「北の山 じろう」日記               (その心は?明日、天気にな~~れ!)

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この国と原発:第1部・翻弄される自治体/6止(その2止) 原子力に期待…<毎日新聞>

毎日新聞
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この国と原発:第1部・翻弄される自治体/6止(その2止) 原子力に期待…
毎日新聞 2011年08月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110825ddm003040139000c.html
◎全文転載

(1)

 <1面からつづく>
 ◇原子力に期待「間違ってはならない賭け」
 ◇岩本・前双葉町長、社会党県議から転身 住民のために反対し、住民のために共存した
 ◇避難生活で衰弱、死去

 7月15日午前5時。岩本忠夫・前福島県双葉町長は福島市の病院で、付き添っていた長男の双葉町議、久人さん(54)に見守られ、静かに息を引き取った。82歳。原発事故の避難生活で急速に衰え、入院後の40日間は会話もできなかった。

 「本当は何か言いたかったんじゃないかな。話してほしかった」と久人さんは言う。

 岩本氏は85年12月に町長に初当選し、05年まで5期20年務めた。町内には東京電力福島第1原発5、6号機があるが、財政難を背景に7、8号機の増設を求める原発推進派の筆頭格だった。

 一方、町長になる前は社会党(当時)県議や「双葉地方原発反対同盟」委員長として、反原発の先頭に立った。県議時代の74年、電源3法の国会審議に参考人招致され「危険な原発を金で押しつける法案と解せざるを得ない」と述べた。

 原発と戦い、信じ、最後に裏切られた岩本氏。人生の軌跡を追うと、原発に翻弄(ほんろう)され続けてきた自治体の姿が浮かび上がる。
 ◇作業員被ばくを追及

(2)

 双葉町に生まれ、青年団活動を経て社会党員となった。71年4月、県議に初当選。原発作業員の被ばくや放射性廃液漏れなどを厳しく追及し、質問に立つ時は「東電幹部社員が傍聴席を埋めた」(本人の手記)という。

 反対運動の組織化にも熱心だった。原発建設に携わった建設会社幹部の男性(69)は活動ぶりを覚えてい る。「第1原発の正門前に10人ほどで集まり、旗を振って原発反対を訴えていた」。作業員に労働組合を結成させようと、仲間と現場に乗り込んできたことも ある。「俺の弟が猟銃の空砲を撃って追い返したよ」。だが、男性は後の町長選で岩本氏を支援することになる。

 県議になった時、既に第1原発1号機が運転を始めていた。地元は潤い、反対運動は広がりを欠いた。その後3回県議選に出たが当選できず、スタンスは変わっていく。

 当時、社会党の地元支部書記長だった古市三久県議(62)=民主=によると、岩本氏は82年に反対同盟 を辞め、最後となった83年の県議選では原発反対を言わなかった。「原発に反対し続けても票は増えなかった。東電がそれだけ根を張ってきたということ」と 古市氏は言う。「根」は岩本家にも及んだ。長女と次女が東電社員と結婚している。

(3)

 岩本氏は家業の酒販業に専念することを決意、84年には社会党も離党した。「俺はいろいろ卒業したん だ」。そう言っていたのを元町職員は覚えている。ところが85年、下水道工事を巡る不正支出問題で町長が辞任し、政治の舞台に引き戻される。区長としての 人望や、社会党出身のクリーンな印象から町長選に担ぎ出された。保守系の票も集めて大差で当選。57歳だった。

 社会党時代からの盟友、丸添富二・元双葉町議会議長(76)は「原発は『町民が望むならば推進する』くらいにした方がいいと助言した」と話す。当選後の地元紙の取材に岩本氏は「もし町民が望むなら、増設運動を繰り広げていきたい」と語っている。

 当選直後の議会では「転向」を問う質問が相次いだ。元町職員によると、岩本氏は「反原発運動の経験を生 かし、安全な原子力行政に取り組む」と答えたという。町長室を1階に移してガラス張りにしたり、町民と直接対話する会合を開くなど、市民運動的な理想を実 現しようともした。職員にも気さくに声をかけ、慕われた。

(4)

 だが、電源3法交付金や東電の寄付を財源に、町総合運動公園(40億円)や保健福祉施設「ヘルスケアー ふたば」(16億円)など公共事業に多額の予算を投じた。その結果、財政は急速に悪化。09年には財政破綻一歩手前の「早期健全化団体」に転落することに なる。1〜4号機のある隣の大熊町への対抗意識や町民からの要望が背景にあったと、多くの町関係者は指摘する。

 91年9月には町議会が7、8号機の増設を求めて決議。当時の毎日新聞の取材に岩本氏は「企業誘致などでは追いつかない財源が得られる」と語った。

 05年町長選に岩本氏の後継者として出馬して敗れた元町議、大塚憲さん(61)は言う。「今思えば、まんまと国策にはまったんだと分かる。正常な判断ができなくなってしまうほど、カネの力、原子力政策の力は強かった」
 ◇「東電、何やってんだ」

 岩本氏は「反原発のたたかいを省みて」という手記を残した。元社会党支部書記長の古市氏によれば、79年ごろに書かれたという。

 「東電には文句をつけられない雰囲気が地域を支配しているなかでの原発反対運動はけっして安易なもので はなく、原発が止まったら生活ができなくなる、こんな話が反対同盟に寄せられ、このような人達(たち)を相手に反対運動の重要なことを理解さすことはむず かしいことであった」

(5)

 24年後の03年。超党派の国会議員らによるプルトニウム平和利用推進団体「原子燃料政策研究会」の機関誌の取材にはこう答えた。

 「原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい。(中略)原子力にかける想(おも)い、それが私の70才半ばになった人生の全てみたいな感じをしているものですから」

 岩本氏は人工透析を週2回受けていたが、長男の久人さん一家と避難を強いられた。当初、南相馬市の避難 所にいた頃は、ニュースを見ながら「東電、何やってんだ」と怒り、「町民のみんなに『ご苦労さん』と声をかけてやりたい」と話していたという。だが、次第 に認知症の症状が表れる。3月末に福島市のアパートに移ってからは「ここはどこだ」「家に帰っぺ」と繰り返すようになっていった。

 なぜ原発推進という「賭け」に出たのか。古市氏は言う。

 「ある時は住民のために原発に反対し、ある時は町民の生活を守るために原発と共存しながら一生懸命やっ ていた。最後に事故になり、自ら放射能を浴び、いろんな批判をかぶって死んでいった。ただ、本心は分からない。誰にも言わず、棺おけの中に持っていってし まった」【日下部聡、袴田貴行】=おわり

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 ◇「東電恨む気ない」 産業、議会…張り巡らされた「根」

 立地自治体には「原発」と「東電」が深く浸透してきた。

(6)

 大熊町の塚本英一さん(70)は5年前まで、原発で働く下請け作業員だった。「出稼ぎに行かずに済むようになって、本当にうれしかった」と振り返る。

 59年に高校を卒業した後、冬は毎年出稼ぎに出た。東京五輪を目前に急ピッチで工事が進む首都高速の建設作業員。20人の相部屋に寝泊まりし、日給は800円だった。

 5年ほどして原発の建設工事に加わり、生活は一変する。日給1000〜1500円。週末には農作業もできる。農業収入を合わせ年収が1600万円に達した時期もある。

 「東電を恨む気はない。家族総出で東電の力になりたいと思っています」。2人の息子もプラントメーカー系の下請け会社に勤め、事故の収束作業に加わっている。

 福島第1、第2原発が立地する4町のうち双葉、大熊、富岡の各町には、東電社員の町議がいる。東電労組 が母体だ。富岡町の猪狩弘二議員(59)は第2原発所属だが、日常は町議の仕事が中心という。「原子力という特殊性もあるので、行政とのパイプ役のような 仕事もしている」。議員報酬とは別に会社の給与も出ている。

 02年に発覚した東電のトラブル隠しをきっかけに、立地4町と東電、経済産業省原子力安全・保安院など が情報を共有する「福島県原子力発電所所在町情報会議」が03年に発足した。各町の住民から委員が5人ずつ選ばれ、定期的に会合を開く。東電は「透明性確 保の試み」と自負する。

(7)

 内容を記録した広報紙が毎回、住民に戸別配布されるが、富岡町の委員、安藤正純さん(56)は数年前、 自分の厳しい質問が載っていないことに気づき、東電の担当者を問い詰めた。すると、東電が編集していたことを認めたという。「『八百長じゃねえか』って 怒ったら、それから町がやるようになった」

 そもそも「御用委員」が多すぎると安藤さんは感じていた。「会議の始まる前に『所長さん、こないだはごちそうさまでした』とか、そんな話ばっかり」。事故後、情報会議は開かれていない。

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 ◆福島第1原発と岩本忠夫前福島県双葉町長の歩み◆

1955年10月 東電が原子力発電調査委員会を社内に設置

     12月 国会で原子力基本法が成立

  60年 5月 福島県が原発誘致を目指し「日本原子力産業会議」に加盟

  61年 4月 大熊町議会が東電に原発誘致を陳情

      6月 東電が大熊、双葉両町の旧陸軍飛行場跡地での原発用地取得を決定

  67年 9月 福島第1原発1号機の建設工事を開始

  71年 3月 1号機が営業運転開始

      4月 岩本忠夫氏が福島県議に初当選

  74年 6月 原発立地自治体に交付金をもたらす電源3法が成立

  79年10月 6号機が営業運転開始

  84年    岩本氏が社会党を離党

  85年12月 岩本氏が双葉町長に初当選

(8)

  91年 9月 双葉町議会が7、8号機の増設を求める決議を採択

2002年 8月 東電による福島第1原発などのトラブル隠しが発覚

  05年12月 岩本氏が双葉町長を引退

  09年 9月 双葉町が早期健全化団体に転落

  11年 3月 東日本大震災が発生し、福島第1原発炉心溶融と水素爆発

      7月 岩本氏が死去

(毎日新聞・連載特集)
この国と原発 アーカイブ(2011年)
http://mainichi.jp/feature/20110311/konokunitogenpatsu/archive/news/2011/index.html

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