「北の山・じろう」時事問題などの日記

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この国と原発:第1部・翻弄される自治体/3 南伊勢、「白紙」まで町分断の37年<毎日新聞

毎日新聞
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この国と原発:第1部・翻弄される自治体/3 南伊勢、「白紙」まで町分断の37年
毎日新聞 2011年08月21日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110821ddm003040055000c.html
◎全文転載

(1)
 ◇「立地」静かに再始動

 紀伊半島南東部にある三重県南伊勢町。昨年春、中部電力立地本部の名刺を持った担当者が同町を訪ね、「三重大の先生と一緒に防災対策を強化しませんか」と切り出した。住民向け防災教育などに協力、資金は同社が負担するという。

 海岸線が約240キロに及ぶ同町にとって、津波への備えは重要課題の一つ。町は受け入れを決めたが、小山巧町長は「混乱を招かないか懸念があった」と振り返る。

 旧南島町(現南伊勢町)と旧紀勢町(現大紀町)にまたがる芦浜地区で、同社初の原発建設計画が公表され たのは63年だった。漁業以外に目立った産業のない両町は、計画への賛否を巡り、地縁や血縁すら分断する骨肉の争いに巻き込まれていく。「親戚の子でも相 手側の子なら、こけても助けない」。00年に当時の北川正恭知事が計画の「白紙撤回」を表明し、同社が同調するまで37年間続いた「芦浜闘争」だ。計画に 翻弄(ほんろう)された家々の玄関には今も「原発反対の家」のステッカーが残る。県庁職員から09年の南伊勢町長選に出馬した小山町長にも、「闘争の余 韻」は一目瞭然だった。

 その両町は今、衰退の一途をたどる。ここ10年で人口が1割以上減少。頼みの漁業も不振で、約2000人いた漁業者は半減した。

(2)

 4日早朝、大紀町の錦漁港。漁から戻った第28双葉丸の船長、谷口兄さん(50)の表情は晴れない。「燃料代にもならんよ」。取れたイワシ約4トンの卸値は10万円程度で、重油代などを差し引くと数十万円の赤字だ。ここ2、3カ月、貯金を食いつぶす毎日という。

 中部電は00年以降、両町に常駐させていた「工作員」を撤収し、露骨な立地対策は控えてきた。だが、苦 境にある両町で一昨年から、ソフトな形で再始動した。漁協への協力事業として、アワビの産卵場所となる藻場を造成。主婦向けの寄せ花教室では、電力につい ての講演後、会費500円で1500〜2000円分の材料を渡す。

 同社幹部は「今は住民投票の時代。金のばらまきではなく、地道な地域貢献を続け、住民自らに何が必要かを考えてもらうことが重要」と話す。

 今年2月、同社が発表した経営ビジョンに「原発の新規建設」の文字があった。「ついに芦浜が動き出 す」。三重外湾漁協の理事も務める谷口さんは心を躍らせた。年収200万円に満たない組合員を救うには「原発しかない」と思う。ある南伊勢町議も「ようや く原発が政治課題になる」と感じた。

(3)

 そんな時に起きた福島の原発事故。芦浜闘争以来、推進の旗を振り続けてきた谷口友見・大紀町長は「僕は原発を信じとった。だが、もう無理でしょ う」と言う。それでも推進の声は消えない。南伊勢町の住民団体幹部、佐古清さん(81)は力を込める。「このままでは町は滅びる。福島を教訓に安全性を確 認してから立地すればいい。原発と町の滅亡、どっちが怖いんや」

 中部電の立地責任者は7月12日、佐古さん宅を訪ね、こう言ったという。「状況が落ち着いたら、また話しましょう」【三木幸治】=つづく

(毎日新聞・連載特集)
この国と原発 アーカイブ(2011年)
http://mainichi.jp/feature/20110311/konokunitogenpatsu/archive/news/2011/index.html

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