「北の山・じろう」時事問題などの日記

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長崎原爆の日:95歳の語り部 「惨状を伝えんば」<毎日新聞>

毎日新聞
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長崎原爆の日:95歳の語り部 「惨状を伝えんば」
毎日新聞 2013年08月09日 11時08分(最終更新 08月09日 11時15分)
http://mainichi.jp/select/news/20130809k0000e040173000c.html

 ▼全文転載

 

 9日、68回目の「原爆の日」を迎えた長崎は、原爆犠牲者への鎮魂の祈りに包まれ、一瞬にしてすべてを奪った原爆への怒りを新たにした。原発事故 に苦しむ高校生たちが、被爆地の苦しみの歴史と向き合う姿も見られた。憲法改正の動きが活発化する中、平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、被爆体験の 継承への思いを一層強くしている。核兵器を使った人間の過ちを忘れず、平和の尊さを学んだ68年前の「原点」に戻ろうと誓った。

 ◇「献水」役を務めた尾畑さん

 平和祈念式典で「献水」役を務めた尾畑正勝さん(95)は、長崎の被爆者で「最高齢」の語り部だ。68 歳の頃から語り始め、今でも修学旅行生らに年30回も講話をする。「いくつになろうとも、あの日の渇きや、この目でみた惨状を伝えんば」。猛暑に負けない しっかりとした足取りで登壇し、焼け野原で水を求めて亡くなった原爆犠牲者に清らかな水をささげた。【梅田啓祐】

 尾畑さんは、語り部活動をする長崎平和推進協会継承部会の中での最高齢者。原爆に遭ったのは27歳。爆 心から約1・5キロの三菱造船所幸町工場(長崎市幸町)で作業中だった。突然、青白い閃光(せんこう)に包まれ、とっさにうずくまると、ごう音と共にス レート屋根の破片やガラス片を背中に受けた。しばらくして起き上がると、鉄骨のみが残る建物、ぺしゃんこになった木造事務所、全身を焼かれ真っ赤な肉の塊 となりぼうぜんと歩く同僚たち−−。「全てを焼き尽くされ、一滴の水を求めて死んでいった仲間の姿が忘れられんですよ」。父は広島の三菱の造船所で被爆 し、長崎に戻ったが、まもなく他界した。

 退職後、同継承部会などで語り部になった。「亡くなり、語ることができなくなった人の代わり」となり、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを伝えてきた。

 語り部を始めた68歳の頃、長崎の反核運動を引っ張り、今年7月に亡くなった山口仙二さん(享年82) に言われた言葉が忘れられない。「被爆者が語り継ぐことが反戦反核に結びつく」。その言葉を励みに、ピーク時には年80回、小中高校生に講話した。自宅に は、全国各地の学校から届いた感謝状や感想文が飾られている。

 

 あの夏から68年。「山口さんを含め、当時を知る人が少なくなった。あっという間に私が最高齢です」とこぼす。歴史に関心を持たない子供が増えたと感じ ることも多くなった。「『献水』という儀式がなぜ行われるのか知らぬ子もいる。無関心が一番おそろしかです」。懸念の矛先は平和憲法を変えようとする「戦 争を知らん政治家」にも向いている。「再び戦争に突入しないよう、若者は正しい歴史を学ぶべきだ。戦争とは何なのか、平和とは何なのか、伝えていかなけれ ば」と決意を新たにした。

 

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