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関東大震災90年 老舗奔走 支援の記録 松坂屋 直後の手紙・電報236点発見<東京新聞 TOKYO WEB>

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関東大震災90年 老舗奔走 支援の記録 松坂屋 直後の手紙・電報236点発見
2013年8月24日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013082402000214.html

▼全文転載

 九月一日で発生から九十年を迎える関東大震災で、被災した百貨店「松坂屋」上野店(東京都台東区)が、松坂屋名古屋本社へ状況を報告したり、当時 の社長が得意客に送った手紙や電報など計二百三十六点が見つかった。やりとりの内容から、被災者支援で無料巡回診療を実施したことや、名古屋市や得意客ら に配達サービスも買って出ていたことが分かる。 (後藤隆行)

 調査した名古屋市博物館(瑞穂区)は「老舗百貨店の苦闘がうかがえる。現代の災害対応を考える上でも貴重だ」として、二十八日から一般公開する。

 関東大震災は一九二三(大正十二)年九月一日に発生。上野店は揺れに耐えたものの、周辺からの火災が二日夜に燃え移り、商品とともに焼失。店員らは近くの社宅に逃れ、復旧拠点とした。

 東京駐在の幹部が六日に記した手紙によると、社宅が無事だったことで「松坂屋の被害は軽微」とのデマに悩まされ、「風評及び同情よろしき方にあら ず」と危機感を伝えた。社内に浮上した仮店舗設置案に「あまり早すぎては(被災者の)反感を招く憂いあり」と慎重な対応を求めた。

 幹部はまた、被災者支援について「慰問したいが、物資欠乏」と報告。最初に実施すべき活動として、嘱託医師と看護師による無料巡回診療を挙げた。

 一方、伊藤次郎左衛門祐民社長が東京や名古屋の得意客に宛てた八日付の書状によると、東京-名古屋を結ぶ鉄道の東海道線は寸断され、大宮駅(埼玉県)と上田駅(長野県)にそれぞれ店員を配置。上野から列車を乗り継ぎ、郵便や電報が使える上田駅まで運んだという。

 社長は得意客に「急用のある時はお申し付けください」と、配達の取り次ぎも通知。一時は社内外の百通前後を毎日運び、救援隊を東京に派遣した名古屋市の公文書も扱った。

 一連の手紙などは「東都震災当時ノ書状綴(つづり)」として、松坂屋名古屋店(名古屋市中区)の倉庫に眠っていた。現在、松坂屋を傘下に置くJ・フロントリテイリングの史料館が昨年五月に発見し、市博物館に分析を依頼していた。

 市博物館の木村慎平学芸員は「会社の危機から立ち直るため、自分たちでできることに最大限に取り組み、それが被災者支援にも結びついた」と話している。

 <関東大震災と松坂屋> 関東大震災の地震規模はマグニチュード(M)7・9と推定され、火災の延焼などで約10万5000人の死者を出した。松 坂屋は発生2日後、上野店に近い社宅に被災者数百人を受け入れた。10月から東京市委託の臨時市場を13カ所で開き、衣類や雑貨などを販売。11月に上野 店の焼け跡にバラックの仮店舗を開き、百貨店で最も早く営業を再開。12月には新築の上野店を開業した。

 

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