「北の山・じろう」時事問題などの日記

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原発事故から約2年、福島の現状は 「戻れる町」、貯蔵施設問題に困惑<福井新聞>

福井新聞
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原発事故から約2年、福島の現状は 「戻れる町」、貯蔵施設問題に困惑
(2013年3月5日午前7時01分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/earthquake/40750.html
▼全文転載

原発取材地(会津若松いわき市、浪江・双葉・大熊・楢葉・富岡町)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/photo/2/40750.html

 東日本大震災、福島第1原発事故からまもなく2年、被災地の現状に迫る連載企画「止まった時間」(1)

  ホワイトボードに3月11日の日付と、授業の時間割。奥の柱にかかる時計は2時46分から動かない。世界最大級の地震から今、逃げ出した直後かのように、 小さな机といすが乱れ、別の教室ではランドセルや辞書が出しっ放しだ。東京電力福島第1原発から南西に約4キロ、大熊町立熊町小。かつて児童約320人の 声が響いたこの校舎は、東日本大震災から2年がたつ今も、時間が動きだす気配すらない。

 大熊町には同原発のうち1〜4号が立地する。人口は約1万1千人で、福井県の高浜町と同じくらい。その全住民が今も町外避難を続けている。

  警戒区域指定は昨年12月にようやく見直された。しかし高い放射線量のせいで、人口の96%が住むエリアは自由に立ち入りができない「帰還困難区域」。熊 町小や町役場も含まれる。熊町小に設置されたモニタリングポストは毎時15・73マイクロシーベルトを示していた。国が学校の安全の目安とする毎時1マイ クロシーベルトの15倍超だ。

 町職員の同行で人けのない町をさらに行くと、茶色の雑草に覆われたかつての水田に案内された。左右を山に 挟まれた沢地、同町小入野(こいりの)。中間貯蔵施設の候補地の一つとなっている。施設は最長30年、除染で出た土や1キロ10万ベクレルを超える放射性 廃棄物を、東京ドーム約20杯分保管する。

 その建設を検討する国の現地調査がまもなく始まる。施設ができれば、福島全県から運び込まれる放射性廃棄物が、小さな沢地を埋めるだろう。山の木々に隠れるように立つ無人の家々が、震えて見えた。

   ■ □ ■

  「本音を言えば施設を受け入れたくはない。だが町民のうち8200人が県内市町村に世話になっている。また県全体が除染土の処理に困ってもいる。嫌とだけ と言っていられるか」。古里から100キロ離れた会津若松市。廃校跡に設けた仮役場で、渡辺利綱町長は落ち着いた口調で話す。

 国が示した施設の候補地は大熊町6カ所、第1原発5、6号が立地する双葉町が2カ所、福島第2原発が立地する楢葉町が1カ所。だが県全体の除染で出る廃棄物は、9カ所すべてを使う必要があるほど大量だ。

 渡辺町長は「まだ調査の段階で建設は白紙」とする一方で「県民も国民も高線量地域が受けるべきと考えているだろう。私も腹に思いはある」と覚悟をのぞかせた。

  2年前の全町避難に、今になって中間貯蔵施設。「本当に踏んだり蹴ったり」と顔をしかめる渡辺町長。「だが悲観しすぎてはいけない。広島・長崎が原爆投下 から立ち直り国際都市に飛躍したように、われわれも最後には立派に復興したと世界に発信しないと。それが立地の責任」と思う。

   □ ■ □

 楢葉町は人口約7300人。福井県のおおい町より1千人ほど少ない規模だ。昨年8月に避難区域が再編され、自由に立ち入れる「避難指示解除準備区域」となった。そこに降ってわいた中間貯蔵施設問題。

 松本幸英町長は「町が表明していたのは、町内の除染ごみを町内で管理する保管庫。それなのに国が勝手に(町外からも廃棄物を搬入する)施設候補地とした」と憤る。

 本来、同区域は早期帰還を目指すエリア。「国は『戻れる町』とお墨付きを出しておきながら…。これでは町民の帰還が進まない」。原発事故から時を経て再び直面する困難に焦りが募る。

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 福島県大熊町住民の3人に1人に当たる3500人が避難する同県いわき市。工業団地に立ち並ぶ仮設住宅の軒下、寒空の中でたばこを吹かす松本勝巳さん(39)に会った。事故前の住まいは大熊町小入野、中間貯蔵施設の候補地だ。

 国が候補地を示したのは昨年8月。松本さんは報道で知り、それをきっかけに妻(37)と古里に戻らないと決めた。

 「施設ができれば連日、トラックで廃棄物が運び込まれる。交通事故があって積み荷が漏れたら原発事故の再現だ。そもそも『中間』と言っているが、そのまま最終処分地になるのではないか」

 大熊町は昨年9月にまとめた第1次復興計画で、5年後をめどに「いわき市周辺」に仮の町(町外コミュニティー)を造るとし、住民に三つの選択肢を示した。「居住地を自ら選び帰れるまで待つ」「町が指定した区域に住み帰れるまで待つ」「町に戻らない」

  「戻らない」を選んだ松本さんは、近く市内で仕事を見つけ家を建てて「市民」になるつもり。「以前、テレビで原発事故の映像を見ていた妻が突然泣きだした とき『あきらめよう』と慰めた。ほんとは俺も泣きたかったけど」。今、一時帰宅のたび、自宅に残してきたアルバムや年賀状を持って帰っている。

■  □  ■

 町民が役場や学校などとともに丸ごと移住し、古里帰還に備える―。そんな「仮の町」構想が行き詰まっている。原発が立地する大熊、双葉をはじめ原発周辺4町がいわき市に仮の町を構想しているが、市との具体的な協議は始まっていない。

 「これから山を造成して住宅や上下水道や道路を整備し、数千人規模のニュータウンを造るのは時間的にも、市内に定住する避難住民が増えている現状からも、まったく非現実的」

 同市の鈴木英司副市長の声に迷いはない。「コンパクトシティーを目指す都市計画にもそぐわない。5年後10年後に帰還するとなったら、山中に廃虚の街ができてしまう」

  同市は人口約33万人の県内最大都市。都市計画では1万ヘクタールの市街化区域に27万8千人の居住を想定するが、実際の住民は25万9千人。この“空き スペース”に災害復興住宅を建設し、町ごとに少しずつまとまって住んでもらう―というのが市の描く「分散型」コミュニティーだ。市にとっても、市街地開発 を加速させられる利点がある。

 大熊町の復興計画は、次代を担う若手職員と町民20人が練った。修正を余儀なくされている現状に、担当者は「山地も多く、まとまった場所を提供してもらえると考えていた。相手任せで甘かった」と声を落とした。

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 強い風が吹雪のように粉雪を巻き上げた土曜日。会津若松市にある大熊町仮設住宅の集会場で、全域が帰還困難区域の集落、熊1区の「2010年度通常総会」が開かれていた。原発事故で延期になり、2年たってようやく開催できたという。

 住民は仮設や借り上げ住宅にばらばらに住み、区は事実上、解散状態。それでも新たに区長を選び、積み立てた区費を「帰還後の再生に使う」ことを決めた。新区長の佐久間住夫さん(63)は「われわれは町に戻るしかない。先祖伝来の土地を投げ出すわけにはいかない」と言う。

  大熊町の北に位置する浪江町も、「仮の町」を構想する町の一つ。よく晴れた翌日曜日、二本松市にある仮設住宅で、豊作を願う町の伝統行事「安波祭(あんば まつり)」が奉納されていた。はやし太鼓に合わせてにぎやかに田植え踊りを舞う子どもたちを、県内外から集まった避難住民が見守った。

 仮設の自治会長、佐藤秀三さん(67)は「長引く避難で絆が薄れつつある」と感じている。それだけに「町をなくさないために、今後も行事を通して古里意識を高めていく」と力を込めた。


福島原発事故後の現状
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/earthquake/40750.html
≫放射能影響心配、乳児にがん保険(2012年3月)
≫東電の賠償金で漁業者の意欲低下(2012年3月)

≫「将来がんになるかも」子どもにも絶望感(2012年3月)
「将来がんになるかも」子どもに絶望感  進学、就職地元離れる
(2012年3月5日午前10時00分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowerplant_a_yearafter/33416.html
▼全文転載

 「放射能でどうせ死んじゃうから、勉強しない」。昨年11月〜今年1月に福島大の三浦浩喜教授(51)らのグループが福島県の教員に行った調査報告書に、ある小学生男児から出た衝撃的な言葉が記されていた。

 「福島第1原発事故で子どもの多くが絶望感に包まれている」と同教授。学生らとともに、被災した児童らの支援活動に精力的に取り組んでいるものの、子どもの心の「陰」はなくならないという。

 浪江町から福島市に移り住み、2月に福島大で開かれた支援イベントに参加した中学1年の青田望さん(13)は「将来、甲状腺がんや白血病になっちゃうかも。普通の人生を過ごせたらいいけど…」。努めて笑顔で話してはいるが、憂いは消えない。

  ◆  ◆  ◆

 1〜3期に分けて入試を行う福島県の県立高。福島第1原発事故で、元の校舎で授業ができなくなり、中通りなどで授業を続ける浜通り6市町村の8校12学科のうち、新年度入試で募集定員に達したのは1学科のみ。残りは大幅に定員割れした。原発事故で嶺北に避難した嶺南の高校が定員割れしたようなものだ。

 8校のうち浪江高(浪江町)の1、2期の志願者数はそれぞれ2、4人。「3期も多分数えるほど。浪江に子どもはいないし、元の校舎にいつ戻れるか分からない。廃校の議論は避けられない」と山崎雅弘教頭(50)は話す。

 二本松市で廃校の小学校舎を間借りしている浪江中の生徒は現在51人。新年度の入学予定者はわずか6人で、このままだと400人だった事故前の生徒は、3年後に20人になってしまう。

 同町から福島市に避難し、市内の中学校に通う1年の松本晃太君(13)は「新しい友人ができたし、元の友達もみんな福島市にずっと住むと言っている。僕も浪江に戻らず福島市の高校に行く」。

  ◆  ◆  ◆

 卒業生200人中、東京電力に約15人、協力会社にも約20人が毎年就職していた小高(おだか)工高(南相馬市)。伊藤裕隆校長(60)が「40歳で今の私の年収を超す」と話す就職の“花形”、東電の求人は本年度なくなった。地元企業の求人も激減し、7割が県内就職、3割が進学か県外就職という比率は逆転した。

 東電が建設したJヴィレッジのサッカークラブに所属し、東電を目指していた電気科2年の深谷一文君(17)は事故後に進路変更を決め、卒業後は上京する。同じ電気科2年の高野桜さん(17)は「福島というだけでイメージが悪い。卒業後は県外に出る」。

  ◆  ◆  ◆

 郡山市に昨年12月オープンした屋内遊戯施設「ペップキッズこおりやま」。ブランコや砂場などの設備が整い子どもたちが夢中で遊ぶ。震災後、こうした施設がいわき、福島市にもオープンし、どこも連日盛況だ。

 学校の除染などで、郡山市の放射線量は事故直後から下がり、毎時0・6マイクロシーベルト前後。屋外活動制限も緩和されている。しかし「国がいくら安全といっても、保護者の安心にはつながらない」と同市教委。市内の主婦(40)は「子どもを外で遊ばせないし、テレビばっかり見ている」。長女(7)の体重は25キロから33キロに増えた。

 体力低下、色白、平衡感覚の低下に伴う転倒の増加、運動不足による肥満、ストレス性食欲不振による体重の激減…。福島大の森知高教授(63)が耳にする震災後の子どもの体力や健康の状況は深刻だ。教授は常に自問自答している。「外で遊ばせるリスクもあるが、外で遊ばせないリスクもある。どうすればいいのか。いつまで続くのか」(重森昭博)


≫進まぬ放射性物質汚染土の仮置き場確保(2012年3月)
≫避難準備区域解除も戻れぬ住民(2012年3月)

福井新聞
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