「北の山・じろう」時事問題などの日記

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ドキュメンタリー:ビキニ環礁水爆実験 「放射線を浴びたX年後」上映、フォーラム山形で来月1日 

毎日新聞
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ドキュメンタリー:ビキニ環礁水爆実験 「放射線を浴びたX年後」上映、フォーラム山形で来月1日 /山形
毎日新聞 2013年02月19日 地方版
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20130219ddlk06040003000c.html
▼全文転載

(1)

 ◇震災復興支援プロジェクト

 1954年の米国によるビキニ環礁での水爆実験で被ばくしたのが第五福竜丸だけではない史実を掘り起こした地方テレビ局制作のドキュメンタリー番 組「放射線を浴びたX年後」が3月1日、山形市香澄町2のフォーラム山形で上映される。番組では触れられていないが、当時、環礁周辺では鶴岡市加茂の本田 昭一さんが船長を務める遠洋マグロ漁船も操業していた。本田さんの妻芳恵さん(83)は「核は作るのも使うのもだめだ」と言い続けた亡き夫の遺志を胸に、 史実を忘れず、放射能への正しい知識と情報を基に行動してほしいと訴えている。【長南里香】

 ◇爆心地の東290キロで操業

 米国がビキニ環礁で計6回の水爆実験を行った59年前の3〜5月、環礁周辺で約1000隻の日本漁船が 操業していた。そのうちの1隻が昭一さんが船長で、同市加茂の水産会社経営、尾形六郎兵衛さんが所有する神奈川県三浦市の三崎港所属の遠洋マグロ漁船「尾 形海幸丸」(155トン)だった。

 海幸丸が操業していた場所は、爆心地から約150キロ東にいた第五福竜丸から、さらに約140キロ東 だった。芳恵さんは「夫は網を仕掛けた後の仮眠中で船内にいて、実験があったことを会社からの無線で知らされました」と言い、次のように振り返った。「周 辺の漁船同士が無線で情報交換し、第五福竜丸の甲板に放射性物質を含んだ灰が積もり、知らずに船員がなめたという話も伝わりました。海幸丸の甲板も灰で覆 われ、会社からの指示でマストや甲板を何度も洗ったそうです」

 昭一さんと乗組員25人が三崎港に帰港したのは4月14日になってからだった。船体とマグロから放射能が検出された。

 芳恵さんによると、汚染されたマグロは廃棄され、1年後に国から当時で1人当たり5万円の補償金が支払 われて一方的に解決させられたという。昭一さんはその後に船を替えて漁を続け、帰郷して地元温泉旅館に勤務。11年前に75歳で亡くなるまで放射線障害な どの症状は感じられなかった。しかし、「核はだめだ」「今だったらこんなことじゃ済まされない」と言い続けた。放射能に対する正しい知識を持って行動する ことの大切さを話していたという。
(2)
 ドキュメンタリー番組「放射線を浴びたX年後」は、東日本大震災復興支援上映プロジェクトとして山形国際ドキュメンタリー映画祭が主催する上映イベント「忘れないために」の1プログラム。宮城県石巻市・門脇小の1年を記録した「津波のあとの時間割」など計6本が3月1日から3日にかけて上映される。

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