「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

朝鮮半島スクープレポート 金正恩はなぜミサイルを発射するのか 追いつめられた「子ども第一書記」

★全文転載

現代ビジネス
トップ>http://gendai.ismedia.jp/
経済の死角
2013年01月02日(水) 週刊現代
朝鮮半島スクープレポート
金正恩はなぜミサイルを発射するのか
追いつめられた「子ども第一書記」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34390
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34390?page=2
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34390?page=3
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34390?page=4
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34390?page=5
▼全文引用

(1)

「ミサイル発射は金正恩の本意ではない」---こう断言するのは、7月に金正恩と4時間の午餐を共にした「金正日の料理人」藤本健二氏だ。発足から1年になる金正恩体制が、早くも危機を迎えている。

別人のようになってしまった

「今回の長距離弾道ミサイルの発射実験は、巷間言われているような金正恩第一書記が自らの威信を示すためのものではなかった。金正恩は、今回の発射実験には反対していた。だが、朝鮮人民軍の強硬派が強行するのをストップする権限さえも、もはや持ち合わせていないのだ」

 こう解説するのは、中国の外交関係者だ。

 北朝鮮が、平安北道鉄山郡東倉里からフィリピン沖へ向けた発射を準備していた長距離弾道ミサイルに、再び日本を始めとする東アジアが振り回された。

 北朝鮮当局は当初、10日から22日の間に発射すると発表していたが、9日未明になって発射延期を示唆する発表を行った。これは、その数日前の大 雪などによる技術的な原因なのか、それとも金正恩第一書記の強い意思が働いたのか。いずれにしても発射実験は行うものと見られる。

 北朝鮮の中長距離弾道ミサイル実験は、'93年、'98年、'06年、'09年、そして今年4月に続く6回目のことだった。実験のたびにミサイル の性能はバージョンアップされ、射程距離も着実に伸びている。今回の射程距離は、アメリカ本土まで届く1万・に達したとされる。

 また、'06年と'09年の発射実験は、核実験とワンセットになっていて、ミサイル実験後まもなくして核実験を強行している。このため、来年早々 にも、3回目の核実験を強行する可能性がある。北朝鮮は、先代の金正日総書記の時代から、核弾頭を搭載したアメリカ本土まで届く大陸間弾道弾の実戦装備を 目標にしていたからだ。

(2)

 北朝鮮は、12月17日に、金正日総書記の死去1周年を迎え、平壌では大々的な記念行事を予定している。それだけに、日本を始め各国メディアは、今回の長距離弾道ミサイルの発射実験を、金正日総書記の死去1周年と、金正恩時代の到来を告げる「祝砲」との分析をしている。

 だが、冒頭のように、中国は別の見方をしている。この外交関係者が続ける

金正恩は、物騒なミサイル実験や核実験などやめて、早くアメリカや日本と国交を正常化させ、中国式の改革開放政策を断行したいと考えている。ところがこのところ、朝鮮人民軍強硬派からの圧力は増す一方だ。いまや軍の傀儡となるか、さもなければ軍のクーデターに遭うかだ」

 北朝鮮の動向を日々ウオッチしている「韓国のCIA」こと韓国国家情報院の関係者も、同様の見方をしている。

「今年後半の金正恩は、今年前半とは、別人のようになってしまった。今年前半は、軍の強硬派を蹴散らして、経済改革を行うという意思が明確だった。ところが後半になると経済改革構想は完全に失速し、いまやいつクーデターに遭ってもおかしくない状況だ」

「第2のリビア」になる

金正恩は、いまからちょうど1年前に、祖父・金日成主席、父・金正日総書記の「革命の血脈」を継ぐ、3代目の最高指導者に就任した。そして今年に 入って、父親の「先軍政治」(軍最優先の政治)と訣別し、かねてから持論だった中国式の経済改革に着手しようとしたのだった。農家に対して農作物の自由売 買を認めたり、国有の工場を企業化するといった政策である。一言で言えば、「軍から民へ」の富の転換を図ろうとしたのである。

金正恩は、2月にアメリカに対して、ミサイル実験凍結を約束し、その見返りとして24万tの食糧援助を勝ち取った。これを、4月15日の「太陽節」、すなわち金日成主席生誕100周年の「祝砲」にしようと考えたのだった。

 ところがこの穏健な対米政策に、真っ向から反対したのが、過去3年余りにわたって「天敵」だった金永春・人民武力部長(国防相)を中心とする軍の 長老たちだった。金永春は「核とミサイル開発は将軍様(金正日総書記)の遺訓である」として、太陽節に長距離弾道ミサイルの発射実験を行うと発表させたの だった。

 中国の外交関係者が続ける。

「金永春は、太陽節の2日前の4月13日にミサイル実験を強行した。金正恩は、実験が失敗したことを奇貨として、朝鮮中央テレビを通じて、発射実験の失敗をいち早く国民に伝えた。そしてその責任を取らせる形で、金永春を粛清してしまったのだ」

金正恩は、人民武力部長の後任に、2月に次帥に昇格させたばかりの金正覚をあてた。金正覚は、軍の中でも穏健派として知られ、金正恩に絶対忠誠を誓っている。

(3)

 6月28日、金正恩は党・軍・政府の幹部らを一堂に集めて、「経済改革方針」を発表した。これは、金正日時代に朝鮮人民軍が統轄してきた経済事業を政府に移管し、ドラスティックな経済改革を断行するという内容だった。

 この「6・28方針」に強く反発したのが、金永春の失脚後、朝鮮人民軍を掌握した李英鎬総参謀長だった。李英鎬は、「先軍政治将軍様の遺訓であ り、軍の権限を削いだら、わが国は『第2のリビア』になる」と強行に主張した。李英鎬は、金正恩の軍における「恩師」だったが、最高指導者とその恩師と が、正面衝突したのである。

 この時、金正恩に加勢したのが、金正日総書記の妹であり、金正恩政権の最大の「黒幕」である金敬姫書記だった。金敬姫は、長年の愛人である崔竜海 書記を、軍歴がないにもかかわらず、金永春を失脚させた4月に、軍総政治局長に就任させていた。軍総政治局長は、120万朝鮮人民軍の思想を統轄する重職 で、人民武力部長、総参謀長と並ぶ「軍3大ポスト」の一角である。

金正恩、金敬姫、崔竜海の3人組は、7月15日の日曜日に、朝鮮労働党中央政治局会議を緊急召集した。そして李英鎬のあらゆる職責の解任を、電光石火で決議したのだった。

 こうして李英鎬はあっけなく粛清され、後任の総参謀長には、やはり金正恩に絶対忠誠を誓う軍穏健派の玄永哲を抜擢。合わせて玄の階級を、大将から次帥へと引き上げた。

金正恩は、金永春と李英鎬という、軍強硬派の2大巨頭を粛清したことで、権力掌握に自信をつけた。そこで9月25日に最高人民会議(国会に相当) を開催すると発表したのだった。4月に続く年に2度の開催は前例がなかったが、「6・28方針」を国の正式な決議にしようと目論んだのだ。

 7月27日、金正恩は、軍が主催した朝鮮戦争祝勝59周年記念報告大会を欠席。だがその2日前にはミニスカートの美人妻・李雪主を引き連れて遊園 地の視察に赴いた。遊園地へは、前後して計5度も視察に赴いている。この「新時代の到来」を告げる挙に出ることで、軍強硬派に挑戦状を叩きつけたのだっ た。

中国の冷たい対応

 だがその後、金正恩に思わぬ誤算が起こった。最大の後見人である叔母の金敬姫の容態が急変したのだ。

「金敬姫は、長年にわたってアルコール中毒を患い、フランスで長期療養に臨んだこともあった。ここ数年は糖尿病に苦しめられていて、外出時には常に、崔竜海が付き添っていた。それが糖尿病が悪化し、歩行さえ厳しい状況に陥ったのだ」(前出・国情院関係者)

 これに慌てた金正恩は、金敬姫の夫で国防委員会副委員長の張成沢を急遽、中国に派遣した。

(4)

 前出の中国の外交関係者が解説する。

「張成沢は、8月17日に行われた胡錦濤主席との面会で、『金正恩第 一書記は中国式の経済改革の導入を強く望んでおり、その視察という名目で、一刻も早く訪中させてほしい』と直訴した。貿易額の7割以上を依存する中国の後 ろ盾を得て、金正恩体制の政権基盤を固めたいと考えたのだ。過去2000年にわたって朝鮮の王は、中国の信任を得て初めて王になれたが、この主従関係は、 現在でもいささかも変わっていない」

 だがこの中国の外交関係者によれば、胡錦濤主席は、「いまはわが国の国内事情が整っていない」として、早期の金正恩訪中に難色を示したという。

胡錦濤主席の言う「国内事情」とは、第18回中国共産党大会へ向けた自分の後継人事を巡る江沢民前主席との権力闘争だった。この時期、胡vs.江の闘争が激化し、秋の党大会の日程さえ決められないでいた。中国は、北朝鮮どころではなかったのである。

「張成沢は、金正恩訪中の約束を取り付けられなかったことで、帰国後に平壌で大いに威信を落とした。また、妻の金敬姫を密かにシンガポールに送って治療させた」(前出・国情院関係者)

 こうして金正恩は、後見人の張成沢・金敬姫夫妻の威信低下に伴い、急速に求心力を失墜させていった。9月25日に予定通り最高人民会議を開催したが、そこで決議したのは「国民の義務教育を12年間に延長する」といったことだけだった。

美人妻はどこに消えたのか

 軍の強硬派は、機に乗じて金正恩包囲網を敷いた。その中心となったのは、'09年に金正恩と諍いを起こして総参謀長を解任され、韓国と直接対峙する西海岸の第4軍団長に飛ばされた金格植だった。

「金格植は、'09年以降、金正恩が国内で経済改革に着手するたびに 韓国を攻撃し、国内を臨戦状態にして経済改革を阻止した。'09年11月の西海岸での南北衝突、'10年3月の韓国艦艇『天安号』撃沈、同年11月の韓国 延坪島への砲撃などは、すべて金格植が発令したものだ」(前出・国情院関係者)

 今年11月、軍強硬派の取りまとめに成功した金格植は、人民武力部長に就任してわずか5ヵ月しか経っていない金正覚次帥を排除。代わって自らが後任に就き、復権を果たしたのだった。金格植は、7月に総参謀長に就任したばかりの玄永哲次帥も、自分と同じ大将に降格させた。

人民武力部長に就任した金格植は、直ちに12月の長距離弾道ミサイ ル実験の準備を指示し、自ら発射実験の責任者となった。今回のミサイル実験に続いて、来年の『光明星節』(2月16日の故・金正日総書記の誕生日)の前 に、3度目の核実験を強行する可能性がある」(前出・国情院関係者)

(5)

 こうして金正恩の身辺は、にわかにキナ臭くなった。

金正恩は、8月28日に江原道鉄嶺の東部戦線部隊の視察から戻って 以降、平壌を一切離れなくなった。自分への警護も一層厳しくするようにした。そしてすべての軍幹部に忠誠を誓う署名を強要したが、それでも軍が信用でき ず、軍に対抗意識を持つ国家安全保衛部を11月中旬に視察し、媚びを売った」(同国情院関係者)

 ちなみに、自慢の美人妻は、11月7日に朝鮮中央通信が、「平壌市内のバレーボールの試合を夫妻で視察された」と報じて以後、1ヵ月以上にわたっ て動静が伝えられていない。妊娠説も根強いが、身辺に危険が迫り安全な場所に隔離されたという噂も、平壌ではまことしやかに流れている。

 このような事態に、11月末になって「宗主国」中国が動いた。前出の中国の外交関係者が明かす。

「11月14日に中国共産党大会が終わり、習近平総書記体制が整った ので、北朝鮮に特使を送ることにした。当初は劉奇葆・中央宣伝部長を団長とする文化友好的な訪朝団を考えていたが、平壌の事態が切迫しているということで 急遽、李建国・全人代副常務委員長(国会副議長)を団長とする政治的な訪朝団に格上げした。平壌入りした李建国は11月30日、金正恩第一書記に対して、 習総書記からの親書を手渡したが、それは単なる友党同士の挨拶で、金正恩が望む早期訪中の要請ではなかった」

金正恩は、来月1月8日に満30歳を迎えるが、もはや軍の統制は利かない。そんな中で、引き続き薄氷を踏むような政権運営が続く---。

「週刊現代」2012年12月22日・29日号より

現代ビジネス トップ>http://gendai.ismedia.jp/