「北の山・じろう」時事問題などの日記

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ビキニから焼津から 非核世界に訴え 事件60年式典<静岡新聞 2014/3/ 2 >

静岡新聞
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ビキニから焼津から 非核世界に訴え 事件60年式典
(2014/3/ 2 08:48)
http://www.at-s.com/news/detail/959743467.html

▼全文転載

  【マジュロマーシャル諸島)共同】米国が太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で実施した水爆実験から60年を迎えた1日、被ばく者追悼式典が首都マジュロ で開かれた。焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員大石又七さん(80)は東京電力福島第1原発事故の汚染被害に触れ「ビキニ事件と同じだ。核 兵器にも原発にも断固反対する」と世界に訴えた。焼津市でも「被災60年3・1ビキニデー集会」(原水爆禁止世界大会など主催)が開かれ、核廃絶や平和を 祈った。
 大石さんは10年前に同諸島を訪れた際、放射性降下物「死の灰」が降ったロンゲラップ環礁の元首長から、子どもが白血病で亡くなった事実を知らされた話を披露、「米国は事実すべてを明らかにし、責任を取るべきだ」と強調。死の灰を浴びた苦難を紹介した。
 広島市原爆資料館を運営する「広島平和文化センター」の小溝泰義理事長が市を代表し、核兵器根絶に向け各国に連帯を呼び掛けた。
  式典には、住民の帰島が実現していないビキニ環礁やロンゲラップ環礁の自治体の首長代理のほか、被ばくした島民ら計約400人が出席。1日午後は被ばく者 の島民が望郷の念をつづった歌や踊りを披露して犠牲者を悼む行事が開かれ、福島大の大学院生佐藤甲斐さん(25)も加わった。
  1954年3月の水爆「ブラボー」実験でロンゲラップ環礁などの住民が被ばく、強制移住させられた。米政府の安全宣言でいったん帰島したが、放射性物質に よるがんや甲状腺障害など健康被害が続出、再び島を離れた。第五福竜丸では23人が被ばく、半年後に無線長久保山愛吉さん=当時(40)=が死亡した。