「北の山・じろう」時事問題などの日記

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風知草:坂田昌一の警告=山田孝男(毎日新聞 2012年05月28日)

毎日新聞
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風知草:坂田昌一の警告=山田孝男
毎日新聞 2012年05月28日 東京朝刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20120528ddm002070086000c.html

▼全文転載

 

 小紙24日朝刊スクープのミソは「勉強会」だった。

 核燃サイクル推進をあきらめない「原子力ムラ」(産官学共同体)の面々が、非公開の「勉強会」で政府報告書原案に我田引水の修正を施したという。テレビ(ANN「報道ステーション」=24日夜)は隠し撮りの動画をすっぱ抜いた。

 原発推進派の排他的秘密会合は53年前にもあった。物理学者の坂田昌一(1911〜70)にこういう逸話がある。

 坂田は湯川秀樹朝永振一郎と並ぶ素粒子物理学の大御所だった。政府の原子力委員会・安全審査専門部会の委員に招かれたが、審査機関の独立強化と情報公開の徹底を強硬に主張してケムたがられた。

 やがて、非公開の内部協議の議事録が坂田には届かなくなった。ただでさえ孤立していた坂田は事態を悟り、以下のタンカを織り込んだ声明を発表して委員をきっぱり辞めた。

 「秘密の扉の中でだされた結論を権威の名において国民に押しつけるようなことは断じて許すべきではない」(59年11月17日、衆院科学技術特別委・参考人意見陳述。「中央公論」60年1月号に草稿を掲載)

 坂田は脱原発派ではない。それどころか、筋金入りの原発ナショナリストだった。核の平和利用を宣言したアイゼンハワー米大統領の国連演説(53年)より早く、「日の丸原子炉」の研究開発を唱えていた。

 ただ「民主、自主、公開」の3原則(原子力基本法2条)にこだわった。「慎重過ぎる」という政財界の不満、批判に強く反発してこう書いた。

 「3原則を無視してもよいなどというのは原子力の本質についてまったく無知な人間か、さもなければ原子 力を看板に一もうけしようという利権屋だけである。原子力が何たるかを本当に理解している人間は、3原則を基盤としないかぎり、原子力研究はけっして人類 に幸福をもたらしえないものであることを熟知している」(科学雑誌「自然」55年7月号所載「3原則と濃縮ウラニウム」)

 坂田の警告が空論でなかったことは、坂田の生誕100年にあたる昨年、証明された。以上の経緯は昨秋刊行された「坂田昌一/原子力をめぐる科学者の社会的責任」(樫本喜一編、岩波書店刊)に詳しい。

 先週の小紙の特報に対し、原子力委員会は「事実無根」と反論している。あれは秘密の裏会合なんかじゃない、関係省庁や事業者にデータを確認する連絡調整に過ぎず、報告書案の書き換えではない−−と。

 データ確認なら、なぜ個別にやらないか。「勉強会」こそ反省なき「原子力ムラ」のどうにも止まらぬ永久運動ではないのか。疑問は消えない。

 

 政府は6月前半、2030年の原発依存率の選択肢を公表し、夏のうちに結論を得たい意向だが、実は、核燃サイクルの是非については当面、判断するつもりがない。なぜか。ある閣僚に聞くと、こう答えた。

 「今やめると言えば、サイクルの完成を前提に使用済み燃料の中間貯蔵を引き受けてきた青森県が黙っていない。各原発サイトに核のゴミを戻せという話になる。最終処分に目鼻をつけないかぎり、核燃サイクルの話はできないんですよ」

 核燃サイクル見直しという歴史的選択の幕は上がらず、決定プロセスへの不信だけが膨らんでいく。さだめし坂田は憤慨していることだろう。だから言ったじゃないかと。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

 

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坂田昌一 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%B0%E6%98%8C%E4%B8%80

 

 

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