「北の山・じろう」時事問題などの日記

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「東京新聞は護憲ですが、私は違います」 記者が社説と異なる主張をする自由こそ、ジャーナリズムの基本だ<長谷川幸洋「ニュースの深層」

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長谷川幸洋「ニュースの深層
東京新聞は護憲ですが、私は違います」
記者が社説と異なる主張をする自由こそ、ジャーナリズムの基本だ
2013年02月01日(金) 長谷川 幸洋
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34755
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34755?page=2
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34755?page=3
◎全文転載

(1)

 このコラムは「ニュースの深層」というタイトルが付いている。だから、普通は日々のニュースについて裏側とか背景事情とか、私の見方を書くことになる。今回はちょっと趣向を変えて、私の立ち位置について書いてみたい。

 私は「完全に中立な立場からの報道」というのはない、と思っている。同じテーマを報じていても、報じる側、つまり記者によって事実の解釈も分析の 角度、深さも異なる。それは当然だ。記者によって経験も力量も、そもそも取材源だって異なるからだ。言い換えれば、ニュースにはみんな「記者の色」が付い ている。

 だから「ニュースの深層」というとき、報じられる側、つまり取材対象である官僚とか政治家の事情や思惑に目を凝らして、そこを深く掘り下げるとい う作業と同時に、実は報じる側、つまり記者の事情を紹介するのも大事な作業になる。取材対象と記者の双方に目を配って互いの事情と思惑、それらの交錯のあ りようをよく考えてみる。そういう双方向の作業が重要になる。

 そういう考えから、ここ数年、私は政治や報道を観察するとき、同時に記者の側も観察してきた。たとえば『日本国の正体 政治家・官僚・メディア―本当の権力者は誰か』(講談社、2009年)はそういう仕事だ。1月に上梓した『政府はこうして国民を騙す』(同)は当コラムの連載が柱になっているが、同じように記者の側にも視線を向けている。
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自分の意見が社説と異なる場合があるのは当然

 そこで報じる側の1人である私自身について書く。

 私はジャーナリストが本業と思っている。東京新聞論説副主幹という仕事もあるが、それは私の仕事の一部だ。それ以外に当コラムも書いているし『週 刊ポスト』にも連載コラムを書いている。ときどきテレビやラジオでも発言する。本も出す。それら全体が私の仕事である。東京新聞はそんな私の立場を容認し ている。

 そういう中で、私の署名がないのは東京新聞中日新聞に書く社説だけだ。それは文字通り「社の説」という建前になっているからだ。社説は私だけが執筆しているわけではない。私と違う意見を持つ論説委員が書く場合があり、むしろ私以外が書く場合がほとんどである。

 そういう事情だから、東京新聞の社説と私の意見は異なる場合がある。最近でいえば、憲法改正問題だ。

(2)

東京新聞は基本的に護憲の立場に立っている。しかし、私は改憲に賛成である。この点は社内でもかねて明言していたが、社外に向けて公言したのは、 1月26日未明に放送されたテレビ朝日系列『朝まで生テレビ!』の番組中が初めてだった。同日朝のBS朝日系列『激論!クロスファイア』でも、同じく改憲 の立場で発言した。

 その際、視聴者の誤解を招かないように「東京新聞は護憲ですけど、私は違います」と東京新聞の立場についても注釈を加えた。中には「論説副主幹という立場で社説と違う意見を言っていいのか」という向きもあるかもしれない。実際、社内にもそういう意見がある。

 だが、私は論説副主幹だろうがヒラの論説委員だろうが、自分の意見が社説と異なる場合があるのは当然だと思っている。社説というのは論説委員の集 団討議で決まっている。なかなか意見を集約しきれなければ、最終的には論説主幹がまとめる。結論が出たからといって、論説委員がみんな、その結論に同意し なければならない理屈はない。

 社説は社説として発表し、一方、論説委員の意見は意見として尊重する。それが言論の自由というものではないか。私はそう思っている。だから、私は 同僚論説委員が私と違う意見を唱えて社説に書こうとしても、ただの一度も反対したことはない。私の意見は言うが、最終的には書き手の意見を最大限に尊重し ている。私が目を通したうえで、実は私とは違う意見の社説が掲載されたことは、それこそ無数にある。

 その逆もある。私は社説が護憲を唱えているからといって、自分の意見を変えるつもりはまったくない。改憲についてはテレビで公言したし、いまもそ う書いている。「社説がこうだから、私の意見もこうだ」などということになったら、どうなるのか。単なる迎合ではないか。そんなことで、言論の自由が守れ るはずがないのだ。

記者が独立して自由に書くのがジャーナリズムの基本

 この問題については、先の『政府はこうして国民を騙す』の冒頭でも、こう書いた。

〈 念のために言えば、私が署名入りで書いた記事やテレビ、ラジオでの発言はすべて私個人の意見だ。東京新聞中日新聞の主張ではない。私は東京新聞を代表して発言しているわけでもない。

ときどき私の意見が東京新聞の主張であるかのように受け止める読者 もいるが、それはまったくの誤解である。私の意見が両紙の社説と同じ場合もあるし、異なる場合もある。複数の論説委員たちによる議論の末に決まる社説の内 容がいつも私の意見と同じだったら、むしろ、そのほうがおかしいだろう。 〉

(3)

 なぜ、こういう話を書いているかといえば、言論とか議論といった民主主義の根幹にかかわる問題について、この国ではどうもタブーがありすぎて自由 闊達さが失われていると思うからだ。「みんながこう言っているから、私もそう言う」みたいな大勢に従う姿勢があまりに染みついている。そんなことで本当の 議論は成立しない。独創的な発想も生まれない。

 これはメディアやジャーナリズムの世界だけの話でもない。どこかの会社にも「上がこう言っているから、とりあえず従っておこう」みたいな話はごろ ごろしているのではないか。そんなヒラメ集団では、新たなビジネスの挑戦はできない。真に自由な議論とか独創的なアイデアは周囲の様子をうかがいながら発 言するような人からは、けっして出てこないのだ。

 新聞の読者や視聴者からの反応を見ていると「東京新聞の立場と違うなら、会社を辞めるべきだ」などというご意見もある。そういう考え方もあるかも しれない。しかし私は違う。それは「記者はみんな会社人間になるべきだ」と言っているようなものだ。そういう新聞だったら、私はぞっとする。

 幸い、東京新聞はそうではない。その証拠に私はテレビで改憲の立場を公言しても、まだこうして東京新聞論説副主幹の職にある。1人1人の記者が完全に独立して自由に記事を書く。ジャーナリズムはそれが基本だ。そういうメディアが大切である。

 なぜ憲法改正に賛成かについては、テレビで触れたが、いずれ機会を見て書くことにしよう。

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著者: 長谷川幸洋
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「かつて自分は財務省の忠実な下僕=ポチだった」と告白する筆者だからこそ見破ることができ、そして書くことができる驚くべき「霞が関とメディアの本当の関係」。これを知れば、新聞の読み方、ニュースの見方が劇的に変わる!


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