「北の山・じろう」時事問題などの日記

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知らず知らず第2次大戦と同じ過ちを犯しつつある日本 被災地に赴任した内科医が見た、それでも歴史は繰り返す現実<JBpress>

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知らず知らず第2次大戦と同じ過ちを犯しつつある日本
被災地に赴任した内科医が見た、それでも歴史は繰り返す現実
2014.03.06
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40110

▼全文転載

東日本大震災から3年が経とうとする今、改めて被災地の声を記録にとめよう、という試みが各地でなされています。人々が過去に学ぶためには、記録を残すことは「必要条件」です。しかし記録は学びのための「十分条件」ではありません。

 「・・・ある現実的な体験は、体験として固執する限り、どのような普遍性ももたないし、どのような歴史的教訓も含まない。ただ、かれの『個』に とって必然的な意味をもつだけである。この体験の即自性を、一つの対自性に転化できない思想は、ただおれは『戦争は嫌いだ』とか『平和が好きだ』という情 念を語っているだけで、どんな力をももちえないものである・・・」

 これは第2次世界大戦の体験について吉本隆明が述べた言葉ですが、「戦争」を「災害」に置き換えれば、そのまま東日本大震災の体験に当てはまります。

 では東日本大震災の体験が「対自性」を持つために、私たちはどのようなことができるのでしょうか。私はこの手がかりの1つが、他の歴史との比較にあると考えます。

 以前、福島のリスクコミュニケーションと狂牛病事件を比較させていただきました*1が、今回は被災地医療と第2次世界大戦の比較をしてみようと思います。

ある学会発表にて

 先日、ある病院の災害直後の病院スタッフの勤務状況について、アンケートの結果を拝見させていただく機会がありました。スタッフがどのような時に人員不足と感じたか、ということをお聞きしたものです。

 スタッフのストレスや労働環境は、立場によって大きな違いが見られました。例えば普段は定時の勤務をされている事務職の方々などにとっては、震災後の長期にわたる夜間業務は大変なストレスでした。

 また、家族構成などでも勤務体制が異なった可能性があります。例えば一人暮らしの方は同居家族のいる方に比べて超過勤務が多かった、などという結果があります。

 一方、ご家庭を持たれている方は、保育園や介護・療養のための施設が閉園になってしまったことによる負担や、家族の食料調達ができなかった、など の問題もあったようです。今後の大規模災害へ向け、このような不安や不公平感を少しでも減らさなくてはいけない、と学ぶところの多いアンケートでした。

 この結果を学会で発表をさせていただいたのですが、その時に受けた質問に驚きました。

 「この病院は沿岸部でもないし、電気も水道も通っていたんですよね? そんな病院でスタッフが大変なんて、甘いんじゃないでしょうか」

 このご質問をされた方はご自身も医療従事者で、阪神・淡路大震災でご自身の勤務された病院が壊滅状態となった経験があるそうです。恐らくこの方は苦難を気力で乗り切り、ご家族も不平を言わず耐えられた、その体験をもってこのようにおっしゃったのでしょう。

 しかしご自身が英雄的であることと、英雄的行動を他人に強要することには大きな違いがあります。特に今回の被災地医療を担ったのは、偶然被災地に居合わせてしまった、ごく普通の方々です。元々災害医療を専門とする方とはメンタリティが異なります。

 また、ご家族と共に被災地で生活される病院スタッフの方々は、被災者を助けようと外から短期的に乗り込むDMAT(Disaster Medical Assistance Team=災害時派遣医療チーム)のような方々とは環境が全く異なる、ということも忘れてはいけないと思います。

東日本大震災と特攻精神

 以前英国から日本を訪ねた友人に、「大石内蔵助はあれだけの部下を死なせたコマンダーなのに何で英雄なのだ」と尋ねられ、返答に困ったことがあります。

 「高邁な」志のために自身の命を捨てる、自爆テロなどの例は世界にも数多くあります。しかし志のために自分だけでなく他人の命をも軽く扱い、それが讃えられる、そのような文化はあまり見受けられません。

 この文化が結晶化したものが、先の第2次世界大戦でした。栄誉と命を等価と偽る世間の風潮が特攻精神をいたずらに煽り、弱者の声を暴力的に封じてしまいました。その結果、多くの「防ぎ得る死」を防げなかった。

 災害の面でも軍事の面でも反省することの多い歴史だと思います。しかし私たちはそこから学ぶことをしたのでしょうか。

 例えば東日本大震災の後、被災地の医療スタッフの大半は、過酷な労働条件に対して何の報酬も得ていません。震災5カ月後に取られたアンケートでは、

「通勤の為のガソリンや食事の支給を考えてほしかった」
「超過勤務の給与体制を明らかにしてほしかった」
「子供がいる人は多めに休暇をもらったが、自分は親の介護をしていたのに・・・」

 などという記載も見られました。これは無記名式のアンケートであったからこそ聞けた意見であったと考えます。

「自分1人で休ませてもらって本当に申しわけなかった」
「もっと辛い人がいるのに、休みたいとは言い出せなかった」

 そのような記載も見受けられるからです。

 病院は、食事を作ってくれる厨房がなければ成り立ちません。掃除や患者さんのシーツ交換も必要です。また、24時間門戸を開けている病院という施設は、防犯・警備がなければ安全が保てません。

 病院機能を保つためのこれらの貴重なスタッフ全員に、善意のみで長期に働くことを要求することは果たして「よき日本人」の姿でしょうか。

 過去に一億玉砕を唱えて兵士たちを使い捨てた日本の文化が今、被災地の病院スタッフを英雄ともてはやしながら使い捨てているのではないか。そのように懸念します。

技術への過信

 もう1つ、災害と第2次世界大戦のメンタリティが似ている、と感じる点があります。それは「日本の技術力」に対する過信です。これは建築技術・医療技術の2点に特に如実に表れていると思います。

 日本の建築技術が優れている、とされる根拠は、東日本大震災は未曾有の規模の地震であったにもかかわらず、地震のみで倒壊した建物がほとんどな かった、ということです。日本が高い技術を持っていることは論を俟ちませんが、今回の建物被害が少なかった理由は本当に耐震設計のためでしょうか。

 例えば、東北地方はこれまで何回も震度6以上の地震を経験しています。宮城県では2003年にも震度6地震を経験しており、この時の建物被害は宮城県内だけで全半壊21棟、一部破損2342棟でした*2

 うがった見方をすれば、脆い建物は今回の震災前に倒壊してしまっていた、つまり生き残りバイアスがかかっている可能性もあります。東日本大震災においても耐震補強を施し十分な耐震性能を有すると判断されていた建物でも壊滅的な被害を受けた建物も存在します*3

 つまり、現在の技術や対策が将来起こり得る、例えば都市の直下型地震に対して十分な技術である、という論拠はありません。これは南海トラフ地震の想定で最悪ケースにおける死者は23万人、各種防災対策を徹底しても6万人、という被害推定を見ても分かります*4

 今の日本は江戸のハザードマップの真っただ中へ超高層ビルを建設し、オリンピック会場を企画し、災害経験のない何万人もの人々を呼び寄せています。

 私は詳しい建築技術に関する知識はありません。分からないからこそ、過去の歴史を振り返ります。そのうえで「安全神話」は果たして原発だけのことだろうか、という疑問が湧きます。そしてその疑問を唱える人が少ないことに一抹の不安をも覚えます。

「日本の医療は世界一」の危険

 もう1つ、日本の医療水準に対する過信も問題です。日本の医療が世界一、と言われるゆえんは、2000年の世界保健報告(World Health Report)*5で、日本が総合評価(overall attainment)で第1位にランクされたことによります。

 この1つのりポートを根拠に、その後10年以上経った今でも「日本の医療は世界一」と言い続けている人が大勢いらっしゃるのです。しかし、改善努力もしないまま10年以上も世界一で居続けることが本当に可能なのでしょうか?

 もしかしたら、今でも日本の医療が世界一であるのかもしれません。しかしその水準を支えるのは、過労死ラインを遥かに超えた医療スタッフの労働です*6。様々な医療従事者の切実な訴えにもかかわらず、この過酷な労働環境は改善の気配もありません。

 

 今回の災害は、既に過労死ラインを超えた労働環境の病院を直撃しました。患者数が激増し物流の途絶える中で、すべてのスタッフが必死で頑張られた結果、東日本大震災の2次災害は世界でも称賛されるほど少ないものとなりました。

 その結果のみをして「日本人はすごいから次の災害でも頑張れる」という神話を作り上げているのではないか、そのようにも感じます。

 『永遠の0』という小説が流行っているようですが、この小説ではゼロ戦を「世界一」ともてはやし、1回だけの栄光を根拠にその後のシステム改善の努力を怠ったことが辛辣に描かれています。

 日本の医療を世界一と称して医療ミスを個人の努力不足と片づける、今の医療現場と大変似ていると感じるのは、私だけではないでしょう。

「戦争の歴史」は「災害の歴史」

 なぜ、被災地では第2次世界大戦と同じ愚を犯そうとしているのでしょうか。それは歴史からの学び方に問題があるのではないか、というのが私の考え です。例えば第2次世界大戦の歴史を振り返る時、「戦争を繰り返さない」ことだけが歴史に学ぶことだと考えている人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 しかし災害という視点から見れば、「人災」も「天災」も同じ「有事」です。災害医療の世界でも、戦争と自然災害は同じ問題を抱えており*7、共有すべきものである、という意見が主流を占めてきています。

 例えば先のコソボ紛争の際、避難民が内服薬や検査値のリストを失ったことによる慢性疾患の悪化が問題となりました*8。また、PTSD心的外傷後ストレス障害)や妊産婦の健康も問題となります。

 逆に、昨年フィリピンを襲った台風の後、物資の不足により治安が悪化し、人災による死傷者も増えました。健康問題という意味で見れば、人災も天災も、規模の差こそあれ非常に似ているのです。

 戦争がない限り歴史は繰り返さない、のではなく、天災が起こればいつでも戦時と同じ状況が起こり得る、そういう視点で日本の戦争の歴史を見直してみることが大切ではないでしょうか。

歴史は繰り返す

 また、各国の有事における問題解決のプロセスには、国民性が非常に表れると思います。中国の大陸思想、英国の帝国主義、ドイツの民族主義・・・も ちろん十把一絡げにはできませんが、他の国を見る限り国のメンタリティというものはそれほど簡単には変わりません。歴史が繰り返す理由の1つはこのプロセ スの類似なのかもしれません。

 そのように考えると、東日本大震災の後に日本の取っている復興対策には、第2次世界大戦で犯したと言われる過ちと同じ場面が多々見られます。例えば、

●1回の成功をもって「改善の必要なし」と判断すること。
●インフラの整備を人の整備よりはるかに優先させること。
●システムエラーを個人の無償の努力でカバーさせるために「英雄」を生み出したこと。
●その英雄的行動を一般人に強要しようとする風潮があること。

 などです。この現状を見て、日本人は過去の歴史を反省した、と本当に言えるのでしょうか。

憐みは学びの敵

 歴史は学ぶためにありますが、人災にしても天災にしても、災害の歴史は自身の体験として学んで初めて意味のあるものです。そしてこの学びは、残念ながら日本の美徳である「あわれむ」ことの対極にあると思います。

 世間は往々にして被災地に「可愛そうな中で頑張った」ドラマを要求しますが、この歴史はスクリーン越しの他人の歴史です。かわいそう、という言葉は、明確に当事者と観客を分けてしまうからです。

「自分がこのドラマの中にいたなら、もっと立派に困難に立ち向かうのに」
「日本人なら国益のために自分を犠牲にすべきだ」

 この夢物語のような感覚が、過去の戦争で多くの犠牲者を出しました。

 戦争も、被災も、美談ではありません。悲しみや忙しさ、あるいは仕事を失った退屈さに、八つ当たりもすれば逃避もする、人間の生きる土地で起きた出来事です。

 以前、ある開業医の先生方が笑い話として口にされたことがあります。

 「あの時『逃げた』人と『逃げない』人の差は、借金の額を見ればすぐ分かるよ。借金の多い人が逃げられなかったんだ」

 もちろんこれは冗談だったのですが、誰かにとっての真実であっても驚きません。

 このような現実の姿に蓋をする限り、被災の記録が学ばれる機会は失われてしまうのではないでしょうか。被災地の文化を尊重することと、被災そのも のを美化することは別物です。同じ歴史を繰り返さないため、生身の歴史をいかに伝承していくか。伝える術にもさらなる改善努力が必要と考えます。

1http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39746
2http://kitten.ace.nitech.ac.jp/ichilab/papers/oral/368.pdf
3http://www.jasdis.gr.jp/_userdata/06chousa/main_data/08miyagi_chousa.pdf
4http://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/nankaitrough_info.html
5http://www.who.int/whr/2000/en/whr00_en.pdf
6湯地晃一郎.勤務医の過重労働:酷使される勤務医の実態と、その解消策. Huffington Post 2013年05月31日
7) Leaning J, Guha-Sapir D. Natural Disasters, Armed Conflict, and Public Health. N Engl J Med 2013; 369:1836-1842
8) Fowler N et al. The 1999 international emergency humanitarian evacuation of the Kosovars to Canada: A qualitative study of service providers' perspectives at the international, national and local levels. Intern J Equity Health 2005, 4:1

 

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