「北の山・じろう」時事問題などの日記

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吉田昌郎 (元福島第一原発所長・東電)関連記事2013年7月11日

心より、お悔やみ申し上げます。

以下、関連記事。

 

J-CASTニュース

吉田元所長死去に悼む声ネットに溢れる 「国葬にすべきだ」「本当に尊敬・信頼できるリーダーがいたことに感謝します」……
2013/7/ 9 18:51
http://www.j-cast.com/2013/07/09179065.html

 

ガジェット通信
東電・吉田元所長 食道がんと闘病中も「福島に戻りたい!」
2013.07.11 16:45
http://getnews.jp/archives/377581

吉田昌郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%83%8E

MSN産経ニュース
【主張】
吉田元所長死去 「英雄的献身」を忘れまい
2013.7.11 03:33 (1/2ページ)[主張]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130711/dst13071103340001-n1.htm

MSN産経ニュース
【吉田元所長、死去】
門田隆将氏「日本救う使命果たした」
2013.7.10 07:18 [東日本大震災
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130710/dst13071007200003-n1.htm

MSN産経ニュース
【吉田元所長、死去】
菅元首相「ゆっくり話したかった」
2013.7.10 11:01
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130710/dst13071011010011-n1.htm

 

朝日新聞
吉田元所長、闘いの連続 原発と東電本店と官邸と
2013年7月10日5時55分
http://www.asahi.com/national/update/0710/TKY201307100014.html

 

 

NHK NEWS WEB
東電 吉田昌郎元所長が死去
2013年7月9日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130709/t10015922331000.html

※引用ブログ

http://350kinhuytgsy7453vyrmnao.blogspot.jp/2013/07/17935607485967.html

NHK NEWS WEB

  福島原発吉田昌郎元所長が死去  収束作業を指揮
7月9日 19時12分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130709/k10015926601000.html

※引用ブログ
http://350kinhuytgsy7453vyrmnao.blogspot.jp/2013/07/17935607485967.html

 

毎日新聞
吉田元所長死去:原発立国の光と影を背負い
毎日新聞 2013年07月09日 20時53分(最終更新 07月10日 12時53分)
http://mainichi.jp/select/news/20130710k0000m040065000c.html
※引用ブログ
http://dunab785fsiwn80b3hrq67kk.blogspot.jp/2013/07/48730619864723.html

 


東京新聞 TOKYO WEB

原発事故で現場指揮/核心語らず 吉田昌郎元所長 死去
2013年7月10日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071002000119.html
※引用ブログ
http://dunab785fsiwn80b3hrq67kk.blogspot.jp/2013/07/58169345167942.html

 

 日刊ゲンダイ
http://e.gendai.net/

吉田元所長「58歳の死」 食道がんと放射能の因果関係

2013年7月10日
▼全文転載

 

「事故で死んだ」と専門家

 

 今となっては真相はヤブの中か。東京電力福島第1原発の事故発生時の所長・吉田昌郎氏(58)が9日、食道がんのため東京都内の病院で死去した。

 吉田元所長は、11年3月11日の事故発生後から約8カ月間、免震重要棟で陣頭指揮に当たっていたが、同年11月中旬に健康診断で病気が発覚。同月末には治療に専念するため、所長を退任し、療養を続けていたが今年6月下旬、容体が急変したという。

 東電によれば、吉田元所長の被曝(ひばく)量は計約70ミリシーベルト原発作業員の被曝限度100ミリシーベルトの範囲内であることから、放射能によ るがん発生の可能性を否定している。しかし、吉田元所長は11年11月、報道陣の取材に「死ぬだろうと思ったことが数度あった」と話していて、相当なスト レスを感じていたはずだ。

 放射能が直接のがんの原因でないにしろ、あの環境では体を壊してもおかしくない。専門家はどうみているのか。医学博士の米山公啓氏はこう言う。

「遺伝的な要因やたばこ、酒でがんになりやすい体質、生活習慣があったのだとすれば、3月11日以降の極度のストレスががんを進行させた可能性はあります。ストレスは免疫力を低下させるからです」

 吉田元所長は、食道がんの療養中の12年7月、脳出血も発症している。

「もともと高血圧であったのかはわかりませんが、原発事故は想像を絶する状況です。そこに8カ月間もいれば、脳出血など起こしやすい体になってもおかしく ない。会社の方針に逆らって、独断で作業を進めていたともいわれているし、相当、無理をしていたのでしょう。血圧を測ったり健康管理をする間もなかったで しょうから、事故で亡くなったと言っていい」(東京脳神経センター理事長の松井孝嘉氏)

 東電は08年、明治三陸級の地震が福島で起きた場合、福島第1原発で10メートルの津波があると試算していたが対策を怠っていた。この時、吉田元所長は原子力設備管理部の部長。事故の責任の一端は彼にもある。
 
 日刊ゲンダイ
http://e.gendai.net/
吉田元所長を「英雄」扱いするテレビの見識、不見識
2013年7月11日
http://gendai.net/articles/view/syakai/143372
▼全文転載

事故を防げた可能性

 どうも釈然としない。テレビ各局は食道がんで急逝した吉田昌郎・元東京電力福島第1原発所長(58)を英雄のように報じている。10日も朝から大々的に取り上げていたが、どの局も「彼がいなかったら大惨事だった」などと持ち上げた。このスタンスに違和感があるのだ。

「本店の命令を無視して原子炉への海水注入を続けたことが日本の危機を救った」「各界から悼む声が上がっている」――。ワイドショーで繰り返し流された吉 田氏の姿は、国民を放射能汚染から守ったヒーローのようだった。もちろん、原発事故直後、吉田氏が「死の恐怖」と対峙(たいじ)しながら不眠不休で現場の 陣頭指揮に尽力したことは事実だろう。とはいえ、公務中に殉職して「2階級特進」した警察官のように扱うのは明らかに変だ。

「吉田氏の事故当時の肩書は『執行役員』。経営幹部なら、事故を起こした責任は免れない。しかも、東電が08年に想定外の津波の可能性を把握した際、彼は 対策を先送りした原子力設備管理部の部長だった。原子炉への海水注入をめぐって本店幹部とケンカするほどの反骨心を持っていたのなら、事故前に安全対策に 万全を期すよう大ゲンカしてほしかった。強く主張していれば、事故は防げた可能性があるのです。だから、事故後の対応は、自らの失態を必死に挽回しようと しただけとも言える。それなのにテレビは『被害を最小限に食い止めた』などとヨイショしている。事故から2年半近くなっても、約15万人が故郷に帰れない 現実をどう考えているのでしょうか」(経済誌記者)

 ジャーナリストの横田一氏がこう言う。
原発の事故原因が津波なのか地震なのか、いまだに分からない中で、吉田氏には国会などのオープンな場で事故当時の様子を語って欲しかった。原発の安全性 を語る上で、彼が知り得たことは重大な意味を持つ。なし崩しに進められようとしている原発の再稼働を左右する重要なキーマンだったと言ってもいい。メディ アは吉田氏の一面を取り上げて大騒ぎするのではなく、あらためて、原発が抱える問題や東電の隠蔽体質も含めて報じるべきでしょう」

 原発事故当時、国や東電の言い分をタレ流し続けていたテレビの体質は今もまったく変わっていない。
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2013年07月09日17:30
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