「北の山・じろう」時事問題などの日記

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【スー・チー氏】日本で語った重い課題(社説)<高知新聞>

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スー・チー氏】日本で語った重い課題(社説)
2013年04月18日07時48分
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▼全文転載


 ミャンマー民主化運動のシンボル、アウン・サン・スー・チー氏が、27年ぶりに訪れた日本での1週間の滞在日程をこなし、19日に帰国する。
 軍事政権から民政移管して2年、自身の下院議員就任から1年、ミャンマーの急激な変化を象徴する訪日だが、同国の民主化は構造面などに多くの課題を抱えている。
 6千万人超の人口、豊かな資源から日本では経済面での関係強化に期待が高まるが、肉付けの段階を迎える民主化を側面から支えることも大切だ。
 スー・チー氏にとって日本は特別な意味を持つ国だ。
 「建国の父」と称せられる父親のアウン・サン将軍は、第2次大戦中、日本で軍事訓練を受け、日本軍とともに対英独立戦争を戦った。スー・チー氏も1985~86年、京都大に在籍し、父親の事績を研究している。
 しかし軍政下のミャンマーに戻り、民主化運動の指導者として活動するようになると長期の拘束、自宅軟禁を余儀なくされる。ノーベル平和賞の授賞式に出席できず、英国人の夫の死に目にも会えなかった。
 民主化運動を弾圧し、国際社会から孤立した国、そんなミャンマー観を変えたのは軍事政権が2011年3月までに完了させた民政移管だ。
 20年ぶりに総選挙を実施し、スー・チー氏の自宅軟禁を解除した。国際社会との関係も改善し、オバマ米大統領はミャンマーを訪問した。日本も円借款の再開を決めている。
 こんな中でのスー・チー氏の訪日は各界から歓迎されたが、スー・チー氏は重要な政治的メッセージを発することを忘れていなかった。
 それは在日ミャンマー人が都内で開いた大規模集会でのことだ。スー・チー氏は軍の影響力を強く残す現行憲法について「今の憲法では公正な選挙は不可能」と断じている。
 現行憲法は議会定数の4分の1を軍人に割り当てるなど軍部支配の永続を狙っている。民政移管といっても政権中枢を占めるのは軍出身者だ。15年 の次期総選挙が現行憲法のまま実施されると、真の民主化は進展せず、内実は軍部支配が続くのではないか。スー・チー氏はそれを恐れている。
 鍵を握るのは選挙前の憲法改正だ。その実現には容易でない事態も想定されるから、スー・チー氏は厳しい状況への理解と支援を求めたのだろう。

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