「北の山・じろう」時事問題などの日記

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焦点/震災と平成大合併/石巻市の旧市町「垣根」浮き彫り<証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」

証言/焦点 3.11 大震災「河北新報・連載記事」から全文転載
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
※記事数が多いため、一部転載し、ほかは記事タイトルとURLの掲載です。

河北新報
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焦点/震災と平成大合併/石巻市の旧市町「垣根」浮き彫り
2011年10月16日日曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20111016_01.htm
▼全文転載


高台にあり、津波の直撃を免れた石巻市牡鹿総合支所。震災後、職員は限られた人員で対応に追われた=14日、石巻市鮎川浜
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20111016013jd.jpg
地図略図
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旧大槌小校庭に建てられたプレハブの大槌町役場仮庁舎。人口減少への対応は待ったなしだ=岩手県大槌町
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20111016014jd.jpg

 東日本大震災は、「平成の大合併」で広域化した自治体の課題を浮き上がらせた。旧町単位で設置された総合支所は、合併前に比べ大幅に少ない職員が震災対 応を迫られた。津波を免れた内陸部が浸水地域の支援に回るなど、元は別の自治体だった地域間で補完効果が発揮される例もあった。復旧・復興と合併との関わ りを、最も犠牲者数の多い合併自治体の石巻市に見た。

◎情報収集など地域差/避難では内陸が補完効果

<職員数4割>
 「本庁とは衛星電話で何とかつながっていたが、向こうは向こうで手いっぱい。こっちはこっちでやるしかない状態だった」。牡鹿総合支所長だった成沢正博さん(60)は震災直後を振り返る。
 太平洋に大きく突き出した牡鹿半島にある旧牡鹿町は、大津波で各浜が壊滅的な被害を受けた。震災で道路は半島の各所で寸断され、一時は陸の孤島と化した。
 当時の支所の職員数は、合併前の約4割の47人。本庁からの支援が得られず、限られた人員で初動対応を余儀なくされた。旧市内に通じる道を確保するため近隣の建設業者に掛け合い、物資を取りに車で旧市内に向かうことができたのは、震災発生から5日目だった。

<「役割分担」>
 地域の将来を左右する復興計画作りにも、旧町
と旧市の「役割分担」が影を落とす。石巻市は現在、計画策定に向けた住民の意見集約を支所を拠点として行っている。
 支所職員には地元出身者が多い。本庁幹部は「旧町側からは、本庁の人間は『よそ者』。地元主導の方が意見集約をしやすい」と説明する。
  だが意見の集約状況は現在、地区ごとにばらつきがある。旧雄勝町は民間主導の協議会が5月に発足、7月には本庁に高台移転などの要望を終えた。児童らに多 数の死者、行方不明者が出た大川小などを抱えた旧河北町は、不明者の捜索が長期化。意見の集約を終えたのは10月に入ってからだった。
 「復興計画策定の進行状況に地域差が出ていることは否めない」と、本庁幹部も認める。
 合併前に比べ、住民の声が行政運営に反映されにくいとの批判もある。牡鹿地区では6月、被災した保育所の代替施設を望む声が住民から上がった。総合支所と本庁のやりとりは進まず、住民の申請から施設始動まで1カ月程度を要した。
 市の復興計画作りに意見を述べる市民検討委員会委員で、牡鹿地区に住む自営業大沢俊雄さん(60)は「支所が町長のような指導力で本庁に掛け合うこともなければ、本庁が支所から課題を吸い上げる姿勢も見えない。復興の遅れにつながらないか」と不安がる。

<連携を密に>
 合併効果も発揮された。旧河北町にある市河北総合センターには震災当初から、河北地区の住民だけでなく、壊滅的な被害を受けた旧雄勝町の避難者が多数身を寄せた。雄勝地区の小学校2校、中学校1校は、河北地区の学校に今も間借りする。
 約7200戸と県内最多となった仮設住宅の建設用地も、市域が広がったことで石巻市内に全て確保できた。桜田公二建設部長は「学校を除く公有地、無償で借りられる民有地をこれだけ用意できたのは、合併のメリットだ」と強調する。
 植松博史総務部長は「今後も限られた人員での行政運営が求められる。支所と本庁の連携をどのように密にしていくか、考えたい」と話す。

◎人口急減、広域連携探る/08年自立の道選択、岩手・大槌

 東日本大震災で多くの犠牲者を出し、急激な人口流出に直面する岩手県大槌町。2008年、隣接する釜石市との法定合併協議会設置を町議会が否決し、自立の道を選んだ小さな町が、新たな生き残りの道を探り始めた。期待を掛けるのが、沿岸被災市町村との広域連携だ。

 「人口流出を食い止めないといけない。町は存亡の岐路に立たされている」。碇川豊町長の危機感は強い。
 町の推計人口(9月1日現在)は1万2834人。震災による死亡、行方不明者に加え、仕事を求めて町を離れる住民も相次ぎ、震災前(3月1日)より2388人減った。減少率15.6%は、岩手県内で最も高い。
 「少子高齢化時代を30年も先取りしてしまったようだ」と碇川町長は嘆く。震災で拍車が掛かった人口減少で税収減も予想され、住民サービスの低下をいかに防ぐかが課題。復興事業が一段落した後を見据えれば、行政の一層の効率化は避けて通れない。
 合併しないまま、行財政の効率化という効果を生む手法として町が注目するのが、広域連携。入り口として、自治体ごとに構築している各種システムのソフトをインターネットなどを通じて共用化する「自治体クラウド」導入を提唱する。
 参加自治体は、年間数億円とされるシステム運用費が削減できる。碇川町長は「職員の交流も活発化し、役所同士の一体感が高まることで、広域的な施策展開が期待できる」と力を込める。
 大槌町の呼び掛けに、釜石市の野田武則市長は「両市町は、既に生活圏としては一体。できる連携から進めたい」と理解を示し、自治体クラウド導入の検討に入った。
 震災は、合併しなかった自治体に自立の意味をシビアに問い掛け、新たな連携を促しつつある。

◎利便性増す仕組み構築を/河村和徳・東北大准教授に聞く

 国主導で進んだ「平成の大合併」の終結から約1年で東日本大震災は発生した。市町村合併の功罪が指摘される現状について、合併の実態に詳しい東北大大学院情報科学研究科の河村和徳准教授(40)=政治学=に聞いた。

 ―被災した合併自治体では、復旧・復興の遅れと相まって合併への不満が聞かれる。
  「合併自治体は、これまでの地域づくりを再編していく途上に被災した。遅いと言われる意思決定だが、あうんの呼吸で決まっていた時代から、手続きを重視す る行政へ脱皮している途上であることも考慮すべきだろう。職員の人事交流も始まったばかりで、実態は旧市町村の混成軍。不満が出やすい環境といえる」
 ―震災対応で市町村合併の是非を評価できるか。
 「合併で復旧・復興で国や県と折衝する窓口が一つになり、行政手続きは迅速化している。しかし、住民から距離が遠くなった分、その恩恵を住民は感じにくいというギャップがある。合併の評価はもう少し長期的な視野で行う必要がある」
 ―合併しなかった小規模自治体への影響は。
 「国の施策に沿った復旧では、合併自治体も小規模自治体も大きな差が出ないが、復興では差が出るのではないか。大きい自治体ほど、財源・人的資源を集中投資できるので、5年後に差が出るだろう。特に企業誘致や、広域行政で行っている消防・医療分野で現れる可能性が高い」
 ―震災の初期対応では合併による効率化の弊害も指摘されている。
 「本庁と、役場だった総合支所との役割分担では、人員が減ったことを補う仕組みが必要だった。旧市町村の垣根を越え、統一的に動ける一体感を早く醸成する重要性もあらためて認識された」
 ―震災をどう生かすか。
 「昔からの行政のやり方を見直す機会にすべきだ。『国の指示待ちではうまくいかない』と分権の必要性を実感した職員もいるだろう。住民にとっても職員にとっても利便性が増す仕組みを考えなければならない」

[石 巻市]2005年4月、旧石巻市と雄勝、牡鹿、北上、河北、河南、桃生の6町が合併し誕生した。面積は555平方キロで、合併時の人口は宮城県内では仙台 市に次ぐ約16万9000人。合併後の行革で職員は約2000人から約300人削減。支所勤務の職員は約300人と旧町時代から約4割減った。震災による 死者は14日現在3274人、行方不明者は1日現在706人。

証言/焦点 3.11 大震災{河北新報・連載記事}
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