「北の山・じろう」時事問題などの日記

 ☆今は、無きブログのタイトル☆ 『取り残された福島県民が伝えたいこと』 管理者名 「取り残された福島県民」 当時のURL>http://ameblo.jp/j-wave024/

羽生、金 フィギュア日本男子初 「仙台への思い忘れない」<東京新聞 2014年2月15日>

荒川静香 (- Wikipedia「荒川静香 Official Web Site」選手が2006年トリノオリンピックで日本女子選手で初めて金メダルを獲得しました。その時の男子の絶対的な王者が、「プルシェンコ」選手です。前回大会では何とか演技しましたが、今回は無念の棄権となりました。「羽生結弦(ゆづる)」選手の前の日本の王者は、高橋選手です。残念ながら、ケガの時期とオリンピックが重なり金メダルはなりませんでした。その高橋選手ですら、今日本国内では5番目の評価だそうです。ほんの少し前には、圧倒的な国内の王者であった高橋選手が、前回大会から4年後には、国内で勝てない。この層の厚さが「羽生結弦(ゆづる)」選手の男子初の金メダルを生み出しました。

 

 そして、その先駆けとなったのが伊藤みどり伊藤みどり - Wikipedia)選手です。日本のフィギアスケート界初のオリンピックの銀メダルをアルベールビル五輪で獲得しました。日本のフィギアスケートが世界と互角に戦えるようになったのは、これ以降です。「伊藤みどり」さんには「聞くと涙」の話が沢山あります。そんな話も機会があったら取り上げようと思います。

 

 まずは、「羽生結弦(ゆづる)」選手。金メダルおめでとうございます。

 

 

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/

羽生、金 フィギュア日本男子初 「仙台への思い忘れない」
2014年2月15日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2014021502000236.html

▼全文転載

  

 【ソチ=本社五輪取材団】ソチ五輪第八日の十四日、フィギュアスケート男子で、初出場の十九歳、羽生結弦(ゆづる)=ANA=が今大会の日本の金 メダル第一号を獲得した。日本の男子フィギュアは、一九三二年のレークプラシッド五輪に初出場して以来、八十二年の歳月をかけ初制覇を果たした。欧米の選 手が君臨してきた男子で、アジアの選手が初めて王者になった。十九歳での男子フィギュアの金メダル獲得は史上二番目の若さ。 

 冬季五輪の日本通算十個目の金メダルで、今大会での獲得メダルは四個となった。日本のフィギュア全体では、二〇〇六年トリノ五輪荒川静香に続き二人目の金メダリスト。

 前日のショートプログラム(SP)で史上初の100点超えとなる101・45点を記録し、首位で臨んだフリー。羽生は冒頭の4回転ジャンプと3回 転を失敗して二回転倒したが、後半立て直し、フリーでも一位の178・64点をマーク。合計280・09点で金メダルを獲得した。世界選手権三連覇中のパ トリック・チャン(カナダ)はジャンプミスが多く4・47点差で二位となった。初出場の町田樹(たつき)(23)=関大=は五位と大健闘。前回バンクー バー大会銅の高橋大輔(27)=関大大学院=は六位となり、三大会連続の入賞を決めた。

 ノルディックスキー・ジャンプ男子の個人ラージヒル伊東大貴(28)=雪印メグミルク、清水礼留飛(20)=同、竹内択(26)=北野建設=が 予選を突破。予選免除の葛西紀明(41)=土屋ホーム=とともに日本勢は全員が十五日午後九時半(日本時間十六日午前二時半)の本戦に進んだ。

     ◇

 喜びを爆発させてもおかしくない夜、日本男子フィギュア初の金メダリストの笑顔は控えめだった。

 フリーで二度転倒したジャンプ、演技後の氷上でしばらく立てないほど積もった疲労。ただ、理由はそれだけではない。

 「ゴールドメダリストになれたけど、ぼく一人が頑張っても直接、復興の助けにはならない。無力感がある」。試合後の記者会見、海外メディアに「ツナミ」からの日々を問われた際の言葉だ。羽生結弦の戦いは、東日本大震災が起きたあの日から始まった。

 二〇一二年一月、名古屋市で開かれたアイスショーでのことだ。

 浅田真央安藤美姫ら、そうそうたる顔触れに交じり、十七歳だった羽生も出演した。順位のつく競技ではなく、華麗な舞を披露するイベント。すべてのプログラムが終わると、各選手は花束を受け取り、笑顔で引き揚げていった。

 「わぁー」。舞台裏で片付けを始めた関係者が、リンクの方から再びわいた歓声に驚いたのは、そのすぐ後だった。帰りかけた観客の見守る中、羽生が 一人現れ、4回転ジャンプを始めていたのだ。地元仙台のリンクが被災し、しばらく練習拠点をなくす経験をした。たった一人のアンコールは、氷の感触を確か められる、かけがえのない時間を知るからこそだった。

 世界王者パトリック・チャンと競り合ってつかんだ金メダル。天才とも評される羽生の心技を鍛えたのは、間違いなくこの時期の苦労だ。

 だからこそ「スケートをやめようと思ったり、生活すら精いっぱいで、多くの人に支えられてここまできた」という試合後の言葉には実感がこもる。「無力感がある」という金メダリストらしからぬ感想も、戦ってきた環境が過酷だったがゆえだろう。

 「金メダリストとして、ここからがスタートだと思う」。初の五輪にして頂点に上りつめた日、羽生はあらためて誓った。「仙台への思いを忘れたくない」。その言葉を胸に、さらなる高みを目指す。 (ソチ・杉藤貴浩)

 

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
東京新聞購読のご案内】
http://www.tokyo-np.co.jp/koudoku/
TOKYO Web 「ニュースクリップ」
http://www.newswatch.co.jp/bns/chunichi-nc/newsclip/

 

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/

プルシェンコ引退 練習で痛み 棄権後に表明
2014年2月14日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2014021402000232.html

▼全文転載

 【ソチ=原誠司】ソチ五輪フィギュアスケート男子で、31歳のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)はSPを棄権後、現役引退する意思を明らかにした。古傷の腰の痛みがぶり返したため。メダル候補は競技することなく姿を消した。

 プルシェンコは7番目に演技する予定だった。直前の6分間練習でトリプルアクセルを跳んだが、着氷に失敗。痛みが走った腰を押さえたまま、審判に棄権を伝えた。

 昨年1月に腰の手術を受けたプルシェンコは、SP前日の練習中に4回転ジャンプで転倒し、腰を痛めたという。プルシェンコは「今朝も痛みが残って いた。6分間練習でトリプルアクセルを着氷後に激痛が走り、ダメだと思った」と説明。「奇跡は起きなかった。こういう形で自分のキャリアを終えるのは残念 だが、これからはロシア中でアイスショーに出たい」と、引退後の抱負も語った。

 プルシェンコは2006年トリノ五輪の金メダリスト。ソチ大会から新種目となった団体では、男子フリーで1位になるなどロシアの金メダルに貢献。五輪フィギュア最多に並ぶ4個目のメダルを獲得した。

 

東京新聞 TOKYO WEB
トップ >http://www.tokyo-np.co.jp/
東京新聞購読のご案内】
http://www.tokyo-np.co.jp/koudoku/
TOKYO Web 「ニュースクリップ」
http://www.newswatch.co.jp/bns/chunichi-nc/newsclip/

 

 

★追記

ロイター

五輪=羽生を金に導いた「鋼の意志」と被災者への思い
2014年 02月 16日 11:49
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1F00H20140216
五輪=羽生が金メダル第1号、フィギュアで日本男子初
2014年 02月 15日 06:42
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJEA1D02920140214/