「北の山・じろう」時事問題などの日記

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長崎原爆の日:95歳、未来へ語る/高校生、結ぶ平和(その2止) 原発事故被災地から参列<毎日新聞>

毎日新聞
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長崎原爆の日:95歳、未来へ語る/高校生、結ぶ平和(その2止) 原発事故被災地から参列
毎日新聞 2013年08月09日 東京夕刊
http://mainichi.jp/select/news/20130809dde041040020000c.html

▼全文転載

 

 ◇福島、どんな状態か 長崎、どう復興したか

 平和祈念式典には、福島第1原発事故で被災した福島県の高校生も参列した。長崎市の市民団体「福島と長 崎をむすぶ会」などが招いた南相馬市の高校生10人と「高校生平和大使」の一人、吉田有沙さん(17)=福島県立小高工高3年。「むすぶ会」代表の被爆 者、広瀬方人(まさひと)さん(83)から「長崎は福島を忘れない」とのメッセージを受け取り、被爆の実相を学んだ。

 参列した福島県立小高工高2年の一ノ瀬まみさん(16)の自宅は福島第1原発から約4キロの大熊町にある。震災翌日に父(49)の実家がある同県会津若松市に避難。昨年4月に同高に入学し、南相馬市内の借り上げ住宅に移ったが、故郷には一度も戻れていない。

 父は東京電力の社員で、原発事故の収束作業を続けている。過労で体調を崩しながら「自分がやらなければ」と働き続ける父を、一ノ瀬さんは「誇りに思っている」という。

 3月に大動脈瘤(りゅう)の手術を受け自宅療養を続けている広瀬さんとは6日、長崎原爆資料館で面会し た。自分と同年代の15歳で原爆に遭ったと聞き、衝撃を受けた。「被爆した長崎がどうやって復興したのかを学びたい。福島が今、どんな状態にあるかを知っ てもらいたい」と語った。

 広瀬さんは9日早朝、一ノ瀬さんら高校生が長崎市の爆心地公園で開いた集会に駆けつけ、「皆さんが核兵器廃絶のメッセージを伝えてくれる、とてもうれしい特別な夏になった」と笑顔を見せた。

 平和大使の吉田さんも原発事故後、原発から約10キロ離れた浪江町の自宅に帰れないでいる。震災直後、 家族7人で避難したのは原発の北西約30キロの浪江町津島地区だった。放射線量が高かったが、まったく知らされなかった。「放射線は目に見えないし、にお いもしない。ただ怖いという思いしかなかった」。今年1月に南相馬市の借り上げ住宅に入るまで転居は8回になる。

 被災から3年目の夏。「復興は全然進んでいないのに、福島は忘れられようとしている」と危機感を抱く。 20日、平和大使として核兵器廃絶と平和を訴えるため、ジュネーブの国連欧州本部を訪れる。「誰かが放射能におびえているような毎日は絶対に平和とはいえ ない。身をもって体験した放射能の怖さを世界中の人に伝えたい」と誓った。【樋口岳大】

 

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