「北の山・じろう」時事問題などの日記

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発信箱:抑留・コインの裏側=栗原俊雄(学芸部)<毎日新聞>

★私は、ロシア(旧ソ連)に恨み言を言う気は全く有りません。対ロシア関係の改善も進めるべきであると考えます。

★問題は、日本政府にあります。
シベリア抑留者数と死亡者数について毎日新聞の記事に有るのが、日本政府の公式発表でしょう。しかし、ここに重大な疑問があります。マッカーサー資料館の資料やロシア側の資料では、
シベリア抑留者数は、「100万人」を超える数字が出てくる場合があります。

★ドイツは、約300万人がソ連の捕虜となり、約100万人が死亡したとされています。それと比較しても、日本政府の公式発表には、大きな疑問があります。

★もし、仮にです。「40万人」もの人々が公式数字から、隠されているとしたら???
皆さん、こんなことが許せますか???ロシアを非難しているのでは、ありません。数字を「うやむや」にしている日本政府に、怒りを感じます。



毎日新聞

ホーム>http://mainichi.jp/
発信箱:抑留・コインの裏側=栗原俊雄(学芸部)
毎日新聞 2013年05月01日 00時42分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130501k0000m070150000c.html

▼全文転載


                   
                    

い連載記事でしたね。でも、これはコインの表側です。裏側を書いてくれませんか」。5年前シベリア抑留の経験者、池田幸一さん(92)は私にそう言った。

                         

 第二次世界大戦終結後、ソ連(当時)によって約60万人の日本人がシベリアなどに抑留された。1956 年に抑留が終わるまで、6万人が死亡したとされる。私は抑留経験者への取材をもとに2008年、本紙大阪本社版の夕刊1面で16回、シベリア抑留の問題に ついて連載した。

                         

 飢えと極寒、重労働の三重苦。日本人同士がソ連への忠誠心争いをしてたたき合う「民主運動」。連載では、こうした抑留の実態の一端を伝えることができた、と思った。

                         

 だが、それでは足りなかった。「私たちの闘いは、抑留が終わってからの方が長いんです」と、池田さんは 言った。ソ連は国際法違反である抑留の賠償金や強制労働の賃金を払わなかった。日ソ共同宣言で両国が賠償請求権を相互放棄したため、元抑留者は日本政府に 求めざるを得なくなった。しかし政府は応じない。池田さんらは提訴に及んだが司法は、皆が被害を受けたのだから我慢すべきだという「戦争被害受忍論」など を根拠にはねつけた。80歳を過ぎた元抑留者が立法に活路を求めて運動し、時には永田町に座り込んだ。

                         

 連載後も私は法制化の動きを繰り返し書いた。2010年6月、民主党政権下で元抑留者に特別給付金を支給するシベリア特措法が成立した。

                         

 特措法の意義は大きいが、遺骨帰還など積み残しは多い。今も裁判を闘っている元抑留者がいる。シベリア抑留は未完の悲劇だ。「コインの裏側」をしっかりと伝えてゆきたい。

    
    
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毎日新聞 2013年01月25日 00時31分(最終更新 01月25日 13時28分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130125k0000m070112000c.html


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