「北の山・じろう」時事問題などの日記

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クバン・コサック合唱団を見て思ったこと (トルコ!ってすごい!!!)

クバンコサック合唱団

カチューシャ(Varvara)
http://blog.goo.ne.jp/kg7n-oka6re4bl_kd6b-ra6bi_4eg/e/02fd96bf438abb605ac70e7415841c96

昨日、この記事を書いているうちにコサックの合唱団が出てきて調べて見ると

クバン・コサックと呼ばれる人々であることが分かりました。

 

日本では、コサックと言うとドン・コサックの名前が浮かんでくると思います。

私もそうでした。

「静かなドン」

有名なロシアの第一次世界大戦からソ連革命の内乱を描いた小説です。

小説のタイトルのとおり、ドン地方のコサックの人々が主人公です。

もっと書きたいのですが、省略。

その小説の中に出てくるコサックの人々のイメージにぴったりなのが下記の動画です。

Праздничный концерт Кубанского казачьего хора (2006)


Праздничный концерт Кубанского казачьего хора (2006) - YouTube
アップロード日: 2011/09/11

 

女性だけに限って言うと、色鮮やかな民族衣装をまとった、見るからに気の強そうな女性たちで、まさに私のイメージの中のコサックの女性たちが、そのまま現れたような気がします。これは、まだおとなしいほうで

Священной победе! Концерт Кубанского казачьего хора
(英語訳 Sacred victory! Kuban Cossack Chorus Concert)


Священной победе! Концерт Кубанского казачьего хора - YouTube
アップロード日: 2011/09/06

こっちを見ると、完全軍国主義のイメージです。

きっと、ウクライナにもこんな人たちが、いっぱいいるんでしょうネ?

ウクライナの旧政権崩壊の民衆デモと聞くと、何となく平和的な印象がありますが実際には、先頭にいたのはウクライナの極右民族主義者だったようです。

 ウクライナ国会前に極右数百人、幹部「射殺」で内相辞任を要求<AFPBB News 2014年03月>
http://kitanoyamajirou.hatenablog.com/entry/2014/03/29/03073

このような記事を見ると、日本の平和ボケ??大丈夫かな???

と思います。平和ボケから目が覚めると、すぐ軍国主義に変身?するのが怖いです。

 

それは、よいとしてコサックの中のいくつかのグループの中からドンコサックが台頭し、帝政ロシアの中で大きな位置を占めるようになります。

ロシア皇帝の忠実な臣下にして、最強の軍団を構成するようになります。

第一次世界大戦の時代までは、騎兵は戦場では最強の部隊でした。

その際たるものが、ドン・コサック騎兵軍団です。

 

そして、ここにトルコがやっと出てきます。

ロシアとクリミア戦争を戦い、ついにロシアの南下政策を阻止したのが当時の、オスマントルコ帝国です。と言っても、トルコ側は多国籍連合軍のようですが。戦場がコサックの人々の居住地と重なります。多分、この戦争でもロシア皇帝の尖兵であるコサック軍団は勇猛果敢に戦ったのではないか??と想像するところです。

 

このような恐ろしい人たちと戦ったトルコ人もめちゃくちゃ戦争に強い人々であったことになります。そうであるから、オスマントルコ帝国は、最盛期には巨大な版図を持つにいたったわけです。歴史によると、16世紀前半がオスマントルコ帝国の最盛期ですから、19世紀のクリミア戦争の時代はオスマン帝国の衰亡期に当たります。

以下、省略。

 

ここで、私が不思議に思うことがあります。

どうして??コサックの人々は、自分たちの国家を形成できなかったのだろう??

 

動画の中にヒントがあるような気がします

以下は、あくまで私の個人的な推測ないし空想に過ぎません。

 

見るからに戦争に強そうな人たちです。

しかし、我もめちゃくちゃ強そうです。

よく言えば、個性的で自己主張が強い。

普通に言うと、わがままで自分勝手。

つまり??まとまることが出来ないのですネ??

そこを、ロシアは巧みに利用してコサックを分割統治した。

そしてコサックの人々は、ロシア帝国軍の最強軍団に組み込まれていった。

 

しかし、それを良しとしない人々もいた。

これが、ウクライナの人々でしょう。

 

しかし、ロシア側(旧ソ連)に残ったコサックもいた。

現代でも、チェチェンの戦闘に参加したコサックの話を聞きます。

コサックの人々ほど、戦争のイメージとぴったり重なる人々も珍しいと思います。