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社説:憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する<毎日新聞>

毎日新聞
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社説:憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する
毎日新聞 2013年05月03日 02時30分(最終更新 05月03日 16時17分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130503k0000m070110000c.html
▼全文転載


                   
                    

 上映中の映画「リンカーン」は、米国史上最も偉大な大統領といわれるリンカーンが南北戦争のさなか、奴隷解放をうたう憲法修正13条の下院可決に文字通り政治生命を懸けた物語だ。彼の前に立ちはだかったのは、可決に必要な「3分の2」以上の多数という壁だった。

                         

 反対する議員に会って「自らの心に問え」と迫るリンカーン。自由と平等、公正さへの揺るぎない信念と根 気強い説得で、憲法修正13条の賛同者はついに3分の2を超える。憲法とは何か、憲法を変えるとはどういうことか。映画は150年前の米国を描きつつ、今 の私たちにも多くのことを考えさせる。

                         

 ◇「権力者をしばる鎖」

                         

 安倍晋三首相と自民党は、この夏にある参院選の公約に憲法96条の改正を掲げるとしている。かつてない改憲論議の高まりの中で迎えた、66回目の憲法記念日である。

                         

 96条は憲法改正の入り口、改憲の手続き条項だ。改憲は衆参各院の総議員の「3分の2」以上の賛成で発議し、国民投票で過半数を得ることが必要と規定されている。この「3分の2」を「過半数」にして発議の条件を緩和し、改憲しやすくするのが96条改正案である。

                         

 憲法には、次に掲げるような基本理念が盛り込まれている。

                         

 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(97条)

                         

 「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条1項)

                         

 その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法なのであり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する。

                         

 確かに、過半数で結論を出すのが民主主義の通常のルールである。しかし、憲法は基本的人権を保障し、それに反する法律は認めないという「法の中の法」だ。その憲法からチェックを受けるべき一般の法律と憲法を同列に扱うのは、本末転倒と言うべきだろう。

                         

 米独立宣言の起草者で大統領にもなったジェファーソンの言葉に「自由な政治は信頼ではなく警戒心によっ て作られる。権力は憲法の鎖でしばっておこう」というのがある。健全な民主主義は、権力者が「多数の暴政」(フランス人思想家トクビル)に陥りがちな危険 を常に意識することで成り立つ。改憲にあたって、国論を分裂させかねない「51対49」ではなく、あえて「3分の2」以上の多数が発議の条件となっている 重みを、改めてかみしめたい。

    
    
                    

 外国と比べて改憲条件が厳しすぎる、というのも間違いだ。

                         

 米国は今も両院の3分の2以上による発議が必要だし、59回も改憲している例として自民党が引き合いに 出すドイツも、両院の3分の2以上が議決要件となっている。改憲のハードルの高さと改憲の回数に因果関係はない。問われるべきは改憲手続きではなく、改憲 論議の質と成熟度だ。改憲してきた国にはそれがあった。日本にはなかった。

                         

 ◇堂々と中身を論じよ

                         

 改憲案は最後に国民投票に付すことから、首相や自民党は、発議要件を緩和するのは国民の意思で決めてもらうためだと言う。こうした主張は、代議制民主主義の自己否定につながる危うさをはらむ。

                         

 普遍的な原理規範である憲法を変えるには、まず、国民の代表者の集まりである国会が徹底的に審議を尽くし、国民を納得させるような広範なコンセンサスを形成することが大前提だ。それを踏まえた発議と国民投票という二重のしばりが、憲法を最高法規たらしめている。

                         

 国民代表による熟議と国民投票が補完しあうことで、改憲は初めて説得力を持ち、社会に浸透する。過半数で決め、あとは国民に委ねる、という態度は、立憲主義国家の政治家として無責任ではないか。

                         

 衆院憲法調査会が8年前にまとめた報告書には「できるだけ国民の間に共通認識を醸成し、その民意を確認 する手続きとして国民投票が行われるという過程になるように、国会議員は努力する責任がある」「たとえ政権交代があった場合でもぶれることのない、一貫し た共通のルールを作る視点が大事であり、そのためには国会で幅広い合意を得ることが重要だ」などの意見が盛り込まれている。改憲を発議にするにあたって、 国会が果たす役割と責任を強く自覚する姿勢である。

                         

 そうした声は今、手っ取り早く憲法を変えようという動きにかき消されつつある。憲法が軽く扱われる風潮を危惧する。

                         

 私たちは、戦後日本の平和と発展を支えてきた憲法を評価する。その精神を生かしつつ、時代に合わせて変えるべきものがあれば、改憲手続きの緩和から入るのではなく、中身を論ずべきだと考える。国会は堂々と、正面から「3分の2」の壁に立ち向かうべきである。

    

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