と東通の2発電所で327万kWの発電能力を 持つ原子力。3番目が210の発電所で243万kWの能力がある水力発電だった。

 こうした発電所群の中で、原町は100万kWと石炭火力としては国内最大級の発電機を2基擁し、東北電力全体の約15%を担う重要な発電所だっ た。太平洋側に限れば、原子炉3基を擁する女川発電所に次ぐ基幹発電所である。原町と女川は、発電コストが安く、需給動向にかかわらず、常時、発電を続け る「ベース電源」という重要な役割も担っていた。

 ところが、震災は、容赦なく東北電力に襲いかかった。原町や女川を含む太平洋側の2つの原発と4つの火力発電所を運転停止に追い込み、実に同社の4割以上の発電能力を奪い去った。

 悪いことが重なった。東北電力は震災後、新潟・福島集中豪雨にも襲われたのだ。被害に遭ってダウンしたのは、各地の水力発電所だ。東北電力は一時、全体の7割の発電能力を失った。

(4)

 こうした中で被災直後の2011年夏へ向けた緊急措置として、被災者に少しでも迷惑をかけまいと東北電力が急いだのは、老朽化に伴い休止させてい た発電所の再利用や、既設設備の増強、定期点検入りの延長といった苦肉の措置だった。いずれも新潟県下の火力発電所で断行した。

 そして2度目の夏となった2012年夏に向けては、コストを度外視して、日本海側の火力発電所に、緊急措置として30~50万kWという巨大なガスタービンを据え付けて、被災地向けの電力確保に奮闘した。

逃げ遅れた所員一人が殉職

 こうした中で対応が注目されたのが、文字通り、壊滅的な打撃を受けて、当初「復旧は難しい」(経済産業省幹部)との冷ややかな見方があった原町発電所の扱いだ。

 同発電所は一昨年3月11日14時46分、震度6弱の激しい揺れに襲われた。運転中だった1号機のタービンの振動幅は危険なレベルに達することも なく、無事に運転を継続していたものの、事務本館ではキャビネットが倒れたり、机の上の書類が飛び散ったりする惨状だったという。事務本館の4階では火災 が発生し、ごみ箱まで使って海水を汲み上げるバケツリレーで懸命の消火にあたる場面もあった。

 そんな中、気象庁から大津波警報が発令されたため、多くの所員や来訪者が避難を開始。さらに潮位の低下が確認されたので、1号機の減速・停止措置に踏み切った。

 しかし、押し寄せた高さ18mの津波が猛威を振るった。荷降ろしのために接岸中だった8万トン級の石炭運搬船を岸壁から引き剥がして座礁させ、石炭の積み下ろしを行う巨大クレーン(楊炭機)2機を海面に叩きつけた。

 堤防のない南側から、海水が怒涛のように敷地内に流れ込み、駐車場に停めてあった自動車をタービン建屋の中に押し流し、巨大タンクをなぎ倒して重油や軽油を周囲に撒き散らした。

 消防車を高台に避難させようと誘導に出た所員の一人が逃げ遅れて殉職したのも、津波が引き起こした悲劇だった。

 押し寄せた海水が引いたのは翌日のことで、とり残された人々は事務棟の5階や、地上23階建てのビルに相当するタービン建屋の屋上に上って難を逃れたという。

 視察では、原町発電所が、事務本館の外壁やタービン建屋の3階に、津波の達した地点の目印を付けて、当時の惨状を伝えてようとしている様子を確認できた。

 

(5)
遥かに望む福島第一原発の煙突(筆者撮影)
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屋内退避指示が復旧作業の障害に

 原町発電所が復旧作業を始めようとした際に、最初の障害として立ちはだかったのは、政府が震災の4日後にあたる3月15日に出した屋内退避指示 だった。指示自体は、原町発電所が福島第一原発の30km圏内にあったことに伴う止むを得ない措置である。だが、復旧作業の観点では、困難を増すものだっ た。東北電力はまず、常駐は困難と判断し、数km離れた独身寮に臨時の対策本部を移す措置を取った。

 ちなみに、東北電力の内部資料によると、この対策本部に詰めたのは、所長以下10数人の上級管理職だ。彼らは、協力会社の協力を得て、自然発火など二次被害の発生を防ぐため、石炭の山にドライアイスを投入する作業に懸命だった。

 一方、一般所員は自宅や実家に避難させた。このうち仙台市近郊に避難した所員たちが、同市の東北電力本店火力部に出社して、原町発電所から要請が入る資材の搬送業務に携わった。

 ところが、ここでも屋内退避指示が立ちはだかった。運送会社から「放射線が怖いので、南相馬市には行きたくない」と拒絶されたため、福島市内に資材の受け渡しをする中継所を設け、原町発電所から荷物を受け取りに行く必要に迫られた。

 前述の樋口所長は「実際のところ、タービン建屋などの建物の内部に入って、発電設備の被害を特定する作業や、がれきを撤去する作業が軌道に乗ったのは、(4月下旬の屋内避難指示の解除を経た)5月の連休明けだった」と明かす。

 さらに、流れ出た重油が至るところに溜まってしまい、被害状況の調査の障害となった。業を煮やして、手やひしゃくで重油を汲み出す職員もいたという。

(6)
営業運転の再開を待つ原町発電所の司令室(筆者撮影)
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1日4600人体制で突貫工事を進めた

 極めて困難な状況の中で、東北電力は2011年中にがれきの撤去を完了し、2012年の初めから本格的な復旧工事を開始した。その基本方針には、 ①無事故・無災害・無事件で、②一日も早く、③放射線管理を徹底しつつ、④工事費を押さえて、⑤津波対策も講じる---という5つの柱を掲げた。

 このうち、無事件というのは、他所から来た土木作業員が作業の疲れから酒に酔って地元の人間との間で暴力事件を起こすような事態を起こしてはなら ないという意味だ。工事費の抑制では、楊炭機を1機減らして3機にしたり、常設のベルトコンベアを使う範囲を減らしてトラック輸送に切り替えるなどの工夫 で出費を抑えた。津波対策では、海岸沿いにあった燃料タンクを高台に移すとか、発電所内の建物のレイアウト変更といった措置を講じている。

 作業は昼夜二交代制で休みなく続けた。資材の輸送を海運から空輸に切り替えて調達期間を短縮した。壊れた設備を他の発電所で修理したり、設備メー カーには複数の工場で製造した機械を組み立てる方式への切り替えを要請したり、他の電力会社に出向いてその社の機器の納期を伸ばしてもらい、メーカーに原 町発電所向けの機材の納入を優先させるなど、外部からも多大な支援を受けたらしい。

 こうして、昨年7~9月のピーク時には、実に680社の協力を得て、1日4600人体制で突貫工事を進めた。そして被災時に定期点検中で被害が比較的小さかった2号機の試運転を昨年11月に、ダメージの大きかった1号機の試運転を今年1月28日に、それぞれ実現した。

 1号機はその後、ボイラーのチューブに錆が詰まるトラブルに見舞われたものの、現在のところ、両機そろって当初の今年7月という目標を繰り上げて 4、5月には営業運転を再開できる見通しだ。関係者たちの悲観的な予想を覆して、壊滅的被害から異例の短期間で復旧を成し遂げようとしているのだ。

(7)
原町発電所の北隣りにある砂浜の堤防
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電力会社の手足を縛るリスク

東北電力は、「国有化」という究極の国策支援を受けた東京電力と違って、まったく政府の財政支援を受けていない。また、再稼働が認められた関西電 力の大飯原子力発電所とは対照的に、東日本大震災を無傷で切り抜けた東通原発の再稼働が依然として認められていない。言わば、二重三重の重荷を背負ってき た経緯がある。それだけに、石油や天然ガスに比べて燃料費が格段に廉価な石炭を使う原町火力発電所の営業運転の再開は、同社の収支改善に大きく貢献する福 音だ。

 だが、政府の委員会は、我慢を重ねて一番最後に申請に踏み切った東北電力の値上げプランを、被災したわけでもなく、ろくに供給力の増強投資もしな かった他の電力会社と十把一絡げにして、不条理な査定にかける構えを見せている。長い目で見れば、企業の経営実態を無視して、国民に媚びる監督姿勢がライ フラインを守ろうとする電力会社の手足を縛るリスクを政府は肝に銘じるべきだろう。

 また、政府に目を向けてほしいのは、原町発電所とは対照的に一向に復旧が進んでいない周辺地区の問題だ。かつて地元が世界的なサーフィンのメッカ に育てようとした砂浜では、無残に倒壊した堤防がそのまま放置されている。160戸あったという民家はすべて流され、ひとつも残っていない。海洋汚染で漁 に出る見込みもないのだろう。漁船も陸揚げされたまま放置されていた。

 そして、福島第一原発の後始末も相変わらず、遅々として進んでいない。

 この地では、政治家たちが7月に迫った参議院議員選挙を睨んで、東北電力に負担を押し付ける形で被災地の料金優遇を迫る動きが後を絶たない。そう した料金優遇の財源は、復興の最前線にいる地元企業にたかるのではなく、国の財政資金で賄うのが筋である。財政資金を確保できないのであれば、政治家の存 在意義が問われると自覚すべきだろう。地元政治家たちには猛省を促したい。

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